豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

“西部開拓史”

2008年03月07日 | 映画
 
 春休みというのは、何だかんだと言っても、やはり教師にとっては一番時間の余裕のある時期らしい。時間にまかせて原稿を書いたり、散歩に出かけたり、DVDを観たりと勝手に過しているため、昼夜も逆転とまでは行かないが、寝る時間はバラバラになっている。

 そのせいか、去年の今頃も睡眠障害に陥って、夜中に寝床でラジオの深夜放送を聴いたりしていたが、今年もその傾向が出つつある。

 夕べは、書きかけの原稿が難関の1つについてヤマを越え、安心したつもりで夜中の1時すぎに寝床に着いたのだが、目が冴えてしまって2時になっても眠れない。どうせ明日(きょう6日)も原稿を書く以外は用事もないので、寝るのは断念して、DVDを観ることにした。

 居間に降りたが、寒かったのでエアコンを入れ、洋服を着替えたうえにマフラーまで巻いて、準備OK。朝までは結構時間があるので、どうせならと全編164分という“西部開拓史”を観ることにした。

 なんとも大げさなオープニングである。景色も雄大、音楽も荘厳、しかし35mmフィルムを3本使った「シネラマ」というやつのせいか、画面に3枚合わせの屏風のように縦に2本の筋が通っていて、それが目だって仕方がない。
 それともう1つ、わが家のTV受像機ではどう操作しても、画面が横長のままでワイド画面になってくれない。仕方なく異様に横長になった画面をそのまま観つづけるしかなかった。

 ストーリーは、1830年代から1880年代にいたるまでの開拓民一家の4代にわたる物語(といっても4代目の子ども時代で終わりだった)である。

 開通したばかりのエリー運河を、手作りの筏に家財道具を積んで西に向かう一家の長女が、懐かしいキャロル・ベーカー、やがて彼女と出会って夫になるマウンテンマン(狩猟者)が、このところ連日DVDで顔なじみのジェームス・スチュアートである。
 ジェームス・スチュアートは、どうも西部劇よりは、スーツを着てネクタイを締めてヒチコックか何かに出ているほうが似合う俳優である。マウンテンマンは、さらに無理がある。

 一家の二女(こっちが長女だったかも)が最初は気づかなかったが、デビー・レイノルズだった。ぼくたちには「グリーン・スリーブス」という名で知られているフォークソング(イギリス民謡か)を、ぼくたちが覚えているのとは違う歌詞で彼女が歌っていた。この曲は全編を通して、何度も流れていた。

 ちなみに、彼女の“ターミー”という曲は、ぼくの懐かしのメロディーのベスト10に入る曲である。昔みた“アニマル・ハウス”という映画のなかで、優等生たちが住んでいるフラタニティのダンス・パーティーのシーンで、最初にこの曲が流れていた。
 それからスカパーのCBSかCNNの番組で彼女の息子(もう中年男だった)が出ていて、彼女のことを語っているのを観たこともある。

 そのデビー・レイノルズの夫になるのが、これまたこの頃DVDで馴染みのグレゴリー・ペックである。かれは、西部劇から“アラバマ物語”まで、それほど違和感なしに画面にとけ込んでいる。

 キャロル・ベーカーとジェームス・スチュアート夫婦の間に生まれる長男がジョージ・ペパードである。とにかく豪華キャストなのだ。南北戦争にまず父親が志願して戦死し、ついで息子も志願兵になって出征していく・・。

 午前3時半ころ、広大な西部の景色を背景に“INTERMISSION”とかいう字幕が入ったあたりで、ようやく眠気を感じたので終了とする。
 DVDの画面が消えると、地上波の映像に切り替わり、それも西部劇であった。なんだろうと思いつつ、TVのスイッチもオフにして寝た。

 今朝、新聞で夕べ(早朝)の番組を確認すると、なんと“ビリー・ザ・キッド--21才の生涯”だった。そうと分かっていれば、こちらを観てもよかったのだが・・・。

 * 写真は、ワーナー・ブラザース(めずらしく500円DVDではない! といっても1350円だが)“期間限定 西部開拓史 特別版”のケース。1963年、ジョン・フォードほか監督。原題は“How the West was Won”.

 PS 今日の朝刊に、レナード・ローゼンマンの訃報が乗っていた。84歳だった。“エデンの東”の作曲者だが、ぼくはずっとあの曲はビクター・ヤングの作曲だと思っていた。エデンの東は1955年だから,30歳前後の時の曲である。

“折れた矢”

2008年03月04日 | 映画
 
 “折れた矢”を観た。
 
 3本セットで980円の“西部劇傑作選 ジェームス・スチュアート特集”の1本である。1枚あたり330円弱では文句も言えないが、何か所も音が引っかかる所があった。

 舞台は1870年のアリゾナ。ストーリーは、白人とアパッチの融和の物語である。水野晴郎解説によれば、「アメリカ映画で、初めてインディアンの立場から白人を描いた」作品だそうだ。
 確かに、白人の牧場主を徹底的に悪人として描き、アパッチの酋長コーチーズを平和主義者として描いている。
 
 芦原伸『西部劇を読む事典』の「折れた矢」の解説の中で、バファロー・ビル・コディの議会での次のような証言が引用されている。
 「私は何度も遠征隊を率いて彼らと戦ったが、そのたびにわが身を恥じ、わが政府(合衆国政府)を恥じ、わが軍の軍旗に恥ずかしい思いをしたものだ。正しいのはいつも先住民であり、彼らが協約を破ったことは一度もなく、われわれが協約を実行したことは一度もなかった」と(244頁)。

 おそらく、「折れた矢」も真実なのだろう。それを堂々と映画にできるのもアメリカなのだろうが・・。
 
 西部劇には一定の決まりごとがあって、それを納得したうえでなければ見る資格がないことは分かるが、インディアンが英語で喋り(俳優自体も白人である)、アメリカ白人風に愛を囁くというのも、納得しなければならないのだろうか。
 これを全部お互いに母語で喋って通訳していたのでは、映画が成り立たないだろうけれど。

 * 写真は、キープ(KEEP)版“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画22 西部劇傑作選7 ジェームス・スチュワート コレクション”から、“折れた矢”のラスト・シーン。
 

“怒りの河” 2

2008年03月02日 | 映画
 “怒りの河”で、ジェームス・スチュアートの恋人役(?)だった、ジュリア・アダムズさん。

 ネットで調べたら、1926年生まれということが分かってしまい、少しがっかりです。映画が製作された1952年で時間はとまっていてほしいです。

 インディアンの矢に打たれて負傷して、幌馬車の中で横になっている姿です。

 最初は、アーサー・ケネディを好きになってしまうというのが理解できないところでした。
 オレゴン行きをやめて、彼と二人で船着場の町に残り、ゴールド・ラッシュで沸く町のカジノの両替の仕事をするなんて、それまでの彼女の生活ぶりからは、あまりに唐突でした。

 “怒りの河”が評価されない所以でしょうか・・・。

“怒りの河”

2008年03月01日 | 映画
 3月。ぼくの誕生月、しかも今年のぼくの誕生日は国民の祝日になっている!

 原稿のほうは、昨日書いた部分が納得できず、半分くらい書き直しと加筆をしていて時間をとられてしまった。
 しかも、若い頃の不勉強が祟って、60歳近くなった今でも、頭の中のものを output するだけでなく、あれこれと情報を input しながらでないと筆が進まないのも情けないことである。 

 “怒りの河”を観た。

 散歩に出かけて、いつもとは違うスーパーに行くと、催事コーナーで、CDやDVDの安売りをしていた。そして、そこでトンでもない物を見つけた。いつも買っているキープの500円DVDが、なんと3枚セットになって980円というやつが並んでいたのである。
 しかも3枚セットになっている“西部劇傑作選”シリーズのほとんどが、なかの1本は観たことがある物なのである。“ならず者”、“拳銃無宿”、“駅馬車”、そして昨日観た“ガンヒルの決闘”などなど・・。「期間限定版」などと銘打ってあるが、一体何時から売っていたのか。1枚327円で買えるのだったら、わざわざ500円で買わなかったのに。

 しかし、幸いにも2セットだけは、1本も観ていないものの3本立てだったので、そのうちの1つを買ってきた。
 “水野晴郎のDVDで観る世界名作映画22 西部劇傑作選(7) ジェームス・スチュワート コレクション”というやつで、“折れた矢”、“ウィンチェスター銃'73”、“怒りの河”が入っている。

 “怒りの河”は前から観たいと思っていた。オール・ロケで撮影されたとケースの解説に書いてあり、スチール写真もきれいだったので。春先の白馬岳か、安曇野から眺めた穂高のような風景である。

 映画もよかった。期待通り、背景の風景がいい。オレゴンを目ざす幌馬車隊というのも、懐かしい。ストーリーは大したことはないが(芦原本ではベスト100にも入っていない)、最近ジョン・ウェイン式西部劇に少し食傷気味だったので、ジェームス・スチュアートというのも悪くない。
 主人公の彼女役の女優もぼくの好みのタイプだった。ジュリア・アダムスというらしい。googleで調べてみると、テレビや映画に100本近く出ている。“ボナンザ”にもでていたらしい。1926年生まれと書いてあったから、もう82歳であるが。
 
 若いロック・ハドソンも出てくる。西部劇らしからぬ気障な出で立ちで、性格もやや曖昧だった。中学時代にたまたま買った「映画の友」に、彼とバート・ランカスターのグラビア写真が載っていて、アメリカ人はカッコいいな、と思ったことがあった。

 * 写真は、“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画22 西部劇傑作選(7) ジェームス・スチュワート コレクション”のケース。
 “怒りの河”は、1951年。原題は“Bend of the River”、直訳すれば「河の湾曲」であるが、内容と結びつかない。
 辞書を調べると、bend は名詞では「屈曲・湾曲」か「結び目」の意味しかないが、動詞の bend には、「曲げる」、「屈服させる」、「新しい方向に向かう」などの意味があった。この最後の語義だろう。
 かつては強盗犯だったジェームス・ステュアートが改心して(新しい方向に向かう)、命がけで開拓民を護衛する。他方、同じく強盗犯だったアーサー・ケネディはJ.ステュアートに命を助けられて一時は護衛の仲間に入るが、結局は新しい道に向かうことはできず、途中で寝返ってしまう。
 最後に川の流れの中での決闘に敗れた A.ケネディの死体は下流に流れ去ってゆく。・・ということの隠喩なのだろう。