きのうは、ヒチコックの“ロープ”。
西部劇には不似合いなジェームス・ステュアートの現代物を見ようと思った。
大学時代の同級生二人組みが、「自分たちは他人より優れているから、劣っている愚者を殺す権利がある」などと決め込んで、同級生を殺す。
しかも、その死体を隠した大きな衣装箱の上にテーブル・クロスを掛け、酒や食事をのせて、パーティーを開くのである。
被害者の恋人や父親まで招待しただけでなく、彼らと殺人についての会話までかわす趣味の悪さ--というか、狂気ぶりである。
主犯を演じているジョン・ドールという役者の演技がうまい。一般的に悪役というのは演じやすいが、この映画の悪役は、そう単純な悪役ではない。下唇(下顎?)を突き出して、憎々しいくらい冷静に話すあたりはなかなかである。
本当は、自分が被害者より人柄も容貌も経済力も劣っているために彼を嫉妬しているにもかかわらず、それらのことが動機ではないと心から思っているように見えてきた。
ただ、招待客の一人であるジェームス・ステュアートに、「君は興奮すると吃るね」と指摘されながら、発覚しかかった段階でやたら吃るのは、演出としてどうか。
犯人たちの大学時代の先輩であるジェームス・ステュワートが、次第に犯行に気づいていくところが、まさにぼくが抱いているジェームス・ステュワートである。
“怒りの河”の元強盗犯や、“西部開拓史”のマウンテン・マン(狩猟者)よりはずっと彼らしい。
水野晴郎の解説によれば、この映画は、現実の事件の90分間の進行時間と上演時間をまったく一致させており、しかも、ノーカットの10分間のシーンを9つつないだだけで構成されているそうだ。
窓の外の都会の空が次第に夕暮れに染まり、やがて夜景になったのには気づいたが、そんな手法だったとは気づかなかった。
この映画は、アメリカで実際に起こった事件をモデルにしたものだという。かつて熱心に読んだコリン・ウィルソンの本にもとの事件の紹介がないかと思い、物置を探したが、見つからなかった。
たぶん『殺人百科』あたりに載っているのではないだろうか。そういえば、きのうは、テレビで“復讐するは我にあり”もやっていた。柳葉敏郎に緒形拳の凄みはなかった。
* 写真は、“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画[黒4] ロープ”(1948年)