気ままに

大船での気ままな生活日誌

海蔵寺 竜胆とホトトギス

2013-10-16 18:38:05 | Weblog
台風一過、午後は扇ヶ谷の海蔵寺まで散歩。お目当ては竜胆とホトトギス。2週間ほど前は、一、二輪ほどの竜胆だったが、今日は何十も。誰もいない境内でゆっくり竜胆見物。









ホトトギスも満開になっていた。


紫苑は朦朧体に。もう老体カナ 2週間前は若々しかったけんど。




紅葉も見頃になりました。


北鎌倉からの散歩道でみかけた、線路沿いのセイタカアワダチソウ。すっかり見頃に。


柿も見頃に。


レッドソックスの上原。緊迫した一戦を制し、見事3セーブ目。ますますいい顔になって、見頃になってきたのう。


おまえも、ますます見頃になってきたのう。


鎌倉市の市章は笹竜胆じゃけん。鎌倉市役所にて。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

興福寺仏頭展 芸大美術館

2013-10-16 11:25:49 | Weblog
十二神将立像が居並ぶ大部屋の向こうに仏頭が鎮座している。この光景を目の当たりにしたとき、はからずも、熱いものが胸に込み上げてきた。事前に仏像たちの物語を知っていたからだろう。以前、東金堂の本尊であられた”仏頭”が十二神将と一堂に会するのは、何と、700年振りということだ。応永18年(1411)の落雷による東金堂火災で、薬師如来は避難できず、仏頭だけが本尊台座内にお隠れになっていたが、昭和12年(1937)に発見されたのだ。

さらに歴史を遡れば、この薬師如来は飛鳥の山田寺のご本尊であった。天武7年(678)に鋳造を開始し、14年(685年)に完成したと記録にある。鎌倉時代の興福寺復興期に山田寺から東金堂に”栄転”されたのだ。そして、あの悲劇が起き、長い歳月が流れたのであった。

仏頭(薬師如来像頭部)。 白鳳仏らしいおおらかなお顔。”白鳳の貴公子”とも呼ばれている。仏頭だけの国宝はこれだけ。金銅仏だったが、その再現がうしろの映像で観ることができる。ますます神々しくなられていた。 


木造十二神将。これも国宝。全国で国宝の十二神将は4組だけ。
みな自分の干支の神将を取り囲み、年がわかって面白かった(爆)。酉の神将は一番のイケメンでいてほしかったが、そうはいかず残念。ついでながら前日の展覧会で泉鏡花が酉年であることを知った。それで兎の置物を蒐集している。自分の干支から数えて七番目のものをもつと、その人のお守りになるそうだ。


別室で、もうひとつの国宝十二神将もおでましだ。3センチの厚さの檜材を使用したレリーフ彫刻の傑作”板彫十二神将像”。ひとつも損なわれず、現在まで残った。正面向きが1面、左向きが6面、右向きが5面で、仏像の台座を囲んでいたようだ。その配置を想像して、展示されている。酉だけではなく、どれも、立体感もあり、とてもすばらしい十二神将像だった。


入場して、迎えてくれるのが、”厨子入り木造弥勒菩薩半跏像”。厨子は別に、うしろにおかれている。六角厨子の両開き扉、天井、どこをみてもうるわしい仏画で飾られている。

木造弥勒菩薩半跏像。 うっとりするお姿


そうそう、調布の深大寺からも白鳳仏が訪ねてきていましたよ。深大寺も、もとは法相宗だったとのこと。三鷹に住んでいた子供時代はよくだるま市に行ったけ。

銅造釈迦如来倚像。


法相曼荼羅図。




すばらしい展覧会だった。興福寺にも、また行きたくなってしもうた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする