気ままに

大船での気ままな生活日誌

表慶館を表敬訪問

2013-10-08 22:03:39 | Weblog
トーハクの平成館で開催されている”京都展”を十分過ぎるくらい堪能して外へ出た。そのあと、東洋館の”上海展”を観るつもりだったけれど、中途半端な時間になってしまっていた。そして、ふと思いついたのが、表慶館のこと。しばらく閉じていたけれど、最近は開けているらしい。そうだ、この際、表慶館を表敬訪問しようと思ったのでアル。

改めて表慶館の案内板をみると、大正天皇が皇太子時代のご成婚記念に、明治41年に出来上がったそうだ。J.コンドルの弟子の片山東熊が設計したもので、中央に大ドーム、両翼に小ドームをもつ、左右対称のネオバロック様式になっているとのこと。

展覧会が開催されているわけでもなく、建造物を見学することと休憩が取り柄の公開である(笑)。外観もそうだけど、内部も左右対称の構成になっていて、なるほどと思った。ドームは東京駅丸の内駅舎のよう。













でも、外に出ると非対称が目立ったのデアル。

禿とライオン


屋上の縄文飾りと生カラス



天上の異様な雲


地上の異様なきのこ


・・・・・

金木犀の香りのトーハクであった。


まあ君、24勝無敗の快挙。もう100年、破られない大記録だろう。すごい。おめでとう。
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加納光於展

2013-10-08 09:36:51 | Weblog
鎌倉本館で加納光於展を観たあと、別館での西洋版画展のギャラリートークで、”1950年代、版画界は大きく変貌した、ここのジゼルもそうだし、我が国でも加納光於や棟方志功が”というお話を伺った。そういう立ち位置の画家だったのかと知って、感想文も書きやすくなった。

ぼくは回顧展が好きで、それがたとえ馴染みのない画家であっても、喜んでみる。何故って、その人の一生を、絵をみながら、辿ることができるから。加納光於は、1933年に東京神田で生まれ、1960年から鎌倉に移り、80歳になる現在も現役とのこと。実際、2013年制作の作品がここに展示されている。

植物学に傾倒し、詩人ランボーを愛する青年は、19歳のとき古書店で今純三(今和二郎の弟)の”版画の新技法”に出会う。これがきっかけで、この世界に入る。独学で研鑽し、1955年、22歳のとき、銅版画作品集(植物)を自費出版する。このときの、モノクロームのエッチング銅版画作品がずらりと展示されている。植物なのか動物なのか何なのかわからない、幻想的な抽象画みたい。銅版の腐食過程の変容に興味をもっていたそうだ。これが瀧口修造の目にとまった。そして、新人加納の出現をこう評した。

この宇宙に何一つ不可解なものはない、とでもいいたげにおよそ想像される限りのふしぎな生きもの、有機物と無機物の婚姻の子が生まれる。結局、イメージを再現するのではなく、イメージを生産するのである。

うーん、なるほど。そういう目の眼でみればよいのかと知ってからは、その後の作品がみなそのようにみえてきた(汗)。様々な版画手法の変遷があった。60年代後半には、銅版から亜鉛版に変え、メタルワーク(ガスバーナーで)で制作する。70年代には、”稲妻捕り”と称される、蜜蝋(エンコスティック)を絵具に混ぜ、その速乾性をあえて利用し、瞬時のうちにイメージをデカルコマニーで捕獲するなどの手法を多用した。

加えて、立体的なオブジェ、本の装幀も続けながら、80年代からは、さらなる色身を求めて油彩画へと進んでいくのである。それらの作品を、ほぼ年代順に辿っていくことができるので、加納光於の心模様の変遷をみるような思いがした。

時代を追って

1955 エッチング


1965 メタルプリント


1972と1974 立体オブジェと併用技法


1982と2013 油彩


加納光於展のタイトルは、色身・ルウーバ/未だ視ぬ波頭よ2013 



昨晩は中学時代のミニクラス会。明日は高校時代の友人と。今日は、ひとりでゆっくり上野へ。
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