日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

2011年 ヨーロッパへの旅 32 ジュネーブから成田へ

2012-02-05 01:12:22 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月21日

泣いても笑っても、今日はジュネーブを発ち、
アムステルダム乗り換えで成田へ。
学生達ともいよいよお別れの時。

「今時の若者は」とよく言われるが、彼等の研究熱心で、真摯な姿は
各訪問先で歓待を受け、しかもすばらしい評価を得ていた。

私も全員が自分達の息子のような、娘のような、恋人のような・・・・
と思っていたのに、渉平君の寄せ書きには
(おばあちゃんと旅行しているようでとっても楽しかった)
と書いてあり、ショックだったが、
何はともあれ、1年生から4年生、そして卒業生二人、
皆すばらしい人達だった。

蛇足だが、私と彼のおばあちゃんはとてもよく似ているそうな・・・

来年の3月、定年を迎える夫にとって最後の研修旅行となった。
今まで、ずっと笑顔で「さようなら、お疲れさまでした。」と言っていたのに、
今回、初めて、別れの時に涙が溢れた。
もう二度とこのような経験は出来ない・・・・



そして、本当に最後の集合写真。





ジュネーブでそれぞれの飛行機に乗るため、
「さようなら」と言って別れた後、問題発生!

搭乗手続きの際、
私のブッキングがされていないとKLMの係員に言われ、仰天!
Eチケットもあり、座席予約もされており、こちらには何の落ち度もない。

結局、一時間以上も待たされた後、システム上のトラブルで、
コンピュータに登録されておらず、
私の席だけ完全に消えていたことが分った。

何とか、ギリギリでアムステルダムまで乗ることが出来、
成田までの席も、親切な方のお陰で夫と並んで座ることが出来たが、
もしかしたら、帰国出来なかったかもしれない。

いずれにせよ、終わり良ければ全て良し。
皆が元気で大した事故もなく帰国出来、ほっとした。

お世話になった全ての皆様に心から感謝申し上げ、
そして、4ヶ月に及ぶダラダラ「ヨーロッパへの旅」に
お付き合いいただいた皆様にも、お礼を申し上げたい。

ありがとうございました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年 ヨーロッパへの旅 31 ツエルマットからジュネーブへ

2012-02-03 00:57:13 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月20日

いよいよ日本に向けての移動が始まった。

今日は朝からすばらしい晴天!

お世話になったホテル・アルペンブリック。



もう一度、すばらしいマッターホルンの見える所まで戻って・・・



さようなら・・・・またね・・・




我々がまだ寝ている内に、スガチャンは一人でゴルナーグラート鉄道の
ローテンボーデン駅から徒歩10分、逆さマッターホルンで有名な
リッフェルゼーまで出掛けて行った。

彼からいただいたすばらしい写真もここにお披露目しよう。








あまりのすばらしさに感激し過ぎたのか、
下りの道で滑って足首を捻挫してしまい、
その後、数日間、痛みが取れず困ったようだが、
彼のお陰で私もすばらしい逆さマッターホルンを
見ることが出来て幸せだった。


11時、ツェルマットの駅に行く途中、昨日のお土産屋さんのおばさんに
「さようなら」を告げに寄り、フィスプまでスイス鉄道で。
そこでIC鉄道に乗り換え、ジュネーブへ。


ジュネーブ駅のすぐ前、
Hotel Cornavin (コルナバンホテル)に落ち着いたが、
この地で何かの国際会議が行われているせいで、
なかなか適当なホテルが見つからず、
一晩、36,000円という法外な宿泊料を取られた。
しかも、部屋はすばらしかったが、朝食は今までで一番最悪、
フルーツやおいしいハム類もなかった。





毎回の経験で、チェックインもすっかり板について・・・・





早速、スガチャンのシップ薬を探しながら、レマン湖まで出かけたが、
今まで2度も来ているにもかかわらず、
初めての街に来たような感じだった。






今夜は学生達が私達夫婦を夕食に招待して下さるとのこと。
数年前に行った「エーデルワイス」というレストランが
とても楽しかったので、夫と二人で斥候を引き受けたが、
生憎、今日は貸切で使えないということだった。

仕方なく、近くのスイス風レストランに決め6時に予約をしたが、
これが大当たりだった。
我々が揃って入って行ったらもう満席で、
後から来た人達は入ることが出来なかった。
これも国際会議の影響かもしれない。







おいしいお料理が次から次へ、際限なく出てくる。
あまりの多さに、皆の出費が心配だった。

その上、二人にステキなスイスのエプロンと
今回の旅行中に撮った写真の入った寄せ書き帖、
さらに、メンバーの一人、2年連続参加の洋ちゃんからは
かわいいスービニアスプーンまでいただいた。

いつも「お金がない、お金がない。」と言っていたのに、
この日のために皆お金を節約していたそうだ。
思わず、涙がこぼれてしまった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年 ヨーロッパへの旅 30 ツエルマット3日目

2012-01-29 02:19:15 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月19日

寒い・・・・窓の外は雪がちらついている。
今日はゴルナグラート(標高3100m)まで行こうと登山電車に乗り、
前ちゃん、宮君、あやちゃん、ナカジ君、私達夫婦6人で出かけた。



荒涼としてうっすらと雪が積もり、見るからに寒い。



ゴルナグラート終点駅



驚いたことに、4年前にはなかった建物がさらに上に出来ており、
その時まで使われていた土産物屋の建物が寂しげだった。
(写真左手の小さな建物)



そして、売店には高級品が並び、私は目の保養だけ・・・。



薄く雪が積もった中、リュッフェルアルプまで徒歩で下る5人と別れて、
私は一人でまた下り電車に乗ると、
黄色の服を着た男性が私に奥の方を指差し、
何かをしきりに言っている。

しばらく聞いている内に、「タイワン・・・・」と聞こえた。
台湾グループは前の方の車両にいるよ、と教えてくれているらしい。

私は日本人だと答えると、彼は自分の前の席を指差し、
座るように言ってくれたが、
その人はドイツ人でほとんど英語が分らない。

隣のドイツ人の御夫妻も巻き込んでつたない英語で話すが、
その御夫婦もほとんど英語が分らなかった。

それでも、その黄色の男性は熱心に話しかけてくれて、
「グッドバイはアウビダゼン、グーテンタークは何と言うか。」
と聞き、さようなら、こんにちは、などと答えると、
ジョンレノンが横浜に行ったが知ってるか、などと続け、
首をかしげながらだが、結構楽しい時を過ごすことが出来た。
私がリュッフェルアルプで下車する時は、
私を抱きしめて「良い旅を!」と言って下さった。

ドイツ語が話せたら、もっともっと楽しかったかもしれないが、
どこの国の人であっても、心と心は通じ合うのだと思った。




ホテルまでの帰り道、小さなお土産店の店頭で、
気になるステンレス製のカップを見つけた。
ゴルナグラートの店で見かけたが、
高くて買えなかった同じカップだ。

値段を確かめていたら、老婦人が横から声を掛けてくれた。
聞くと、はるかに安いので二つ買うことにしたが、
丁寧に商品の不備がないをチェックし、
袋に入れながら、日本人かと問うてきた。

日本のこと、宗教のこと、不思議なほど彼女の英語は分かりやすかった。
お互いに英語が母国語ではないので、通じるのかもしれない。

ツェルマットの教会の前の小さなお土産屋さんのこの御婦人、
もし、機会があったらまた訪ねてみたい。



旅の楽しみはその土地の人と話すこと。
たとえ言葉は通じなくても、笑顔の温かさはずっと忘れない・・・・

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年 ヨーロッパへの旅 29 ツエルマット2日目

2012-01-24 15:21:45 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月18日

朝から小雨が降ったり止んだり。
せっかくのハイキングなのに・・・・

学生達はそれぞれ行きたい所に 別れて行動。
スガちゃんとテッシー君は歩きで、ナカジ君と夫と私は電車で、
それぞれリュッフェルアルプ駅で待ち合わせをした。

ツェルマット駅からリュッフェルアルプ駅までの道、
昔ながらの小さな家が並ぶ。
この辺りの家の屋根は、山から採れる薄い岩で出来ている。
初めてここへ来た時、
同じスイスなのにグリンデルワルトとの雰囲気の違いに
とても驚いたが、その一つが屋根だった。



     

1時間半の予定のコースなのに、なかなか二人が現れず、
駅舎の中の係員を横目で恨めしそうに見たり、
足踏みをしながら寒さを凌いだ。
何と、駅舎に入れるのは係員だけ。
気温1~2℃しかないのに、皆プラットホームで待つしかないのだ。



30分遅れて彼等が登場。
かなり足元が悪く、2時間もかかってしまったとのことだった。

ようやくスネガーに向けて歩き出したが、
相変わらず雲が低く、せっかくの景色が見えない。

しかし、足元に咲く高山植物やアザミなどは水を得て美しい。



しばらく歩くと、あちこちに美しい湖が現れた。



そして、小さな魚がたくさん泳いでいた。



いつも思うのだが、こんな山の上にどうして魚がいるのだろう。
最初の1匹は誰が持って来たのだろう・・・・
湧いて出て来る訳はない・・・と言ったら、
海の魚は最初に誰が持って来たの?と言われた。

残念ながら、小雨はいっこうに止まず、
「パラダイス」という山小屋でミルクココアを飲み、
ようやく一息つく頃には、雨も本格的に降り出した。




玄関横に美しいエーデルワイスが鉢植えになっていた。
7月から8月にかけて、エーデルワイスの丘という所では
たくさん見られるらしいが、私は真夏に来たことがないため、
ハイキングコースで自生している所は
ほとんど見かけたことがない。
しかし、鉢植えは何度か見ている。





だんだん土砂降りになってきた雨には勝てず、残念ながら、
直接ツェルマットに下山することになった。

いつだったか忘れたが、このコースのどこかで
たくさんのプレーリードッグに出会って、すごく興奮したので、
又、彼等に会えるかもしれないと密かな期待をしていた。
本当に恨めしい雨だった。

夕食は近くのイタリアンレストランで取った。

そうそう、昨日も同じ店だったが、
仲間のナカジさんがお誕生日だったので、
小さな声で「Happy Birthday to Nakaji ♪♪」と歌っていたら、
店の人がステキなプレゼントを持って来て下さった。
ろうそくが立ったおいしそうなケーキ!




ずっとロンドンで一人住まいなのでこんなことはなかったです、と
とてもうれしそうだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年 ヨーロッパへの旅 28 ベルンからツエルマットへ

2012-01-21 17:55:42 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月17日

昨夕、ツェルマットに着いた。

駅ですばらしい出迎えを受けたが、このような経験は初めてだった。
より観光に力を入れるようになったのだろう。




ツェルマットは今回で4度目。
駅前のメイン通りそのものはあまり変わらないが、
少し離れると、あまりの変貌に驚くばかり。

スイス農業組合で伺った「1秒間に100㎡のスピードで
農地がなくなっている。」という言葉に合点した。

駅から歩いて5~6分、ホテル・Alpen blickに投宿。
今年、創立100周年にあたるという木造りの、小さいが
とても良い雰囲気のホテルで、皆が歓声を上げた。

受付の女性もとても良い方で、その後、毎日天気予報を伺うと
インターネットで詳しく調べて下さり、親身になって答えて下さった。

今日は午後から天気が崩れそうなので、10時に集合、
クライネマッターホルンの上まで出かけることになった。

チケット売り場も新しく・・・





途中、ゴンドラの乗り換え駅で降りてしまって、
違う場所に行ってしまったが、その時は気付かず、
遠くに見えるモンテローザを見ながらブーイング。
「え~~~っ、往復券1万円も払ったのにここで終わりなのぉ~~~~」
ここはまだ海抜2000m。



結局、中継点まで戻って来て事なきを得、クライネマッターホルンの上まで
昇ることが出来たが、ロープウェイから見える急な勾配に、
恐ろしくて身震いがした。

後で調べたら、フーリーまで4人乗りの高速ゴンドラで行き、
フーリーからは、120人乗りのロープウェイで
トロッケナーシュテック(2927m)まで、
そして、さらに乗り継ぎ、ロープウェイで
クライネマッターホルンバラダイス展望台に行くのだ。
ここがスイスで一番高い展望台(3883m)



わ~~っ、怖~~~い!ロープウェイの終点、
こんな建物があるなんて・・・・
下からは全く見えない。






4000m級の山の上にステキなレストランがあり、トイレも水洗。
スイス人達の探究心、建造力、すごい物がある。
しかし、本当に大丈夫なの?・・・・と思うのは私だけかしら。



しばらくすると、予報通りの吹雪になってきて、続々とスキーヤーが
小屋に向かって、引き上げて来た。
今まで全く見えなかったのに、相当な数だ。



あれ?こんな馬鹿な日本人が・・・
外で半袖になるなんて、
年寄りなら心臓発作で倒れるかもしれないのに・・・。



昨日までの緊張感から開放され、笑顔が底抜けに明るい。
毎回、それぞれの役割分担があり、
一問一答に神経を張り詰めていたのだろう。




氷の宮殿はグリンデルワルトのユングフラウヨッホほどは大きくないが、
氷河の15mほど下をくりぬいて造られた空間で、
青白い光に包まれ、幻想的だ。



滑り台で遊んだり・・・



ベッド?の上で寝転んだり・・・・
それぞれに楽しい時を過ごした。





そろそろ帰ろうとロープウェイの入り口に向かったら、
おびただしい数のスキーヤーが並んでおり、
かなり時間がかかりそうだった。

その内、退屈した若者達がスキーやスノーボードに付いていた雪を
丸めて仲間に投げ始め、
その応戦であちこち関係のない人達にも害が及び始めた。

突然、夫がその人達に向かって止めるようにと怒鳴った。
一瞬、皆驚いたが、どこの国に行っても、大人は子供達の迷惑な行動を
注意しなければいけない、という彼の意見はもっともなことだ。


結局、下に着くまでに30分以上掛かったが、
ロープウェイの中で会ったかわいい女性が、
私に「日本語の響が大好き。日本の漫画が大好き・・・」
と話し掛けてくれて、
英語と漫画の大得意なアヤちゃんと意気投合。
とても楽しいひとときだった。



彼等は今日、
スノーボードのハーフパイプの試験を受けてきたと話していた。


世界中の人が簡単に行けるマッターホルン登頂・・・・?
いや、お隣のちょっと小さなマッターホルン。
おっかなびっくりだったが、とっても楽しかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年 ヨーロッパへの旅 27 ベルン4

2012-01-17 00:09:30 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月16日

今日は SFUスイス農業組合に訪問。
アレクサンダー・クロップさん、ラッヘル・ウエーバーさん、
マルティン・ピドウさんが応待して下さり、
ここでも同じような質疑応答が持たれた。






この3社への訪問によって、スイスと日本は農業環境が酷似しており、
専業農家の比率がスイスは70%、日本は30%と全く反しているものの、
家族が基本になっていて、老齢化していること、農地が狭いこと、
特にスイスは1秒間に100㎡の農地が宅地に変化しつつあり、
自給率が低くなっていること等、問題点もあるが、
日本のように、専業農家も兼業農家もJAを通して
同じような保証金を受けることはなく、農家の規模によって、作付け、
収穫によって違いがあり、また、農協に入らなくても指導や利益金が
受けられないだけで、自由に生産物を出荷出来るということが分った。


ここでも、熱心な討議で1時間も予定時間より遅れ、急いでホテルへ戻り、
各自背広を脱ぎ、2時7分のIC電車でツェルマットに向かうため、
駅まで急ぎ足で走った。

通訳の松井さんが駅まで見送りに来て下さって、
昼食を取る暇もなかった私達に
おむすび代わりにとプレッツェルンを買って来て下さった。

専門分野によって分らない単語もたくさんあるので、
何日も掛けて資料を読み、
かなりの勉強をなさると伺ったが、それだけではなく、
こうした優しい心配りが出来るのも彼女の魅力の一つ。
心からお礼を申し上げたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年 ヨーロッパへの旅 26 ベルン3

2012-01-16 23:23:09 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月15日

今日は2ヶ所の企業訪問を控え、
学生達もスーツに身を固め、緊張の面持ち。
昨年スイスの製薬会社ロッシュを訪問した時にもお世話になった
通訳の松井さんと合流。

※「2010年 ヨーロッパへの旅 スイス・バーゼル 2」に
松井さんの記事を載せてあるので、
これも合わせて見ていただきたい。

徒歩でFenacoに向かった。
100年以上前に農業従事者が集まり、株主となって、
各地域ごとに「ランディ」という支部を作り、
その頂点で統括をしているのがFenacoである。

ここでは種子、肥料、燃料、機械などの斡旋や、
小売業者への販売をしている。
組織や運営、目的、環境経営、その他について話を伺った。


こちらからは、日本に於ける農業の現状、問題点、
今後の目標などの研究発表を行い、さらに学生達の熱心な質問に、
理事のマーティン・ケラー博士、ヘルマン・シュミット博士も
真剣に答えて下さり、3時間に及ぶ会議が終った。



そして、マーティン・ケラー博士は英語、
ヘルマン・シュミット博士はドイツ語、
その両方を巧みに通訳して下さった松井さんは、
大変な御苦労だったと思うが、
お二人がとてもすばらしい話し合いだったと
褒めて下さったとのことで、
きっと御自身も満足されたことだろう。




午後はFOAGスイス経済省農業局局長のトーマス・マイヤー博士に面会。
そして、スイスの農業政策について、多方面からお話を伺い、
また、研究会で調べた日本に於ける農業の現状をお話し、
質疑応答を重ねた。



こちらも時間を超過してしまったが、トーマス・マイヤー博士は終了後、
わざわざ明日の訪問先まで、迷わないようにと、我々を送って下さった。




どちらも、スイス農業の民間、政府のトップの方達でありながら、
お忙しい時間を割いて、快く遠来の若者達の話に
耳を傾けていただいたことに、心から感謝したい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年 ヨーロッパへの旅 25 ベルン2

2012-01-14 01:09:34 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月14日

湾曲するアーレ川に囲まれた土地を生かして、1191年ツェーリンゲン公
ベルヒトルト5世によって造られた町がこの地の始まりで、
13世紀から神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世によって帝国自由都市となり、
さらに発展していった美しい旧市街は、
1983年にユネスコの世界文化遺産に登録されたとのこと。

言い伝えによると、公爵が殺した熊に因んでベルンと名づけられたという。


このベーレン広場には、マーケットが並び、いろいろな食材が並んでいた。













この他にも、魚や肉、香辛料、
日常生活に必要な食物は何でも揃っている。
ヨーロッパではどこに行ってもこのような市場があるが、
日本ではお祭り以外あまり見られない風景である。


時計塔




13世紀に造られた城門に、1530年、据え付けられた天文時計で、
以来、人々の生活の基準になっているという。



中に入ってみると、若い人達がたくさんいて何かを学んでいるような、
カルチャーセンターのような雰囲気の部屋があり、
その横に時計を動かしている機械があった。


水飲み場





街のあちこちに、彫像が美しい泉(水飲み場)が10以上も点在している。
ここは公共の水場で、かつては馬に水をやったり、
洗濯をする姿が見られたそうだ。


そして、かの有名な物理学者アインシュタイン博士が
1903年~1905年の2年間を過ごした家があり、
特許局に勤務する20代だった彼は、
ここで特殊相対性理論を生み出したのだそうだ。



あまり大きくはないが、彼がベルンで最も美しい通りと
たたえたクラム通りに面していて、窓からの眺めがすばらしい。
(前述の水場のある通り)



若かりし日の彼と妻ミレーヴァ。



私の思い浮かべる顔は、後年の彼。
1955年、75歳で帰らぬ人になった。



名前しか知らない人だったのに、
偶然彼の家を訪れ、ここでいただいた資料から、
彼がユダヤ人であったこと、
聡明で寡黙なセルビア中産階級家庭出身のミレーヴァ・マリッチと、
親の反対を押し切って結婚したこと、
1933年、政治上の理由からアメリカに出国して、
プリンストンに研究の場を見つけたことなどを知り、
大いに勉強になった。


熊公園

ベーレン広場から歩いて15分、ベルンと熊の関係は古く、
この公園では2組の熊の夫婦とその子供達を放し飼いにしている。 



アーレ川に掛かる橋から美しい旧市街地を見ていると、
橋を渡り切った辺りに高い木がたくさんあり、ふと見ると、
30~40mの木に熊が登って行くのが見えた。

あっという間だった。




公園の傍のレストランで昼食を取り、
夜は全員でホテル近くの中華店で
盛り上がったが、これは割愛・・・

ベルンもすばらしい街だった。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年 ヨーロッパへの旅 24 ルツェルンからベルンへ

2012-01-06 23:04:49 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月13日

今日もすばらしい晴天!
12時丁度の電車で、ルッツェルン駅からベルンへ移動。

ベルンはスイスの首都であり、ベルン州の州都でもある。
そして、チューリッヒ、バーゼル、ジュネーヴに次ぐ4番目の規模の都市で、
街の語源は熊(独:Bär)からきているという。


今夜の泊まりはHotel・ADOR。


駅前でタクシーに乗ろうとして、荷物をトランクに入れてもらった後、
ホテル名を告げると「ここから歩いて2~3分だから歩きなさい。」
と言われ、運転手はまた、荷物を降ろしてくれた。

あまりに申しわけなくて、
学生達が用意してあった折り紙の鶴を差し上げると、
うれしそうに、周りのドライバー達にも見せていた。



ホテルに落ち着くと、すぐに街に散策に出かけ、
スーパーマーケットの位置や商品を確認したりした。
今回の旅のテーマは農業。
やはり、行く先々で農産物が気になる。



夜、研究会の先輩で、
以前このEU旅行に参加したこともあるナカジさんが、
留学先のロンドンから飛んでいらした。

今夜はホテルの隣のイタリアンレストランで夕食を取ることにしたが、
とても良い雰囲気にもかかわらず、
日本語はもちろん、英語も全く通じず、
イタリア語だけなので、メニューを見てもよく分からず、
お皿が出てくるまで、賭け状態だった。
でも、ほぼ想像に近い物が出てきて、おいしかった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年 ヨーロッパへの旅 23 ルツェルン 4

2012-01-05 00:40:24 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月12日 (その4)

下船して、二人に別れを告げ、カペル橋へ向かった。

カペル橋は、ルツェルンを流れるロイス川に架かる橋で、
ルツェルンを敵の攻撃から守ることを主眼に、
1333年に造られた屋根付橋である。
橋の内側には17世紀に描かれた
ルツェルンの歴史についての一連の絵があったが、
1993年の火災により、橋の大部分と、
ほとんどの絵が焼失してしまったという。

1986年に焼ける前の橋を見ていたので、
この橋が消失してしまったというニュースを聞き、
非常にショックを受けたことを今も覚えている。

現在の橋は18年前に再建された物とか。


25年前、焼ける前の橋の内部の様子。



今回の橋の内部。



ほとんど同じように見えるが、残念なことに上部に掛けてある絵が
入り口から5~6枚あっただけだった。
ほとんどの大切な絵が消失してしまったのだ。


そして、昔 橋の両側には何もなかったが、



現在は美しい花が飾られ、



カメラ自体も昔とは随分違う・・・



遠くの建物にも変化が・・・



1333年、初めて造られた時は、一体どんな様子だったのだろう・・・



ところで、橋のすぐ傍の土産物屋を覗くと、中年の女性が西洋訛りで
「いらっしゃいませ。」と声を掛けてくれた。

言葉の響と顔の雰囲気で日本人だと分ったらしいが、
彼女の話によると、以前は日本人とアメリカ人が多かったが、
最近はすっかり減ってきて、
その代わりに中国人が増えてきた。

初めは日本人にも驚いたが、
日本人はこちらの風習が分ると合わせてくれるようになった。
しかし、中国人は自分達の習慣をこちらに押し付けるので、
お金は落としてくれるが、国が汚れるので、
何か方策を考えなければいけないと
スイスの新聞にも書かれている・・・・ということだった。

同じホテルで会ったことは一度もなかったが、
湖畔で大型バス3台、声高にしゃべりながら乗り込んで行く
大勢の中国人を見て、大人の修学旅行のようだと思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする