気ままに

大船での気ままな生活日誌

琳派芸術/煌めく金の世界

2011-01-12 10:12:31 | Weblog

出光美術館で表記の展覧会が開催されている。酒井抱一生誕250年記念ということだが、抱一の作品は、後期”転生する美の世界”(2月11日から)に展示される。前期の”煌めく金の世界”では、光悦、宗達の琳派の登場から、光琳、乾山の琳派の発展まで時代の作品が主として展示されている。

いきなり、光悦と宗達のコラボ作品が現れて、うれしくなる。ぼくは書はわからないが、はじめて光悦の書をみたとき、すっかり気に入ってしまった。やはり、その作品も宗達の金泥下絵に光悦の書が乗っていたものだが、まるで字が下絵の一部の”絵”のように感じて、流れるような書の、意味なんかわからなくても、なんともいえない美を感じたものだった。今回は、宗達の下絵に光悦の百人一首和歌が”描かれた”ものが何幅も飾られている。第1章のタイトルそのまま、”美麗の世界”だった。この章では、さらに伝宗達のいんげん豆図などの扇面や、扇面屏風等、”美麗の世界”が拡がっていた。

そして、第二章は豪華な”金屏風の競演”で楽しませてもらえる。宗達の”月に秋草図屏風”。金色の空間の中に銀色の半月が浮かび、その下に一面の萩の花が浮かび、ススキ、桔梗など秋草も顔を出している。これは六曲一双だが、このほかにも、六曲一双、”伊年”印(宗達工房の印)の四季草花屏風が見事だった。ここにもまた、光悦と宗達のコラボ作品、”月に萩・蔦下絵古今和歌集”があった。さすが、と思った。そして、西行好きなぼくにはうれしい作品が。宗達絵、詞烏丸光広の”西行物語絵巻第四巻”。西行法師が僧を訪ねている場面。秋草が生い茂り、鹿が楽しそうに走りまわっている。重文だそうだ。

第三章は”光琳の絵画”。紅白梅図屏風がうつくしい。でも熱海MOAの紅白梅図屏風には適わないと思った。梅の季節には必ず展示するので、楽しみだ。太公望図屏風もよかった。京博所蔵で重文だそうだ。太公望の顔の表情が面白い。白楽天図屏風なども楽しくみさせてもらった。

第四章は”琳派の水墨画”。宗達、光琳のほか、酒井抱一(白蓮図)がちらりと顔をみせていた。宗達の、”墨梅図”、”神農図”、”龍虎図” 。光琳が弟の乾山の茶碗の絵の手本にするように描いたものがあった。単純な線で、人の姿、動植物などを描いている。正式名は、”深省(尾形乾山)茶碗絵手本”という。

これまで書いていなかったが、各章の展示室の中程に、ぼくの好きな乾山の作品がずらりと十数点、並んでいる。角皿を中心に鉢、茶碗等。どれがいいというより、みんないい。光悦のもひとつあったが、残念ながら、茶碗ではなかった。光琳の蒔絵硯箱も、ふたつあった。東博でもみたが、光琳の蒔絵硯箱は、いつみてもいい。

”煌めく金の世界”を十分楽しませてもらった。図録を買いたかったが、重そうなので止めた(汗)。後期も行くつもりなので、もしかしたら、そのとき買うかもしれない。

 (拡大できます)

 

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明月院 ロウバイとマンサク

2011-01-11 18:34:22 | Weblog

午後、北鎌倉の三寺、東慶寺、浄智寺そして明月院を訪ねた。お目当てはロウバイ。どこのお寺のロウバイも見頃になっていた。そして。明月院では、ロウバイのほか、早くもマンサク(満作、金縷梅)も細いひも状の花弁を拡げはじめていた。本当に、新春に相応しい、ぼくの好きな花である。いつもは東慶寺のが先頭を走り、あとのふたつの寺が後追いするが、今年は並走している。ゴールも、先の有馬記念のように、ハナの差になることだろう(笑)。

ここでは、ロウバイの本数が多く、マンサクの花まで咲かせている明月院を主に紹介したい。

。。。。。(写真は拡大できます、花ばかりではありません)。。。。。

明月院のロウバイ

マンサクと・・・

東慶寺と浄智寺

 

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鎌倉の十日えびす

2011-01-11 10:16:40 | Weblog

ぼくも毎日みているNHK朝ドラ「てっぱん」の、主人公あかりちゃん(瀧本美織)が大阪の今宮戎神社の”十日戎”宝恵駕(ほえかご)に乗り、宗右衛門町から戎橋など大阪市内を神社まで練り歩いたというニュースをネットで読んだ。そのあと、朝食時にテレビニュースで、昨日の鎌倉の本覚寺”十日戎”の様子をみた。

昨日それに行ってきた。ここでは、三が日も”初えびす”をやっていて、ぼくは、元旦と、3日の七福神巡り(ここは恵比寿さまがいるが、鯛と釣り竿をもった、にこやかな恵比寿さまではなく、恐い顔した恵比寿さまである)と、すでに2回、行っているので、3回目になる(汗)。別に商売しているわけでもないが、お祭り騒ぎが好きだからである(大汗)。でも、3回も行ったことは、今年がはじめてである。よほど御利益があるに違いない、競馬でも本格的にはじめてみようか(笑)。

今、ちょっと前段を書いただけでも、えびす、戎、恵比寿と三通りの表記をしていることに気付いた。調べると、さらに、恵美須、夷、胡、蛭子などの表記もあり、地方によって、えびっさん、えべっさん、 おべっさんなどとも呼ばれるそうだ。それだけ人気がある(変幻自在な?)福の神なのだろう。

テレビニュースでも、やっぱり何人もいる福娘さんが主役で、お餅つきをしたり、福娘さんに福笹をもらい、掛け声をかけられている様子が映しだされていた。ぼくが行ったときには、すでに餅つきは終わっていて、役目を終えた杵と臼が夷堂前で休んでいた。福笹も売れ行きがよく、もう、3000円のは売り切れました、と福娘さんが客に答えていた。その代わり、まだまだ、”にぎり福”(1日1回にぎると御利益がある)や絵馬、そしてお神酒の升酒、竹筒の甘酒、えびす饅頭は、残っていて、ぼくも、福娘さんからお神酒をいただき、呑みおわるまで、境内の賑わいをながめていた。首をあげると、人形塚の前の栴檀の樹が黄色い実をたくさんつけていて、青空に映えていた。ぽとりぽとりと実がいくつも落ちてきた。その一枝を拾い、バッグに入れた。ぼくのにぎり福にしよう。

賑わいを抜け、墓地の方に行くと、”名刀正宗”と讃えられた正宗の供養塔がひっそりと佇んでいた。その塚のうらには、いくつもの石仏が寄り添うように、まつりのざわめきを聴いていた。

 

 

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大相撲初場所予想

2011-01-10 11:40:27 | Weblog

いよいよ昨日から大相撲初場所が始まった。去年はつまらないことで、大騒ぎされ、全く腹立たしい(世間に対して)ことばかりだったけど、もうそんなことは忘れて、力士の皆さん、がんばって、フアンを楽しませてください。国技館に行ったこともなく、場合によってはテレビでさえみたこともないような奴が、”世間”の基準で文句ばかり言ってるようなときは無視して結構です。ぼくが、そいつらをぶんなぐって片目を兎の眼にしておきます。

さて、恒例の(笑)、大相撲初場所予想をしたいと思います。実力は誰がみても、白鵬が抜きんでている。白鵬優勝は、ほぼ固いところだろう。ぼくの恒例の星取り予想でも、ここ一年は、ずっと白鵬優勝にしてきたが、昨年の九州場所で、はじめて豊ノ島優勝とした。その理由は、あんな程度のことで十両まで落とされ、悔しさ一杯、胸いっぱい溜まったマグマが爆発するだろうとみていたからだ。その通りになった。14勝1敗で優勝決定戦までもちこんだ。ぼくが白鵬なら力を抜いて、負けてあげるところだが、フアンの気持ちがわからないバカ正直な白鵬が優勝してしまった。

お金が動く八百長相撲は論外だが、阿吽の勝負というものはあっていいと思う。あの、鬼の形相の(怪我している)貴乃花の勝利は、誰がみても武蔵丸の阿吽の”敗北”だったし、若貴の兄弟対決も貴が若に花をもたせた。そういうことを知りつつフアンは名勝負として記憶に残しているのだ。ロス五輪の柔道の山下選手だって、怪我をしていて、決勝戦では勝てる試合ではなかった。しかし、エジプトのラシュワンが怪我した足をねらわず、金メタルより”阿吽の敗北”をとり、のちのちまで彼の名が歴史に残るのだ。武士の情けということだ。

武士の情けのない(笑)白鵬を、日本人力士包囲網で六連覇を阻んで欲しいというのが、ぼくの希望であり、したがって予想もそうゆうふうになっている。稀勢の里、優勝と思いきって打ちだした。九州場所で、白鵬連勝ストッパーとなり、一皮むけたような気がする。二桁勝利は固いが、勢いに乗れば、13勝はいく。そのためには、稀勢、豊ノ島ら日本人力士で、白鵬から少なくとも、ひとつの黒星をもぎとる。そして、大関陣からも、一つで、優勝ラインを13勝まで下げる。

そして、後半戦に入り、日本人力士同士の星のつぶし合いに入ったときは、阿吽の呼吸で、そのときトップの成績の日本人力士に対しては”阿吽の敗北”で優勝戦線に残るように援護射撃をする。それくらいしないと、今の白鵬にはかないません。是非、お願いします。できれば、稀勢を残らせてください。

あの、まんが家の”相撲評論家”あたりが、”阿吽勝負”に気付いて、えらそうなことを言い始めたら、両目を兎の眼にしておきます

。。。。。

初場所予想

稀勢の里 13勝2敗 優勝;白鵬 13勝2敗;把瑠都 11勝4敗;日馬富士 10勝5敗;豊ノ島 10勝5敗;豪栄道10勝5敗;琴欧洲 9勝6敗; 魁皇 8勝7敗;琴奨菊 7勝8敗;栃煌山 7勝8敗;鶴竜 7勝8敗;豊真将 7勝8敗;栃ノ心6勝9敗;安美錦 6勝9敗;嘉風5勝10敗;阿覧4勝10敗;玉鷲3勝12敗;徳瀬川3勝12敗

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灯台下暗しの富士

2011-01-10 09:33:03 | Weblog

北斎の富嶽三十六景ではないが、ぼくは湘南地方に範囲を広めれば、それくらいの富士山のビューポイントは三十六くらい、すぐに挙げることができる。しかし、1時間以内の近所の朝散歩でのビューポイントは、十景に満たない。それさえ、5年かかっている。ひょんなところから、富士山がみえたときのうれしさは格別であり、その喜びの日はブログにも記してきた(汗)。もうこれ以上、増えないと思っていた。

それが、ななななんとゆうじみやこちょうちょうちょうはなぜとぶかとびたいから(ぼくが最大級におどろいたときの枕詞)、富士山のビューポイントが、すぐそばにあったのである。自分の住むマンションである。うちのマンションは3棟あり、西側に廊下のある棟もあるのだが、そこの最上階の廊下を通ること全くなかった。先日、ある人に富士山の話をもちかけたら、そこでも見えますよ、と教えてもらったのだ。その人は、ぼくの3倍くらいの距離を毎朝散歩する元気な人で、雨の日は3棟のマンション中、東西南北、天と地とを歩きまわるのだ。だから、マンションのあらゆる地点からの景色がインプットされているのだ。

それで、ぼくは散歩の途中、青木神社の富士山を確認してから、エレベーターでその最上階の外廊下に出た。すると、ななななんと・・・・・になったわけだ。ビューポイントNO1とぼくが認定していた青木神社に負けないくらいの、富士山が見えるではないか。ここでは木もじゃましない。天気にも左右されない、雨の日でも濡れないでもみえる・・し、しかし雨の日は富士はみえないはず・・でも、あの人は雨の日の散歩でみつけている、どういうことだろうか、疑問が湧いてきた。たまたま、西の空が晴れていて、こちらは雨だった、という時にみつけたのかもしれない、あるいは、去年の夏のようにあまりに暑い日とか、先日の7日のように、ものすごい寒い日とかに、外散歩を控え、内散歩にしたときにみつけたかもしれない・・・あるいは、その棟の人に聞いたので、ぼくみたいに晴れた日に確認しただけのかもしれない:::でも、そんなことはどうでもいいことなのだ。こんな近くに、容易に富士山のビューポイントがあったことが重要なのだ。

”灯台下暗し”だった。

浄智寺の扁額の”寶所在近”だった。宝物は目の前に在る。みえていないだけだ。

。。。。

灯台下暗し、寶所在近の富士

 

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シモバシラ観測失敗も 花さんぽで機嫌直す

2011-01-09 18:23:51 | Weblog

今朝、マンションの中庭に霜柱がたっていたので、フラワーセンターのシモバシラ(別名ゆきよせ草)も、りっぱな雪の花を咲かせてるのではないかと、朝のブログのお仕事(笑)をさっさと済ませた。歩いて25分ほどかかり、到着したのは10時頃だった。まだ、この頃までは大丈夫なはずだと、門を入り、ツカツカと忍者のような早足で、シモバシラの前まで来た。
がくっ、がく、がく、やもとがくだった。何もついてない、霜バシラのかけらもないではないか。1月5日にみたとおりの、雪女ではなくユキダオレの女だった。そのまま帰ろうとしたら、門前にたくさんの人が集まっている。そうだ、今日は今年最初の日曜日、園長先生案内の”花さんぽ”の日だったのだ。ここしばらく、参加していなかったので、ちょうどいいと思い、仲間に加わった。

先生が、最初におっしゃったことは、やっぱりシモバシラのことだった。残念ながら、8時頃まではシモバシラがついていたのですが、9時頃に消えてしまいました、とのこと。やっぱり、ぼくの予想は当たっていたのだ。でも、今日は天気が良すぎて、早々と雪女が消えて去ってしまったということだった。その代わりにと、立派なシモバシラの写真をみせてくれた。ぼくの去年、みたのも、すばらしかった。それは、開園直後(9時)から10時半頃まで残っていた。

その代わり、楽しい花さんぽに加わることができた。三色すみれが寒さに強いのは凍らないように、糖分を体内にため込んでいること、日本水仙は、副花冠が白い、ふさざき水仙の変種で、香りが良い(逆にふさざき水仙は臭い)こと、エリカ属は、なんと630種もあること、一方、なんてんは1属1種しかないなど、いろいろ勉強した。

せんりょう(千両)、まんりょう(万両)、からたちばな(百両)、やぶこうじ(十両)と、そろって赤い(黄色いのもある)実をつけていた。一両というのもあるそうだが、ここにはないとのこと。鎌倉の”竹の寺”の竹林入り口にも、これらが勢揃いしている。

お正月ということで、門松の由来の話も聞いたが、忘れてしまった。ただ、最後に紹介された、一休さんの歌は覚えている。

”門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし”  たしかに。

。。。。。

シモバシラは今日はだめだったけど、寒くても咲いている花々。 

万両、千両、百両、十両

 

こちらは寒さに弱い、熱帯性睡蓮。温室でぬくぬくと。

 

 

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博物館に初もうで 東博

2011-01-09 09:24:54 | Weblog

正月4日に行って、(休館で)ふられた”博物館に初もうで”が、まだ松の内の間、7日に実現した。7日の東京は、冷たい風のふく、この冬一番の寒さだったけれど、東博の中は、初春らしいおだやかな雰囲気にあふれていた。特別展の”平山郁夫展”まだ、開催されていないが、”綜合文化展”(今年から平常展をこう呼ぶことにしたそうだ)は、まるで、特別展のような、ラインナップの展示で、とても満足した。

まず、北斎の富嶽三十六景がずらりと、浮世絵の部屋に並んでいる。数えてみたら、二十数枚はあった。本当は、三十六景ではなく、売れ行きが良かったために、さらに追加して、四十六景なのだ。36枚を表富士、追加の10枚を裏富士という。富士山の輪郭線の色が、前者は藍色なのに対し、後者は黒色にしている。ぼくは、去年、太田記念美術館で、これらすべてが一堂に会した展覧会をみているから、驚かないが(笑)、東博での、ずらり展示は、また格別である。有名な、”神奈川沖”、”山下白雨”などに混じって、ぼくの散歩道、江の島や七里ガ浜の富士もある。

国宝室には雪舟の名作、国宝、秋冬山水図がある。最近、水墨画も好きになっているので、同時に雪舟も好きになっている。さすが、水墨画のチャンピオンだけのことはある。小さな画の中に、大きな世界が広がっている。

尾形光琳の重文、風神雷神図屏風もみることができた。翌日、出光で琳派の展覧会を観にいくことになるのだが、まず、ここでみさせてもらった。何度みてもいい。琳派といえば、光悦の、国宝、舟橋蒔絵硯箱も、光を放っていたし、仁清の色絵月梅図茶壷も”東博の日本陶器といえば、何と言ってもこの仁清、新春に見たい作品です”と案内にあったとおりであった。

そして、永徳の国宝、檜図屏風も見逃せない。金色の大地と雲を背景に巨大な檜が、画面いっぱいに枝を張る。そして、古本市場ではどれくらいの値段になるか見当のつかない(笑)、国宝、古今和歌集(元永本)や重文、熊野懐紙(後鳥羽上皇が熊野三山に参拝した途中、開いた歌会で詠んだ歌を書いた懐紙のこと)も、みているだけでよだれがでる(笑)。

めったに展示されない、岩佐又兵衛の作品や猿投の陶器もみられたのは、うれしかった。また、恒例の今年の干支、兎をモチーフにした美術品の展示も楽しいものだった。

そして、ミュージアムシアターでは、以前もみたが、(又兵衛作といわれる)洛中洛外図屏風・舟木本のバーチャルリアリティーコンテンツをみる。2500人もの登場人物のクローズアップは楽しいものだ。6テーマあるが、これで4テーマみたことになる。

外は寒かったので、館内でゆっくりして、その夜、泊る予定の日比谷のホテルに向かった。楽しい、博物館の初詣だった。

 

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肉筆浮世絵の美 鎌倉国宝館

2011-01-07 09:56:53 | Weblog

お正月恒例の、鎌倉国宝館での氏家浮世絵コレクション展覧会、今年も観てきた。すべて、版画でなくて、肉筆のものだ。北斎のものが多く、今年も北斎コーナーがあった。”酔余美人図”、いつも感想を書いているので、今年は書かない(笑)。蛸とか大根とか鶴さん亀さん、鷲さん、燕さんと、今年も互いに、元気で再会できてうれしい。

春信は、版画が売れて売れて、暇がなく、肉筆画を描く暇がなかったらしい。そのひとつが氏家コレクションの中にある。”桜花遊君立姿図”だ。垣根から出てきた”春信美人”に桜の枝が嬉しそうに覗きこんでいる(逆かな)。懐月堂安度は、逆に肉筆画しか描かなかったらしい。”美人立姿”のきりっとした目が印象的な美人だ。

奥村政信の絵巻も楽しい。”当流遊色絵巻”、吉原へ舟遊びをしながら、吉原の大門につき、吉原で楽しんでいる様子が描かれている。歌舞伎や大相撲と、同様に残しておきたかった文化だ(汗)。

広重もある。高輪の雪図、両国の月図、御殿山の花図と、江戸の名所の雪月花の三幅だ。広重の雪は肉筆でもいい。岩佐又兵衛の子で福井藩の御用絵師だった、岩佐勝重の”職人尽図屏風”は、鏡師、経師、数珠師、歌比丘尼、染物師、鍛冶師が描かれている。司馬江漢の”江の島富士遠望図”は当時の江の島の様子がわかり楽しい。

常設展の部屋には、前回も展示されていた、大町辻薬師堂(現在は国宝館所蔵)の薬師三尊と十二神将が真ん中に飾られていたのはうれしかった。また、五島美術館所蔵の重文、愛染明王坐像、八幡さまの重文、弁財天坐像(衣装を着せられていたのは残念;笑)など、多くの仏像さんを拝観することができた。

華やかな浮世絵と厳かな仏像さんの組み合わせも、なかなかよいものだ。

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大銀杏を偲んで初参り

2011-01-06 18:52:14 | Weblog

それは、去年の3月10日のことだった。八幡さまの大銀杏が倒れたというニュースを聞いて、ぼくは家を飛び出した。無残な姿だった。鎌倉といえば、この大銀杏だった。ぼくは中学生のときから、神奈川県民になり、その頃から鎌倉が大好きだったから、よく来て、大銀杏を見上げたものだ。千年のときをつなぎ、いつまでもいつまでも在るものと思っていた。それが根こそぎ、倒れてしまっているのだ。半世紀もの間、ときどき来ては、見続けていたご神木だった。その姿をみて、涙が溢れそうだった。

その日から、まだ、1年もたっていない、はじめての正月だ。ぼくは松の内に初参りをと、今日、お参りしてきた。大銀杏のひこばえの多くは、もう僕の背を越していて、結構太い枝になっていた。大銀杏のDNAは確実に次世代に伝えられている。

本殿にお参りし、宝物館の方に向かうと、”大銀杏の思い出と新春収蔵品展”を開催していた。もちろん入った。はじめに、やはり同じ年に亡くなられた、鎌倉在住の平山郁夫画伯の、ぼんぼり祭りのときに使われた、大銀杏と八幡宮の石段を描いた原画が展示されていた。そして、やはり、今年のぼんぼり祭りの新藤兼人監督の雪洞”今日はお祭りですが/あなたがいらしゃらないので/何の風情もありません 兼人”が飾られていた。これは、彼の新作映画”一枚のハガキ”の言葉なのだが、”あなた”を”大銀杏”に重ねてもいいので、展示されたのだろう。新藤兼人監督と平山郁夫画伯の雪洞はいつも、両横綱のように最上段に並べられて立っていた。それから尾崎左永子さんらの大銀杏を偲ぶ和歌と、月岡芳年らの大銀杏を描いた錦絵、鎌倉ゆかりの画家による大銀杏の絵も展示されていた。

館外に出ると、御札などを下さる場所で、大銀杏の小枝を入れたお守り、”大銀杏木霊”があることを知り、それを記念に頂いた。今年は、八幡さまにとって、特別な正月だということを改めて知ったのだった。松の内に初参りしてよかったと思った。

今日の小町通り

 

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初笑いは浅草で

2011-01-06 11:46:30 | Weblog

上野動物園に”初詣で”して、精養軒で昼食をとった。それから、ワイフは何か、買いたいものがあるというので、銀座へ。ぼくは、上野鈴本で初笑いをという予定だった。ところが、甘かった、鈴本は満席で、立ち見ならありますが、という。仕方なく、浅草に向かった。三が日過ぎの4日なのに、浅草は大変な混雑だった。雷門の通りは、分速5メートルくらいの速さ(笑)でしか歩けないほどだった。お参りしてからと思ったが、急遽変更、裏道から六区に向かった。

途中、新春歌舞伎を公演している浅草公会堂を覗いたが、ここも当日券はすべて売り切れ、翌日分の最上席券がわずかに残っている程度の、賑わいだった。ここも、場合によっては、と思っていたのだ。そして、浅草演芸ホールに到着。早速、券売所に。ななななんと、”立ち見ならありますが” いつかも立ち見で入ったが、映画全盛期の映画館みたいな二重、三重の立ち見で、疲れてしまったので、厭なのだ。じゃあ、隣りの、東洋館へ。井上ひさしさんがはじめて就職したストリップ劇場フランス座のあとが寄席になっている処だ。ここも、”立ち見ですが、小朝が終われば、座れます。これから円蔵です、どうぞどうぞ”にのってしまい、券を買った。

そしてエレベーターに入ると、すぐあとに、ななななんと円蔵師匠と弟子筋らしい落語家が入ってきた。さすがと思ったのは、わずか4階に上がるまでの間、二人で笑いをとる会話をしてくれたことだ。ミニ落語をはやくも聞け、得した気持ちになった。

会場に入ると、立ち見だったが、立っているのは、数十人程度だった。そして、すぐ円蔵の噺が始まった。いつものように体をちじこめて、噺をはじめる。何度も笑いをとり、短時間で引っ込む。正月顔見せ公演なので、本格的な落語より、小話が多い。円蔵のあとは木久蔵(休憩時間に木久蔵ラーメンを売っていたのには笑ってしまった)。そしてお待ちかね、小朝。落語界のサラブレッドといわれるように、さすがうまい。連発銃のように、つぎつぎと笑いの弾が飛んでくる。海老蔵ネタや、その他、ブラックユーモアを中心に、わっはわっはの連続。小朝が終わると、本当に客が引き、席が開いた(それでも、満席だが)。そして二部のとりは馬風。前回、きたときも、鬼丸の真打襲名披露でお祝いの口上を述べていた落語家だ。あのときから、とぼけた味が好きになった。

休憩時間があり第三部が始まる。そしてトップは前述の鬼丸。真打襲名のときより、落ち着いてうまくなったように感じた。上田出身だ、とまた言っていた。のいる、こいるは相変わらずの人気だ。同じパターンだが、それがいいのだ。そして、権太楼も、面白かった。飛鳥世界一周旅行の一部の区間の演芸を頼まれたときの、顛末を噺したのだが、大笑いしてしまった。お年寄りの悪口になるので、ここでは言わない(爆)。たい平は鎌倉芸術館で聴き、じょうずだなと思っていたが、また貫禄がついてきたようだ。

小円歌は女性の三味線漫談家で、円歌のお弟子さんだ。正月なので着物姿がうつくしく、また美人だった。何歳かなと思ったが次の、円歌師匠が全部、ばらしてしまった(笑)。ずいぶん若くみえた。三味線で、志ん生、文楽、初代三平の実際の出囃子を弾いてくれたのは、うれしかった。そしてとりは円歌師匠。今回は宮さまの前での、笑ってくれない落語のはなしではなく、白鵬や相撲界との関係。弟子に相撲取りを止めて真打になった歌武蔵がいる。背の高いイケメンが座布団めくりをしていたが、もと清国関の息子さんだとのこと。そういえば、よく似ている。将来は真打ち、”歌清国”になるかな。楽しみだ。白鵬が相撲界に入る前に世話したとのことで、後援会にも入っていて、結婚式にも呼ばれたという。”中沢家の人々”にはいろいろな人がいるのだ。

これで”フランス座”は6時に終了。うれしいことに、下の浅草演芸ホールに階段で続いていて、そのまま9時の終了までそちらでの初席もみられとのこと。下へ行ったら、猫八がものまねをやっていた。プログラムをみたら、同じ落語家が演る予定になったりしていたので、ここで外に出た。

神谷バーで、飲んで帰ろうとした。ところが、一階のビアーホールは満席。二階のレストランも待人でいっぱい。もうだめかと、三階の和食レストランに行ったら、ひとつだけ席があいていた。寄席と同じで、ここでも一番上階の席になってしまった。和定食をとり、大徳利で楽しんだ。ここでも新年会が何組も開かれていて、落語以上に面白い話も聞けたが、プライベートをばらすのは悪いので、書くのはやめておく(笑)。それにしても、あの女性社員、電気ブランをストレートで、あんなにぐいぐい飲んで、大丈夫だっただろうか。アルコール度を知らないのではないだろうか。海老子にならなければいいが。

 

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