気ままに

大船での気ままな生活日誌

平家物語の帰り道

2009-10-16 18:39:33 | Weblog


女子大の生涯学習センターの秋季講座が始まった。ぼくは火曜日の芭蕉と、金曜日の平家物語を受講している。どちらも、3年間ほど続けている。火曜日は家の近くのキャンパスだが、金曜日は、二階堂校舎で、結構、距離があるが、鎌倉駅からいつも歩く。

前面の大きな窓に緑があふれる、すばらしい教室である。”緑陰講座”といった風情である。受講者は、当然ながら、年配の方が多いが、みなさん、居眠りもせず(ぼくはときどき;汗)、熱心に聴いておられる。先生は、半分おだてて、鎌倉の人はレベルが高いから、大学院レベルの講義をしてるんですよ、といつも言う。でも、ボクの友人の大学教授は、最近の大学院生は、博士課程が、われわれの時代の修士程度、修士課程は、学部生程度の実力だと聴いているから、別に驚くことはない(笑)。

平家物語を読むだけではなく、吾妻鏡とか玉葉の歴史書や、謡曲なども取り入れてくれ、素人のぼくには、とてもうれしい講義である。この日から巻十一に入り、”義経と源氏軍の内訌”というテーマで、義経が後白河法皇に平家追討の意志を奏上し、西国に向かうところである。次回は屋島、次々回は、壇ノ浦と、いよいよ佳境に入る。

帰り道のそぞろ歩きも楽しい。頼朝の墓所の横を通り、幕府(大倉)のあった場所の辺りを抜けて、八幡宮に入る。八幡宮の源平池で一休み。平家を滅ぼそうとした頃、1182年に政子が大庭景義(茅ヶ崎辺りを本拠にする武将)につくらせた池である。面白いのは、太鼓橋を境に、近代美術館前の西側の池を平家池として、平家が滅ぶように四つ(死)の島をつくり、東側には三(産)つの池をつくり、源氏池と称し、源氏の繁栄を願ったという。

四つの島がみえる平家池畔。白い建物は美術館。

三つの島がみえる源氏池畔。

源氏池のひとつの島に旗上げ弁財天社がある。平家追討のために旗上げしたときに弁財天に励まされたことにより、建立した。






こんなふうに、平家物語ゆかりの場所を、ぶらぶら歩いて帰れるのは、とてもうれしいことだ。
。。。

段蔓の通りの、ハトサブレの本店の前のつつじが、また(去年も)狂い咲きをしていた。それにしても、ハトサブレのハト文様、なかなかいいな。
源氏の都だけあって、つつじもハトも、白になっているのだろうか。実際、源平池には白鳩も多い。





今日はこれから、新根津美術館に行こうと思っている。
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大乱歩展 in 横浜

2009-10-16 10:36:47 | Weblog


昨晩、久しぶりに、高校時代の友人と川崎で飲んだ。話しの中で、友人は自分が一番、本を読んだ時期が三度あり、最初は少年時代の乱歩の”怪人二十面相”シリーズであり、二度目は三十代で横溝正史シリーズ、そして今(五木寛之)だそうだ。

そうかい、俺は昨日、横浜で乱歩展に行ってきたばかりだよ、それに、乱歩は後輩の横溝正史を引き立てていたそうだよ、と受けた。もちろん、ぼくらの世代は、明智小五郎、小林少年、そして怪人二十面相を知ない人はいないだろう、それほどの人気だった。たしか、月刊誌、少年倶楽部に連載されていたはずだったし、少年向けの単行本シリーズもあったはずだ。ぼくももちろん読んだ。

その時代、ぼくは、山川惣治の”少年ケニア”の大フアンでもあって、いつか弥生美術館で山川惣治展を観にいって、なつかしの単行本シリーズを目の当たりにして、懐かしさで胸がいっぱいになってしまったものだ。だから、今度の、乱歩展でも、当時の単行本シリーズや少年倶楽部の展示を期待していた。

しかし、残念ながらというか、その関連の本の展示はなく、少年ケニアのときのような、なつかしさを感じることがなかった。でも、今まで、わずかにしか知らなかった彼の世界を一覧することができ、まさに、展覧会タイトルのように、乱歩は、”大乱歩”であることがわかった。

少年探偵団は、乱歩の最終期の作品であり、”二銭銅貨”で作家デビューしてから以降、陰獣、吸血鬼、盲獣、幽霊塔とか、題名からも推察できるような、怪奇的な推理小説を主として書いていたのだ。盲獣の挿絵を担当した、竹中英太郎の作品も展示されていたが、不気味な絵だった。

一方、学者的な面もあり、江戸時代の本を含め2万冊の蔵書があり、男色文献、残虐文献、怪異怪談、裁判物、手妻本(手品本のこと)などを分類蒐集し、西鶴本もほとんどもっていたという。浮世絵も蒐集していて、気の弱い人なら、目をそむけたくなるような(笑)、最後の浮世絵師ともいわれる、月岡芳年の”無残絵”も展示されていた。

♪ぼぼぼくらは少年探偵団、勇気りんりんるりの色♪とは、対極の乱歩が大部分だったのである。一方、推理小説の巨人として、前述の横溝正史を励ましたり、昭和30年には乱歩賞を創設し、推理小説家の育成に力をそそいだ。受賞者に、西村京太郎、森村誠一、井沢元彦、東野圭吾、桐野夏生、などそうそうたる作家が名を連ねている。山崎洋子の名もあった。彼女は、横浜にお住まいで、横浜の遊郭を舞台にした”花園の迷宮”が受賞作である。先日、参加した”横浜歩き”の講師になり、遊郭を含む、開港以来の、横浜の歴史の話しをされたのだ。”花園の迷宮”は、先日読み終えたばかりである。

乱歩の古希のお祝いに贈ったという、棟方志功の大きな絵が飾ってあった。おっぱいを出した(汗)女人の大作だった。とてもいい絵だった。実は乱歩は、荷風先生みたいに、おおらかなところもあり、おっぱいを出した、日劇ミュージックホール(もうだいぶ前に閉鎖されいるが)の踊り子さんたちと一緒に撮った写真も近くに飾られていた。ミュージックホールの脚本も書かれたこともあるという。きっと、志功のこの絵を部屋に飾り、いつも、にこにこながめていたことだろう。

この展覧会をみて、乱歩は、たしかに”大乱歩”だと思った。
。。。

帰りみち、外人墓地の横の、アメリカ公園へ下る坂道で、タモリと女性アナが話しながら、こちらに昇ってくるの撮影しているクルーに出合った。何か、面白いことを話していたらしく、回りの人を笑わせていた。彼は、ぼくと同じサユリストでもあり、好感をもっている。最近では、赤塚不二夫との交友関係の美談を知り、ますます好きになった。帰宅してワイフに、その話をしたら、NHKの”ぶらタモリ”の撮影じゃないのと言っていた。もしかしたら、ぼくも、ちらりと映っているのではないか、今度、観てみようと思っている(笑)。



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明けの明星と三日月

2009-10-15 10:51:47 | Weblog


秋が深まり、夜明けが遅くなると、夜明け前の東の空を観るのが楽しみです。明けの明星、金星がお姿をおみせくださるからです。今朝も5時前に眼がさめると、明けの明星がこうこうと輝いていました。そして、少し、南に、もう爪のようになってしまった、三日月がこれまた、こうこうと。さらに、右に眼を移すと、冬の夜空の女王、オリオン座が、そして、冬の大三角も。すばらしい光景です。ぼくらが、どんなに小さな小さな存在かが再認識できる瞬間です。

ぜひ観てくださいね。4時ではまだ金星は現れませんし、5時半を過ぎると、明るくなって星が消えてしまいます。5時ちょっと前がいいですね。遅寝遅起の人はあきらめてください。そうゆう人のために、ねぼすけでもみえる三日月を紹介しておきますね。

6時半から始まる、NHKのテレビ体操の先生のユニフォーム。三日月が4つみられます。ぼくは最近、この体操を終えてから、朝散歩に出るのです。ワイフの出席率は4割ぐらいです。今日もぐーすかでした(爆)。


朝散歩に出ると、今朝の三日月にそっくりなアパートの玄関前の照明灯。 旗本退屈男に門番させているのでしょうか。この額の三日月が目がはいらんか。

むむ、青木神社の石灯篭にも。お月さまは神様ナノダ。

そうかと思うと、普通のお宅のブロック塀にも。お月さまは博愛主義者ナノダ。

ネコジャラシにも。

お茶の花にも。(白状すると、やらせナノダ。並べて撮ったノダ)


早起きは3文の得ナノダ。
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セイタカアワダチソウの朝

2009-10-14 10:49:33 | Weblog
秋が深まるにつれ、朝日の昇る位置がだいぶ南に移ってきました。そのうち、山からではなく、隣りのマンションから昇るようになるでしょう。風情がなくなります。 風致保存法で、マンションを取り壊してほしいです。今、やっている鎌倉市長戦でこれを公約にしてくれる人に投票します。(隣りのマンションの住民の気持ち)



朝散歩の、近くの丘の公園。セイタカアワダチソウが見頃を迎えていました。

鮮やかな黄色。花粉がいっぱいありそうで、今でも、花粉症の原因と思っている人がいますが、とんでもない濡れ衣ですよ。ブタクサが真ハンニンどす。

ただ、北アメリカからの帰化植物で、繁殖力が強く、日本在来の、すすき等の植物を駆逐し、あまり好かれてはいません。でも、最近、力が弱ってきたようで、すすきもだいぶ復活してきました。”栄枯盛衰、世のならい”は、植物の世界でも通用するのですね。小選挙区制にすれば、一気にすすきの天下になって、成田空港をすすき野原の名所にすることも夢ではありませんね。そうなれば、森田健作知事が”さらば涙と言おう”と辞職するでしょう。うふふのふ。(知事さんと千葉県民の気持ち)

日米攻防。沖縄からセイタカアワダチソウを追い出せば、ハトすすきもノーベル平和賞をもらえるでしょう。

生臭い、生き物とちがって、公園からみえる、資生堂の椿の花は”無私(or無視)の精神”だった。


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ジャズフェスティバル in ヨコハマ

2009-10-13 16:52:26 | Weblog


三連休の真ん中の日、ジャズ一色の横浜を歩きました。毎年開催される、JAZZ PROMENADEですが、ぼくらは初めての参加。5000円の券を買えば、何十とある、ホール、ジャズクラブに出入り自由、一流のミュージュシャンの演奏や歌を聞くことができます。秋吉敏子、ベビー葉山とかのベテランから若手の有望株まで、勢ぞろい、また、前田憲男とNANKAWAが浜っ子、美空ひばりの曲を演奏するとか、すごいのです。全部、回ってきました。うそどす

ぼくらの世代は、ジャズはよく知らなくても、親しみがあります。ぼくら夫婦もその程度のジャズフアンですから(歌謡曲やポップスは好きですが)、5000円は払わずに(汗)、あちこちでやっている無料の街角ライブを楽しんできました。アマチュアジャズバンド(本職かもしれませんが)や会社の軽音楽サークルや、学生バンドやらの演奏です。

なかなか、聞かせてくれましたよ。とくに、帰り際に立ち寄った、桜木町駅前の、クロスゲート会場のバンドの演奏はとても良くて、三つのグループの演奏を、1時間以上(一チーム30分)も立ち止まって聞いていました。なんていうグループか忘れてしまいましたが、ぼくらクラスの世代のバンドで、ベッサメムーチョとか、君去りし夜(たぶん)とか、ジャズアレンジした、ひばりさんの津軽追分なんか、とてもよかったです。それに三番目のグループのボーカルの女性も美人で(汗)、きれいな歌声で、ここちよく聞けました。ラストソングの路上生活者の目から、街を歩いている人を眺めながら、お金だけが幸せじゃないよ、と歌う、”ストリートライフ”(だったと思う)の歌唱も印象に残りました。




あちらこちらでの、演奏。馬車道通りの関内ホール前。

ワールドポーター前。日○本社軽音楽同好会の演奏。

日本丸の前。高校生の吹奏楽。

等々。

お昼は、赤れんが倉庫のビール祭りでと、計画していましたが、このように超満員。入場制限。


とほほ。ワイフがいつかボランティアガイドさんがJICA(国際協力事業団)のレストランが穴場ですよ、と言っていたよ、とのことで、そこに入りました。確かに、空いてるし、安いし、味もまあまあだし、景観もいいし、なかなか良かったです。資料館で、モルフォ蝶の標本もみることができたし、確かに穴場でした。もちろんビールも呑みましたよ。




野毛町1丁目にあったジャズ喫茶”ちぐさ”に秋吉敏子やなべさだが通ったとか、ハナ肇らが仕掛けた、昭和29年7月27日の深夜ジャズクラブ”モガンボ”での伝説的なジャムセッション(即興的演奏)が行われたことは以前、記事にしました。横浜はジャズの街、そんなことを知って、今年、初めて出かけてみたのです。来年は5000円券で、本格的なジャズを聴くぞう。木久蔵ラーメン、食べたたことないけど、おいしいんですか。

ついでながら、東横線の元桜木町駅の改札口でも、W大とか横国のジャズ演奏がありましたが、元切符売り場前の芸術作品にも、ついみとれてしまいました。
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松井ヤンキース リーグ優勝決定戦へ

2009-10-12 19:08:26 | Weblog


今日、午前中はヤンキース対ツインズのテレビ観戦。ヤンキースが、見事3連勝で、地区シリーズを制し、アメリカンリーグ優勝決定戦に駒を進めました。決勝戦は松坂レッドソックスと対戦してほしかったですが、お得意さん相手に、松坂の出る幕もなく、よもやの3連敗。エンゼルスと対決することになりました。

今年こそ、松井秀樹にワールドチャンピオンになってほしいと強く、思います。だって、松坂、井口、田口らは入団した年にいきなりワールドシリーズに出場し、チャンピオンになっているのに、松井秀樹だけは(イチローもそうだけど)、あの名門ヤンキースに所属していながら、一度もワールドチャンピオンになっていません。それどころか、ここ数年はリーグ優勝にも見放なされてしまっています。本当に不運で、気の毒です。

でも、今年は、やってくれそうです。この地区リーグ、第一戦の勝利を決定づけたのは松井のツーランホームランでした。これがきっかけで、3連勝したといっても過言ではないでしょう(過言かな)。第2,3戦はちょっとでしたもんね。

第一戦のホームラン。




さあ、次はエンゼルス戦。松井、ホームラン量産で、ヤンキース4連勝。そして、ワールドシリーズは、黒田がそろそろ出てくる、ドジャースとの対戦になると面白いですね。ドジャースの監督は、前ヤンキース監督だったジョー・トーリ。因縁の対決で、沸くでしょうね。

そして、ワールドシリーズでは、3勝3敗。第7戦9回裏、5番松井がサヨナラ逆転満塁本塁打で、ヤンキースタジアムと日本中を熱狂の渦に。シリーズMVPを獲得。・・・となることを祈っています。

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築地市場のお祭り

2009-10-11 10:36:00 | Weblog
都バスで銀座方面に向かっているとき、築地のあたりがずいぶん賑わっているのに気付き、近くのバス停で降りた。築地市場で”魚の日祭り”をやっていたのだ。内田百聞センセイの阿房(あほう)列車でなくても、無目的の阿房バスも、結構、たのしい出来事に遭遇するのだ(汗)。

築地には何度か、寿司を食べに行ったことがあるが、あまりじっくり市場内を観察したことはなかった。今回、すべて解放されていた、場内、場外市場、隈なく回ることができたので、ご報告したい。

すごい賑わいであった。大船仲通り商店街やアメ横のような人出であった。まず、場外市場に入ったが、ここがまた、横浜の中華街のようで、中山路とか香港路のような小路がいくつもあって、そこに小さな鮨屋さんやら定食屋さんやら、魚屋さんなどが密集しているのだ。ぼく好みの、商店街なのだ。

こんなふうに。

午後2時半頃だというのに、行列の鮨屋があったので、後学のために撮っておいた。今回は昼飯をとったあとだったので、後述する、百円の卵焼きの串さししか食べなかった。




有名な卵焼き屋さんもみつけた。繁盛していた。

この方のご実家である。

ぼくは向かいの卵焼き屋さんで百円の卵焼きを買った。ぼくは卵焼きの味の良しあしはわからない。普通においしかった。百聞センセイが飼っていたノラ(猫)は卵焼きが大好物だったらしい。食べさせてあげたかった。


場内飲食街では、意外にも吉野家とか洋食屋さんなどが(鮨屋さんもあったが)主流であった。これは魚商売している、むしろ魚はもうたくさんという人のためなのだろうと推測した。ちなみに、ここは吉野家の”発祥地”らしい。まぐろ丼でなくて、牛丼というのが面白い。

場内市場の中で、いろいろ、催しものがあった。魚好きな、ぼくは、いろいろ試食をしながら見物した。今月、能登の方にも遊びに行く予定なので、七尾の魚をみたり

和歌山ではタチウオが日本一なんだとか

京都の祇園祭のとき食べた、ハモの正体をみたり

とても満足した午後だった。築地市場移転反対と、心の中で叫んだら、場外市場は残るらしい。少し安心した。

”おれの歯の黒いうちは移転させない”と築地鎮座”波徐稲荷神社”の、お歯黒獅子が言っていましたので、きっと移転できないでしょう。この日、この神社は御初穂祭でした。

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秋明菊の瑞泉寺にて

2009-10-10 08:27:08 | Weblog
秋明菊が、あちらこちらで見ごろになってきましたので、瑞泉寺を訪ねてきました。鎌倉のお寺ではここのが一番好きで、毎年、観にゆきます。やっぱり、咲きそろっていました。今の時期ですと、花は、ほぼこれだけですので、かえって目だっていいです。


瑞泉寺といえば、梅ですが、梅の枯れ枝に白い秋明菊がからんで、まるで梅の花のようです。”秋明梅”ですね(笑)

白花が主体ですが、うすいピンクのもちらほら。

そして、華やかな、濃いピンクの八重の秋明菊も。


梅林の片隅のベンチに腰をおろし、ふと横をみると猫ちゃんが。ノラかなと思ったら、”迷い猫札”をつけていました。手招きするとニャーとあいさつして、寄ってきて、ボクの膝の上に座り、首をぼくの膝に乗せてくつろいでいました。よくみると、迷子札には、○○タミとだけ書いてありましたが、住所は書いてありませんでした。これでは迷子になっても、連絡先がわかりませんね(笑)。きっと、ご近所の猫ちゃんなのでしょう。内田百聞さんのノラも迷子札をつけておけばよかったですね。ぼくもいつか、迷子札をつけるようになるのかな(汗)。


山門前の方代さんの歌碑の前。字が読めなくなってきました。ぼくはこの和歌が好きです。

手の平に豆腐をのせていそいそといつもの角を曲がりてかえる



”瑞泉寺の和尚がくれし小遣をたしかめおれば雪が降り来る”の歌のように大下豊道和尚と親しくしておりました。方代さんがこのお寺に親近感をもつひとつの理由は、開山された夢窓国師が幼少年時代を、自分の故郷、山梨県、右左口村のお寺ですごしたこともあるのではないかと思います。方代さんが昭和60年に、70才で亡くなられたあとも、毎年夏に、瑞泉寺で方代忌が営まれています。

母の名は山崎けさのと申します日の暮方の今日のおもいよ     

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

こんなにも湯飲茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり

こんなところに釘が一本打たれいていじればほとりと落ちてしもうた

広告のちらしの裏に書きためし涙の歌よわが泪なり



帰り道、みたすすき野原。秋が深まりました。
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台風一過のフラワーセンター

2009-10-09 10:49:15 | Weblog
台風一過、今朝は久しぶりに富士山もみえました。鎌倉地方も昨日の午前中まで強風が吹きつづけていましたが、昼過ぎにおさまってきましたので、午後3時頃、フラワーセンターに出かけてきました。あのこ達は大丈夫だっただろうかと思ったからです。

すっかり、雲ひとつない秋晴れになっていました。大船観音さまも機嫌よくしていました。

観音さまが見下ろす、柏尾川。いつもと違う、濁流に。護岸工事がおこなわれる前は、いつも氾濫していたそうです。水害の町、大船、として有名だったらしいです。この川の支流が、ぼくの散歩道の、砂押川やいたち川です。

フラワーセンターに入ると、門の近くのひまわりが、こんなふうに。でもこの程度なら、すぐ元気になるでしょう。昼寝しているだけかもしれません。

ぼくが心配していたのは、木の実です。まだ成熟していないのに、この強風で落ちてしまったのではと思ったのです。やっぱりでした。かくれんぼちゃん(かんれんぼく)は悲惨な状態でした。まだ青い金平糖型の実が山のように、落ちていました。

さんしゅの実も。ぐみの実みたいな、おいしそうな実でしたので、ご供養に一口だけ食べてあげました。

銀杏(ぎんなん)も。でも、これはもう落ちてもいいかというものが多かったですね。踏まないように気をつけて歩きました。においがちょっとね。

まつぼっくりの親戚みたいのが沢山、落ちていました。”こうようざん”という名前の木だそうです。スギ科だそうだけど、実はマツ科みたいですね。


むざんやな 嵐のあとの 木の実かな (汗)
。。。

でも、”雨にも負けず、風にも負けず”、の強い実もありましたよ。
先日、紹介した、”ふくわばもくげんじ”です。紙風船のような実なのに、強いですね。人はみかけによりませんね。ひょうひょうとして、一見弱そうな人が、本当は一番強いのかもしれませんね。

そういえば、”ぶらりひょうたん”もひょうひょうとして、ひとつも落下していませんでした。きっと嵐がきてもしてたんでしょう。

身体をくねくねさせ、曲がったことが大好きな、ひねまるこちゃん(しだれえんじゅ、ぼくがつけたあだ名)も、枝ひとつ落としていませんでした。嵐なんか屁とも思っていません。そういえば、憎まれっ子世にはばかるという、ことわざがありましたね。 
かわいい雀が二匹、ひねまるこちゃんの頭に乗って、高見の見物をしていました。


そうそう、秋バラもだいぶ咲き始めていました。バラも意外と嵐に負けませんね。綺麗な花には棘がある、のたとえ通り、嵐も怖くて、避けて通ったんでしょう。

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皇室の名宝/日本美の華

2009-10-08 14:30:53 | Weblog


この6日から、東博で”皇室の名宝展”が始まった。その初日の午後、出掛けた。小雨模様で、平日であったこともあり、思いのほか空いていて、ゆっくりと”名宝”を観賞することができた。さすが、皇室の所蔵品だけあって、すばらしい作品ばかりで、大満足だった。

とりわけ、”動植綵絵”三十幅が勢ぞろいした、”伊藤若冲の部屋”には、その豪華絢爛たる様に圧倒され、どぎもをぬかれた。ぼくはもともと生き物が好きだし、その生き物たちを細密に描く若冲には、はじめから好感をもっていた。ただ、少しこってりした感じが、ちょっと自分の好みには合わないような気がしていた。しかし、何度か彼の作品を観ているうちに、好感度が増してきていて、今回さらに、その度数が上がったようだ。

三十幅の中には、それこそ様々な動植物が登場する。とくに、ぼくの干支でもある鶏を中心とした鳥類が多いが、樹木、草花、魚や蛸まで顔を出してくれる。どの動物の眼差しもやさしく、どの花々も笑みを浮かべている。若仲が動植物を心から愛していたことがよくわかる。実際、自分の家に鶏を何十羽も飼っていたそうだ。それに、裏彩色という技法を随所に使ったり、西洋からきた濃青色のプルシアンブルーをはじめて使用するなど、技術的な工夫にも怠りなかったらしい。それも、人生50年の時代に、40歳で家督をゆずってから(定年退職してから)、絵画を始めたゆうのだからすごいことだ。


永徳の”唐獅子図屏風”の唐獅子は迫力があった。一方、となりの左隻、狩野常信の唐獅子はやさしそうで女形の唐獅子のようだった(笑)。常信は永徳の曽孫になるらしい。きっと、やさしい性格だったのだろう。下図は恐い方の唐獅子。刺青するなら、こちらの方かな(笑)。


明治に入って、帝室技芸員という制度ができ、これに選ばれることは大変名誉なことであった。大観もそうだし、松園もそうだった。おふたりの作品も展示されていた。大観の朝陽霊峰。これは左隻だが、右隻は対照的な、静かな深山のような景色であった。


そして、松園の”雪月花”。雪は枕草子、月は源氏物語、そして花は伊勢物語にもとずく王朝風俗をあらわしたものである。

その隣りに、清方の”讃春”。左隻は清洲橋を背景にした隅田川の水上生活者の母娘(だったと思う)、右隻は皇居前広場でくつろぐ制服姿の女学生。貧富にかかわらず平等に訪れる春のやすらぎ。清方らしい作品で、印象に残った。

どれもこれも良かったので全部は紹介できない。北斎の西瓜図、円山応挙の牡丹孔雀図も、70歳からやまと絵に転向したという、海北友松の浜松図屏風だって良かった。工芸品も、七宝の花瓶などうつくしいものが多かった。

ひとつのガラスの花瓶に目がとまった。菊桐鳳凰文ガラス花瓶(大連窯業株式会社製)だ。日本近代ガラス製品史上に残る名品だそうである。そしてこの図案は各務鑛三(かがみこうぞう)によるものだという。ガラスに詳しくないボクだが、各務の名でピンときた。あの、カガミクリスタルの創始者ではないかと。宮内庁や大使館関係に、高級ガラス製品を納めるクリスタルガラスの会社なのだ。何故知っているかというと、その工場が茨城県のつくばの里工業団地にあって、年に何回か、安売りする日があり、そこで、江戸切子のぐい呑みや花瓶を買ったことがあるからだ(茨城県民の時代にだけど)。

というわけで、その晩はブルーのカガミクリスタル製江戸切子で、晩酌をやったのだった(汗)。一方、この花瓶は重いからいや、と言ってワイフはお蔵入りにしている。もったいないことだ。我が家の”名宝”(汗)も、たまには公開してほしいものだ。

”皇室の名宝展”の第二期は”正倉院宝物と書・絵巻の名品”で11月12日から始まる。これも是非行きたい。その前に、奈良の正倉院展に行く予定にしている。

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