横浜高島屋で開催されている杉山寧展を観てきた。回顧展というので楽しみにしていた。杉山寧というと、ぼくの印象では、池の鯉、飛翔する鶴、そして、すくっと立つ裸体美人だが、もっと変わったものもみたいと思っていた。
いきなり、第1章でその望みが達成された。美校では松岡映丘に師事したが、師からは大和絵にこだわらず、自分の道を進めといわれた。でも、初期の作品には映丘風もみられ楽しかった。
椿と乙女(1931年)
あまちゃん(1934)、正確には”海女”です 後年の裸体美女の萌芽がみられるような。
速水御舟の作風にも魅かれたようだ。一時期の御舟の絵に似ているような。”黒い海”
そして、第二章で抽象画に挑戦。昭和30年代、欧米から激流のように押し寄せた抽象画に真向う対決、とういうか立ち合いの変化か(笑)。4年間つづいた。こういう絵も描いていたのだ。
”相”(1961)
第三章はエジプト。このテーマの作品はこれまでもよくみていた。ここではこんな作品が。紀元前の美を直接みられるエジプトに魅了されたようで、たくさんの作品が。
”悠”
”品”
そして、お待ちかね第4章は人体。しかし、展示は二つの作品だけ。従来にない裸体画を目指した。からだの内側から何かが溢れてくるような充実感のある人体。人馬一体。
”生”
題名、わからない一字(汗)
第5章はカッパドキア。こういう絵も初見。
第6章の東洋で、富士山が。ぐるりと回って、一番きれいにみえる場所で写生したとのこと。杉山寧富士をはじめてみて、ごきげん。
第7章は、自然へのまなざし。鶴、鯉、孔雀とお馴染みの絵でしめくくる。
”薫”
画伯の言葉があちこちに。そのひとつ。私は目の前に存在している現象に惹かれて描くことはない。心に潜在しているイメージを基にして自然の姿を描いている。いってみれば心象の風景である。なるほど、日本画を超えた日本画家。
ちらしの表紙になった絵。画題は”土へんに光”なるほど、題名まで心象風景じゃ。
いろいろな杉山寧をみられてごきげん。よけいなことを考えず、素直に楽しめるステキな展覧会であった。
いきなり、第1章でその望みが達成された。美校では松岡映丘に師事したが、師からは大和絵にこだわらず、自分の道を進めといわれた。でも、初期の作品には映丘風もみられ楽しかった。
椿と乙女(1931年)
あまちゃん(1934)、正確には”海女”です 後年の裸体美女の萌芽がみられるような。
速水御舟の作風にも魅かれたようだ。一時期の御舟の絵に似ているような。”黒い海”
そして、第二章で抽象画に挑戦。昭和30年代、欧米から激流のように押し寄せた抽象画に真向う対決、とういうか立ち合いの変化か(笑)。4年間つづいた。こういう絵も描いていたのだ。
”相”(1961)
第三章はエジプト。このテーマの作品はこれまでもよくみていた。ここではこんな作品が。紀元前の美を直接みられるエジプトに魅了されたようで、たくさんの作品が。
”悠”
”品”
そして、お待ちかね第4章は人体。しかし、展示は二つの作品だけ。従来にない裸体画を目指した。からだの内側から何かが溢れてくるような充実感のある人体。人馬一体。
”生”
題名、わからない一字(汗)
第5章はカッパドキア。こういう絵も初見。
第6章の東洋で、富士山が。ぐるりと回って、一番きれいにみえる場所で写生したとのこと。杉山寧富士をはじめてみて、ごきげん。
第7章は、自然へのまなざし。鶴、鯉、孔雀とお馴染みの絵でしめくくる。
”薫”
画伯の言葉があちこちに。そのひとつ。私は目の前に存在している現象に惹かれて描くことはない。心に潜在しているイメージを基にして自然の姿を描いている。いってみれば心象の風景である。なるほど、日本画を超えた日本画家。
ちらしの表紙になった絵。画題は”土へんに光”なるほど、題名まで心象風景じゃ。
いろいろな杉山寧をみられてごきげん。よけいなことを考えず、素直に楽しめるステキな展覧会であった。