気ままに

大船での気ままな生活日誌

三岸好太郎美術館 (ぶらり札幌#5)

2014-08-12 05:33:17 | Weblog

司馬遼太郎が好んだ画家が7人いて、その中に三岸好太郎がいることを4年ほど前に知った。それ以来、是非、彼の生まれ故郷、札幌にある三岸好太郎美術館で、彼の作品を観たいものだと思っていた。一昨年、すぐ近くまで、来ていたのに、入ることができなかった。だから、今度の旅行では是非にと思っていた。ちなみに、七人の画家とは、鴨居玲、須田国太郎、八木一夫、三岸節子、三岸 好太郎、須田剋太、秋野不矩である(ブログ記事にもしています)。

ちょうど、はじめて訪れる者にとっては、恰好の美術展が開催されていた。”チャレンジの人・三岸好太郎/31年の生涯”という回顧展だった。ほぼ、時系列に展示されていて、1章の画壇へのデビューでは、1923~1925の作品が並んでいる。岸田劉生、そしてルソーの影響を受けるが、前者は”檸檬持てる少女”、後者は”ラケットをもつ少年と少女と犬”にその俤をみることができる。ここに、後に夫人となる19歳の三岸節子をモデルとした”赤い肩掛けの婦人像”と、結婚の翌年に描いたという、”少女の像”が観られるのは、うれしい。

檸檬持てる少女

ラケットをもつ少年と少女と犬

2章では、中国旅行と自己の作風の摸索というテーマで、1926~1931の作品が。上海風景や姑娘(くうにゃん)の絵に混じって、大通教会やニコライ堂などが、1章とは異なる画風で描かれている。ここのニコライ堂は、小品だが、もう少し大きめなのが、鎌倉の神奈川近代美術館に所蔵されているとのことだ。気を付けていよう。

そして、3章では道化の誕生となる。1929~1932。この回顧展でも、最も多くの作品が展示されていて、三岸作品の中核をなすもののようだ。笑いを売る道化師の、ふと、みせる寂しげな顔、あるいは不気味な姿といってもいいかも知れないものもある。司馬はおそらく、鴨居玲の雰囲気のある、この時期の作品を好んだのではないか。

道化


4章は、めまぐるしい変貌。1932~1933.乳首という画題の絵が最初に現れるが、どこが乳首というような抽象画。コンポジション、オーケストラの連作も、思い切った抽象画。えっ!これが同じ作家?と思うような大変貌だ。

コンポジション

5章では、またがらりと変わって、蝶と貝殻。1933~1934.もう、晩年となる。そこには穏やかな蝶がいて貝殻がいる。最晩年の作、”リボン”が締めくくる。これからは、線の太い、たくましい絵を描きたいと言って、亡くなったという。31年の短い生涯だった。御舟のように、駆け抜けるような人生だった。

のんびり貝

台風10号の日、雨が止んだので、逗子図書館まで行って、”司馬遼太郎の愛した世界展”の図録(神奈川近代文学館、2000年)をもう一度、みてみた。そこでの、司馬の三岸評を載せて、おわりにしよう。

海外からの美術情報に鋭敏に反応して、日本の近代絵画におけるモダニズムの波を見事に泳ぎ切って、夭折した天才画家。ひとの人生の何倍も生きた。

司馬遼太郎は産経新聞美術記者を経て、歴史小説家になった。同じ歴史小説家、子母澤寛は、三岸好太郎の異父兄であるそうだ。それも、司馬が彼に親しみを覚えた理由のひとつかもしれない。その図録に、子母澤寛と子供をモデルにした絵が載っていた。

兄および彼の長女

三岸美術館は、この緑豊かな公園内にある。美術館はうっかり撮り忘れた(汗)。知事公舎もこの敷地内。北海道近代美術館はこの公園に向かい合っている。徳川美術館展が開催されていた。これも良かった。

 

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