まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

日南

2006年11月06日 | 廊下から
先日、長カル先生が『富士』で帰られるとの事で、広島駅でお見送りをしましたが、間近にブルトレを見ていると“乗りたい症候群”の禁断症状が… 今、震える手を押さえつつ書き込みをしてます(謎)

よく利用した九州ブルトレといえば『富士』なんですが、今回は一度だけ乗った思い出の列車で、急行『日南』の写真を紹介します。
平成4年夏、“九州一周路面電車巡り”と称して、一週間かけて九州を旅した事がありました。その時に利用したのがこの列車です。
前日に熊本から鹿児島入りし、翌日は昼頃まで市電を撮影した後、『日南』の発車時間まで西鹿児島駅構内で写真やビデヲを色々と撮影しておりました。途中、枕崎線の喜入まで“赤いなのはな”ことキハ200にも試乗しましたが、約5時間ホームに篭城していました。20系臨時『霧島』号も見れたしそれなりに収穫もありましたね。

『日南』号を選んだのは、宮崎まで普通列車なので乗車時間が長くゆっくり寝れると思ったからなんですが、これまた加減速の衝動の大きくて結局寝たのは宮崎発車後、それでも小倉到着までは爆睡できました。


西鹿児島駅に停車中 平成4年8月6日


オハネ25車内


オハ12車内

小倉で進行方向が変り、列車は博多が終着でした。博多到着は7時頃だったと思いますが、夜行列車の運転時間帯としては決して悪くなかったと思いました。でも利用者は少なかったように思いましたが…


博多到着後、竹下への引上げ待ち。

その日の寝台券。買ったのが1週間前か…

こんな事を書きよったら、本当に乗りたくなってきた。某茄子が出たら乗ろうかな…

ながと

2006年11月03日 | 廊下から
最近のNゲージは、ネタが尽きたのか『今更なぜ…?』と思わせる製品が出ます。某T社から、旧広島支社急行色(紅白塗装)の2両セットを見た時には…正直、驚きました(笑)

さて、実際に紅白塗装の車両は、芸備線の急行の他、小郡区の車両が山陰線の急行『さんべ』と『ながと』で運用されていました。最初に見た時には『暑苦しくうっとうしい色』との印象が強く、実際にも不評だったのか直ぐに濃淡緑色の塗装に変更されました。
写真の列車は、廃止直前の急行『ながと』号で、帰省した時に浜田駅まで始発列車に乗って撮影に行きました。この時は既に塗装変更が始まっており、画像に写っている後ろの車両は緑色に変更されています。
この『ながと』号は、以前の『あきよし』号のスジで、愛称名を変更した列車でした。その昔は、大田市始発の1番列車で時刻表には、浜田より急行『あきよし』『つわの1号』、天ヶ瀬・小郡行と表示されていました。そうそう、『つわの1号』は家族で秋芳洞に旅行した思い出の列車でした。

今思えば、どんなに不評であっても懐かしい色であり、懐かしい列車でもあります。



下り『ながと』 浜田にて 平成4年2月末頃


芸備線沿いをテクテク…

2006年11月01日 | 廊下から
今日はいつものように、掃除機をかけていると突然、『ヂーゼル見に行きなさい』とお告げが…(笑) てな訳で久々に芸備線に出動して来ました。いつもなら、単に玖村駅界隈で終わらせていますが、新たなポイントが見つかるかと思い、初めて中山踏切から戸坂にかけて歩いてみました。
赤バスで中山踏切まで移動し、そこから芸備線に沿って戸坂方面に歩いてみました。地元の方なら判るでしょうが、撮影しながら歩いて峠越えしました。腰が悪いのに無茶ですね…(汗)


1861D 矢賀~戸坂

戦前に、矢賀~戸坂間には『中山』駅があったそうですが、その痕跡若しくは用地が残っていないかと目を凝らしてみましたが、それらしき場所ではと思う場所が上の写真の場所です。丁度、ホームが入るくらいの用地があり、長さも気動車2~3両分はあります。道路からのアプローチも良かったのですが… こんな事ならキロ程を調べておくべきでした。場所は中山神社の参道近くです。


814D 矢賀~戸坂

戸坂に向かって線路沿いの道を歩いていると、重苦しいエンジン音が… 11月だというのにキハ28の冷房エンジンが回ってました…絶対おかしい!?


3847D 矢賀~戸坂

峠を越えて、百田団地バス停付近でカメラを構えると、キハ40-2044+キハ47-151のイレギュラー編成が。本来ならキハ47の2連なのですが、予備車のやり繰りが付かなかったのでしょうか? ちょっと珍しいですね。


3846D 玖村

迷いながらも、住宅地の路地を歩きながら戸坂駅にたどり着き、列車で玖村駅に移動。暫く気動車の形式写真を撮影しながら、時間を過ごしていました。この時間帯となると、列車の本数を増やす為に途中駅で編成を分割する列車があります。この列車も、下深川で後1両を切り離し、折返し3855Dになります。


3855D 玖村~下深川

玖村から先へは歩いていった事がありません。皆様もご存知だと思いますが、この辺りは太田川を挟んで対岸の可部線と最も接近する場所でもあります。芸備線横の堤防から、可部線の中島の鉄橋が間近に見えます。あまりにも近いようなので、思い切って歩いてみる事にしました。


1866D 玖村~下深川

とまぁ、歩いていると本日の目的をすっかり忘れており、キハ58とキハ47が併結して走る1866Dを撮影するのが目的でした。来た事の無い場所で、時間も無く陽も随分傾いたので、少し開けた場所で後追い撮影をしました。
キハ47はエンジンの交換を行った後、ダイヤの運転曲線が変り、混結運転は原則行いません。但し、この1866Dの広島~狩留家間、休日ウヤの2829Dは併結運転を行います。スジはキハ58に併せて設定しているそうです。


782M 中島

ゴルフ練習場の近くに深川と可部を結ぶ橋があり、この橋を渡り中島駅へと向かいます。今日は道を間違えてかなり時間が掛かりましたが、玖村駅からだと30~40分程度で到着すると思います。もう道が判ったので、今度は掛け持ち撮影ができますな。


↑これは、おまけ。

以前、ごっぱぁさまから中山踏切に帝産広島バスと書かれた看板があると聞いていましたので、ついでに撮影してきました。ごっぱぁさまは、シンコーさまにその話をしたら『なんで写真を撮らんのぢゃ!』と怒られたそうなので、私は画像を付けてシンコーさまにご報告申し上げます(笑)


カートレインだがや。

2006年11月01日 | 廊下から
カートレインっちゅうたら、『カートレイン名古屋』の写真を載せないと、名古屋人に『た~けっ!』と怒られます…多分…?

この写真はポケットアルバムに、はせてあったので、その存在すら記憶の彼方に行っておりました。よって“例のごとき例の如く”データも無ければ、なぜ撮ったのかも判りません。広島通過はかなり遅い時間帯だったような気がするのですが…
カートレイン名古屋は、ユーロライナーの客車3両とユーロカラーのマニ44を4両の計7両編成で運行されていました。牽引機はJR東海のEF65一般型を用いていましたが、写真のようにユーロカラーの105号機も使用されました。


EF65-105 広島


オロ12


マニ44

機関車のヘッドマークは、お馴染みのカートレインのヘッドマークでしたが、バックサインは、名古屋らしく“しゃちほこ”でした。しかし、別の日に撮った写真には角型の行灯が…行灯自体が光で潰れているので、どんなデザインであったか判りません。どなたかご教示をお願いします。



上:しゃちほこマーク 下:行灯マーク

そういえば、名古屋弁を堂々と話すのは『赤かぶ検事』と『にこちゃん大王』しか知らんなぁ…(謎)