気ままに

大船での気ままな生活日誌

苔石段 

2008-06-02 13:45:06 | Weblog
美しき 苔石段に 春惜しむ

この星野立子さんの句を思い出し、晩春には必ず、ここの苔石段を訪れている。ただ、この妙法寺は平日は開けていないので、”サンデー毎日”派のぼくは、よほど注意していないと、見逃してしまうことになる。加えて、土日でも開けていないこともあるのだ。先々週の、土曜日の雨上がりの午後、ここを訪れたが、入り口の門は開いていたのだが(平日はそこも開けていない)、進めるのは本堂前までで、苔石段のある仁王門に向かう小径は竹の扉で閉ざされていた。前日からの雨で足もとがわるく(ここの裏山にのぼる道はすぐぬかるみになる)入山を中止したのかなとも思い、その日は残念ながら引き返した。

そして、1週間後の5月31日、まさに”晩春”のラストチャンスの日に、明月院の紫陽花の開花状況を調べたその足で、大町に向かった。その日も雨模様で、小雨が降ったり止んだりしていて、またあの竹の扉が行く手をふさいでいるのではないかと、一抹の不安はあった。

大町の静かな住宅街を抜けて、妙法寺への脇道に入ると、その前方に、入り口の門が開いているのがみえた。そして、前回は不在であった受付の方もいた。これで、間違いない、久し振りにあの苔石段に会えると、小躍りして向かった。

熊本の、細川家が建てたと伝えられる本堂にお参りをして、柏葉紫陽花の白花やシモツケの紫色の花が咲き始めた庭園内の小径に入り、仁王門に向かった。その道すがら、さて、あの苔石段はどうなっているのだろうか、ボクは心配で心配でたまらなかった。

というのは、昨夏の異常の暑さで苔が駄目になってしまったのではないかと思わせる光景を昨秋9月に目撃していたからだ。となりの安国論寺の境内の苔は生き生きとしていたのに、ここの苔石段には、どの石段にも苔が全くみえない、顕微鏡的には存在していたかもしれないが、肉眼的には皆無だったのだ。苔石段が消滅するかもしれない、そんな不安がぼくの心によぎったのだった。その後、この正月に訪れたときに、少しほっとした気分になった。産毛のような苔だったけれど、うっすらと石段のあちこちに姿をみせてくれていた。でもそれはまだ弱々しいものであった。育ってくれよと、祈るような気持ちであった。

仁王門をくぐり、そこから山上につづく苔石段を見上げる。そこからは石段の上面が見えないので、苔の生育の様子は十分わからない。でも石段の端に緑の苔が、どの段の端にもくっきりと張り付いているのが見え、うむ、これはいいぞ、いける、と思わせてくれた。

ぼくは、今は通行禁止になっている苔石段の、右側につくられた石段を登り始め、思わず小さな歓声をあげてしまった。少し登ると、苔石段の、仁王門側の下位段の上部があらわになり、そこに一面の苔緑を目にしたのだった。折から降り始めた小雨と周囲の木々に囲まれて、そこはうす暗かったけれど、たしかに、少し濃い緑の苔が石段を覆っていた。本当によくがんばって、ここまできたね、そんな気持ちで、ぼくは、傘をさすのも忘れ、しばらく佇んでその苔をみていた。

雨水と伏流水が一緒になって流れ落ちている、その石段をすべらないように登り、水戸家がつくったという法華堂の前にたどり着いた。雨が強くなってきたのでしばらく雨宿りした。目の前の、樹齢650年のソテツの樹ばかりがぼくの話相手で、ほか誰一人見当たらなかった。急に雨があがってきたので、ぼくはお堂を出て、苔石段の最上部の前に立った。ここが一番の苔石段のビューポイントなのだ。

苔緑は石段の下部から上部へ這い上がってきていたが、上の1/4ぐらいの段までで終わっていた。去年の今頃はたしか最上部まで這い上がっていたはずだから、やはり、昨年の夏の疲れがまだ残っているのだろう、と思った。でも良かった、ここまで回復して、とも思った。

下に降り、新石段の近くに建っている、星野立子さんの句碑の前に立った。
石碑に刻まれた ”美しき 苔石段に 春惜しむ” の句が、今年はとくにしみじみと感じられた。

・・・

苔石段




句碑


法華堂





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