曇り、23度、94%
いつか手のことを書こうと思っていました。私の手のことです。
この月初め、実家の整理に福岡に帰国していました。重たいものを引きずったり、不要なものをギュウギュウと袋に押し込んだり、まだ寒さの残る3月初めです。たった3日ほどのそんな仕事でも、手はややむくんでいました。友人の車の助手席に座ると、彼女が私の手を見て言いました。働き者の手ね。私の手に取っては、最上級の褒め言葉です。
手のことを書こうと思ったのは、随分前のことです。私の手がきれいだから書くのではなく、全くその反対、いかにも労働者のそれです。体は小さいのに、大きな手で節くれています。どちらかと言えばぼってりとした手です。指は長くても細くない分かえって目立ちます。爪も正方形で、桜貝のような爪とは対極にあるようなしっかりとした爪です。しかも、50年近くこの爪ははさみでつむことはありません。爪を噛むというか、うまい具合に爪を短くすることが出来ます。爪が、ガサガサにならないように研ぐのも、歯でちょいと。
流石に若い時は、女性的な手に随分と憧れました。白くて小さな手、やさしいピンクの爪。でも、私の手は毎日充分あまりあるほどの仕事をしてくれています。
鉛筆を持つ、包丁を握る、針を持つ。下手なおにぎりも握ります。パンだってこねます。種植えのため、土だって扱います。当たり前だと思って使って来た私の手。最近とても愛おしく思うようになりました。
昨日のブログに、モモさんをトリムしている私の手が写っています。横写しですが、大きいのがはっきり見て取れます。手だけを写真にしても、無様です。見出しの写真は、ウグイスのひなを拾った時のものです。ぼってりとしたたなごろ、噛まれた爪。
手は、顔以上にその人を表すともいわれます。歳を重ねて、きっと私の手は私の人となりなりを黙って表していることでしょう。
後何年、この手にお世話になるかしら?最後まで、包丁を握って、お箸を持ってと願います。私しかいません、この大きな手に、ありがとう、って言えるのは。大好きな私の大きな手です。