この秋、堀辰雄を読み始めたのは、昭和28年(1953年)に起きた浅間山麓米軍演習場設置反対運動を記録した荒井輝允『軽井沢を青年が守った』(ウインかもがわ)を読んだのがきっかけだった。
病院しかも眼科の待ち時間に読むのに程よい大きさの活字で、しかも薄い本を物色して、この本を選んだ。
その中で、追分、三石、大日向、借宿の青年を中心に起こった演習場反対運動を支えた一人が、藤村の小諸学舎を経て追分の高原学舎(高原塾)を指導した橋本福夫だったことを知った。
反対運動の青年たちは、堀の追分での葬儀に参列するために追分を訪れた橋本に支援を要請し、協力を得ることになる。
橋本は、後に堀の宅地の一部を未亡人から譲り受けて家を建て、そこで生涯を終えたというから、堀との因縁は浅からぬものだったろう。
堀と橋本の関係は、ぼくが読んだ堀に関する解説の類には出てこなかったが、興味が持たれるところである。橋本の側から堀との関係を知ることはできないだろうか。
※ 橋本の名前の記憶は、『サリンジャー選集』荒地出版社とともにあるが、彼の著作集(早川書房)には追分時代の随筆なども収録されているらしい。
浅間山麓演習場計画が報道されたのが1953年4月3日、堀が亡くなったのが同年5月28日だから、堀が反対運動に直接関係をもつことはなかっただろう。しかし、堀にとって「信濃追分」はけっして「ペン1本で創り出した」文学空間(池内紀解説、『堀辰雄』ちくま文庫463頁)にとどまるものではなく、油屋を定宿とし、その火災による消失に遭遇したり、村に1、2軒しかない雑貨屋で購入した雑記帳の表紙を小品の題材にしたり、「O村の匂」いの漂うおようさんと出会った生身の場所である。
幼年時代を過ごした向島さえ「他郷」と思っていた堀が最後に定住の地としたのが追分であり、堀が亡くなったときに、塩沢の火葬場に向かう棺をのせた荷車をひいたのは、高原塾の教え子でもあり、反対運動を担った油屋の息子ら地元の人たちだった(荒井書88頁)。
その追分が米軍の演習場になるようなことを、堀がもし知ったとしたら無視できたとは思えない。
ぼくのこの秋の軽井沢郷愁の旅はこれで終わりにする。
堀辰雄の代表作を何冊か読んだぼくの感想を一言で言うと、堀は強じんな精神力(今でいえば鉄のメンタル)を持ったナルシストであった。
作品全体は虚構だとしても、ヒロインが喀血する場面などのディテールは現実のものだろう。それを観察する著者のまなざしの背後に強い精神力を感じた。また、一度か二度会っただけの女性に思いを寄せながら、その彼女が自分に対して抱いているだろう気持ちを想像して細密に描写する著者に、強いナルシズムを感じた。
しかも「菜穂子」を除けば、堀は、作家というよりは詩人であった。
池内紀の解説は、「堀辰雄は、すこぶる強靭な作家であった」と言い(『堀辰雄 ちくま日本文学』ちくま文庫、460頁)、堀を「東洋の島国の幼いナルチス」と評する(同459頁)。
この秋に読んだ堀の諸作品とともに、懐かしい、あるいはぼくの知らなかった戦争前の軽井沢について、様々の情報を与えてくれたのは、川端康成の『高原』(中公文庫)だった。何によって川端のこの本の存在を知ったのかは忘れてしまったが、小川和佑『“ 美しい村 ”を求めて』だったか・・・。
2021年10月25日、東京の気温は10℃ちょっとまでしか上がらず、寒い一日だった。
今年もあっという間に秋は去ってしまい、冬が近づいたようだ。散歩に出ようと決めている午後4時30分には、すでに日が落ち始めるようになった。
今年の秋も、坂上弘『ある秋の出来事』は、読むことができなかった。
50年近く前に、大泉学園駅前にあった大進書店の本棚に並べられた中公文庫の背表紙に書かれたこの題名の映像が今でもよみがえってくるのだが、「ある秋の出来事」という題名には強く惹かれながら、期待を裏切られる怖さからいまだに読むことができないのである。
その代わりに、堀辰雄で今年の秋の時間を楽しむことにしたのだった。
* * *
堀辰雄の主要作品(ぼくが今回読んだものだけ)と略歴をまとめておいた。ぼく自身の備忘のためなので以下は無視して下さい。
1904年(明治37年) 麹町区平河町で出生。父堀浜之助、母西村志気。浜之助の嫡男として届出。
1908年(明治41年) ※母が上条松吉(彫金師)と結婚。堀は継父松吉を実父と思って育つ。
1917年(大正 6年) 東京府立第三中学校入学
1921年( 12年) 第一高等学校入学
※関東大震災に被災して母死去。
1922年( 13年) ※室生犀星から芥川龍之介を紹介され、軽井沢で芥川、片山広子と交流。
1925年( 14年) 東京帝国大学入学。
※犀星宅で中野重治らと知り合う。夏の軽井沢で犀星、芥川、萩原朔太郎、片山らと交流。
1926年( 15年) ※犀星の招きで軽井沢に滞在
1927年(昭和 2年) ルウベンスの偽画(岩波文庫『菜穂子ー他5篇』(以下「岩波」)
※芥川死去。遺品の整理や『芥川龍之介全集』の編集に従事。
1929 年( 4年) 不器用な天使(講談社文芸文庫『ルウベンスの偽画 風立ちぬ』)
※東京帝大卒業。卒論は「芥川龍之介論」(全集第5巻、「青空文庫」)。
1930年( 5年) 聖家族(岩波)
1931年( 6年) 恢復期(岩波)
〃 燃ゆる頬(ちくま文庫『堀辰雄』。以下「ちくま」)
1932年( 7年) 麦藁帽子(角川文庫『風立ちぬ・麦藁帽子・美しい村』。以下「角川」)
1933年( 8年) 旅の絵、鳥料理(角川) ※軽井沢で矢野綾子と出会い、翌年婚約。
1934年( 9年) 美しい村(角川)。※綾子と富士見のサナトリウムで療養。
1935年( 10年) ※矢野綾子死去
1936年( 11年) 狐の手套(新潮文庫『大和路・信濃路』。以下「新潮『信濃路』」)
1937年( 12年) 風立ちぬ(新潮文庫『風立ちぬ』小学館文庫『風立ちぬ/菜穂子』)
雉子日記(新潮『信濃路』)
1938年( 13年) ※養父松吉死去。加藤多恵と結婚。
1939年( 14年) 木の十字架(新潮『信濃路』)
1941年( 16年) 菜穂子(岩波)、<晩夏(新潮文庫)>
1942年( 17年) 花を持てる女(ちくま、講談社文芸文庫)、
幼年時代(ちくま)
1943年( 18年) ふるさとびと(岩波)
1953年(昭和28年) ※5月28日、追分で死去(49歳)。
2021年10月26日 記