昭和22年に東武鉄道から供出されたクハ1200型が前身で、登場時は制御車9000型910号で琴平線で活躍しました。後に電装され730号となり、昭和58年に志度線転出の際に再び制御車化され、880型880号となりました。
仏生山側線
転出後は予備車扱いであった為、活躍する事がなく仏生山に荒れたまま留置されていましたが、志度線分断後に予備車確保の為に再整備され、長尾線予備車として待機しておりましたが、殆ど活躍せぬまま平成12年に廃車となりました。
再整備後の築港側
同じく長尾側 仏生山側線
仏生山で荒れたまま放置されている車両が、まさか復活するとは夢にも思いませんでした。ただ、活躍した姿は見ることが出来なかったのが悔やまれます。
改めてみると、纏ったプロポーションで非常に好感が持てますね。
仏生山側線
転出後は予備車扱いであった為、活躍する事がなく仏生山に荒れたまま留置されていましたが、志度線分断後に予備車確保の為に再整備され、長尾線予備車として待機しておりましたが、殆ど活躍せぬまま平成12年に廃車となりました。
再整備後の築港側
同じく長尾側 仏生山側線
仏生山で荒れたまま放置されている車両が、まさか復活するとは夢にも思いませんでした。ただ、活躍した姿は見ることが出来なかったのが悔やまれます。
改めてみると、纏ったプロポーションで非常に好感が持てますね。