豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

堀辰雄「聖家族」「恢復期」

2021年10月20日 | 本と雑誌
 
 堀辰雄『菜穂子ーー他5篇』(岩波文庫)から、「聖家族」(1930年)と「恢復期」(1931年)を読んだ。「ルウベンスの偽画」(1927年)は講談社文芸文庫『風立ちぬ ルウベンスの偽画』で読んだ。岩波文庫は「ルーベンスの偽画」と表記するが、小説の題名なども現代表記化してしまってよいのか。
 岩波文庫では、「ルウベンスの偽画」は本文も目次も解説もすべて「ルーベンス」に改められているのに、「楡の家・菜穂子・・・のノオト」も本文中では「ノート」と改められているが、目次や解説のなかでは「ノオト」のままになっている。直し忘れたのか、意図的なのか・・・。
 ※ 下は、現代表記化についての岩波文庫編集部の説明(290頁)。「残念ながら」の一言に無念さがにじんでいる。でも、漢字が苦手のぼくには助かる。読みやすく、かつ堀辰雄らしさが辛うじて残っている。
       

 昨日の「不器用な天使」(1930年)、「花を持てる女」(1932年)と同様、きょうの読書も、岩波文庫の『菜穂子』に収録されたものはとにかく読んでしまおうという残務処理的な動機からの読書だった。

 「聖家族」は、九鬼(芥川だろう)の告別式会場に向かう車の渋滞に巻き込まれた細木夫人(未亡人)母娘と、河野扁理(妙な名前だが、堀か)の物語。1930年の発表だから、堀は芥川の死から3年後には芥川の死をモチーフにした作品を書いていたのだった。「楡の家」(1934年)が最初ではなかった。

 細木の娘絹子が本郷の古本屋で、九鬼の蔵書印の押されたラファエロの画集を目にしたことを話題にする。その画集は、河野が九鬼から譲られたものだが、金に困った河野が古本屋に売ってしまったのだった。
 夢の中に出てきたラファエロの聖家族の女性のような人物が、細木夫人なのか絹子なのか、河野には分からない。
 「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。」で始まる「聖家族」には、芥川の死を受け止めようとする堀の心情が描かれているのだろう。

 「恢復期」は結核(肋膜炎?)からの恢復期にある主人公が、叔母から軽井沢の別荘に招待されて、Y岳のふもとの療養所から晩夏の軽井沢に移動し、そこでしばしの時間を過ごす。
 叔母の別荘は、前年まではスコットランドから来た老宣教師夫婦が住んでいた建物で、彼らの質素な生活が偲ばれる家具が置かれている。
 庭の小道の両脇に羊歯(シダ)が生えていることから、叔母はその別荘を「羊歯山荘」と呼んでいる。羊歯と熊笹と苔は軽井沢を象徴する植物だとぼくは思っているので、「羊歯山荘」という命名はいい。最近はやたらと西洋アジサイを植える家が増えているが、あの花が軽井沢に似合っているとは思えない。ブッドレアはいい。

 2021年10月20日 記