ジッタ・セレニー『魂の叫び――11歳の殺人者、メアリー・ベルの告白』(清流出版、1999年。原書は“Cries Unheard”,1998)を読んだ。
3日かけて読んだ。途中から「告白」を読むことに苦痛というか不快感を禁じえなくなったが、それでもやめることはできず、最後まで読んだ。
この本は、1968年にイギリスのニューカッスルで起きたメアリー・ベル事件のドキュメントである。
同地で4歳と3歳の男児が相次いで遺体となって発見された。最初の遺体は当初は事故かとも思われたが、第2のi遺体が発見されるに及んで、警察は事件性を疑い、やがて2名の容疑者が逮捕される。2人とも11歳の少女だった。
イギリス法では犯人が10歳に達している場合には刑事責任を問うことができることになっている。10歳になれば、物事の善悪の判断はできる(刑事責任能力がある)という考え方に基づく(ちなみに日本では刑法41条によって14歳である)。そして有罪とされた場合には成人と同様に刑罰を科すことができる。
裁判において陪審員たちは、一方の少女は2名の男児に対する謀殺についてともに無罪としたが、他方の少女メアリー・ベルについては、限定責任能力だったとして故殺による有罪を評決した。イギリス法では18歳未満の被告人の刑事責任能力については、訴追側で責任能力を証明できなかった場合には責任能力が限定的だったとして刑罰が減刑される。本件では、メアリーは限定責任能力者だったとして、謀殺(故意による殺人)から減軽した故殺(過失致死など故意によらない死亡)とされた。
陪審員によるこの評決に基づいて、裁判官はメアリーに終身刑を宣告した。
メアリーは、11歳だった1969年から1974年までは学校を併設した収容施設に収容され、1974年に16歳に達すると女子刑務所に移送された。そして、1980年、23歳の時に仮釈放となって刑務所を出所し、名前を変えて社会に復帰することになる。
出所後、結婚し子をもうけるが、最初の結婚は破綻し、やがて理解ある新しい男性と結婚して、現在に至っている。
センセーショナルな事件だったため、タブロイド紙や外国雑誌(シュテルンなど)の格好の餌食となり、しかもメアリーの母親が金目当てで情報を切り売りしたり、事情を知った警察官の妻が秘密を漏えいするなどしたため、メアリーは何度も住所を変えなければならなかった。
この本の著者には、すでにこの事件の経緯と裁判過程をあつかった著書、『マリー・ベル事件』(邦訳は評論社、1978年)がある。
しかし著者は、裁判では「何が」起きたのかしか論じられておらず、「なぜ」このような事件が起きたのかについて論じられなかったことを不満として、事件から30年を経て、すでに仮釈放されて社会生活を送っていたメアリー・ベルに接近する機会を得て、長時間に及ぶインタビューを敢行し、「なぜ」このような事件が起きたかを究明しようとした。これが本書執筆の動機であるという。
本書は、メアリーが著者に語った告白を中心にして、その他にも裁判に提出された資料や公判の記録、メアリーが収容された矯正施設や刑務所などで彼女とかかわった施設長、看守、カウンセラー、精神科医、保護観察官ら関係者へのインタビューなども交えながら、事件の原因(「なぜ」)を探っていく。
そして、この事件の遠い原因が、幼児期のメアリーと母親との関係にあったことを指摘する。
メアリーの母親は売春を生業としており、17歳の時に父親不明(母親は知っていたらしい)のメアリーを生んだものの、生まれた直後から子どもに愛情を示すことはなく、養育は親戚らに任せきりだった。
それどころか、母親は自分の客との行為時にメアリーを2人のベッドに同衾させ、客への性的供応をさせたと、メアリーは著者に告白する。著者はそれは事実であり、メアリー自身も封印した、この幼少期の性的虐待こそが事件の遠因であったと推察する。
残念ながら、私には、メアリーの性的虐待を含めた「告白」のすべてが事実であるとは思えなかった。
メアリーは、幼ない頃から大人の心を操作することに長けていたという。そして、しばしば怒りを爆発させ、悪態をついたりする。一貫してこの事件を追っており、メアリーに好意的な立場を表明し、事件の真の原因がメアリーの幼少期の体験にあったと考えていた著者の意図を見抜いてそれに迎合するような、しかも自分に有利な話を作り出すくらいのことはメアリーにとってそれほど困難ではなかったのではないかと私には思えた。
本書は、本事件の核心をメアリーの告白に頼らざるを得ないという弱点を持っている。そのため、著者は情報提供者であるメアリーの機嫌を損ねることはできないし、メアリーの意に反することは書けなかっただろう、おそらく原稿やゲラ刷りはメアリーのチェックを受けたのではないだろうか。
百歩譲って、もしそのような幼児期の性的虐待があったとしても、メアリーの体験は本件メアリーに特異な体験であって、年少の「殺人者」一般に該当するとはいえないだろう。そのような体験をした被虐児がすべて殺人者になるわけではないことは、メアリー自身が語っているところである(591~2頁)。
最低でも、メアリーの母親、父親の来歴や性格、メアリーへの影響はもっと調査すべきだった。母親については行間からも多少はうかがうことができるが、なぜ母親がそのような性格で、娘を売るような行動をつづけたのかについては、説得的な説明は書いてない。
もしメアリー・ベル事件のような悲惨な幼児殺害事件を抑止するためには、メアリーが行った行為の真の原因を探る必要があったとしても、そのためにこのような本を出版する必要があっただろうか。
何といっても、被害者の遺族たちにとって、このような本が出版され、加害者であるメアリーが事件について弁明し、現在でも社会の中で日常生活を送っており、本書の出版によって金銭を得ていることは、耐え難い苦痛を与えるであろう。げんに被害者の一人の母親はこの本の出版に対する不快感を表明している(597頁)。
著者は、本書中で何回か遺族への配慮を記しているが、メアリーへの共感ほどには遺族への配慮をしているとは私には感じられなかった。被害者への最大の配慮は、このような本を出版しないことだったのではないだろうか。巻末の訳者解説によると、オブザーバー紙は、この本によって被害者遺族だけでなく、メアリー自身も傷を負うことになるのではないかと危惧を表明したという。
出版契約の内容や本書の成立の経緯について、本書の本文や解説には書かれていないので、メアリーが出版を承諾した動機や印税について知ることはできない。唯一、訳者による解説の中に、本書の出版によってメアリーは5万ポンドの報酬を得たという噂があったことが紹介されているだけである(596頁)。
下司の勘繰りと言われるかもしれないが、メアリーを追い続けたタブロイド紙、その背後にいる興味本位の大衆が本書の読者だったのではないだろうか。私もその一人かも知れない。
イギリスの年少犯罪者に対する裁判や処遇が不適切であったことを批判するという目的があったとしても、このような本の出版という手段によらないでも、イギリスの未成年者に対する刑事裁判の改善への提言は可能だったと思う。
その後、イギリスでも年少犯罪者に対する処遇に関しては一定の改善が見られるようだが、現在でも、10歳に達すれば刑事責任能力者として扱い、刑罰を科すことができるという基本原則は維持されている。保守党、労働党支持層を問わず、この原則に対しては根強い社会的な支持があるらしい。(※高橋有紀「英国における刑事・少年司法の年齢設定」山口直也編『子どもの法定年齢の比較法研究』(成文堂、2017年)を参照したが、私の見解で書いている。)
現在ではメアリーも60歳を超えているはずだが、本書出版後の彼女はどのように生きたのだろうか。
2020年8月24日 記