『今福線跡を訪ねて』シリーズも今回が最後です。今回は、鉄建公団によって建設された区間です。ここは多く紹介されていますので、サラリと行きますね…(笑)
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旧線跡から望む第2下府川橋梁 昭和60年撮影
文献によると、同橋梁は旧線にあった橋梁(コンクリートアーチ橋か?)を撤去し、盛土をして建設したそうです。
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新路盤から下長屋トンネルを望む 昭和60年撮影
正面に見える下長屋トンネル手前に、この区間のハイライトとも言える、第1下府川橋梁があります。この橋梁は新線の橋梁横に旧線のアーチ橋が並んでおり、大変珍しい光景を見ることが出来ます。ここはJTBの本の表紙にもなりましたね。
実はこの時、そこまで行ったのですがフィルムが無くなり撮影できませんでした。何としても記録したい… 現在(この時もですが…)ここへ立ち入るには浜田市役所に申請すれば、鍵を貸してくれるそうです。
で、どうやって入ったかって? そりゃぁ、自転車を持ち上げて…(黙)
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下長屋トンネル今福側坑口 昭和60年撮影
県道5号線から分かれる、県道41号線の下に坑口があります。この当時は、県道5号線は今福の集落の中を走っておりましたが、現在は旧路盤付近を埋め立てた土地に迂回しているようです。
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浜田市高佐町にあった架橋 平成8年撮影
鉄建公団が建設した箇所は、浜田市街地(と言っても外れですが…)にも存在しました。確か撮影した数ヵ月後に完全撤去されたと記憶しますが…
撮影時点では、道路の桁下制限をなくす為に、道路上の桁のみが撤去されていました。
他にも浜田市旭町丸原地区に橋梁やトンネルが建設されましたが、今現在記録しておりません。グーグルアースでもその箇所ははっきり確認できます。県道5号線を大朝方面に向かい、左手に覚善寺というお寺があります。その対面の山付近を走っています。
さて、長々と続いた『今福線を訪ねて』も今回でお終いです。またいつの日か取材して現状を報告できたらと思います。