気ままに

大船での気ままな生活日誌

少年ケニア

2008-06-18 06:07:27 | Weblog
”生誕百年、山川惣治展”を観てきました。ボクが少年だった頃、ボクにとっては、山川惣治は大大大作家でした。大人になってからの、司馬遼太郎よりも誰よりも、存在感の大きな作家でした。

当時、ボクのうちは産経新聞をとっていて(たしかこの頃、司馬遼太郎も産経新聞社に勤めていたはず)、その連載小説”少年ケニア”を読むのが、なによりの楽しみでした。そして、そのあと、厚い表紙の単行本がなん巻も発刊されましたが、ボクはそれを全部買って(正確には親父に買ってもらって)、何度も繰り返し読み返していたのです。そして、その本を友達に貸してやるのがまた嬉しくて、次の次の予約までして得意になっていました。

今でも憶えてますよ、主人公のワタル少年と美しい少女、ケート。大蛇と巨像はたしかワタルの仲間だった、何とかザウルスという恐竜もでてきました、ストリーはすっかり忘れてしまったですが、少年の心をときめかす、夢とロマンの冒険物語でした。山川惣治作・画で、絵がまたとても印象に残るものでした。絵物語だったのです。

その”少年ケニア展”を昨日、観てきました。明治神宮御苑の花菖蒲をみたあと、地下鉄千代田線に乗って、根津で降りて、東大弥生門の前にある、弥生美術館の前に立ちました。初めて入る美術館です。雰囲気のある古い建物でした。もうお昼前でしたので、美術館付属の軽食喫茶店に入り、メニューをみて、迷うことなく(笑)”少年ケニアライス”を頼みました。ケニアチックの(笑)、なつかしい味のする丼でした。なんだか、もう、ケニアのワタル少年と会ったような気がしました。





少年ケニアライスをかきこんで、ランチについていたアイスコーヒーを飲んで、食休みもそこそこに、美術館に入りました。1、2階が、特別展の展示室になっていて、1階は”少年王者”の展示が主でした。これはボクらよりもう少し”お兄さん”の時代のもので、ボクはそこはチラッと観て、いよいよお待ちかねの”少年ケニア”展のある二階に上がったのでした。

ボクの目の前には、”少年ケニア”の、あの、忘れもしない厚紙の表紙の、懐かしい装幀の本が、第1巻からずらりと並んでいました。まちがいなく、あの時の本だ、ボクの胸の中になにか熱いものがふつふつとわき上がってくるのを感じていました。ボクの心のずっと奥底にしまわれていた、すっかり忘却のかなたにあった、あの頃のときめきに似たカンドウが、まるで伏流水が突然、地上への出口をみつけたように、じわじわと溢れ出てきたのです。

こんな気持ちになれる本は、きっと”少年ケニア”だけだろう、と思いました。ボクは子供のころから結構、本好きで(漫画も含め;そのころ、月刊おもしろブックをとっていました)、学校の図書館や、貸本屋さん(むかしありましたね)で、世界児童文学みたいな本もずいぶん読んでいましたが、ピーターパンやトムソーヤの冒険でも、こうゆう気持ちになることはないと思います。

戦後の貧乏時代の少年たちに夢と希望を与えてくれた、山川惣治さんに改めて感謝したいと思います。ボクら世代ばかりでなく、若いお嬢さん方もずいぶん見学していましいた。併設の竹久夢二館にも二階から移動できることを知り、合点しました。”竹久夢二の七つの顔展”もなかなか面白かったです。画家だけではなく、あるときは、詩人であったり、またあるときは、書家、批評家、デザイナーと、マルチ人間だったそうです。ボクは、”七つの顔”でぼくら少年時代の大スター、片岡知恵蔵を思い出してしまいました(苦笑)。

山川惣治ワールドを十分堪能して、美術館を出て、しのばずの池まで歩きました。池の畔には、思いのほか、たくさんの紫陽花が咲き乱れていました。池はすっかり蓮に覆われていましたが、そろそろ花も咲き始めることでしょう。


コメント
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