気ままに

大船での気ままな生活日誌

徒然草 第112段 

2007-09-13 11:22:00 | Weblog
昨日は安部総理の突然の辞任発表、びっくりしましたね。徒然草第112段の心境なのでしょうか。

「日暮れ、みち遠し。吾が生(しょう)すでに蹉跎(さだ;つまずいて進まないこと)たり。諸縁を放下すべきときなり。信をも守らじ。礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、物狂いともいへ、うつつなし、情けなしとも思へ。そしるとも苦しまじ。誉むとも聞き入れじ」

現代語訳しますね。「もう日が暮れているのに、道はまだ遠い。なのにつまずいてばかり、前に進まない。今こそ、世間のもろもろの縁を切るときだ。約束も守らない、礼儀も考えまい。この決心の真意の分らない人は、気がおかしくなったのか、ばかじゃないかとか、情けないとかいろいろ言うだろうけれども、そんなことは気にしない。また誉める人がいたとしても、その言葉も耳に入れない」

「清貧の思想」などの著作のある中野孝次さんも、この第112段で永年勤めてきた大学を辞めました。ただ中野さんの場合は、「すでに蹉跎たり」を「もう自分の人生はケリがついた、これだけのものだ」という解釈をして、しがらみが一杯の大学を離れ、自由気ままな文筆活動に入ったのでした。そして、すごいのは、その後、冠婚葬祭などの世間の義理ともきっぱり、おさらばしたそうです。

うらやましい人生ですね。兼好法師のような生活、これは男なら(女でも)きっと誰でも一度は、憧れると思います。でも、家庭をもつと、なかなか決心できませんよね。定年前に会社を辞めたら、妻子が路頭に迷うかもしれないし、それに、ぼんくらが、一人で、庵で住んで、哲学的なことばかり考えていたら、頭がおかしくなってしまうでしょうね(笑)。

あの兼好法師でさえ、のんきに暮らしていたわけではありません。小林秀雄さんの言を借りれば、「兼好は徒然なるままに徒然草を書いたのであって、徒然わぶるままに書いたのではないのだから、書いたところで彼の心が紛れたわけではない。紛れるどころか、眼が冴えかへって、いよいよ物が見えすぎ、物が分りすぎる辛さを、”怪しうこそ物狂ほしけれ”と言ったのである」。並の神経の持ち主では庵のひとり生活は無理ということですね。

ボクも結局、だらだらと定年まで職場に勤めてしまいました。せめて定年後はと、一切職に就かず、元の職場から遠く離れたところに引っ越し、気ままな生活を送っているのでございます。しがらみは大部減りましたが、”世間の義理”まで捨てきることはまだ出来ていません。まだまだ修行が足りませんね(笑)

・・・・・
兼好法師は二度ほど鎌倉を訪れています。現在は横浜市の管轄ですが、金沢文庫のあたりも当時は鎌倉幕府の領内でしたが、そこに住む知り合いを訪ねているのです。そのとき、ボクの散歩道、いたち川沿いを上って行ったようなんです。写真は当時の面影を今も残す、いたち川上流の風景です。


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”おしりかじり虫”は面白い

2007-09-12 07:28:00 | Weblog
NHKみんなの歌の”おしりかじり虫”が大人気だそうですね。先日の、”首都圏ネットワーク”に、この歌の生みの親である、若いご夫婦アーティスト(うるま・でるび)が出演されていました。奥さんがお尻を突き出して、台所仕事をしている姿をみて、発想したらしいです。

「♪かじって、かじって、かじってナンボ、かじってナンボの商売だ♪」と、人間のおしりをかじってまわる、おしりかじり虫。アップした写真のようにとてもカワユイ虫ちゃんです。それに、メロデーも軽快で、タノシイー。8日付オリコンで「おしりかじり虫」が第3位になったそうです。上にいるのは嵐と宇多田のみ、どうしましょと、うるま・でるさんは嬉しい悲鳴。

うるま・でるびさんが育った大阪に比べると、東京はなんだか人と人のつながりがうすいような気がするそうです。それで、「♪都会のおしりは苦かった♪」の歌詞があるのですね。都会の人もみんな、仲良くなって、おいしいおしりになるようにと、おしりかじり虫が言っているんですね。

・・・
ボクもまねして、ふたつのカワユイ虫のキャラクターを作りました。ひとつは「出っ腹かじり虫」です。奥さんがお腹をつきだして台所仕事をしている姿を見て発想しました。この虫ちゃんは別名「メタボ退治虫」とも呼ばれ、大きなおなかにだけ咬みつきます。咬みつくだけではなく、穴をあけ、もぐり込み、ボクがトロのお刺身を食べるときのように、お腹の脂肪をおいしそうに食べ尽くしてくれるのです。「♪メタボのおなかはうまかった♪」のフレーズがおわりに3回繰り返されます。

もうひとつは、「おちちかじり虫」です。この虫ちゃんは、ボインちゃんとナインちゃんを見分けることが出来、前者のチチだけに噛みつきます。女の子たちは今日、何回噛みつかれたかが、自慢の種になります。一方、”ムシもつかない”と悲嘆にくれる女の子もたくさん出ます。「♪ボインのおちちはうまかった、ナインのおちちは振り向かない♪」

でも、ここでこの歌は終わりません。後半があります。メロデーも突如暗転します。「♪じょせいけんりだんたいがボクを退治にやってきた、じょせいさべつはけしからん、シューシュー、シューシュー(スプレーの音)♪」そして、「帰ってきたよっぱらい」のメロデーに繋がります。「♪おらは死んじまっただ、天国へ行っただ、天国よいとこ一度はおいで、酒はうまいし、ねーちゃんはボインだ、わあーわあー♪」で終わります。


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人のわろきことは

2007-09-11 10:05:38 | Weblog
今朝の散歩で、みかけた、お寺さんの門前の掲示板。今月の言葉に、こうありました。「人のわろきことは よくよく見えるなり 我が身のわろきことは おぼえざるものなり 蓮如上人」

確かに。自戒したい言葉です。人の悪口を言う前に、自分はどうなのか、点検する習慣にしたいものですね。でもテレビのワイドショーなどのマスコミの人たちは、いちいち自戒してたら、仕事にならないでしょうね(しし失礼致しました、早速悪口言って、じ、自戒いたします)。

夫婦喧嘩でもそうですね。よく考えると、ワイフの言うことにも一理ある、いや二理か三理か、九里あるかもしれない、九里(栗)四里(より)うまい十三里(さつまいも)かも知れない。今日、マロングラッセか舟和の芋羊羹、買ってきて仲直りしようとっ。甘い関係に戻るかもしれない。

一方、身体の痛みなどのことになると、蓮如上人のお言葉は全く逆になりますね。「我が身のわろきことは よくよく見えるなり 人のわろきことは おぼえざるものなり」です。これも自戒したいですね、体調の悪い人のことも気遣う、心がけをもちたいものです。実は、ボク、今日ちょっと、腰が痛いんです。同情を誘おうと、おおげさに腰をさすってワイフにみせましたら、彼女の言「また歩きすぎでしょ、自業自得よ」と冷たいお言葉でした。

・・・
写真はフラワーセンターでみた唐辛子の実です。色とりどりでとてもきれいです、唐辛子さん自分の美貌を得意げに自慢していました。でも咬んでみると舌がひりひりするくらい辛かったです。唐辛子さんは、どうも、そのことを気づいていないようでした。”我が身のわろきことは おぼえざるものなり”ですね。自戒するように言っておきました。


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アルフォンス・ミュシャ展

2007-09-10 09:34:13 | Weblog
今日はワイフ主導の美術展見学です(笑)。横浜高島屋で開かれている「アルフォンス・ミュシャ展;あこがれのパリと祖国モラヴィア」です。一昨年、ボクの退職記念のつもりの”中欧三か国の旅”のとき、プラハでミュシャ美術館を訪れました。ボクはそれほどでもなかったのですが、ワイフはミュシャのポスター絵をこのとき、大変気に入っていたのでした。

1895年、パリ。人気女優サラ・ベルナールの華麗な姿を描いたポスター「ジスモンダ」が町中の評判になりました。その画家こそ、モラヴィア(現在のチェコ)出身の当時無名のアルフォンス・ミュシャだったのです。このポスター絵から、この展覧会は始まります。

160点が展示されていますが、後半の故国へ帰るまでのパリの作品は、華やかでロマンチックな感じのものが殆どです。一見、同じようにみえますが、よくみると、女性の顔の表情が一枚一枚違っていて、それも、いろいろな感情表現が見事に表わされています。身体の線は結構太い、単純な輪郭線で描かれていますが、女体の美しさがよく表現されていると思いました。そして、背景には、あるときには精密に、あるときにはグラフィックに描かれた植物画が目をひきます。アールヌーボーの代表的作家といわれるだけのことはあります。

どの作品も見応えがありましたが、とくにボクは、4枚の絵がシリーズになっている連作「四季」と「時の流れ」(朝、昼、夕、夜の女性のくつろいだ姿)が気に入りました。画中の人はうっとりするような美人で、つい触ろうとしたくなりました(汗)。ふと、浮世絵の美人画みたいだなとも思いました。もしかして、ジャポニズムの影響も受けているかもしれないと思いました(どうでもいいことだけど)。

ミュシャは1910年、故国のチェコに帰国し、スラブ民族の歴史を描いた「スラブ叙事詩」を発表します。スメタナの「わが祖国」みたいなものですね。ポスターも作りますが、パリ時代のものに較べて、画中の女性は官能的なところは微塵もなく、まじめな目(?)をしたひとばかりでした。

「装飾資料集」のコーナーもありました。植物や人物のデッサン集みたいなもので、ミュシャがこれらの図柄を他のグラフィックデザイナーに使ってもらいたくて発表したものです。デッサンを勉強している人には役立つことが多いと思いました。

おみやげコーナーで、ボクは「時の流れ」の印刷されたクリアーファイルを買いました。家に帰って、ワイフが飾り戸棚の引き出しを開け、私がプラハで買ったミュシャの絵も「時の流れ」だった、と素っ頓狂な声をあげました。意外と(?)気が合うことが分りました。
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大船 ゆめ観音

2007-09-09 09:03:33 | Weblog
近くのお蕎麦屋さんで昼食をとり、駅に向かって歩いていく途中、チンドン屋さんに出会いました。近頃めったにお目にかかりませんので、ついつい注目してしまいました。おどろきました、チンドン屋さんとゆうと、厚化粧の熟年の人と相場が決まっていますが、このメンバーはみんな、若いのです。それに、”主役”の国定忠治風装束の男がなかなかのイケメンですし、3人のお連れの町娘風の女性もみなべっぴんさんなのです。ど、どどうゆうわけだ、ボクの脳は混乱状態に陥りました。実は、あとでその理由が分りました。

結局、ボクは、鎌倉駅方面に行く予定でしたが、このチンドン屋さんの見事な街宣活動に負けて、大船駅西口近くの、山の上にある大船観音の境内で開催されていた「ゆめ観音;アジアフェスティバル in 大船」を観にいくはめになってしまったのでござんす。

でも正解でした。大船観音前のステージで始まっていた、アジア各国の芸能はどれもこれも、レベルの高いもので十分楽しむことが出来ました。ベトナム月琴の、三味線にも似た伸びやかで澄んだ音色は心の中に染みわたってきましたし、カンボジア古典舞踊は、一つひとつの手の動きに意味があり、フラダンスのように優雅でした。そして圧巻は朝鮮女性グループによる民族舞踊のダンス。すばらしかったです、チャンゴとゆう楽器を弾きながら、踊る姿は天女の舞のようでした。それに踊り手がとびきりの美人です、韓ドラの女優さんみたいな人ばかりでした。そして、横浜中華学校交友会による、中国獅子舞。二人がかりで操作する大きな中国獅子のユーモラスな動きにみな感嘆。隣の若い女性たちが何度もカワイイと声に出していました。観客席まで降りてきて、子供たちに噛みつくような仕草をすると、わっーと泣き出し、それが皆の笑いを誘っていました。

前半が終了したところで、チンドンの音楽が聞こえてきました。そして大船の町の中でみかけた、チンドン屋さんが観客の前に現われました。アナウンスがありました。「11時から2時まで大船の町を宣伝活動してきたチンドン屋さんです、彼らは都の西北、早稲田大学の学生さんで、大学公認のサークル”わせだ風街宣伝社(ちんどん)”のメンバーです」。そうだったのか、若いはずです、謎が氷解しました。国定忠治さんからあいさつがありました。ボクらの街宣によってここに来られた方、手を挙げてください。ボクは真っ先に手を挙げました、するとぱらぱら数人の手が。「大部分の方がそうなんですね、暑い中、チンドンをやった甲斐がありました」と言って爆笑を呼んでいました。

まだ、この後、日本の和太鼓、台湾、モンゴル、インド等のお国の芸能が続き、夕方には本番の萬灯供養があるのですが、ボクはここで失礼し、アジア各国の料理、工芸品などの出店を覗いて帰りました。

アジア諸国の、どの芸能もとても懐かしい気持ちにさせるものでした。ボクらと共通的な感性があるのでしょう。こうゆうすばらし伝統芸能は是非後世にのこしていきたいものですね。今回、ベトナムとカンボジア芸能は日本人の方が演じていました、このような文化面での国際協力の仕方っていいですね。それに、チンドン屋さんも我が国の貴重な伝統文化だと思います、早稲田の学生さんに心からのエールを送りたいと思います。



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三日月と明けの明星 そして”昇竜雲”

2007-09-08 10:44:20 | Weblog
今朝5時少し前に目覚め、寝室の窓を開けると、まだ夜明け前の暗い空の中に、くっきり、三日月が名刀正宗のような形と輝きで東の空の一画に鎮座しておりました。そして、な、ななんと、そのすぐ下に、あの明けの明星が輝いています。まるでお月さまの”お付き”のように、ちょうど良い具合に配置されているのです。

こんな風景、生まれてはじめてみたかもしれないと思いました。そういえば、ボクが今まで住んでいた家の寝室の窓は、ほとんど西側だったし、それにそんなに早く目を覚ますこともなかったし、と思いました。ボクはうっとりとその天体ショーにみとれていました。ワイフにも教えましたが、ああそー、むにゃむにゃとまた寝息をたてていました。のんきなものです(どっちがのんきかの声も)。

5時少し前から、今度はベランダの椅子に腰掛け、しばらく眺めていました。むかしボクが愛用していた月星印の運動靴の会社のマークが、三日月と星だった、きっとこうゆう情景をみてそのマークを考えついたのだろうと思いました。三日月と明けの明星、ほんとにお似合いです。でも、もともと親戚みたいなもんですね。月は地球の子供ですし、金星は地球の一つ上の兄貴です。金星からみれば、月は甥か姪みたいなもんです。さっきは月の付け人なんて言ってしまいましたが、ごめんなさいね、明星さん。明星さんといえば、明星中華三昧・涼麺、大好きです、昨日も食べました。むかし明星という婦人雑誌もありましたね。

まだ半分ねぼけたような頭の中で、ボクはこんなことを夢想していました。もう少しで、東の空にお日様が上がってくる、そうすれば、日、月、星、の三役そろい踏みの天体ショーがみられる、と。

でも、まともな頭で考えれば、ありえないことでした。東の空が明るくなってくると、明けの明星はすーと忍者のように消えました。父親のお日様とは気が合わないようです。お月さまもお化粧を落し始め、白い月になってゆきました。とうとう爪みたいに影が薄くなってしまいました。

そしてお日様が山の上に顔を出す頃には、今度はオイラの出番だ、と大きな雲がみえてきました。まるで龍が天に昇るような、粋のいい白い雲でした。”昇竜雲”と、ボクはあだ名をつけました。これも、なかなかのものだと思いました。

昨日の幸福の青い鳥、カワセミ観察に引き続いての、今朝の”三日月、明けの明星、昇竜雲”をみることができた幸運に、今日は朝から、ボクはとてもハッピーな気分なのでありんす。
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カワセミちゃん お久し振りね

2007-09-07 21:01:11 | Weblog
ボクの散歩道のひとつ、いたち川の河畔で久し振りに、本当に久し振りに、”幸福の青い鳥”(ボクが勝手にそう呼んでいる)カワセミを目撃しました。どれくらい久し振りかとゆうと、ボクがこのブログを始めて、1年ちょっとになるのですが、その間、一度もお出ましになられませんでした。

不思議なことに、それ以前の1年間には、5,6度目撃しています。どうしたんだろう、自然環境が悪化して餌がなくなってしまい、引っ越してしまったのだろうか、もしかして、ものすごく恥ずかしがり屋でボクのブログに紹介されのが嫌だったのかもしれない、ボクはいろいろと余計な心配をしていたのでした。

台風が無事通り過ぎ、意外と早く、雨が上がり、午前中に我が家に戻ってきました(母がひとりで住む実家に泊まっていたのです)。そして午後すぐに、散歩に出掛けたとゆうわけです。なんとなく、カワセミに会えそうだと思ったのです(自分でゆうのもなんですが、ボクは勘がいいんですよ)。

ただの勘だけではなく、今回はある有力な情報をもっていたのでありんす。それは、先週、この河畔のベンチで休んでいるときに、隣のお年寄りに聞いた話なんです。ここから3,4キロぐらい歩いた先に、オオゼキ橋(ボクの聞き違いで、オズキ(尾月)橋であった)にカワセミの撮影スポットがあり、毎日10名ぐらいのカメラマンが集まっているのだそうです。ボクは、そのちょっと手前までは行ったことがあるのですが、このプロムナードの終点となる、その遠い橋まではまだ一度も訪れていなっかったのです。

いたち川の上流をのぼって行くと、川幅がだんだん狭くなり、回りの緑も覆い被さってくるようになります。まだ台風余波で時折、強い風が吹いてきて、いろいろな風の音(本当にいろいろの音がある)を聴きながら、ボクは先へ先へと進みました。小さな木の橋を渡ろうとしたとき、甲虫が飛んできて、ボクのTシャツの、メタボのお腹のあたりに止まりました。キボシカミキリのようでした。そっとつまんで離してあげて、橋げたの上にのせてあげました。すると、今度は赤トンボが2匹、シオカラトンボが1匹、ボクの顔をかすめるように飛んでゆきました。そして、目を川面に移すと、そこには、ミズスマシが何匹も気持ちよさそうに、すいすい、す~いと滑っていました。水中には小魚も泳いでいました。生き物がいっぱいだ、生命が溢れている、と思って、ボクははっと気づきました。きっと、このあたりに違いない、カワセミの住処は!

顔を上げると、すぐ向こうに、橋がみえ、その手前の川面を狙っている二人のカメラマンを見つけました。ボクは彼らに近寄り、カメラの先にそっと目を向けました。河畔に立てた枯れ枝のひとつ(自然のではなくカメラマン仲間が止まり木としてわざわざ立てたのこと、それが3本ぐらいある)には、な、な、なんと、あの青い鳥が。

二人のカメラマンは本格的な望遠レンズで撮っています。ボクは簡単なデジカメで、それでも5枚ぐらい続けて撮りました。何て、うつくしいブルーなんだろう、翡翠色だ、そういえば漢字で”翡翠(カワセミ)”だ、フラワーセンターのヒスイカズラもまさに、この色だ、ボクはうっとり眺めていました。

形もカワイイ。、頭でっかちで、くちばしが異様に大きい、ひょうきんものみたいです。美人でわがままそうで、ひょうきんもの。とゆうことは、あのアンパンマンワールドのドキンちゃんとそっくりです。カワセミは鳥類界のドキンちゃんだったのです。人気があるはずですね。

あとから来た子供達が騒いだため、カワセミは翡翠色の羽根を拡げて、ちょっとひょうきんそうな飛び方で、尾月橋の彼方に消えてゆきました。

カワセミのあとを目で追いながら、ボクは本当に今日はついていた、お久しぶりにカワセミちゃんと会えてと、心からハッピーな気持ちになりました。そして、自然と小柳ルミ子さんの”お久しぶりね”を口ずさんでいたのでした。そしてボクは尾月橋をあとにしたのでした。

・・・・・
お久しぶりね
    
作詞作曲:杉本真人   
歌:小柳ルミ子        
 
お久しぶりね あなたに会うなんて
 あれから何年経ったのかしら
  少しは私も 大人になったでしょう
   あなたはいい人 できたでしょうね

お茶だけのつもりが
 時のたつのも忘れさせ
  別れづらくなりそうで
   なんだか こわい

それじゃ さよなら元気でと
 冷たく背中を向けたけど
  今でもほんとは 好きなのと
   つぶやいてみる

もう一度 もう一度 生まれ変わって
 もう一度 もう一度 めぐり逢いたいね

お久しぶりね こんな真夜中に
 あなたから電話をくれるなんて
  おかしいくらい まじめな声で
   私に迫るから 眠気もさめた

もしも今でも一人なら
 映画みたいな恋をして
  愛を育ててみたいねと
   笑ってみせる

それじゃ さよなら これっきりと
 冷たく受話器を置いたけど
  涙がしらずにあふれ出す
   どうかしてるね

もう一度 もう一度 生まれ変わって
 もう一度 もう一度 めぐり逢いたいね

もう一度 もう一度 生まれ変わって
 もう一度 もう一度 めぐり逢いたいね
  



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”福の亀”から聞いたこと

2007-09-06 10:38:48 | Weblog
先月の暑い盛り、目白の椿山荘の脇で大人が3人ぐらい乗れる大きな亀を見つけました。その亀には「福の亀」とゆう名前がついていました。そして、その前の案内板には次のようなことが記されていました。

「この亀の形をした石は、山梨県東山梨群大室の標高1000メートルの山中で見つかったものです。全くの天然のままの甲州御影石です。亀甲の模様は石の軟らかい部分が風化してできたもので、1万年の歳月を経ていると推定されます。長寿と幸せのシンボルとしてご鑑賞ください」

でも、ボクは、これはただの亀に似た石ではない、むかしは本物の亀だった、もしかしたら、死んじまったふりをして生きてる亀じゃないかと思ったのです。ボクはこの亀にフクちゃんとゆうあだ名をつけて、早速、「フクちゃん、あなたは本物の亀さんなんでしょう?」と問いかけました。そしたら、こんな答えが返ってきました。

君の言うとおり、オイラは亀だった、いや、今も亀といえるかもしれない。オイラが1萬年の歳を迎えた、おめでたいお正月に、オイラの頭の中にいた魂が、抜けていったんだ、そして、なんと近くに住む、小百合ちゃん似の美人亀の中に入ってね、浮気な魂なのさ。でも悪いことはできないね、その小百合ちゃん亀、私なんだか二重人格症になったみたい、と言って、亀界の臨床心理学の権威の亀河合先生にみてもらって治療を受けたら、たちまち外に追い出されてしまった、一度外に出たら、元の生き物には戻れないとゆう不文律があるし、オイラの魂はむかしから植物もいいなと言っていたので、どうもうわさによると、屋久島の杉の魂になって落ち着いているらしい。どうも長生きの生き物が好きらしいよ。

オイラがこうしゃべれるのは、抜けた魂のあとにも、そのかけらが残っているせいさ、最小限の機能しかないミニミニ魂だから、普段は死んじまったように眠っているのさ、ただ、君のように話しかけてくれるときだけ、遺伝子が特定の物質で活性化されるみたいに、動きだすのさ、まあそうゆうことは、めったにないけどね。だからオイラは今でも亀だと自負しているのさ。

ついでだから、話すけど、魂はどの生き物も自由に選べる、でも上等な魂は人間になんかにはいかないよ、落ち着きのない、迷ったような魂ばかりが人間を選んでるね、でも、そんな魂も人間とゆう生き物に100年近く住んで、修行すると、まともになるのが結構出てくる、”人間”を卒業した魂は、次ぎのステップはわんこだな、わんこの魂になって、甘えたふりして飼い主の人間の魂を観察するのが、とても面白いらしい。

えっ、亀の魂はどうかって?まあ、上等な方だが、オイラの魂みたいに浮気なヤツもいるからな、でも1萬年も住んでくれたんだから、辛抱強い方だよ、ほめてやりたいね、今日、亀屋萬年堂の亀甲羊羹を屋久島の杉宛に送っておくよ。






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芸術の秋ですね

2007-09-05 09:57:28 | Weblog
上野で院展、六本木で二科展が始まりました。そして、ボクの家の近くの鎌倉芸術館でも、地元の愛好家グループの美術展覧会が毎日のように開かれています。芸術の秋、いよいよ開幕です。

先日、その芸術館で、湘南地区の仏像彫刻愛好家グループの「心の仏像展」を観てきました。すばらしい出来映えのばかりでした。中には、本物の仏像さんに遜色のないものもあり、うっとりしてしまいました。

モデルはボクでも知っている、人気者の仏像さんが多かったです。 弥勒菩薩半伽像、不道明王坐像、千手観音立像、日光、月光菩薩像等々。棟方志功もモデルとした、釈迦十大弟子もありましたよ、ずらりと並んだ姿は壮観でした。色っぽい仏像さんも2,3ありました。弁財天様だったと思います、顔は厳かですが、首から下は衣無しの豊満な女体です、でも大事なところは琵琶で隠していました(笑)。芸能の神様なので楽器をもっているのですね。

別の意味で色っぽい仏像さんもみつけました。少し色づけしてあり、本物らしく、威厳も増していました。アップした写真がそれで、不動明立像と八大童子です。不動明さんみたいな恐いお顔の仏像さんは身が引き締まるようでありがたいですが、穏和なお顔やあどけないお顔の仏像さんが、親近感がもててボクは好きです。

その日は展覧会初日でしたので、このグループの方がたくさん来られていました。皆さん、みないい顔をされているのには驚きました。やっぱり仏像を彫っていく行為そのもが、自然と精神修養となって、それがお顔に出てくるのでしょうか。

ついついお顔を彫りすぎて後悔することが多いです、少し前のが最高だったとゆうことがよくあります、後戻りできませんものね、しばらく置いておくと、何も手を加えないのに仏さまのお顔が変わってくることがあります、そんな会話を耳にしました。芸術一般に通じる言葉でしょうか、いや科学研究にだって、もっと広く、人生一般にだって通じることかもしれませね。

今日は台風の影響で雨模様です。遠出はやめ、鎌倉芸術館で開かれている水彩画展でも、これから観てこようかなと思っています。









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明月院 女ひとり

2007-09-04 10:00:38 | Weblog
9月に入り、すっかり暑さも和らぎました。今日(3日)も散歩日和の日でした。北鎌倉駅を降り、東慶寺、円覚寺の境内を散策したあと、明月院に向いました。

総門に向かう”明月院通り”はボクの好きな道のひとつです。横に小川が流れていて、京都大原の三千院に向かう道に雰囲気が似ています。紫陽花の時期をはずすと、一層、その良さが分ります。

総門を入ると、緑一色。無数の紫陽花が今は緑の葉だけを繁らせています。1,2本、紫陽花の花が咲いています。近づいてみると、今頃、咲き始める、つぼみが玉のようにまん丸の、玉紫陽花でした。ここのはほとんどが姫紫陽花ですが、いくつか他の品種もあります。

山門までの、歴史を感じさせる、へこんだ石段も今は、ひと一人いません。山門をくぐり、方丈前の石庭を眺めます。ちょうど午後の日射しが木々や岩の影を白砂の上に落とし、何ともいえない優雅な影模様をつくっていました。きっと、こうゆうのも計算に入れて庭をつくっているのだろう、と思いました。

方丈の方を振り向くと、大部屋の戸が大きく開いていて、その向こうに大きな丸い窓がみえ、裏庭の緑をその額縁の中に納めていました。裏庭の花菖蒲が咲く頃は、何ともいえないうつくしさです。

誰もいないな、と目をずっと左の方に向けていくと、方丈の縁台の片隅に人影がありました。なななんと、うら若い女性がひとりで石庭をながめています。ときどき、深いため息をついています。これは、絵になる。ボクはすぐ、あの名曲 ”女ひとり”を思い出しました。♪京都 大原 三千院 恋に疲れた女がひとり 結城に潮瀬の素描の帯が 池の水面に揺れていた 京都 大原 三千院 恋に疲れた女がひとり♪ そうだ、この歌そっくりの情景だ、彼女は”恋に疲れた女”に違いない、とボクは確信しました。

そして、早速、”女ひとり パートII"を作詞しました。作曲は同じです。♪鎌倉 山之内 明月院 恋に疲れた女がひとり・・・♪ もし和装でしたら、”大島紬につづれの帯が”と続けたかったのですが、残念です。

ついでに、”男ひとり”を作詞してみました。♪鎌倉 山之内 明月院 夏に疲れた男がひとり うなぎに餃子の素描のシャツが 池の水面に揺れていた 鎌倉 山之内 明月院 夏に疲れた男がひとり♪ 

”女ひとり”の情景を写真に撮りたいなと思い、裏の方に回り、こっそりパチリ。画面をみると、明月院の緑の中に女の人は埋まっていました。すっかり画中のひとになっていました。”画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保って(漱石、草枕)”いました。
  
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