日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

ヨーロッパへの旅 (18)

2010-01-04 00:18:47 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
Rome 成田  9月19日 


長かった20日間の旅、いよいよ今日帰国。

そして、帰国の飛行機もマイレージを使って
ビジネスクラスに乗ることが出来た。




またまた機内食も美しくおいしかった。



今回もたくさんの思い出が出来た。

イタリアの電車やバスの中で、暑いのにブカブカのコートを着て、
我々の側に寄って来てじっと窺っている人がいると、
「○○さん、警戒警報、警戒警報・・・」
と大声で誰かが叫び、皆が笑いながら対応していたが、
日本語の通じない外国で仲間が大勢いるから出来たこと。
皆が無事で帰国出来たことが何よりだった。




そして、もう一つ。
生まれて初めてのビジネスクラス。

オランダの有名なデフォルト焼き、この中にお酒が入った記念のお土産。
ビジネスクラスに乗った人だけに一つずつもらえるそうだが、
帰りの機内で日本食がなくなって、洋食に変更を承諾したら、
下船の時にそっと、さらに二つ下さった。

行きの客室乗務員のヘンゲルスさん、帰りの横山さん、
お二人ともとってもステキな方達だった。

結局、旅の思い出は、人の思い出・・・
すばらしい思い出をありがとう~~~

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ヨーロッパへの旅 (イタリア) (17)

2010-01-04 00:09:32 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
Napoli Rome  9月18日 


いよいよ旅の終わりを迎えることになった。

ナポリのスターホテルでゆっくり休み、12時チェックアウト。
1時前の電車でローマに戻り、
又、ホテル・ポルタマッジョーレに落ち着いた。

ホテルの窓から下を見ると、
まさに遺跡の中に現代人が住んでいる、という感じだ。




今回の旅行で、とにかく一番活躍した二人。
道案内のため、いつも先頭を切って歩き回り、翌日の下調べのため、
駅まで走ったり、とても大変だったことだろう。

その分、さらに成長したに違いない。




最後の晩餐は違うレストランで・・・・・と思っていたのに、
店の前を通りかかったら、あの好青年ジョバンニが丁度立っていて、
オーナーともども大喜びで招き入れてくれた。



ローマで3日間も通った店なのに、名前は覚えていない。
いよいよ明日は帰国・・・・      

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ヨーロッパへの旅 (イタリア) (16 )

2009-12-31 01:55:25 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
Capri  9月17日 


青の洞窟行きをあきらめざるを得なかった我々は、ケーブルカーに乗り、
5分後、高級ホテルや高級ブランドショップの立ち並ぶウンベルト広場に着いた。



眼下には美しい海が広がり、白い建物が点在。



ここから歩いて15分ほどの[大砲の展望台]まで上がる道はとても細く、
車はもちろん、自転車も難しそう。




しかしながら、道の両側には美しい豪華な家が並び、この犬を連れた男性が
我々と別れた後に入って行った家を見て、驚いてしまった。
「わぁ~~~、セレブ~~~」



兵器開発で巨万の富を築いたドイツのフリードリヒ・アウグスト・クルップが、
19世紀の初めに造園した庭園の、一角にある展望台から見る景色はすばらしかった。
でも、夫が一言「西伊豆みたいだね・・・」







土産物屋の店先には、たくさんのタイルやリモンチェッロが並んでいた。
リモンチェッロというのは、日本で言う梅酒のレモン版、
アルコール度が高く甘い。
それぞれの家庭で作られているそうだ。
食後に飲む物らしく、ローマのレストランではいつも出してくれた。



タイルはアルファベットの文字が一枚ずつ売られており、
花模様や、動物、幾何学模様など種類も多く、とても美しい。
そして、それぞれの家の表札や、街の通りの名前にも、
このタイルが使われていた。


さて、この島で一番有名なジェラート屋があり、
そこで食べるのがとても楽しみだった。

焼きたてのワッフルに、たくさんの種類のジェラート・・・
人だかりのしている「TAVOLACALDA」という店を見つけた。






本当に、今までどこで食べた物よりおいしかった。

おいしい昼食、おいしいジェラート、青の洞窟には行けなかったが、大満足だった。



暑い日差しの中、一日の旅が終わり、また、モーロ・ヘヴェレッロ港へ。
もう二度と来ることはないだろう。

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ヨーロッパへの旅 (イタリア) (15)

2009-12-31 01:50:02 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
Capri  9月17日 


ガイドブックに書かれていることを信じてはいけない。

仲間のガイドブックには誰の本にも「カプリ島に渡るのは
メリジェリーニ港から・・・・」と書いてあったので、全く疑うことなく
地下鉄に乗り、メリジェリーニ駅で降り、港を目指した。



ところが、チケット売り場で「ここからはカプリに行く船は出ない。」と言う。
結局タクシーで10€を払って、モーロ・ヘヴェレッロ港へ・・・・

何と、一昨日行ったカステル・ヌオヴォのすぐ側ではないか。
日本のガイドブックはあまり当てにならない。
今までにも、何度だまされたことか。



カプリ島はナポリから約30kmの海に浮かぶ、
長さ6km幅約3kmの小さな島。


フェリーで約30分、島の主要な港町、マリーナ・グランデに着いたら、
ここから青の洞窟に渡るため、
さらに次の船着場で並ばなければならないが、
グループ旅行の人達はどんどん乗って行くのに、
待てど暮らせど我々の船は来ず、
1時間近く経っても、チケット売り場が開かない。


聞けば、洞窟の入り口でさらに小船に乗り換えるために、
1時間以上並んでいるらしい。
その内に、行列の前の人達が怒りながら抜けて行った。



アメリカから来た御夫婦も、何とか洞窟まで行きたいと言い、
立ち去る気にはならない様子。

ここで2時間待っても小船に乗り換えるまでに3時間、
どうしよう・・・と迷っている間に
「波が出てきたので、ここで終わり・・・。」と締め切られた。

「あ~~ぁ、せっかく早起きして来たのに・・・。」

洞窟から帰って来た人達に聞くと「ファンタスティック!」と言う人、
「大枚出したのに見られなかった。」と言う人、
「幸運にも2~3分中に入れたが、すごいチップを要求されて
不愉快だった。」と言う人、様々だった。


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ヨーロッパへの旅 (イタリア) (14)

2009-12-28 15:47:45 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
Pompei  9月16日 


ポンペイ、子供の頃からずっと一度は訪れてみたいと思っていた所だった。
西暦79年の夏、ヴェスヴィオ火山が大噴火を起こし、
一瞬の内に埋もれてしまった街。
紀元前8世紀から商業活動の要衝として栄え、
噴火直前には人口2万5千人だったと推定されているらしい。

18世紀の半ばにナポリ王カルロス3世によって発掘され、
厚い火山灰の下から現れた遺跡は、
古代人の生活様式を鮮明に語っていた。



小さな小さなポンペイ駅。

駅からすぐの遺跡入り口には大勢の人達がトイレ待ちをしていた。
とにかく大きな所で、ざっと見て回るだけでも4時間はかかるという。
しかも、日本語のガイドブックはなく、
英語版を片手に何となく歩いていると、日本人のツアーがやって来た。
ちゃっかりその人達の後について無料で便乗。
時間が少ないので特別な所だけ、かいつまんで見学しているらしい。



手前のガラスケースの中には一瞬の内に生き埋めになった人が2体、
後の壁には、フレスコ画がかなり鮮明に残っていた。


その時の話によると、初めの噴火でほとんどの人が避難したが、
大丈夫だと思っていた人や、
囚人などが逃げ遅れて生き埋めになったという。

フレスコ画には遠近法が使われており、
キリスト教以前から、遠近法の画法が
あったということを知り、古代の人達の文化の高さを知った。




アポロの神殿




フォロと呼ばれる公共広場のすぐ北側に浴場があり、修復されていた。
そして、このモザイクは当時の物だという。




大きな石を敷き詰めた道路、重い荷馬車が通る箇所は、
石に轍の跡がくっきりと見え、繁栄の歴史を垣間見ることが出来た。


写真がないのがとても残念だが、
順番を待っているような人だかりがあり、
聞いてみると、この当時の売春宿の跡だという。

小さな部屋の入り口にはフレスコ画で、
それぞれの女性の姿が描かれており、
中には石のベッドが置いてあった。
男性の絵もあったらしい・・・
誰か写真を持っていたら、お借りしたいのだが・・・


とにかく、たっぷりあちこち歩いて、満足した。
そろそろ帰ろうと外に出ると「おいしいよ~~~。安いよ~~~。」と
呼び声がかかった。



たくさんのオレンジが並び、おいしそうだった。・・・・が、我慢、我慢。
よく見ると、しなびたオレンジもたくさんあったのだ・・・。
もしかしたら、ディスプレイ用?
中身はパック入りジュースかもしれない。


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ヨーロッパへの旅 (イタリア) (13)

2009-12-24 17:39:20 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
Napoli  9月15日 


1時間ほど休み、早速市内観光に。

ナポリはギリシャ語で「新しい街(ネアポリス)」という意味で、
ギリシャの植民地としてスタートした。
12世紀からはノルマン人に、
13世紀にはアンジュー家、アラゴン家に統治され、
16世紀にはスペイン総督、
18世紀にはフランスブルボン王家の統治を受けたが、
それぞれの時代の建物や美術品が残されており、
文化的な水準が高いと言われている。

バスを降りて最初に見えた建物がカステル・ヌオヴォ。
1282年にフランスのアンジュー家出身のシャルル1世が建てた城。
ヌオヴォというのは「新しい」という意味で、新しい城、すなわち、
卵城より新しいということらしい。




要塞のような城、卵城。
12世紀にノルマン王によって、サンタ・ルチア港の埠頭に建てられた城。
基礎部分に卵を埋め込み「この卵が割れた時は、
城はもとより、ナポリの街まで危機が迫る」
という呪文がかけられたという伝説が名前の由来らしいが、
私には意味がよく分からなかった。




卵城の上まで上ると、ナポリ湾の向こうに、ヴェズヴィオ山が見える。
「ナポリを見て死ね」という言葉は、この城から見た風景だとか。
皆は足で、鳩ちゃんと私はエレベーターで昇った。
もう思い残すことはない・・・・かな?



卵城から10分、プレビシート広場に面した正面に、
スペイン統治下の17世紀初めに建てられた豪華な宮殿がある。

18世紀以降、ブルボン家はじめ、歴代ナポリ王の居城になり、
正面には歴代ナポリ王8人の彫像が並んでいる。

これが世界遺産になっているの・・・?と言うぐらい、
質素な建物に見えた。



ところが中に入ってびっくり!



美しい大理石の彫刻に息を呑んだ。


王宮の正面にはプレビシート広場。



私の憧れは崩れてしまったが、
やはり、ナポリの人達はこの街に強い誇りを持っていることだろう。

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ヨーロッパへの旅 (イタリア) (12)

2009-12-24 01:12:42 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
RomeからNapoliへ  9月15日 


ニースで落ち合ったじんちゃんと渚ちゃんは、このまま日本へ、
ローマに単独乗り込み、先輩として貴重な意見を述べたあかねちゃんは、
夜の飛行機に乗るまでの数時間、一人でローマ郊外へ出かけると言う。

他の学生4人と、ナポリへ向かった。


駅前のスターホテルは4星、しかも駅のすぐ前で、中の造りも良く、
なかなか快適だったが、窓からの眺めは最悪だった。



右上がナポリ中央駅、左下が駅前の風景。


「ナポリ、恋の町、幸せに溢れて・・・♪」という歌で、
何となく憧れがあったのだが、
テトリス状態の車の運転、騒音、街に溢れるゴミ、
しかも、信号の数が少なく、
自動車の間を縫って道路を渡らねばならず、
何度も怖い思いをした。
もう、完全に、着いたその日に憧れは崩れてしまった。

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ヨーロッパへの旅 (イタリア) (11)

2009-12-19 19:26:00 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
RomeからNapoliへ  9月15日 



「朝の10時にホテルを出なければならないから、絶対ダメ!」と
夫に言われながら
「2時間もあるから大丈夫。往復40分もかからないから・・・・」
と、朝食も摂らず、ナボーナ広場の近くで開かれる朝市に出かけた。




早朝のナボーナ広場

女性5人で、どうしても欲しい物があり、出かけたのだが、
ホテルまでの帰り道、恐ろしい渋滞に遭い、
途中でバスを降り、テルミニ駅からタクシーに乗り換えた。
ところが、運転手は我々の様子で
時間に追われていることが分ったのだろう、
普通17€(ユーロ)の距離を20€と言い、のみならず、
20€札を出したにもかかわらず、「これは5€札だから足りない」と
さらに15€を要求された。
仲間の学生が「確かに20€払った。」
と言ったが、「No!]と叫ぶので、
彼女は狐につままれたような顔をしていた。

もう、ホテルの前では数分後に出発するために、
他の仲間達が待っており、
話し合いの余地はなく、仕方なくさらに20€を出すと、
先程の5€を投げるように返した。

結局、彼女はそのような汚い5€札は初めから持っておらず、
騙されたことは自明の理だった。
大慌てだったので、見透かされていたのかもしれない。
35€も取られ、悔しくて悔しくて・・・

ホテルで用意してくれたタクシーの運転手が、
テルミニ駅で「17€」と言った時、
私はたいした英語もしゃべれないくせに
「あなたは正直な人だ、さっき乗った運転手は
同じ距離だったにもかかわらず、
35€を取った・・・」と必死にメチャクチャな英語で文句を言うと、
「35?35?」と何度も聞き返し、
「同じ仲間がそのようなひどいことをして申しわけなかった・・・」
と謝ってくれた。

・・・・が、夫には
「あれだけ朝のラッシュはすごいからだめだと言っただろう・・・。」と
ひどく叱られるし、お金は損するし、惨々だった・・・

・・・・でも、欲しかったものはgetした・・・

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ヨーロッパへの旅 (イタリア) (10)

2009-12-13 18:15:02 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
Rome  9月14日 


緊張が続いた一日の終わり、
ホテルの近くにあるレストランで、夕食会を持った。
一昨日も来た店だが、美味しくて、いつも店内は満席だった。







あかねちゃんは今回で3回目の参加。
社会人になっても、何とか休暇をやりくりして駆け付け、
先の質疑応答でも先輩として意見を述べ、その質の高さに驚かされた。




そして今日のメインイベント・・・明日はじんちゃんのお誕生日、
そして明日は日本に帰る。

とても静かで、とにかくクルクルと動く、
働き者のウエイター、ジョバンニを見つめ、
あの人はすばらしい・・・と言っていたので
ジョバンニに事情を話して、
小さなバースディケーキをお願いした。

彼は快く応じ、デザートで簡単なケーキを見繕ってくれ、
写真撮影にも入ってくれた。
きっと、ローマの思い出の1ページになることだろう。



  

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ヨーロッパへの旅 (イタリア) (9)

2009-12-12 21:50:13 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
Rome  9月14日 


今回の旅の目的は、Coop発祥の地であるイタリアの Coop連合本部と、
代表的なスーパーマーケットを、法政大学のE M S
(Environment Management System)研究会の学生達と訪ねる、
ということであった。

今日はその一番大切な日。
昨日までの観光気分とは違う雰囲気が漂っていた。

イタリアに於けるスーパーマーケットの環境問題に対する配慮、
考え方、達成に向けての問題点、日本との違いを探る、という主題を決め、
午前中は今年4月にオープンしたローマ郊外の中型店を訪ね、
午後は、Coopの連合本部を訪問し、意見交換をした。

もちろん、私は聞くだけだが、生活に密着した問題だけに、
興味津々、イタリアと日本の違いについて考え、大いに勉強になった。




イタリア在住20年の長谷川さんという通訳の方は、非常に聡明な人で、
内容がよく分かり、イタリアの事情などもよく理解出来た。




肉や魚など生鮮食品売り場の奥にある作業場は、とても清潔で
日本では考えられないほどの広さがあり、魚は90%が鮮魚、
トスカーナにCoop自身の養殖場を持ち、加工はせず、形のままで売り、
肉類、うさぎ、七面鳥なども生まれた時から成形まで、
一貫した品質管理を行っている、ということであった。








まだまだ細かいことを書けばきりがないが、とても感心したことは、
店内の品物を入れるキャリアーの種類の多さだ。

大、中、小、買物の量に合わせて選ぶことが出来るので、
特に、狭いスペースの中でひしめき合う日本型の
スーパーマーケットでも是非採用してほしいと思った。


午後は地下鉄とバスを乗り継いで、連合本部に移動。




ここではかなり突き詰めた話し合いが持たれたが、それは学生達の
研究発表に任せるとして、イタリアの人達が口々に、今回の話し合いが
非常に有意義であったこと、日本の学生達の真摯な姿に驚かされたこと、
日本のリサイクルシステムについて、
自分達の想像を超えるものであったこと、
これからも、お互いに継続的な話し合いの場を持ちたい、
と言われるのを聞き、私自身もすばらしい経験をさせてもらい感激した。


そして、この後、かなりショックなことがあった。
彼等の話によると、
日本の学生達はイタリアで「乞食」のようだと言われているらしい。

腰まで下げた穴開きのジーンズをはき、
髪はボサボサに伸ばし、とにかくみすぼらしい。
私自身も、街角で注意したくなるようなだらしのなさだ。
今回の学生達に会って、認識を新にしてくれたようだ。

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