思い出の線内車第2弾は、元阪急500型の1070型です。昭和41年に8両が入線し、1071~1078となり活躍しました。私が入社した当時には1071~1074が3800型入線の為に休車となっており、1075~1078の2編成4両が活躍しておりました。
この電車、2両編成で片側3箇所にしか乗客ドアがなく、午前ラッシュ時には必ず遅れる電車でした。系統35番の宮島7:09(だったかな?)発の○日○西高受けは、1070型だと5分以上は確実に遅れました。
最後まで白熱灯を使用していて、夜の車内は何ともいえない雰囲気でした。そんな電車も、昭和63年11月には3804・5の増備により休車となりました。ノッチを入れると2両が別々にギクシャクしながら加速する、当時田舎から出てきたばかりで、気動車と客車しか知らなかった私には、『古い電車とは乗り心地が悪いものだなぁ』と思ったものです。
ここで、昔の人に聞いた怖~いお話を… 私が入社した頃は、上下の最終便は宮内のトンネル付近ですれ違っていたのですが、ある日の下り最終便の運転士(当時は助役が担当)が、上り最終便の1070型とトンネル内ですれ違い、何気なく上り電車に目をやると、客室内には旧日本軍の兵隊がぎっしり乗っており、一斉にこっちを向いてニコッと笑ったと…本当に怖かったそうです。
商工センター~草津南にて 昭和63年
夜の車内
営業運転最後の日 昭和63年11月7日
廿日市から折返し商工センター行が最後の営業でした。が実は…
この電車、2両編成で片側3箇所にしか乗客ドアがなく、午前ラッシュ時には必ず遅れる電車でした。系統35番の宮島7:09(だったかな?)発の○日○西高受けは、1070型だと5分以上は確実に遅れました。
最後まで白熱灯を使用していて、夜の車内は何ともいえない雰囲気でした。そんな電車も、昭和63年11月には3804・5の増備により休車となりました。ノッチを入れると2両が別々にギクシャクしながら加速する、当時田舎から出てきたばかりで、気動車と客車しか知らなかった私には、『古い電車とは乗り心地が悪いものだなぁ』と思ったものです。
ここで、昔の人に聞いた怖~いお話を… 私が入社した頃は、上下の最終便は宮内のトンネル付近ですれ違っていたのですが、ある日の下り最終便の運転士(当時は助役が担当)が、上り最終便の1070型とトンネル内ですれ違い、何気なく上り電車に目をやると、客室内には旧日本軍の兵隊がぎっしり乗っており、一斉にこっちを向いてニコッと笑ったと…本当に怖かったそうです。
商工センター~草津南にて 昭和63年
夜の車内
営業運転最後の日 昭和63年11月7日
廿日市から折返し商工センター行が最後の営業でした。が実は…