まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

江津点描

2006年04月25日 | 廊下から
先日、8ヶ月ぶりに実家に帰省しました。ブログでも書きましたが、江津駅の貨物引込線の跡や現状を見てまいりました。


江津駅の駅舎は以前と変らず、昔の面影のままでしたが、他の地方都市同様に駅前の空洞化が進行しており、シャッターを閉めた商店や、閉店したまま放置されているデパートなど寂しい状況でした。当然、人通りも少なく町自体の活気がありません。都会に出ている私が偉そうなこと言えませんが…


駅構内を浜田方から望んだ様子です。撮影した場所の背後には、小学校の時の遠足でよく行った“丸子山公園”があり、ここから江津駅を発車する汽車を眺めたり、貨車の入換を眺めた記憶があります。貨物列車が使用していた中線や貨車が留置されていた側線はおろか、三江線気動車が留置されていた側線すら無くなっています。最近は回送列車として浜田へ帰るようです。


気動車留置線が無くなり、ただの空き地となったので三江線0キロポストが間近で撮影できます。なんだか寂しいですね…


江津での古くからの撮影スポットです。江の川にかかる『郷川(ごうがわ)橋梁』を日本製紙の工場の煙突をバックに撮影してみました。この風景は、D51現役時代から変らない風景です。煙突の煙の向きや加減が素晴らしかったのでしたが、列車が来ませんでした…(涙)


日本製紙引込線の入口です。現在では写真に写っている、引き上げ線を兼ねた貨物積込線跡の一部にレールが残っているだけです。他は枕木までも全て撤去されています。数年前までは入換動車も放置されていましたが、再開発による整地と共に撤去されたようです。


上の写真の跨線橋から工場に向かって、廃線跡を望んでみましたが、見事に自然に帰っています。道路から線路跡に降りることは一応可能のようでしたが、とりあえず眺めておくだけにしました。市街地の廃線跡でここまで荒れた所も珍しいでしょうね。


市道の踏切跡から工場に向かって廃線跡を撮影しました。人の手によって植えられたのでしょうか、松の木が多数見受けられました。写真で見ても判るように、かなり育っています。
ところで引込線には、2ヶ所の踏切が存在し江津駅寄りの踏切にはその昔、踏切番の小屋があって、踏切番のおじさんが遮断機を操作しておりました。これは私が小学生の頃のお話で、私の母校である高校であった柔道教室に通っていた頃に見た風景でした。晩年は列車本数自体が減ったので踏切番もいなくなり、列車が一旦停車し操車係が遮断機を下ろして列車が通過する方法に変ってしまいました。

田舎を出て、もうすぐ20年。余りにも寂しくなった光景ですが、私の記憶の中では、のんびりと走る動車の姿がいつまでも残っているでしょう。