豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

映画『エデンの東』

2022年08月24日 | 映画
 
 映画『エデンの東』を見た。「1954年製作、Renewed 1982 。エリア・カザン監督、ワーナー・ブラザース」となっているが、DVD(ワーナー・ホーム・ビデオ)の製作年はケースにもディスクにも記載がなかった。

 ディスクが2枚入っていて、1時間近くある特典映像のほうも、面白かった。
 ジェームス・ディーンのプロフィールや、衣装合せ(ワードローブ・リハーサルとかいっていた)、未公開シーン、さらにニューヨークでのプレミアム試写会を訪れた面々が映画館に入っていく映像(テレビ番組で放映されたらしい)も入っていた。原作者のスタインベックまでもがインタビューに答えていたが、微妙な顔つきだったようにぼくには思えた。見終わったらもっと微妙な顔つきになったのではないか。
 特典映像によると、キャル役のジェームス・ディーンと父親役のレイモンド・マッセイは本当に仲が悪く、撮影中も険悪な雰囲気だったという。
 本当にウマが合わなかったのか、それとも父子間の葛藤を演技するために、ジェームス・ディーンが意図的に父親役の俳優と険悪な雰囲気を作ったのか? 特典映像を見てから本編を見たのだが、このことを知って映画を見ると、父子間の葛藤がいっそう真に迫って見えた。

 さて本編のほうだが、久しぶりに見たのだが、やはり良かった。
 中学3年生の秋に原作を読んでから相当の時間が経ったので、原作との違いも気にならなかった。何年か前に見たときには、原作との違い、とくにラストシーンの違いが気になったが、今回はそんなこともなかった。
 『エデンの東』のテーマは父に対する子の反抗である。父親は厳格なキリスト者で、子どもたちにもキリスト者らしい生活を要求する。兄は従順に父に従うが、ジェームス・ディーン演ずる弟キャルは反抗する。キャルも本当は父に愛されたいと思っているのだが、父はキャルを受け入れない。
 兄弟の母は、この父を嫌って家を出て近隣の町で売春宿を経営している。その事実をキャルから知らされた兄は自暴自棄になって志願して戦地に赴いてしまう。ショックを受けた父は脳溢血に倒れ、死期が迫っている。

 原作のラストシーンは、「ティムシェル、アダム・トラスクは目を閉じ、そして眠った」(野崎孝訳、早川書房)だったと思う。
 「ティムシェル」とは古代ヘブライ語で、「人は道を選ぶことができる」という意味だそうだ。聖書原理主義者の父アダムは聖書の意義を探るために古代ヘブライ語を勉強するような謹厳な男だった(ただし、映画では熱心なキリスト者としての父親という部分はカットされている)。
 弟のキャルはそんな父親(レイモンド・マッセイ)の価値観の押しつけに反抗するのだが、そのキャルに対して臨終のベッドで父は「ティムシェル」と語りかけるのだった(ただし、ティモシー・ボトムズがキャルを演じたテレビドラマの『エデンの東』のラストシーンでは「ティムシェル」ではなく「ティムショール」と発音していた)。「人は道を選ぶことができる」、これこそ原作の『エデンの東』が伝えたかったメインテーマだと、当時のぼくは読んだ。
 映画のラストシーンはかなり違っていた印象だったのだが、今回改めて見てみると、ラストシーンで父親はキャルに向かって、ちゃんと「人間は道を選ぶことができる」と語りかけているではないか!
 さらに前半のどこかのシーンでも、「ほかの動物と違って人間は道を選ぶことができる」という台詞があった。エリア・カザンはスタインベックの意図を忠実に再現していたのだ。
 
 「人は道を選ぶことができる」という自己決定の原則は、中学3年生の時以来ぼくの核心的な価値観だと思って生きてきた。しかし、ぼくは本当に「自分で道を選んで生きてきたのだろうか」と最近では思うことがある。むしろ抗いがたい何かの力によって生かされてきたのではないか。

 2022年8月24日 記

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 粟屋憲太郎『東京裁判への道... | トップ | きょうの軽井沢(2022年8月27... »

映画」カテゴリの最新記事