チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

お麩

2015年02月08日 | 日々のこと

曇り、14度、45%

 お麩、見出し写真のお麩は今我が家にあるお麩です。年末はこの倍程もお麩がありました。全部持ち込んだのは主人です。日本に帰る度にお麩を買って来ます。じゃあ、自分が食べるかと言えばそうではない。狭い我が家の台所のストッカーです。少しずつ私が食べて、やっとここまで減らしました。主人は、私が好きな湯葉と勘違いしたのかもしれません。何分にも、春雨とビーフンの違いも分からない人です。

 私が育った福岡には、有名なお麩はありません。お味噌汁に入れる普通の円柱を切ったようなおつゆ麩です。もちろん今ではデパ地下で全国の美味しいお麩が手に入ります。

 お麩でショックを受けたのはやはり生麩でしょうか。あのモッチリ感といい、細工が施されているものはまたそれなりに、見た目も美しい。京風のお弁当にちょっぴりと顔をのぞかせる生麩の煮物は、これっぽっちとますます食欲をそそります。京都出身の友人は、日本に帰る度に麸饅頭をお土産にしてくれました。旅の疲れもあるでしょうに、水が出てはお仕舞いと、香港に戻るや我が家に届けてくれました。美味しかった。

 東北の焼き麩、しかも大型のものを食べたときも、目から鱗でした。お麩が香ばしいのです。たっぷりの水で戻されたお麩は、出汁を吸って、それこそ、生麩にも負けずとも劣らないモッチリ感が出てきます。お麩の醍醐味、真の美味しさを知ったのは、意外に最近の事です。

 小麦のグルテンを固めて作るお麩は、中華料理でも精進料理に利用されます。ほとんどが揚げ麩です。市場のお豆腐屋さんにビニールに入れられて売られているピンポン球程の揚げ麩、お湯で油抜きをして戻して炒めもの、煮物に使います。汁気を吸うという観点からいえば日本のお麩に似ていますが、食感は全く違います。日本にも揚げ麩を作る地方があるらしいのですが、まだ食べたことがありません。

 見出し写真の真ん中は切りいた麩、岩手のものです。板麩が珍しくて食べ揚げてしまいましたが、それを細切りにした切りいた麩。戻さずにお汁ものに入れ、ちょっとカリッとしたのを食べるのもまた美味しい。

 最近では、香港の日系のスーパーでも細工物の生麩が売られています。お麩って、やはり中国から日本に入って来たものでしょうか。お麩の来た道を辿るのも興味が尽きません。ゆっくりと調べてみましょう。

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お節介

2015年02月07日 | 日々のこと

曇り、14度、78%

 私より10歳、いえ、もう少し年上かもしれません。お会いする度に何くれとなく、私の身辺のことを尋ねてくださる知人がいます。大したことでもない事を真剣に聞いてくださって、ああしたらいいわよ、こうしたらいいわよとアドバイスまでしてくださいます。やはり年上の方は知恵が深いものだと、お聞きします。後日お会いすると、これまた、先日の話を覚えていてくださって、その後の話の行方を尋ねてくださいます。そんなことがここ数年続きました。

 昨日、道でばったりとその方に出くわしました。女の立ち話は、ご想像通り長いものになります。といっても先日お会いしたばかりです。いつものように主人の仕事から孫の成長まで、細々お聞きくださいます。隠すこともありませんが、ありきたりのお返事しか出来ません。そしたら、一年以上も前のことを話し始められました。私は、はじめ、はて、何の話?と思います。些細なことですが、香港からのお土産の話でした。度々の帰国、何を手土産にしたらいいのかとお尋ねしたことがあったのです。どこそこの何々が絶対にいいわよ、ところで買った?と尋ねられました。お聞きしていた品は、私が届ける相手のうちにはそぐわないものだったので、買わずにいました。そのまま話すと、次回会う時に買って来てあげるとおっしゃいます。お願いしますと申し上げ別れました。

 この方と別れて何やら心が重たい、家に辿り着くと、ドッと椅子に座り込みました。何だろうね、このあまりいい気持ちでないものはと思いつつ、動くのもしんどい感じです。これって、お節介だわね。と広辞苑を引いてみました。「余計なお世話。不用意に立ち入ること。」と書かれています。その通りだわ、と得心。簡単にお節介と一言で片付けると、ホッとしました。

 実はこの方、共通の知人に私の話したことを、話していると聞きました。ご厚意と思っていたことが、次第に重たく感じられるようになったのです。

 厚意とお節介の境界線は、どこにあるのでしょう。広辞苑の言葉通り「不用意」の一語です。それだって、目に見える一線ではないし難しいなあと思います。随分年上のこの方を思い浮かべると、お歳なのに気力体力共にタフな方だと思います。私など、自分の家族のことで精一杯。老いた両親、そろそろ健康に気遣う私たち夫婦のこと。それ以上に、人様のことにまで気が廻りません。おそらく、私の許容量が低いからでしょう。

 自分に振り返って、お節介にならぬ厚意を心がけるつもりです。

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まじめな食べ物

2015年02月06日 | 日々のこと

雨、11度、74%

 日本を離れて30年近くになりました。今では、日本のあらゆるものが手に入るようになった香港ですが、来た当初は、ないものだらけ、たとえあっても、日本のそれとは似ても似つかぬものでした。カボチャなんか一番いい例です。そうそう、大根一つ美味しくなかった時代でした。

 実家の母たちが送ってくれる小包は、寶の山。開けると緩衝剤代わりにはいっている新聞ですら懐かしく思いました。あの頃、日本の朝刊は夕方に届けられました。飛行機に乗ってやって来るのです。今やデジタル印刷、朝の6時には配達されます。

 母たちの小包の他にも、友人がカボチャとサツマイモをご主人の出張の荷物に入れてくれたり、懐かしく思い出します。主人の仕事上のお付き合いの方達からは、デパートの地下に並ぶ有名店のものをよく頂戴します。デパートの地下も年々地方色がなくなっているのか、東京の方から金沢の銘菓を頂戴することもあります。日本にいたらお客様の時にしか使わないようないいお茶を普段に飲んでいることもあります。贅沢なことです。時折、食卓に上がったものを、これは誰それからの頂き物と指差しながらご飯にすると、主人、「我が家は頂き物で食べているようだね。」とまでおっしゃいます。選んでくださる、運んでくださる、郵便代もかなりのものなのに送ってくださる、ほんとに沢山の方に感謝しています。

 母は逝き、義母ももうここ数年は荷物を送ろうとはいわなくなりました。荷造りして送る小包は、いろいろなものを買い出し、箱に詰め、よいしょっと郵便局まで運びます。そして、時には中身と変わらないくらいの値段の切手を貼ってくれました。その上、欲しいものがネットで買え、海外にまで配達してくれるこんな時代がやって来るとは思ってもいませんでした。

 年末に頂戴した小包、まるで実家の母たちの荷物のように、細々と入っています。いつものように床に座り込んで荷物を開ける私の周りに、一つ一つ、箱から出され、モモさんの点検を受けます。目の前のお正月のことを考えてくれてのことでしょう、お餅も入っています。初めて食べる玄米のお餅でした。

 土地によって、いくら全国均一になったとはいえ食べ物は違います。お米一つ、銘柄は同じでも土地の水や土が違います。ましてや選んでくれる人の食べ物の好み、育った土地柄によっても違うはずです。ぐるっと私の周りに並んだ箱の中のもの、少しずつ、私のお腹に入って行きました。

 お餅に始まり、新米、あごのだしの素、お海苔、全部彼女が一つ一つ選んでくれたものです。口に入れ、お腹に入って、もう底をつきましたが、決して派手でないこれらの食べ物から何か感じます。お餅も新米もお海苔もお出汁も今や香港で手に入るものですが、何か違うものを感じました。

 実は、この違いを考え始めていったい何だろうと、それを表現できずにいたのです。やっと分かったような気がしました。まじめに台所に向かっている彼女が選んだまじめな食べ物だということです。選ばれたお餅やお米がまじめというのではなく、選んだ彼女が日頃、まじめに台所に立っている証だと思いました。

 銘菓や銘茶も嬉しいものです。包装を解くのももったいないくらいの日本のお菓子、丁寧に作られた日本の食べ物、海外にいるとその事を痛切に感じます。

 贈り物、頂き物、海外にいるというだけで、ほんとに皆さんのお世話になりました。そして、いつも感謝して殆ど私のお腹に消えて行っています。ありがとうございます。

 年末の一つの小包は、その送り手の台所を私に垣間見せてくれました。

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お節句の額、2つ。

2015年02月05日 | クロスステッチ

曇り、13度、65%

 ひと月以上もかけてチクチクしたお節句の額装が出来上がってきました。我が家の初孫は、ひな祭りの半月前に生まれた女の子です。半月でお節句といってもね、とお嫁さんのご実家とも話し、初節句は一年延ばすことにしました。

 私が刺し続けているクロスステッチは、デンマークのものです。細かい目の麻布に、花糸と呼ばれる艶のないコットンの刺繍糸を使って刺していきます。この刺繍は、ゲルダベングトソンという女性が、素晴らしい野の花を刺したことで世界中に広まったといわれていますが、昔からしっかりしたギルド制の中、デンマークの長い冬を過ごす人の手仕事だったと思います。身につける物、持ち物に花柄を持たない私は、せっせとこのゲルダベングトソンの花を刺しては家に飾っています。根っこや球根までデザインされたその図柄は、花を愛した人にしか描けないものに思います。ロイヤルコペンハーゲンの最高のシリーズ、ボタニカ、あの食器の絵柄の通じる花たちです。このゲルダベングトソン、花ばかりかデンマークの地図やアンデルセンの物語を題材に取った図案も作っています。

 さて、初節句にとデンマークにおひな様の図案を頼んだのは昨年の4月でした。そして、半年かけて刺し上げようと、最初のひと針を落としたのは昨年の9月。そのまま放ってあった刺繍をこれは間に合わないと火が付いた様に刺し始めたのは、年末の少し前のことでした。一月半、来る日も来る日もチクチク。

 この図案も色選びも全て、デンマーク人のアイダウィンクラーに依るものです。アイダウィンクラーは、ゲルダベングトソンとともにデンマークのクロスステッチの世界では有名な人で、デンマークの町中の風景をゲルダとともにデザインしたものもあります。

 ひと針ひと針進めて行くうちに、全体像が見えてきます。その頃から、毎日不思議に思うことがありました。デンマーク人のアイダさん、この雛人形の飾りをどのくらい見たのでしょうか。何回、何時間。日本人と変わらぬ感覚で選ばれたこの緋毛氈の色、水浅葱の色。例えば、緋毛氈は、86番の花糸で刺していますが、88番の花糸でもよさそうなところを86番を選んでいる、その目の利き方に驚きました。要するに、日本の色調を日本人でない人が、ここまで再現していることへの驚きです。

  こちらは、20年近く前に自分のために刺した、立ち雛。このデザインは、当時日本で唯一この刺繍を扱っていたところのものです。つまり日本人のデザイン。着物の量感は立ち雛の方がありますが、色調の素晴らしさは今回のものが遥かに上だと思います。

 初節句のお祝いです。私がいつも作る額装とは全く違う色合いを選びました。赤のマットは緋毛氈の色に合わせました。この赤のすぐ下に3ミリ程金のマットが入っています。そして、額は少し掠れたシルバ−です。

 想像以上の出来映えです。そして、思ったより大きな物になりました。ハンドキャリーで運びます。

 

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香港から花便り

2015年02月04日 | 香港

曇、15度、87%

 この冬、香港は12月の方が1月より寒かったそうです。立春を前に昨日は、昼間21度まで気温が上がりました。ジャケットなど着ていられない程暖かでした。暖かなせいで、例年なら、散ってしまっている花もまだ残っていたり、旧正月を過ぎないと咲かない花がもう咲き始めていたりと、花暦にもズレが生じています。

 我が家から、東向きに下りて行くと香港の動植物公園に行き着きます。行き着くというか、私の通り抜けの道筋です。動物なんていっても、今では類人猿しかおらず、鳥たちの方が種類も多いのではないでしょうか。植物園にしても、温室の植物はシンガポールのそれより遥かに規模が小さいものです。ただこの動植物園、香港島のセントラルからでも歩いて20分、昨日のように陽気も天気もいい日のお昼は、オフィスの人たち、観光客と大賑わいです。

 植物園の池の周りのツツジは、 日当りもいいせいか、随分つぼみがほころんでいます。香港は暖かなので、池の亀たちも冬眠せず年中泳いでいるのが見られます。

  ハイビスカスは、本来ならこの時期見られないのですが、未だに咲いていました。 香港の花、ブーへニア。2ドル硬貨の裏の花はこの花です。一年中咲いているといわれますが、春先に一斉に咲き始めるのに、今年はまだ古い花をつけたままです。このブーへニアが山に咲き始める頃は、香港一日ガスっていることが多くなります。緑が吹き始める前の霞んだ山に、ブーへニアのピンクの色が見えると、まるで山桜のようです。桜の木がない香港で、この光景を見た日本人がこの花を香港桜と呼ぶようになったと、聞いたことがあります。霞んでいるせいで写真を撮ってもその風情をお伝えできないのが、毎年残念です。

 狂い咲きという言葉がありますが、本来の花の時期以外でも、寒暖の差、日照の状態で一年中チラチラ咲いているのが、 ミモザです。もちろん5月のほんとの花の時期には、枝もたわわに花を付け、あたりにあの甘い香りを振りまいてくれます。小さな小さな黄色い花です。もう一つ同じような花が、 銀木犀です。日本の大木になる銀木犀とは違って、私の背程のか細い木です。そして、その花の有り様と同じく、香りも金木犀の香りには及びも着きません。木姿といい香りといい、余程花の匂いに敏感な方でなければ、この花を見つけることは出来ません。花の季節は金木犀と同じく、秋の深まる前です。「桂花」と書きこの花の香を移したお酒もあります。数年前には、この花の砂糖漬けで作ったゼリーが中華料理の食後に流行ったことがありました。この銀木犀の花をお酒やお菓子に使う中国人のささやかな感性に感じ入ります。

  優しい色のツツジです。今から、ブーゲンビリアを始め次々に花の盛りを見せてくれます。見出し写真は、椿です。椿、カメリア系の花は、サザンカから始まって11月頃から咲き始めますが、この玉椿のような見事な椿はなぜか春先に咲きます。

 このまま暖かくなるとは思っていませんが、ほんのひとときの日差しと暖かさをもらって、春立つ前の日に春を味わいました。

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モモさんの節分

2015年02月03日 | もも

曇、15度、84%

 節分なので、兼ねてから頂いていたお豆を出してきました。 京都の豆冨さんの節分お豆。箱の外は鬼の絵、内はおたふくの絵が描かれていて、炒り豆と鬼の足型をした飴が入っていました。バリバリと開ける音とともに現れたのは、もちろんモモさん。最近はお歳のせいで眠りが深く、バリバリと袋を開ける音でも熟睡中のことが多くなりました。

 一通り匂いを嗅いだものの、美味しそうなのかよく解らないモモさんです。 そこでお豆と記念撮影。まだ私が小さい頃飼っていた犬達は、庭で放し飼いでした。鬼は外と庭に撒いた豆は、翌朝には見事に一粒も残っていませんでした。モモさん、このお口ですし大豆が喉に詰まるかもしれません。福は内で家に撒くのは止めましょう。

 このお豆と一緒に、鬼の面も頂いていました。そうだ、モモさんに小鬼になったもらおうと、ゴムを付けたり、裏を止めたりして頭にのせますが、首をフリフリ、すぐに落としてしまいます。 ましてや、お顔に被せようとすると逃げる始末です。そうだ、主人に鬼の面を付けてもらいましょう。大鬼です。私も、豆を投げつける甲斐があるというもの。

 明日は立春。中華圏のお正月、春節は旧暦ですので、今年は2月の19日が元旦になります。またしても気持ち新たに良い年を迎えましょう。

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香港満天星

2015年02月02日 | 

曇り、14度、89%

 もう半月もすると旧正月、中華圏の一番のお祝い春節がやって来ます。まん丸な黄色の小さなみかんの木、桃の木がお祝いの印です。鉢植えのみかんの木、ポツポツとつぼみを付けた桃の木が、店先や大きなショッピングモールに飾られるのももうすぐです。ところが気温が10度を下らない香港では、この時期に花をつける野生の花もあります。煙花(花火という意味)と呼ばれる花は、花火のように細い花弁を持った柿色の花です。以前は、この旧正月だけ香港では上がる花火でしたから、こう呼ばれています。

 煙花は、ツタ科の植物です。壁に這っていたり、古い家の屋根に這っていたり、町中でもチョイチョイ見られます。ところが山に入らないと見られない、この時期の花が、「香港満天星」。山に行けば見られるという花でなく、薮などを覗き込まなくては見つけることが出来ません。 大きさにして2センチから3センチ、吊鐘状のピンクの花です。春も進むと日本でも見られるドウダンツツジの一種です。日本のそれよりも花が数倍大きいものです。見出し写真の新芽の色などドウダンツツジの葉っぱの色と全く同じ。

 20年以上見て来てました。この「香港満天星」の木が、毎月行く山のどの辺にあるか知っています。にもかかわらず、全く花を見つけることが出来ない年もありました。昨年がそうでした。かと思えば3年前は、誰もが立ち止まって写真を撮る程に花をつけていました。花の当たり外れが年によって大きく違う「香港満天星」です。

 ベトナムを原産とし中国の華南地方にまで見られるこの木は、呼び名も様々です。「中国満天星」、「チャイニーズニューイヤーフラワー」、「ピンクシャンデリア」。でも、やっぱり私は「香港満天星」と思っています。

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ハッピーバレー 香港

2015年02月01日 | 香港

曇り、14度、84%

 香港には競馬場が2つあります。香港島にある古くからの競馬場は、香港島の北、日本人も多く集まるトンローワンから歩いて20分もかからないハッピーバレーにあります。名前が示すように、北向きのトンローワン側をのぞけばすっぽりと小高い丘に囲まれた盆地です。香港島の北を走る二階建てのトラムもこのハッピーバレーを通る路線だけ、直線コースから外れ迂回路のように廻ります。このトラムの2階に乗ると競馬場の中が見て取れます。以前は、競馬の開催日以外は出入りが自由でした。散歩に行く人、見学をする人、ちょっとのぞくことが出来ました。

 競馬場のある街、さて、どんなイメージがあるかしら。私は日本の競馬場を知りません。おそらく競馬の開催日はどこの競馬場も似たり寄ったりでしょう。このハピーバレーの競馬場は、夏場の一時期を除き、毎週水曜日の夜に競馬が行われます。水曜日の夕方になると、このハッピーバレーの一帯は、トンローワンから競馬場へ向かう人たちのために、交通規制が入ります。トラムはストップ、車も迂回します。すごい人の流れです。

 このハッピバレーの街は、競馬がないときは静かな住宅街です。競馬場の一番奥まったところからは、次第に上向きの坂を上ります。この上の方には日本人学校の小学部があります。以前は、日本人も多く住む一帯でした。このハッピーバレーを見下ろす一本上の道沿いに、大きなマンションが次々に建ったのは、25年程前のことでしょうか。日本人の皆さん、そちらへと住まいを移しました。古くからこの街に住む香港人、そして、西欧人の数が多い街です。この街を歩くと、英語はもちろん、フランス語、イタリア語が飛び交っています。古くからあか抜けた街でした。

  バルコニーがついた古い建物。 この2、3階の窓の作りも、一時期の香港の建物の特徴です。こんな低層の建物が、新しい高層マンションの間に残っています。見出し写真の建物とこの2つの建物は隣接しています。

  山向きにのぼる山光道。上り詰めたところはジョッキークラブです。このジョッキークラブは以前の厩、レースに出る馬たちはこの道を下りて、競馬場に向かったそうです。

 山光道の脇には、ひじょうに中華的な建物があります。 宗教団体が経営する小学校です。 校門です。 こちらは記念館。西欧人たちの間を抜け、真っ赤な校門の小学校へ向かう子供たちのことを考えます。いかにも、香港です。

 まだ、日本人の居住者が多かった頃、つまり私が香港に来て10年程の間は、このハッピバレーによく通いました。親しい友人がこの街にずっと住んでいました。おかゆ屋さんもチャーシュー屋さんも名前は変わっても元の場所にあります。毎朝走るボーエンロードから競馬場を見下ろしますが、町中を歩くと、20年以上前のまだ若かった頃の自分が甦ります。今ではジョッキークラブへ食事に行く時に、車で来て車で帰る、通りすがりの街になりました。こんなに長く香港にいようとは、思ってもなかったあの頃です。

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