気ままに

大船での気ままな生活日誌

おくのほそ道から源氏物語へ

2008-06-29 10:22:50 | Weblog
”おくのほそ道”の終盤、敦賀の中秋の名月を観にゆく途中、福井に等栽とゆう旧知の俳人を訪ねる場面が出てきます。夕顔やへちまがからみつく”あやしの小家(そまつな家)”を見つけたので、たぶんここだろうと思い、戸をたたく。すると、”侘びしげなる女”が出てきて応対する。

この場面は、源氏物語の”夕顔”の一節を”おもかげ(人偏に弟)”としているのです、と市民講座の先生が説明してくださいました。

光源氏が乳母の病気見舞いにきた途中、夕顔が住むそまつな家をはじめて目にしたとき、源氏がその家にからみついている白い花はなんだと従者に尋ねる。”かの白く咲きけるをなんと夕顔と申し侍る。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になん咲きはべりける”と答える。そして、悲しい花だ、一房折ってまいれ、と従者に頼む。従者が摘んでいると、中から女童が出てきて、白い扇を差し出し、この上にのせ差し上げたらいかがでしょうか、と言います。のちにこの家の女主がうつくしい夕顔であることが分かり、源氏との悲しい恋が始まるのです。

おくのほそ道には、”むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす”では、”平家物語”の義仲と実盛の逸話が忍びこまされていますし、歌枕を訪ねる旅でもありますから、万葉集や西行のことも知っておかないと十分、理解できないとゆうこともあります。言ってみれば、おくのほそ道には、平家物語通り、源氏物語小径、万葉集小路などいくつもの道が途中で横切っているということでしょうか。

こうゆう脇道に入って、道草するのも楽しいものです。平家物語は同じ市民講座で受講していますが、源氏物語は、自慢ではありませんが、生まれてこの方、一度も読んだことがありませんでした。女性の読む本だと思っていたのです(笑)。でも、ちょっと覗いてみたくなって、ワイフが持っている、村山リウ訳の源氏物語を読んでみました。男が読んでも(笑)なかなか面白いです。1000年も前に、こんな小説を。さすが紫式部さん、大ソンケイです。

夕顔の君は源氏に見そめられます。”ひたすらに従ってくる柔らかさ、それは不安を感じさせるが、またひどく魅力的なものでした(村山訳)”。”やがて秋、八月十五夜の月光が五条の家の板びさしからもれています。いつもは夜深く帰る源氏ですが、よほど感興がわいたとみえて、女と語りながら夜を明かすのでした”そして、近くの別荘に移ったのですが、そこで夕顔の君が急死し、悲しい結末を迎えることになります。

ここまで読んで、はっと思いました。夕顔の君の八月十五夜の劇的な死、おくのほそ道でも八月十五夜の直前にこの”おもかげ”をつかっているのです。何からなにまで計算しつくされているのですね。

ボクは今、源氏物語のほぼ1/3よみ終わったところです。いろいろな性格の女性が出てきて、面白いです。村山評によると、夕顔の君は”あわれ”、藤壺の宮は”うつくし”、葵の上は”うるわし”、六条の君は”なまめかし”だそうです。ボクも一通り、読んだあとに、評したいと思いますので楽しみにしてください(笑)。

・・・
芭蕉と紫式部とゆうことで、お二人ゆかりの石山寺の写真を載せます。3年ほど前に訪ねたときの写真です。紫式部はここに参籠して”源氏物語”の想を練り、芭蕉はこの地の庵ですごしたことがあります。今年は源氏物語千年紀とゆうことでに賑あうことと思います。

石山寺


石山寺境内の紫式部の像


ついでに(笑)。京都御所近くの廬山寺の”源氏庭”。この地に紫式部邸があった。
コメント
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