モースといえば大森貝塚。なんと来日3日目、横浜から東京へ向かう列車の窓からみつけたそうだ。この展覧会で知った。ぼくの散歩道、江の島の橋のたもとに”モース記念碑/日本動物学発祥の地”の石碑が建っている。彼はシャミセン貝の専門家で、江の島の海岸に、それが豊富に生息していたので、研究施設をここに建てた。古い漁師小屋を改築したちゃちなものだったらしい。東大動物学の初代教授として、多くの次代を担う生物学者を育てたことでよく知られている科学者だ。
江ノ島のモース記念碑
海洋生物の研究のかたわら、モースは”博物学者の目”で、日本人、日本の文化をもみていたようだ(笑)。当時の人々が日常生活で使用していた品々を大量に蒐集して、米国に持ち帰った。それらは現在もピーボディー・エセックス博物館とボストン美術館に大事に保管されている。それらの中から厳選された320点の品々が140年の時を経てお里帰りし、ぼくらの前に現れてくれたのだからうれしい。
はじめに、第1章、”モースという人”において、科学者としてのモースの”蒐集品”が展示されている。江の島で採集した貝殻と大森貝塚出土品の数々だ。出土品は縄文後期のもので、いずれも重要文化財となっている。
そして、第二章が”日本と日本人/130年前の暮らしを彩る品々”。モースは、本郷キャンパス内の加賀屋敷第5番に住んでいたが、旅行も随分している。何度かに分けて、日光方面、北海道、瀬戸内海(気に入ったらしく2回)、京都などを訪ねた。本郷界隈や旅行先の風物を観察すると共に、写真もたくさん撮り、それらが着色写真として展示されている。
明治時代の生活用品が、いくつかに仕分けされて展示されている。よそおうでは、まず、歯に土がついている、使い古した下駄。からんころんと音を出す履物に惹かれたようだ。ぼくらも子供時代は下駄だったから、そう珍しくはないが、そういうものも結構あって、なつかしい。着物、前掛けや、赤い腰巻まで蒐集していた。女性の簪がいくつも。明治だからお歯黒の道具まで。お歯黒をつけた女性をみて、外国人にはぞっとするものだったと感想を述べている。やなぎ小枝の先端をつぶして房状に裂き歯ブラシにしたものははじめてみた。そして、足袋は手袋みたいだとの感想。丸い眼鏡も。
たべるでは、海苔、鰹節、いなごの佃煮がそのまま保存されているのにはびっくり。台所用品も面白い。しゃくし、皮剥き、すりこ木、まな板、たわしと集め、片手鍋は、何度も鋳鐵の修繕のあとがある。ところてんつき、菓子型、腰弁当なども。
すまい。全体的に簡素だが、清潔で掃除が行き届いていると感じていたようだ。まず、木綿の布に糸を刺した雑巾が登場。花をよく生けていることや、障子の穴を花形の紙でふさいだりするのにも感心したようだ(笑)。だから竹製の花入れや、とんぼ、ばった、きのこの形をした花生けも随分、蒐集したようだ。日本人ほど自然のあらゆる形状を愛する国民はいないと述べているが、こういうデザインをみての感想だろうか。飾り金具、襖引手などにも強い関心を示した。
こどもそしてあそぶ。日本人ほど子供を大切にしている国はない、日本は子供の天国であると絶賛。にこにこしている子供の写真がいっぱい。貝あそび(おはじき)、コマ、すごろく、かるた、そして虫かご。西洋人がカナリヤを飼うように、日本人は虫を飼い、虫の声を楽しむと感心する。
さらに、いのる。縁起熊手、散華、数珠、おみくじ、御幣、お守り袋まで。あきないでは、下駄屋、八百屋、蠟燭屋などさまざまなお店の看板が。なりわいでは、大工道具や花鋏、へら、ハケ、ろくろ、と手当たり次第のコレクション(笑)。博物学者の面目躍如だ。
第3章は”モースを巡る人々”で、日本人の監修を受けながらの、モースの陶器コレクションの一部が展示されている。そして、等身大の生人形が三体、特別展示されている。
人々が正直である国にいることは、実に気持がよい、と語っていたというモースさん。
ありがとうございます。モースさん。
えど博常設館では大奥展。
江ノ島のモース記念碑
海洋生物の研究のかたわら、モースは”博物学者の目”で、日本人、日本の文化をもみていたようだ(笑)。当時の人々が日常生活で使用していた品々を大量に蒐集して、米国に持ち帰った。それらは現在もピーボディー・エセックス博物館とボストン美術館に大事に保管されている。それらの中から厳選された320点の品々が140年の時を経てお里帰りし、ぼくらの前に現れてくれたのだからうれしい。
はじめに、第1章、”モースという人”において、科学者としてのモースの”蒐集品”が展示されている。江の島で採集した貝殻と大森貝塚出土品の数々だ。出土品は縄文後期のもので、いずれも重要文化財となっている。
そして、第二章が”日本と日本人/130年前の暮らしを彩る品々”。モースは、本郷キャンパス内の加賀屋敷第5番に住んでいたが、旅行も随分している。何度かに分けて、日光方面、北海道、瀬戸内海(気に入ったらしく2回)、京都などを訪ねた。本郷界隈や旅行先の風物を観察すると共に、写真もたくさん撮り、それらが着色写真として展示されている。
明治時代の生活用品が、いくつかに仕分けされて展示されている。よそおうでは、まず、歯に土がついている、使い古した下駄。からんころんと音を出す履物に惹かれたようだ。ぼくらも子供時代は下駄だったから、そう珍しくはないが、そういうものも結構あって、なつかしい。着物、前掛けや、赤い腰巻まで蒐集していた。女性の簪がいくつも。明治だからお歯黒の道具まで。お歯黒をつけた女性をみて、外国人にはぞっとするものだったと感想を述べている。やなぎ小枝の先端をつぶして房状に裂き歯ブラシにしたものははじめてみた。そして、足袋は手袋みたいだとの感想。丸い眼鏡も。
たべるでは、海苔、鰹節、いなごの佃煮がそのまま保存されているのにはびっくり。台所用品も面白い。しゃくし、皮剥き、すりこ木、まな板、たわしと集め、片手鍋は、何度も鋳鐵の修繕のあとがある。ところてんつき、菓子型、腰弁当なども。
すまい。全体的に簡素だが、清潔で掃除が行き届いていると感じていたようだ。まず、木綿の布に糸を刺した雑巾が登場。花をよく生けていることや、障子の穴を花形の紙でふさいだりするのにも感心したようだ(笑)。だから竹製の花入れや、とんぼ、ばった、きのこの形をした花生けも随分、蒐集したようだ。日本人ほど自然のあらゆる形状を愛する国民はいないと述べているが、こういうデザインをみての感想だろうか。飾り金具、襖引手などにも強い関心を示した。
こどもそしてあそぶ。日本人ほど子供を大切にしている国はない、日本は子供の天国であると絶賛。にこにこしている子供の写真がいっぱい。貝あそび(おはじき)、コマ、すごろく、かるた、そして虫かご。西洋人がカナリヤを飼うように、日本人は虫を飼い、虫の声を楽しむと感心する。
さらに、いのる。縁起熊手、散華、数珠、おみくじ、御幣、お守り袋まで。あきないでは、下駄屋、八百屋、蠟燭屋などさまざまなお店の看板が。なりわいでは、大工道具や花鋏、へら、ハケ、ろくろ、と手当たり次第のコレクション(笑)。博物学者の面目躍如だ。
第3章は”モースを巡る人々”で、日本人の監修を受けながらの、モースの陶器コレクションの一部が展示されている。そして、等身大の生人形が三体、特別展示されている。
人々が正直である国にいることは、実に気持がよい、と語っていたというモースさん。
ありがとうございます。モースさん。
えど博常設館では大奥展。