堀辰雄「幼年時代」を読んだ。
図書館から借りてきた『堀辰雄 ちくま日本の文学039』(筑摩書房、ちくま文庫?、2009年)で。
堀が母親の思い出を語った「花を持てる女」のなかに、養父がかつて同棲した女性のことが出てきた。彼女の名前が「およう」だったことに驚いて、「菜穂子」などに出てくる追分の旅籠「牡丹屋」の「おようさん」との関係を知りたくなった。
ひょっとしたら、同じく幼少期の思い出を語った「幼年時代」にも、「およう」が出て来はしないかと期待して読んだが、出てこなかった。
ただ一つ、母方の叔母である「およんちゃん」という人が出てきた。名前は少し似ている。
「およんちゃん」は侘しい借家住まいをしている、さびしげな女性である。近所で「お妾さんの家だ」と言われていることを、幼い堀は耳にする。
「菜穂子」で「おようさん」に向けられた「その美しい器量」とか「もう四十に近いのだろうに台所などでまめまめしく立ち働いている彼女の姿には、まだいかにも娘々した動作がそのままに残っていた」とか(岩波文庫『菜穂子ーー他5篇』164~5頁)、「この四十過ぎの女に今までとは全く違った親しさのわくのを覚えた。おようが・・・そばに座っていてくれたりすると、彼のほとんど記憶にない母の優しい面ざしが、・・・ありありと浮いて来そうな気持になったりした」(234頁)といった親密な感情は、およんちゃんに対してはなかった。
おようさんは「幼年時代」を読んでも、謎のままに終わってしまった。よもや、片山広子ではあるまい。おようさんは「O村の匂が」漂う女性なのだから、違うはずだ。
追分に、堀を魅了した地元の中年女性がいたということで満足するしかない。
「幼年時代」に出てくる幼なじみのお竜ちゃんの「きつい目つき」は、堀が「風立ちぬ」でも「菜穂子」でも感じた女性の冷たい視線であろう。片山総子の眼ざしなのか。おとなしいたかちゃんに対する幼い堀の冷淡な対応も、成人後の堀(と思しき主人公)のおとなしい娘、たとえば「風立ちぬ」で、堀の夕飯を作りに「足袋跣し」(たびはだし)でやってくる村娘に対する冷たさの端緒を感じた。
「幼年時代」の中で一番の印象深かったことは、「赤ままの花」という1章があって、そこに中野重治に対する温かい言葉が記されていたことである。
ぼくは「詩」というのが苦手で、教科書に出てきた詩もほとんど記憶にない。しかし、二つだけ忘れられないフレーズがある。一つは(確か)西脇順三郎の詩の中の「四月の雨が燕の羽を濡らした」という一節で、もう1つがここに出てきた中野重治の「お前は赤ままの花を歌うな」という一節である。
ぼくの高校の現代国語の教科書は筑摩書房のものだったが、そこに出ていた。何故かわからないが、いまだに心に残っているのはこの2か所だけである。4月に雨が降ると、ぼくはつばめの濡れた羽を思い出す。一方「赤ままの花」がどんな花なのかさえ知らないのだが、子どもの頃うちの庭にあった南天だか八つ手だかの赤い実を思い出させた。
命令形だけど、決してプロレタリア作家に向かって非政治的な詩を歌うなと命じたのではなく、みずから心に封印したのだ。「お前」は中野自身だろう。誰かの解説に、中野重治に対する堀の友情は生涯変わらなかったと書いてあったが、「幼年時代」のこの部分だけでもそのことは伝わってきた。
* * *
あとは義務的な、残務整理的な読書である。
『風立ちぬ・美しい村・麦藁帽子』(角川文庫)から「麦藁帽子」「旅の絵」「鳥料理」を読んだ。「『美しい村』ノオト」も読んだ。
「麦藁帽子」には、軽井沢の万平ホテルかどこかで、室生犀星とすれ違う少女たちが室生にお時宜をして通り過ぎるのをみて、そういった少女が自分の恋人になることを夢見た堀が、「その夢を実現させるためには、私も早く有名な詩人になるより他はないと思ったりした」とあって、この詩人がけっこう俗な野心家であることがわかって安心した(角川文庫94頁)。
「旅の絵」は、私の亡母の生地である須磨や戦前の神戸の町が出てくるところにだけ興味を持った。「鳥料理」は何のことか。
※ 下の写真は、中軽井沢の私学共済 “すずかる荘” の庭に餌をついばみにやってきた雉。ぼくの今回の堀との出会いが『大和路・信濃路』の「雉子日記」から始まったので。
同じく、『堀辰雄 ちくま日本文学』から「燃ゆる頬」も読んだ。堀の一高時代の寄宿舎生活。同性愛がテーマなのだろうか。暦年体でいえば大学時代の怠惰な日々を描いた「不器用な天使」の少し前の時代である。
追分、軽井沢が舞台でないと、堀の作品は精彩がないようにぼくには思えた。「燃ゆる頬」も「麦藁帽子」も海岸での避暑や旅行の場面が出てくるが、ぼくにはしっくり来なかった。
「大和もの」というジャンルらしい「姥捨」「曠野」「樹下」はスルーした。そこまで付き合わなくてもよいだろう。
これで、しばらく(永遠に、かも)堀辰雄とはさよならである。もし読むことがあるなら「晩夏」くらいか。題名に魅かれるが、ぼくが持っている本からも、図書館で借りてきたどの本からも漏れ落ちてしまっていた。
2021年10月24日 記
※ もう1つ、堀の卒業論文の「芥川龍之介論」は必読であると丸岡明の解説に書いてあった。これは読んでみたい。全集に入っているのだろうか。(2021年10月25日 追記)
--もちろん全集にも入っていたが、驚くなかれ、ネット上(青空文庫)で読むことができた! しかし期待したほど面白くはなかった。作品論で、人物論は意図的に避けていた。「菜穂子」の森於兎彦や「聖家族」の九鬼で満足しておこう。(追記2)