小雨、18度、81%
義母が逝ってひと月、役所関係の届出、様々な細かい用事がひと段落つきました。この10年、母、義父、義母を見送りました。葬儀の準備からこうして後片付けまで3人分私がやりました。人を送る仕事はこれで最後です。
今も義母の最期の時の様子が度々蘇ります。母も義父も最期を看取っていません。50年以上前に逝った父、そして義母は私一人がそばにいました。父の最期の時、母は看病疲れで隣のベットで寝ていました。父の最期の呼吸、義母の最期の呼吸、人がこの世から旅立つ前のひと息です。父も義母も早朝に逝きました。外は真っ暗でした。人が逝くのに立ち会うと自分も魂が抜けそうになるのを感じます。父は若くして闘病の末の最後でしたが、最期の時間は全てが鎮まったように穏やかにやって来ました。義母も苦しみや辛さはなく静かに最期を迎えました。
送るべき人たちは皆送りました。諸事を片付けながらいよいよ次は私が送られる番だと思います。自分の来るべき最期はどんなだろう?怖いわけではありません。送った人や動物たちが迎えに来てくれるだろうと信じています。いつか死はやって来ます。
母の死より義母の死の方が私の中に大きな影を生みました。亡くなる前に義母の存在が私の生活の中で大きくなっていた証拠です。帰国後7年間、義母が元気だった時期も一週間に一度は会いました。送るべき人の最後の一人義母にこうして接することができたのは私の幸せです。
死を見ると生きることの意味を考えます。死ぬのも生きるのもあの最期のひと息のためにあるような気がします。