気ままに

大船での気ままな生活日誌

仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護

2011-01-19 09:39:55 | Weblog

トーハクで表記の展覧会が始まった。平山画伯と同じ鎌倉市民としては、一般公開初日にいかねばならぬ、と”いざ上野”と馳せ参じた。2009年12月に他界されたので、ちょうど1年目に東京国立博物館の特別展が開かれたことになる。画壇の”大銀杏”的存在だったから当然のことといえるだろう。

平山さんは38歳のとき始めてシルクロードを訪ね、生涯150回も訪ね、4000点もの素描を残している。そのとき、この地域の貴重な文化財が破損している実態を目の当たりにして、その保護に力を尽さねばと決意した。2001年のアフガンのターリバン政権によるバーミヤン大仏の破壊にはひどく心を痛め、その後の国際会議で、大仏の復元の提案がされたとき、平山さんは断固反対した。その理由は、21世紀初頭におこった、あってはならない文化財破壊のシンボルとして、皆が決して忘れないように、そのまま保存しておくべきだといいうことだった(破壊前の大仏の素描が今回、展示されている)。

破壊だけではなく、盗掘など流出する文化財を”難民”としてとらえ、一時的に保存、修復し、平和が戻ったとき、その国に返還するという、お考えをもっていて、貴重な仏像等の蒐集を行った。

これら、多くの文化財(多くは清里の平山郁夫シルクロード美術館所蔵と流出文化財保護日本委員会保管)が、インド、パキスタン(ガンダーラ)アフガニスタン(バーミヤン)、中国(西域、敦煌、西安)、カンボジア(アンコールワット)という流れで、展示されている。

そして、文化財保護活動の結実として、今回の目玉、薬師寺玄奘三蔵院に寄進された、”大唐西域壁画”が全点、展示されている。ぼくは薬師寺で2回観ているから、三度目だ。堂内とは違った印象はある。展示室が広いこともあるのだろうか、とりわけ西方浄土、須弥山はより壮大に険しくみえた。逆に最後の、”ナーランドの月”にかすかに描かれた人影(この壁画の完成を前に亡くなられた高田好胤管長の姿を託したとも、三蔵法師の姿ともいわれる)が、堂内の方がもう少しはっきりしていたような気がする(気がするだけであるが)。隣りの部屋には、この大下図があった。これはもちろん初見で、鎌倉の自宅で描いていたものだ。あとで一階のビデオで知ったのだが、”絵身舎利”といって、この壁画自身が玄奘三蔵院のご本尊なのだそうだ。

平山郁夫画伯は、今、この絵と共にご本尊になっていらしゃるのだ。また、薬師寺にお戻りになった頃、訪ねてみよう。平山画伯の偉大さを再確認できた展覧会であった。

 

 

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江の島 真冬のチューリップ、富士山そしてスカイツリー

2011-01-18 05:59:11 | Weblog

昨日の江の島。晴れあがった空に、きれいな富士山がくっきりと。

今年一番の富士。

サムエル・コッキング苑の1万5千本の真冬のチューリップ。

 

そして、展望台から、なななんと、スカイツリーも(備え付けの望遠鏡でも確認)。伊豆大島も利島も。

おもしろ江の島。

サムエル・コッキング苑は植物園。椿の種類が多い。また、サムエル・コッキングがもってきた南洋杉、椰子の類も。

 

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お江の方(崇源院)の霊廟は建長寺にあった

2011-01-17 19:02:20 | Weblog

お江(ごう)の方(崇源院)の霊廟は、芝の増上寺に建立されたが、夫の二代将軍、秀忠が亡くなり、新たな霊廟がつくられたときに解体され、鎌倉の建長寺の仏殿となって今に残っている、と前回、書いた。今日、早速、行って、確認してきた(大汗)。建長寺は何度も行っているのに、まったく気付かなかった(汗)。仏殿の前の案内板に、その事情もちゃんと記されていた。国の重要文化財になっている。仏殿前の柏槇(びゃくしん)は建長寺創建以来のもので、757年の歳月を重ねている。仏殿同様、風格のある巨樹だった。

 

 

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江/姫たちの戦国

2011-01-17 09:52:02 | Weblog

NHK大河ドラマ特別展”江/姫たちの戦国”が、両国の江戸東京博物館で開催されている。お相撲をみに行った時、覗いてきた。”江(ごう)”については、ぼくもこのドラマが始まるまでは、ほとんど知らなかった。お母さんの、お市の方や、お姉さんの茶々は、いろいろなドラマに出てくるので、誰もが知っているが、三女、江の姿は出てきたとしてもあまり記憶に残っていない。今回は、その江が主役のドラマということで、楽しみにしていて、昨日も、父、浅井長政を切腹においやった信長とのはじめての対面場面など、興味深くみた。

”伯父に、信長、義兄に秀吉、そして義父は家康・・・戦国のスーパーセレブ・江”というキャッチコピーがちらしに踊っている。さらに、付け加えれば、子供に三代将軍、家光、そして千姫、皇后になる和子もいるのだからすごいものだ。しかし、江(のちに崇源院)自身の資料や遺品は少ない。ほとんどないと言っていい。だからこの展覧会の企画を担当された方は、苦労されたと思う。結局、”江を取り巻く人々展”になった。それはそれで、戦国の動乱期から江戸時代までの様々な景色を眺められるので、楽しい展覧会に仕上がっていると思う。

展示室に入ると、”特別展示品”として、いきなり、江自筆の、姉(常高院)宛ての手紙が現れる。これと後期展示になる、もう一通の手紙だけが、江が後世に残した遺品である。天皇家に嫁入りした五女・和子のことや、江戸の様子を書き、中風気味の姉の体調を気遣っている内容である。

江関連のものとして、もうひとつ、位牌を納める厨子”崇源院宮殿(すうげんいん・くうでん)”が、出口近くに展示されている。これは、どうも江が自身で育てた子、忠長がつくったものらしい。春日局に育てられた嫡男・家光との権力争いに敗れ、駿府の忠長が家康に無断で母の宮殿をつくったとのことだ。現在、目黒の祐天寺にある。金箔の極彩色の外観で、蓮華の文様などの彫刻が施されている。はじめ、家康のものと思われていたが、解体修理したときに屋根組から書状が発見され、崇源院のものということが分かったそうだ。

ついでながら、崇源院の霊廟は、増上寺に建立されたが、夫の秀忠が亡くなり、新たな霊廟がつくられたときに解体され、鎌倉の建長寺の仏殿となって今に残っているそうだ。知らなかった、今日、行ってみよう(汗)。高野山奥の院にも、忠長が建立した供養塔が、京都養源院には淀殿(茶々)が、金戒光明寺には春日局が、それぞれ建立した供養塔があるとのことだ。今月、京都へ行く予定なので訪ねてみよう(汗)。

江関連のもだけしか書かなかったけれど、浅井長政、柴田勝家、信長、秀吉、家康関連の重文を含む、肖像画、彫刻、合戦図屏風(姉川、賤ヶ岳)、大阪城、安土城、伏見城出土品、書状、短冊(醍醐の桜の秀吉の和歌)、”国家安泰””君臣豊楽”の、いちゃもんをつけられた文字の入った、”方向寺大仏鐘銘”の草稿文など、前後期合わせ、225点もの作品が並んでいる。そうそう江戸図屏風も良かったなあ、洛中洛外図をみるようだった。

歴女(男でもいいですが)にお薦めしたい展覧会です。音声ガイドは、お市の方(鈴木保奈美さん)がささやいてくれます。これで、大河ドラマをより楽しく観ることができそうだ。


(拡大できます)
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シモバシラ、雪の花咲かせる

2011-01-16 17:09:13 | Weblog

今朝の散歩で、この寒さなら、今日こそシモバシラ(雪寄せ草)の、雪の花が咲いてくれると確信した。朝食をとって間もなく、大船フラワーセンターに出かけた。開園直後の9時5分に到着。しかし、”シモバシラみられます”の立て札がない。ちょっと心配になって、係の人に聞いてみる。”少しだけ出ているようです”。これで前回のように、空振り三振ということはなくなった。イチロウのような内野安打で結構。ルンルン気分で、直行。すでに、先客が。どうですか、と声をかけ、のぞいてみる。たしかに、去年のがホームランとしたら、今年のは、ぽてんヒットという感じ。写真はあとで、ゆっくり撮ろうと、”去年の半分くらいですね”と言って、ぼくは、本家のシモバシラをあとにして、分家の、紅葉山の新人シモバシラの方に足を向けた。去年の春に植えられた、若い苗木が10本ほど、そちらにあるのだ。

新人くんは、細っこい体ながら、意外とりっぱな”雪の花”をつけていた。氷の長さを比べるとこちらの方が上かもしれない。本家のは半分ほどの株は、雪花なしだったが、こちらはすべての株が雪花をつけている。きっと、こちらの方が気温が低くなるのかもしれない。4,5年もすると、分家の方に人気が集まるかもしれない。

本家のシモバシラ

分家の、新人シモバシラ

真冬に咲く花

真冬に残る葉っぱ(生涯現役or晩節を汚す ものは言いよう

寒い朝だった

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谷風と雷電

2011-01-15 18:10:08 | Weblog

ぼくが子供の頃には、谷風梶之助と雷電為右衛門はよく少年漫画や読み物に取り上げられていて、知らない子はいなかった。白鵬の連勝記録が話題になっていたとき、谷風がひょいと顔を出し、懐かしく思った。結局、白鵬の連勝は谷風の63連勝に並んだところで、稀勢の里に止められた。

昨日、国技館の相撲博物館で”谷風と雷電”展をやっていたので覗いてみた。いつになく面白い展示であった。谷風が着ていた、かたびらや雷電の道中羽織があったが、さすがに大きなサイズであった。また、江戸時代でも、両力士は、(ぼくらの少年時代同様)人気があり、錦絵の題材としてよく取り上げられていたようで、その一部が展示されていた。勝川春英の”関取両国橋通行の図”や勝川春亭の両力士像などである。当時の力士が、武士同様、刀を差していたことがこれら錦絵からわかる。

今場所は初日が、天覧相撲だったが、江戸時代では、将軍の上覧相撲が名誉あることだったことだったようだ。また、谷風が仙台の出身で、連勝を阻まれた小野川をライバルとし、同時に”横綱免許”(これも展示されていた)を受けたことなど、はじめて知ったことも多かった。一方、雷電は長野県東御市(上田や小諸と隣接する市)出身で、松江藩お抱え力士になったが、谷風没後の江戸相撲を支え、生涯、わずか10番しか負けなかったという。史上最強の力士は雷電だとよくいわれるが、双葉山も、大鵬も白鵬もかなわなかっただろう、とぼくも思う。お墓は、奥さんの実家の千葉県佐倉市臼井の菩提寺にあるそうだ。お墓巡りも好きなので、今度、訪ねてみよう。

 

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国技館へ ジンクスは破れなかった

2011-01-15 10:39:49 | Weblog

大相撲初場所6日目、序盤好調の稀勢の里を応援に国技館へ。相手は苦手力士、琴奨菊。一抹の不安はあった。それは、ぼくが国技館に応援に行くと、必ず稀勢の里が負けるということ。ほとんどジンクスといってよい。このジンクスをぼく自身も破りたかった。

国技館に行くときは、必ず、セットで隣りの江戸博に寄る。午前中、国技館のチケットを買ってから、展覧会をみて、2時頃戻り、幕内力士の入場を見学するのが、お決まりのコースだ。この日も、江戸博で、”江/姫たちの戦国”展をみて、2時ちょっと過ぎに戻った。

ななななんと、ちょうど稀勢の里がタクシーから降りて、入場する場面に出くわしたのだ。大接近して、目の前の稀勢の里をみた。いつもは、入館して、内側から着流しの力士の姿を撮影するのだが、そのときは、カメラを取り出そうとする間に、入場してしまった。で、残念ながら、写真はない。初場所は寒いので、着流し姿というわけにはいかず、羽織を着ている。鼠色の渋い着物姿だった。いつもと、違う出会い。ということは、ジンクスが破れる兆候に違いない、そう確信した、そのときは。

十両の取り組みから、椅子席で、焼き鳥としゅうまいをツマミに、ビールを飲みながら観戦した。そして、幕内入場があり、わが稀勢の里は東から入場。拍手もひときわ大きい。大金星以来、人気が上がったようだ。そして、白鵬の横綱土俵入り。”安美錦がんばれ”の声援。太刀もちが安美錦なのだ(笑)。一度ならず、何度もで、白鵬も気を悪くしたのでは(笑)。強くなればなるほど、また、憎まれ役になっていくもので、白鵬もそういう道を歩み始めているのかもしれない。

そして、待ちに待った、稀勢の里対琴奨菊戦。あっという間に、制限時間いっぱい。立ち上がった。あああ稀勢の里、たちまち土俵際まで追い込まれる。しかし、残った残った。盛り返すぞ、と思ったとたん、琴奨菊のがぶり寄り、寄る、寄る、寄る。あああああ、ぎゃふん。♪のぞみも夢も はかなく消えて唄も涙の 渡り鳥♪ 落ち葉しぐれになってしまった。またもや、ジンクスはやぶれなかったのであった。

両国駅前の居酒屋で、やけ酒を飲んだのはいうまでもない。今日は、絶対勝つでしょう、ぼくが国技館に行かないから。

・・・・・・

土俵入り

稀勢の里 落ち葉しぐれの巻(敗北の決定的瞬間は肉眼でみていますので、帰ってからテレビで撮りました)


 

 

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”近代の洋画家、創作の眼差し”展 東御苑

2011-01-14 09:28:09 | Weblog

新春早々、日比谷に泊ったときに、皇居東御苑を訪ねた。そこの三の丸尚蔵館で、表記の展覧会が開催されていたので、覗いてきた。昨秋、龍馬の裏書きのある薩長同盟や五カ条御誓文などの”皇室の文庫/書陵部の名品”展をみて、きっと新春にも興味ある展示があるに違いない思ったのだ。

明治期から昭和初期までの、皇室に各展覧会において買い上げられたものや献上されたものが、三つのテーマのもとに展示されている。1)見出された景観(国内、国外)、2)時代を写す、3)歴史画の流行、である。

高橋由一、五姓田義松、山本芳翆、有島生馬(前期のみ)らの作品が、小さな展示場に、つつましく飾られている。はじめてみるものばかりだったような気がするが、由一の”栗子山隧道図”(帰ってから調べたのだが、山形県から福島県に抜ける隧道で、866メートルの当時は日本一長い隧道だったとのことだ。萬世大路という)、芳翆の”桜島農夫の踊り”など印象に残った。歴史画は、”織田信長ひそかに密勅を五老臣に示すの図”という、長い題名のものだが、面白い絵だった。これも高橋由一の作品である。明治初期における、洋画の先駆者だ。これまでにない、新しい絵に挑戦しているのだと思うと、平凡なような絵でも、きらきらと輝いてくる。明治の人の、文藝、芸術、科学、どの分野においても感じる気概をこれら絵の中に感じた。

外に出た。”武蔵野の雑木林”の冬景色が、こんな自然に囲まれていた少年時代を思い起こさせてくれた。全国の”県の木”が植えられている区画には、ぼくも住んだことのある、茨城県の県木である梅の花だけが咲いていた。

東御苑の雑木林と梅の花

。。。。。

これから、両国の国技館に行ってきます(汗)。ただ、ぼくが行くと、必ず、稀勢の里が負けるんです。今日は、大事な対戦、苦手の琴奨菊が相手です。ジンクスを破らなければ。
今朝、明けの明星にお願いしておきました。

 

 

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序盤好調 ああ稀勢の里♪

2011-01-13 20:58:00 | Weblog

稀勢の里、今日も難敵、安美錦を破り、序盤4勝1敗と、まずまずの成績だ。栃煌山、鶴竜の両小結に勝利したのは大きい。あとは、下位力士には取りこぼしせず、できれば、白鵬に連勝し、大関陣と関脇・琴奨菊に1敗だけして、13勝2敗で終わってもらえれば、バンバンジーザイだ。日馬富士、魁皇は好調のようなので、どちらかに白鵬を破ってもらい、同星で、白鵬と稀勢の優勝決定戦。そして、ぼくの予想した通り、稀勢の初優勝。一気に来場所は大関昇進がかかる場所に。・・・・・ちょっと甘いスブタ予想かな?

昨日は稀勢の地元、牛久市から大応援団がきていた。東京場所では、必ずやってくる。ぼくも偶然、その日に国技館で出会ったことがある。もちろん一緒に応援した。

地元で、白鵬の連勝ストップ大金星を記念して”ああ稀勢の里”という歌がつくられたと聞いた。歌詞はわからないが、ぼくも、同様な応援歌”ああ稀勢の里”をつくりましたので、ここに、ご紹介します。・・・・・ちょっと、ワンタンのように浮かれすぎかな。

。。。。。

元歌は井沢八郎の”ああ上野駅”です。(作詞;関口義明、作曲;荒井英一)
修正わずかな、替え歌です。すいません

ああ稀勢の里 (作詞おいら)

どこかに故郷鬢付けの香りをのせて
入る列車のなつかしさ (総武線)
上野両国はおいらの心の駅だ
くじけちゃならない人生が
あの日ここからはじまった(大金星の日)

ホームの時計をみつめていたら
母の笑顔になってきた
上野両国はおいらの心の駅だ
お店稽古の仕事はつらいけど
胸にゃでっかい夢がある(横綱の)

 

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歴史を描く 山種美術館

2011-01-13 10:58:19 | Weblog

昨日、山種美術館で”歴史を描く”展をみて、帰ったら、朝日新聞夕刊の”美術の履歴書(187)に、ちらし絵の小堀鞆音の”那須宗隆射扇図”が取り上げられていてびっくりした。平家物語の名場面のひとつだから、ぼくもその絵の前では立ち止まって、しげしげみた。でも記事を読んで、美術に詳しい人はこんなところまでみるのかと、また感心してしまった。(うしろにその絵の写真を載せているが)たしかに海上の船団はかすんでいるのに、奥の山はくっきり描かれている。明治のはじめのことだから、西洋画とやまと絵の手法が混在しているというのだ。小堀鞆音が安田靫彦のお師匠さんであることも知った。

安田靫彦、小林古径、前田青邨、上村松園らの作品が、1)神話と文学の世界、2)平家物語と武者絵の世界、3)歴史を彩った人々、4)松園が描く江戸のよそおい、の四つのテーマに分けられて展示されている。ぼくには前述のような、むづかしいことは分からないが、歴史がわりと好きな方だから、面白くみさせてもらった。

西行法師も描かれていて、古径の西行は、頼朝からもらった銀猫を子供に与えてしまうシーンでわりとふっくらした顔だった。となりの、羽石光志の西行は、桜の前で、ほっそりした顔だったが、こちらの方が実物に近いのではないかと、思った(笑)。芭蕉翁は靫彦が描いていた。実際はもっとみすぼらしい格好をしていたのではないかと思った。平家物語では、森村宣稲の宇治川の先陣争いの場面、両武将の真剣な表情や、名馬の眼つきも面白かった。青邨の三浦大介の肖像も印象に残った。青邨は、信長が斎藤道三に会いに行く時の、”うつけの”信長の”異装行列”があったが、テレビなどでは、裸同然の姿に描かれることが多いが、ここではちゃんと衣装をつけていた(笑)。

大河ドラマ”お江”が始まったが、お江はいなかったが、お姉さんの茶々(淀殿)は、ここで二度出演している。北沢映月(ねねと茶々)と服部有垣の”淀殿”だ。三姉妹の絵がみたかった(笑)。お市の方もいなかった。鈴木保奈美のお市、なかなかいいですね。

伊東深水のもひとつだけあった。京都島原の芸妓、”吉野太夫”。片岡珠子は、浮世絵師を神様のように思っていたそうで、”鳥文斎栄之”を少しデフォルメチックに描いている。松岡映丘は、淡い色彩で、今昔物語の”山科の宿 雨やどり”の場面。六年振りに会う女が連れている娘は自分の子であった。森屋多々志の”慶長使節支倉常長”は、犬を連れた常長が神殿から、ローマの町を見下ろすシーン。

橋本雅邦の”日本武尊像”がトップバッター。そして、〆は第二会場の松園さん。江戸時代の装いをした娘さんばかりを集めている。以前、ここで松園展を観ているから、”牡丹雪”、”庭の雪”など、みな知っているものばかり。

肩のこらない、楽しい展覧会であった。

。。。。。

那須宗隆射扇図

日本武尊像、吉野太夫、鳥文斎栄之、異装行列の信長、慶長使節支倉常長。(拡大可能)

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