紅茶の本
曇り、17度、81%
緑茶、紅茶、中国茶、皆同じお茶の木から取れることを知ったのは大人になってからです。そう言われてみれば、納得出来ますが、香りだって、味わいだって千差万別。お茶は底が深いと言われるのは、そう言うことからでしょう。
小さい頃から、紅茶が好きでした。ミルクをたくさん入れて、お砂糖も入れて。日本茶と違って、持ち手のついたコップで飲めるのも嬉しかったように思います。
見出し写真の、HAVING TEA 1987年、イギリスで刊行された本です。そして、25年前香港に来て私が初めて求めた本です。
ティーテーブルのまわりの華やかな雰囲気、花が生けてあって、お菓子の香りがして、食器と銀器が触れ合う音がして、親しい人とお茶を飲む、大きな憧れが込められた風景です。
このHAVING TEAには、14のそうした場面が設定されて、それぞれのセッティング、お菓子や、クッキーのレシピまでついています。
薄手の花柄のティーカップ、ハイティーの時のレイヤードされたケーキのお皿、ピックニックの時の大きなバスケットに納められたティーセット、冬の夕べ暖炉の前で飲むマグカップの紅茶。何度も何度も隅々までめくった本です。
こんなティーカップ、ずっと探すけど見つかりません。 イギリスのお茶に合わせるお菓子ばかりですから、凝りに凝ったお菓子ではありません。クッキーのスタンプも素朴な感じです。
1991年刊行のA DECENT CUP OF TEA 。これは、アイルランドの人が書いた本です。アイルランドの人も、イギリスに負けず劣らず紅茶が好きな国民です。イギリスの本、アイルランドの本を読んでいると、よく出て来るフレーズに、貧しくてお茶の葉も買えない、とあります。お茶の葉が買えないほど貧しかったと、日本の小説では、見かけない表現です。それほど、お茶がどんな階層にも浸透しているお国柄でしょう。
紅茶の入れ方なんて、熱い熱いお湯さえあれば、後はお好みで、と私は思っています。
ティーバックは、後片付けがとても簡単です。台所の流しが散らかりません。でも、ティーポットで入れた紅茶は、香りのふくらみが違います。
お外のティールームなどでいただく紅茶に、美味しいと思えるものに巡り会いません。入れる人の技量より気持ちだと思うのですが、お手軽な味しか伝わってきません。紅茶を飲むのは我が家でといつも思っています。好みに入れた紅茶と自分で焼いたクッキーや焼きっ放しのケーキ、時間を大切にしたい時の一杯です。