曇り,28度、83%
小学の3年の時でしたか,水泳教室に入れられました。水泳教室、今のようなスイミングスクールではありません。福岡の県営のスイミングプールに温水プールが出来た時のことです。昭和40年代の初め,集まったのは女子高校の水泳部の人と私だけ。最年少です。女子高校の人の中には,オリンピックを目指している人もいました。私は全く泳げませんでした。コーチは,女子高校の体育の先生です。暖かな季節には朝一番,福岡市の大濠公園を走って,プールに行って一泳ぎして学校に行きました。髪は濡れたままです。全部父の送り迎えでした。夏の重なる競技には小学3、4年の部はありません。そこで,いつも年齢を偽って,5,6年の人たちに混ざって泳ぎます。ただでさえ小さい私は,尚更小さかく感じました。泳ぎ終わると,先輩の高校のお姉さんやコーチが「よくやった、よくやった。」と褒めてくれるのが嬉しかった。他人に褒めてもらえるのですから,最高です。6人の競技でも,3着より早かったことはありません。
そんなにして始まった私の「泳ぐこと」です。私のクロールなんか型が古いまま,50年近く泳いでいます。型は古くとも,人並みよりはやや早めです。プールではじめた「泳ぐこと」ですから、プールを見ると血が騒ぎます。 海では一度苦い経験をしています。いい気になって,沖に沖に泳ぎます。長崎の平戸のことでした。息子が小学3年ぐらいだったでしょうか,家族3人と犬2匹でキャンプに行った先でのことです。海の海流の冷たい所にさしかかり急に足が吊りました。焦ってはいけないと思っても,体が下に沈みます。主人や息子に,「助けて。」と叫びますが,「そばに寄ってはいけない。」と主人が息子に言っているのが聞こえます。溺れる人のバカ力といいますから。主人は,「おまえなら大丈夫、浮いてご覧。」などというのですが,体が下に引かれます。それでもどうにか上向きにパクパクしていると,釣りをしていたおじさんたちの小さなボートが助けてくれました。以来,海で泳ぐ時は浮き輪を持って行きます。
我がアパートのプールは6月にオープンして10月の終わりまで毎日開きます。週日は,朝の7時から夜9時まで。プールの大掃除が終わって,水を溜めはじめる頃には、香港は夏日です。6月も終わりになると,香港の学校は夏休みに入ります。昼間は,子供たちのプールサイドで遊ぶ声がします。土日ともなれば,西欧人が長椅子で日向ぼっこです。私は,日が沈み始めた頃を見計らって出向きます。プールの水の中の照明が好きだからです。人も少なくなってきます。小さい頃は,1キロ流しとかビート板何本とかやりましたから,まともに泳ぎはしません。プカプカ浮いたり,潜水をしたり,水と遊ぶだけです。
香港島の山頂です。右側が西、夕日が微かに感じられるこの頃から,赤みが無くなるまでのほんの10分ほど,プカプカします。水着のまま家からプールに行き,そのまま家に帰ってお風呂です。
我が家のどの窓からも,このプールの青い水が見えてます。青い水の風景はいい物です。さて,今年は何回プカプカ出来ることやら、私の「泳ぐこと」は、今ではプカプカです。