気ままに

大船での気ままな生活日誌

円覚寺 今日の花と言葉

2008-06-08 17:40:25 | Weblog
梅雨の晴れ間、今日もブラリと北鎌倉へ。
円覚寺の紫陽花はどうなったか?。
色づきはじめた。あと少しで見頃か。



知らない間に、仏殿うしろの庭の、ひめつるそばが”満開”になっていた。


居士林前の苔も”満開”になっていた。


黄梅院の庭に、めずらしい花が咲いていた。チャボ藪手鞠。
紫陽花に似ているけど、スイカズラ科ガマズミ属だとのこと。
”花と蝶”。森進一の歌を思い出す。♪花のいのちは 短いけれど 蝶のいのちもはかなくて 花が散るとき 蝶が死ぬ そんな恋する 二人になりたい♪ 




黄梅院の山門前にこんな言葉が。
”花には散ったあとの悲しみはない、ただ一途に咲いた喜びだけが残るのだ(坂村真民詩集より)” なるほど。

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マティスとボナール展 in 葉山

2008-06-08 11:06:54 | Weblog
葉山の県立近代美術館で開催されている”マティスとボナール展”を観てきました。11時頃到着し、一回り見学したあと、午後から企画担当された学芸員によるギャラリートークがあるというので、昼食後、それにも参加しました。素人のボクにも分りやすく説明してくださり、ふむふむ、なるほど、こうゆうふうに美術史的に鑑賞するのも、面白いなと思いました。

マティスとボナールは2才違いの同世代です。19世紀末から20世紀初めの時代、それまでの高い精神性を追求してきたヨーロッパ美術に代わり、もっと身近な普通の人々が楽しめる”装飾的”絵画を復活させようと気運が盛り上がってきた時代です。ボナールは改革グループであるナビ派の中心画家として活躍し、彼自身、”ジャポナビ(日本かぶれのナビ)”とあだ名されるほど、日本の浮世絵等の影響を受け、平面的形態や大胆な空間処理を取り入れるようになります。この絵がボナールの画家としての出発となったものです、と学芸員の先生が”フランス・シャンパーニュ”(シャンパンの宣伝ポスター)を指されました。これを含め、ロートレック風の作品がいくつもありました。

一方、マティスはフォーヴィスム(野獣派)を推進し、強烈な色彩を使い、さらに芸術を単純化(”率直化”)する、とゆう方向に進み、絵画の改革を目指します。この絵などが典型的なものです、と色彩では、”ラ・ムラド(コリウール風景)”、形の単純化では”ピエールマティスの肖像”を先生が指し示しました。ふむふむなるほどと思いました。

そのあと時代別に詳しい説明がありましたが、ボクが面白いと思ったのは、ボナールは、絵の鑑賞者にいろいろ考えさせるために、仕掛けをいくつも絵の中に仕込んであるということでした。たしかにそうです。花瓶のようで花瓶でないよう、でやっぱり花瓶だ(笑)とか単純に理解させない絵がいくつもあるのです。

マティスでは、”色彩とデッサンの永遠の葛藤”への解決に切り絵手法を用いたのも面白いと思いました。ボクは、この切り絵風の絵が、マティスの絵の中では一番分りやすく、かつ、うつくしいと感じました。

ふたりは生涯交友関係にあり、晩年を、地中海の光りが溢れる南仏のコート・ダジュールですごします。信頼関係を示す、ふたりの言葉を紹介して終わりたいと思います。

絵画万歳!有情を込めて マティス
私はひとりではないと感じたいとき、君のことを考える ボナール

。。。。。
ボクが買った絵はがきから。

浴槽の裸婦 (ボナール)


花咲くアーモンドの木 (ボナール)遺作


ベールをかぶった女 (マティス)


ジャズ Lagoon (マティス)
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