浜田道の『下府川橋』から見下ろせる、第5今福トンネルは浜田側の坑口がコンクリートで覆われていますが、確かどこかの大学が地震研究(?)の為にJR西日本から借り受けてた為だと記憶します。そのような立看板を見た記憶が…
第5今福トンネル浜田側坑口 平成8年撮影
右手に写っているのが、当時の愛車だった『ジョグ』です。画像に写っている『立入禁止』の看板にはJR西日本の文字があります。こんな山奥にJRの所有物があるのも不思議ですが、さすがに浜田市も要らないと言ったのでしょうか?
昭和60年撮影の第5今福トンネル
何故かここも高校生の頃に撮影しています。状態から察するとトンネルの擁壁を切り崩し、道幅を確保しているようです。
第5今福トンネルの手前で10号橋、トンネルを越えて直ぐに11号橋があり、県道から見て下府川の対岸に石垣が組まれて、その上に路盤があります。現在、路盤上には浜田道の橋脚がたち、『鉄道よりも道路』を見せ付けられているような感じさえもします。
県道合流地点から浜田側の路盤を望む
浜田道をアンダークロスした辺りから、路盤が消えてしまいます。これは区画整理が浜田市の手により行われたのと、築堤を切り下げて生活道路の一部とした為だそうです。
しばらく進むと、畑の中を真直ぐに県道へ向かう“あぜ道”が出没しますが、これが旧路盤です。
合流点から今福側を望む
正面の道路が旧路盤で、現在の県道です。左に下がっている道が旧県道です。合流点の手前の路盤と県道の高さを比べると、どれだけ築堤を切り下げたかが判ると思います。
県道を更に進むと、左手に保育園が見えてきます。文献によるとここが駅予定地であったとのことです。保育園横には県道5号線が走っており、路盤はそこをくぐっております。
今福側の路盤から県道5号を望む。 昭和60年撮影
この先にも、路盤が生活道路として続いてゆきますが、撮影をしているのはここまでです。数年前に車で訪れてデジカメで撮影したと思うのですがデータが… 改めて取材に行かないといけませんね。
さて、戦前建設区間の紹介はここでお終いです。もう1回、鉄建公団建設した区間を紹介します。
第5今福トンネル浜田側坑口 平成8年撮影
右手に写っているのが、当時の愛車だった『ジョグ』です。画像に写っている『立入禁止』の看板にはJR西日本の文字があります。こんな山奥にJRの所有物があるのも不思議ですが、さすがに浜田市も要らないと言ったのでしょうか?
昭和60年撮影の第5今福トンネル
何故かここも高校生の頃に撮影しています。状態から察するとトンネルの擁壁を切り崩し、道幅を確保しているようです。
第5今福トンネルの手前で10号橋、トンネルを越えて直ぐに11号橋があり、県道から見て下府川の対岸に石垣が組まれて、その上に路盤があります。現在、路盤上には浜田道の橋脚がたち、『鉄道よりも道路』を見せ付けられているような感じさえもします。
県道合流地点から浜田側の路盤を望む
浜田道をアンダークロスした辺りから、路盤が消えてしまいます。これは区画整理が浜田市の手により行われたのと、築堤を切り下げて生活道路の一部とした為だそうです。
しばらく進むと、畑の中を真直ぐに県道へ向かう“あぜ道”が出没しますが、これが旧路盤です。
合流点から今福側を望む
正面の道路が旧路盤で、現在の県道です。左に下がっている道が旧県道です。合流点の手前の路盤と県道の高さを比べると、どれだけ築堤を切り下げたかが判ると思います。
県道を更に進むと、左手に保育園が見えてきます。文献によるとここが駅予定地であったとのことです。保育園横には県道5号線が走っており、路盤はそこをくぐっております。
今福側の路盤から県道5号を望む。 昭和60年撮影
この先にも、路盤が生活道路として続いてゆきますが、撮影をしているのはここまでです。数年前に車で訪れてデジカメで撮影したと思うのですがデータが… 改めて取材に行かないといけませんね。
さて、戦前建設区間の紹介はここでお終いです。もう1回、鉄建公団建設した区間を紹介します。