3日の朝日新聞夕刊に”新古今に未知の歌/紫式部の夫の孫の恋歌”の見出しの興味深い記事があった。鶴見大学が最近、手に入れた”古筆手鑑”を詳細に調べたところ、新古今集に一度、採用されたが、その後、除かれたらしい一首の断簡が見つかったという。何故、そんなことがあるかというと、はじめ、1205年に約2千首を収録した新古今集ではあるが、その後、ほかの歌集に載せられたものは削るなど、複雑な編集過程をとっているからなのだそうだ。
その古筆手鑑が、4日から、同大の図書館で展示されるというので、早速、出掛けてきた。総持寺の参道の向こうの丘の上にその図書館はあった。すでに、二人の女性が熱心に観察されていた。写真撮影が可能であったので、それらをもとに紹介したいと思います。
図書館のエントランスにこのように展示されている。下段に長く拡げられているのが、今回の目玉展示である”古筆手鑑”。縦約40センチ、横24センチで、高さは、何と13センチ(全45折もある)で、表裏合わせて、90面。そこに、古筆切類144点、短冊216点、色紙7点、計367点が添付されている。少なくとも、寛文年間(1661~1673)以降に制作されたとのこと。
矢印が、問題の和歌の断簡。
さのみやはつれなかるべき春風に山田の氷うちとけねかし 藤原隆方 (紫式部の夫の孫)
この断簡は、すでに見つかっている新古今集巻11の鎌倉初期の写本の断簡と字体や体裁が一致しているので、この写本から切り取られたもので、おそらく新古今成立当初の一首ではないかと推断したとのこと。
古筆手鑑のはじめは、大和絵の見返しに続き、3行の”大聖武”(古筆切の代表格と言ってよい名物中の名物とのこと)が添付されている。この古筆手鑑の格も保障されるほどの重要な断簡という。
旧蔵品も展示されていて、前述の”大聖武”の額装もある。伝聖武天皇 大和切 ”賢愚経”断簡 奈良時代写
鶴見大学にも縁がある道元禅師の自著、自筆原本の断簡という、”貴重極まりない逸品”とのこと。MOA、出光、京博、個人蔵の4葉のみだったが、この2葉が加わったとのこと。
このほか、貴重品がいっぱい。合計18点が展示されている。いいものをみさせてもらった。
道元さんの曹洞宗の東の総本山、総持寺を散歩して、帰った。
三門
大祖堂
観音様