横浜そごう美術館で開催されている、”佐伯祐三展”(没後80年;鮮烈なる生涯)を観てきました。大阪市立近代美術館建設準備室の所蔵作品を中心として、約80点の油彩画などが展覧されています。
1923年、パリで、自分の絵をみたフォーヴィスム(野獣派、先日葉山で観たマティスもこの派でした)の巨匠、ヴラマンクから”このアカデミック”と怒鳴られてから、佐伯の真剣な絵の修行が始まったとのことです。
わずか30年の生涯で、本格的な作品を発表し始めてからは6年程度しかありません。その間、次々と作品を生み出していきます。すごいエネルギーです。きっと自分の短命に気づいていたのでしょう。この展覧会では、パリの修行時代から始まり、日本への一時帰国、そして、パリ郊外モラン時代と、年代順に作品が展示されていました。
ボクの印象では、前期の色調は暗く、”晩年”のモランでの作品は赤がよく使われていて、明るい色調になってきているようでした。死を意識してから、明るい色がいとおしくなったのだろう、と勝手に解釈しました。多分、遺作ではないかと思われる、病床で描いた”ロシアの少女”は、衣装を含め全体に赤系の明るい色調でした。少女はどこからみても、こちら側にしっかり目を合わせていました。佐伯祐三の目だなと思いました。ボクは文字の看板が立ち並ぶ街角風景とか、いたずら書きのある壁の風景などが、好み系でしたが、今回、こうゆう人物画もなかなかいいなと思いました。
パリのモンパルナス周辺でよく写生をしていたようです。ボクも、むかし、数ヶ月間、この辺りに住んだことがあり、なつかしかったです。こんど、パリに行く機会がありましたら、佐伯祐三が晩年を過ごしたモランにも足を伸ばしてみたいなと思いました。
。。。。。
購入した絵はがきのいくつかを紹介します。
広告”ヴエルダン”

煉瓦焼

人形

パレットをもつ自画像

1923年、パリで、自分の絵をみたフォーヴィスム(野獣派、先日葉山で観たマティスもこの派でした)の巨匠、ヴラマンクから”このアカデミック”と怒鳴られてから、佐伯の真剣な絵の修行が始まったとのことです。
わずか30年の生涯で、本格的な作品を発表し始めてからは6年程度しかありません。その間、次々と作品を生み出していきます。すごいエネルギーです。きっと自分の短命に気づいていたのでしょう。この展覧会では、パリの修行時代から始まり、日本への一時帰国、そして、パリ郊外モラン時代と、年代順に作品が展示されていました。
ボクの印象では、前期の色調は暗く、”晩年”のモランでの作品は赤がよく使われていて、明るい色調になってきているようでした。死を意識してから、明るい色がいとおしくなったのだろう、と勝手に解釈しました。多分、遺作ではないかと思われる、病床で描いた”ロシアの少女”は、衣装を含め全体に赤系の明るい色調でした。少女はどこからみても、こちら側にしっかり目を合わせていました。佐伯祐三の目だなと思いました。ボクは文字の看板が立ち並ぶ街角風景とか、いたずら書きのある壁の風景などが、好み系でしたが、今回、こうゆう人物画もなかなかいいなと思いました。
パリのモンパルナス周辺でよく写生をしていたようです。ボクも、むかし、数ヶ月間、この辺りに住んだことがあり、なつかしかったです。こんど、パリに行く機会がありましたら、佐伯祐三が晩年を過ごしたモランにも足を伸ばしてみたいなと思いました。
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