まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

思い出の線内車 1

2006年06月05日 | ひろでん
今の広電は、鉄道線である宮島線と市内線の直通運転をしているので、時代の波に飲まれず、現在の隆盛を見せているものと思います。
私が入社した昭和63年には、線内車と称した高床車も宮島線で運行されていました。単行の1061、元阪急500型の1075+1076、1077+1078、同じく元阪急210型の1081+1082、元京阪神急行電鉄の木造車を鋼体化し2両連結とした、1091+1092、1093+1094の計11両が在籍しておりました。

まずは、唯一単行運転を行っていた1060型(通称ロクイチ)を紹介します。昭和32年にナニワ工機で製造された高性能車でしたが、次第に直通車が増備された為に、1両のみの新製で終わってしまった車両で、後年に冷房を搭載する事も無く、平成2年に廃車となりました。
私が入社した当時は、競艇臨時の他には平日の朝、西広島~広電廿日市の1往復だけに使用されており、普段は西広島1番線の奥にあった留置線で待機しておりました。
ロクイチの限定運用だった、西広島8:42発の廿日市行は某S女子大受けの系統(仕業番号42番)で、チェックのブレザーの女子大生に囲まれての乗務でしたが、私は公休日の関係で殆ど乗務することがありませんでした。
ロクイチの扉扱は他車と異なっており全て車掌が行い、進行方向左側の全てを扱う『此の扉』、右側を扱う『他の扉』の2種類がありました。上り西広島行の終点では1番線に入線したから、他の扉を扱うわけですが、新人の頃にはよく間違えて反対側をあけたりしたものです。今だから言えるのですが…(笑)

またロクイチは、発車までの手順がのんびりしていて、車掌扉の扱が終わると合図を送り、運転台扉の扱が終わっていると運転士が警笛を送る、車掌は警笛を確認し扉を閉めて、運転士は戸閉を目視で確認してノッチを入れる手順でした。今の時間に追われた運転からは想像できない、のんびりした運転でした。

合図『ブー、ブー』、警笛『プァン』、戸閉『プシュー』…。 のんびりしていた時代が懐かしいですね。



競艇臨時の折返し待機中の同車と車内 広電宮島駅 昭和63年


巡り巡って現在手元にあるロクイチの車掌スイッチ