気ままに

大船での気ままな生活日誌

暑い日は箱根湯本で

2013-10-03 18:42:31 | Weblog
今日は夏のような暑さだったので、箱根湯本まで出掛けたけど、暑さはたいして変わらなかった。 でも、先日、横浜高島屋のユトリロ展に引き続き、小さな、もうひとつのユトリロ展を観たり、はつ花の蕎麦を食べたりと結構、楽しめたでござんす。

ユトリロ展と言っても、箱根湯本の本通りに面している喫茶店のこと。何年か前にみつけて、湯本に来たときは、ここで一休みすることにしている。壁一面にユトリロの作品が飾ってある。モンマルトルの景色やお母さんの肖像画など見慣れた絵がいっぱい。大きな本画もある。向こうの部屋には、ぼくもお気に入りの平賀敬の作品が。近くに、平賀敬美術館があるが、今回は訪ねていない。

喫茶店の名前まで。


ユトリロがいっぱい




ミュシャを従えるユトリロも


平賀敬の作品も




ここへ来る前は、はつ花で。貞女蕎麦。全国に先駆けて、創業者が考案した、自然薯をのせた山掛け蕎麦の冷やし版。ご主人は、小田原に住んでいた(松永)耳庵とも親しかったようじゃ。




貞女、初花物語。詳しく知りた方は、拡大して読んでくだされ。


早川をはさんで向こうの河鹿荘。もう10年たったかなあ。おっかさんと一緒に泊まったホテルじゃ。


帰りに、入生田駅そばの、神奈川県立生命の星・地球博物館にも寄ってきたんじゃよ。






特別展が、また良かったどす。それは、また明日にでも。
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常若

2013-10-03 09:13:49 | Weblog
10月2日に、伊勢神宮の式年遷宮の”遷御の儀”が行われた。二十年に一度、正殿に隣接する敷地に正殿を造り変え、神様に移っていただく、1300年間もつづいてきた伝統的行事だ。常に生き生きとしたみずみずしさを尊ぶ”常若(とこわか)の思想”に基づくという。

常に生き生きとしたみずみずしさ、”常若”を尊ぶのは、神様だけではなく、われわれ人間だってそう。でも、20年ごとに、心臓、肝臓、腎臓などの臓器を新品に取り替え、いつまでも二十代の若さを保つなんてことはできない。将来的には、IPS細胞の応用研究が進み、ある程度の”常若”が可能になるかもしれないが。

身体の”常若”が無理でも、精神の”常若”は、気持ちひとつで誰にでもできる。有名なサムエル・ウルマンの詩”青春”が見事にそれを示している。自戒の念を込めて、はじめの2節だけ載せておこう。

春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を云う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない
理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。

青春とは、心の若さである(作山宗久訳)


鎌倉の長谷にある甘縄神明宮は鎌倉最古の神社であり、伊勢神宮とのかかわりが深い。ミニコミ誌”鎌倉朝日”によると、神明社とは伊勢神宮の祀る天照大神を主祭神とする神社のことで、県内東部地区には神明社が多いという。そのわけは、大庭地区(藤沢、茅ヶ崎、寒川、この前、彼岸花を観に行った辺り)に伊勢神宮の荘園、大庭御厨(みくりや)があったためだという。ついでながら、大庭御厨を管理していたのが鎌倉権五郎景政(御霊神社の祭神)の子孫の大庭氏とのこと。

2日、甘縄神明宮に参ってきた。とくに式年遷宮に関する飾り等はなく、しんと静まり返っていた。社殿の裏山は神輿ヶ嶽といい、古くから歌に詠まれているという。川端康成も神社のすぐ横に住んでいて、名作、”山の音”の舞台にもなっている。

甘縄神明宮


本殿のうしろにも古い社が。ここでは遷宮はしない。


山の音は聞こえなかったが、秋の虫の音が


川端康成旧邸 すぐそば。


”山の音”は、成瀬巳喜男監督、原節子、上原謙主演で映画化されている。もう閉まってしもうた、銀座シネパトスで観た。

鎌倉の古いお屋敷に、優しい義父(山村聰)と義母(長岡輝子)と共に住む原節子。ところが、夫の上原謙がとんでもない浮気男。義父が気づき、息子の愛人に会いに行く。子供までできている状況。それでも、何とか終息への道筋をつける。しかし、時は遅かった。原節子はせっかくできた子供を自分の意思で堕胎していた。そして離婚を決意していたのだった。冬の新宿御苑のプラタナスの並木で義父に打ちあける原節子。いつも彼女に愛情をそそいでいた山村聰は、やさしくうなづく。せつないラストシーンだった。こういう映画だった。



式年遷宮から、いろいろなことを想いだしてしもうた。


よし、今年中に伊勢神宮参拝だ!! 次はないノダ!
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