日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

2012年 ヨーロッパへの旅 32 コルチナ ダンペッツオ (その2)

2012-12-19 11:04:26 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月19日 (火)時々

昨日は雲一つないすばらしい晴天で、
肌に突き刺さるほどの強烈な紫外線だった。


二人の学生はたくさんの洗濯物を、
部屋の前の6畳もあるような広いベランダに広げ、
午後からでも十分乾くほどだったのに、
今日は朝から雨が降って、とても寒くなった。

私達が寝坊をして、30分遅らせてもらい、
11:30、約束の運転手さんが現れた。
彼の名前は「アンドレアさん」。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします。
ごめんなさいね、雨で。」

彼のせいではないのに、
とてもすまなげに日本語で何度も何度も言われて、
こちらが恐縮してしまった。
車内で、日本語と英語の会話が弾み、
20分ほどで目的地に着いた時には、雨も止んでいた。

ああ、晴れていたら どんなにすばらしかっただろう。





でも、これでも満足だった。



3人はリフトで山の上に登り、帰りは歩いて下ると言う。
私は彼等と分れ、海抜1756m、ミズリーナ湖の周りを一人で歩いた。



誰もいないので何となく怖く、前後左右キョロキョロしている内に、
犬を連れた散歩の夫婦や、旅行者らしい夫婦が現れては去って行った。



たくさんのダックが足元に群れている二人連れを見て、
写真を撮ってもいいかと尋ねると、
「もちろん!、どこから来たの。」と聞かれた。
「日本から。」と答えると、
日本語で「こんにちは、ありがとう。」と言われ、びっくり。

聞けば、彼等はドイツ人で、
東京、横浜、鎌倉に行ったことがあるとのこと。
彼等は御夫婦で、ヤマハのバイクに乗り、
家からここまで500kmの距離をやってきたと言う。

15分ほどいろいろな話をして、
お互いに「良い旅を!」と言って別れたが、
傍に頼る人がいなければ、
つたない英語でも何とか通じるものだとうれしくなった。






後で夫から聞いた話だが、リフトに乗って山の上に行ったら、
霧が深くて周囲の景色はよく見えなかったそうだ。



リフトに乗る時、係員の男性が「今日のお客はあなた達3人だけだが、
また、リフトで下りて来るか?」と聞かれ、「いや、歩いて下りる。」と言うと
すぐにクローズにして、彼等が湖に下りてきた時、
その係員は釣りをしていたそうだ。

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2012年 ヨーロッパへの旅 31 ヴェニスからコルチナ ダンペッツオへ

2012-12-18 14:54:03 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月17日 (月)

朝一番、朝食も取らず、7時20分の水上バスで、サンタルチア駅に出て、
カラルゾ・ドュカドーレ行きの電車に乗った。
直通は一日に1本しかないから、これを逃す訳にはいかない。

心残りは、昨日も喉の痛みで食べられなかった朝食。
我々にすれば、かなり高いホテル代だったのに・・・・

水上バスの中から見る朝の町はとてもきれいだった。





カラルゾ・ドュカドーレの駅からバスで1時間、
コルティーナ ダンペッツオに着いた。



今回の夫の大きな目的はイタリアの「コルティーナ ダンペッツオ」だった。
昔「ドロミテ」の写真を見て、
死ぬまでに一度ここに行ってみたいと思っていたらしいが、
今までその機会は全くなく、今回、初めていろいろ調べたらしい。
JTBに行っても、インターネットでも
詳しい情報がなく、かなり苦心したらしい。



地図の上では、このままスイスに行けそうだと思ったらしいが、
山があるため鉄道もなく、バスの定期便もあるかどうか分らない。
結局、又ヴェニスに戻るしか手段がないらしいとのこと、
3泊の予定を2泊にした。

バスの窓から見える景色はとてもすばらしかった。



しかし、私は「何だか、スイスのツェルマットとほとんど同じ景色・・・
こんなに苦労をする必要はなかったんじゃないかしら。」
と心の中で思った。

駅から数分というホテルまでの道が分らず、迷っていたら、
日本語が話せる男性が寄ってきて、タクシーに乗せてくれた。

ParcHotel Victoria Cortina 「パークホテル ヴィクトリア コルチナ」

窓から見える景色は本当に美しい!



部屋は小さいが清潔でかわいらしかった。





体調を戻すため、私はホテルで昼寝をすることにし、
夫と学生達はドロミテの絶景を堪能するために、
ゴンドラに乗りに出かけた。

ところが、ゴンドラは動いていなかったらしい。

バスセンターに戻ったら、先程の日本語の話せる男性が
「今日は終ったけど明日は動くよ。」
と言って、窓口まで一緒に行ってくれ、
イタリア語でいろいろ聞いてくれたけれど、
結局、冬季に入ったので運行中止になっていたのだ。

彼は地元の運転手だったのだが、
その観光に携わっている人でも知らないというほど、
この地域はまだ観光地としては整っていないのだ。

そして、この彼が明日すばらしいミズリーナ湖周辺の
案内をしてくれることになったという。
そして、断片的に彼の奥さんとお子さんは
浦和に住んでいるらしいという情報もあった。

3人で近くの生協で夕飯のあれこれを買ってきてくれて、
豪華な?夕飯をいただいた。

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2012年 ヨーロッパへの旅 30 ヴェニス (その4)

2012-12-15 12:03:04 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月17日 続き 

夕方、ムラーノ島に船で出かけていた三人が戻って来て、
また、付近の観光に出かけた。
朝、痛かった喉もかなり良くなっていた。
少し休養が必要なだけだったらしい。





土産店のウインドウの中はヴェネチアグラスや
ガラスで出来たアクセサリー、
バッグ、仮面など、見ているだけで楽しい。


サン・マルコ広場へ向かう道はとても狭く、小さなレストラン、土産物屋、
アイスクリーム屋などが、肩を寄せるように並んでいた。



サン・マルコ広場では3ヶ所ぐらいステージが設けられ、
交互に時間を守りながら生演奏が行われていた。



今夜は広場に面したレストランに入った。
案内された部屋には、先客が4名。
すごく元気な二組の母娘。
個人旅行で1週間、イタリアを回っているとのこと。
聞けば、町田の住人で、我が家とも近い。
幼馴染のOLが、それぞれの母親を連れて、青春(?)を謳歌している。

その賑やかで楽しそうな様子を見て、
日本の女性は本当に変わったと、頼もしく思った。



彼女等が帰った後、片付け始めたボーイさんが、
私達にウィンクをして「オゥ、クレイジー!」と言った。
お酒の量が多かったのかな・・・・?

この写真、お断りもせずに載せているが、
かなりボケているので大丈夫・・・・? かな?



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2012年 ヨーロッパへの旅 29 ヴェニス (その3)

2012-12-13 11:51:03 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月17日 (月)

昨夜海辺に長くいたせいか、旅の疲れが出てきたのか、
朝方、喉の痛みで目が覚めた。
「ああ~~~~、油断したぁ。」唾を飲み込むのも苦痛だった。

夫と学生達はベネチアグラスを作っているムラーノ島に出かけ、
私は一人留守番をすることにした。
のんびり昼寝をしたり、日記を書いたり、絵葉書を書いたり・・・

ステキな部屋でお姫様気分
次の間            
バスルーム          
洗面所            
               

やがて、部屋の掃除に来てくれた若い女性が、全てのシーツを替えようとするので、
替えなくてよいと言うと、イタリア語しか使えないらしく、困った顔をして、'NO'と言う。

私はエコのためだと言うと納得して、ベッドをきれいに整えて出て行った。

夕方になると、又違う女性が入って来て、新しいタオルに替えると言う。
私は驚いて、朝の掃除の時に全て替えてもらったからいらないと言うと、
他の女性を呼びに行った。

その上司と思われる女性は、このホテルの規定によって、
夕方には全てのタオルを替えなければならないと言う。

今時、そんな無駄なことをするホテルがあるのだと驚いた。
もちろん私は「これで満足しているし、これはエコのため、水、エネルギーの
節約のためだから。」と言うと納得して出て行った。

10年以上前から、スイスでは2~3日の滞在中、シーツを替えることはなく、
タオルも取り替えて欲しければ、バスタブに入れて置くようにと書いてあった。

学生達の話によると、この一角の三部屋は特別で、ホテルの部屋の図面によると、
我々以外のもう一部屋は、さらに2倍の大きさがあるらしい。

なるほど・・・廊下の豪華さも他とは違う。



一体、値段はいくらかと聞いたら、一人17,000円、チェックアウト時に
一泊4ユーロのヴェニスの観光税も取られ、17,800円とのこと。
目の玉が飛び出しそうだった。

窓の下を覗くと、とにかく道路が狭く、全く車も自転車も通行禁止。



ウ~~~ン、観光で数日滞在するのはワクワク、ウキウキ、楽しいが、
長く滞在するなら、やっぱり日本がいいなぁ・・・・        


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2012年 ヨーロッパへの旅 28 ヴェニス (その2)

2012-12-12 00:01:29 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月16日 続き

タクシーを降りて、狭い路地を歩いて数分、
橋の側にくっ付くようにStarhotel Splended Venice
(スターホテル スプレンディット ヴェニス)は建っていた。

中に入って驚いた。
4つ星ホテルだが、フィンランドの5つ星ホテルよりも
豪華で、こんな贅沢をしてもいいのだろうか、
と思うほどだった。

ゆっくり休んで外に出ると、日曜日のせいか、
どこも大勢の人でひしめき合っていた。
水の都ヴェニス・・・確かに建物、教会、広場、すばらしいが、
古い町のせいか、あるいは水辺にあるせいか、
薄汚れて見えた。

夕闇迫るサン・マルコ広場は幻想的な美しさだったが、
海面とほぼ同じ高さなので、大潮、低気圧、
そしてアドリア海の東南から吹く風の
3つの要因が重なると、「アックア・アルタ」と呼ばれる
高潮がヴェネツィア湾で起こり
町中まで水が入り込み、
特に一番低いこの「サン・マルコ広場」は水没する。

広場や道路には臨時の高床が組まれ、
通行を確保するということであったが、
帰国後、テレビのニュースでこの浸水した広場の画面を見、
本当に気の毒で、そして、私達が泊まっていたホテルは
どうだったかと、ひどく気になった。




ほとんど海面と土地が1メートルの差もないように見える。













7時過ぎ、水辺のレストランに食事に出かけた。
アメリカやカナダからの観光客も多く、
周りも皆うれしそうにはしゃいでいた。

私達も本場のイタリアン料理をいただいたが、
ヨーロッパではどこに行っても
イタリアン料理が溢れているせいか、
特に「ヴォーノ!」おいしい!と言うほどでもなかった。

食事はともかく、隣のテーブルの方達や、
サーブをしてくれるイタリア人との
ちょっとしたおしゃべりが楽しかった。




 
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2012年 ヨーロッパへの旅 27 トゥールからヴェニスへ

2012-12-11 15:21:42 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月16日 (日)

一旦、パリ・モンパルナスへ電車で戻り、ここで、
日本に帰る洋介さんと別れ、
シャルル・ドゴール空港へタクシーで。


                             パリ・モンパルナス駅構内


                           シャルル・ドゴール空港


さて、これは・・・・?           ヒント 空港内の個室です。


洋介さんは夕方までパリの観光をもう少し楽しまれるようだ。
社会人一年生なのに、よく休暇を取ることが出来たと驚かされたが、
外資系の会社は、上司も自由に休暇を取っているので、
当たり前のようだった。

パリ・モンパルナスの駅前でタクシー乗り場を探したが、
どこにも見当たらず、銃を構えた兵隊に聞いたら
"I don't know." と、にこりともせずに言われた。
その時、彼等は常に前に二人、後ろに一人、
三角形の体制が崩れないように歩いていることが分った。
私が話しかけたら、三人とも静止し、
そのままの状態だったから気が付いたのだが、
後で「えっ、彼等に道案内を聞くなんて・・・・。」と夫にあきれられた。

結局、たまたま駅前で人を下ろして止まっていたタクシーを捕まえたが、
諒さんが「流しを捕まえなさい。」と現地の人に聞いたそうだ。



エアー・フランスでシャルル・ドゴール空港から1時間40分、
イタリアのヴェニスに到着。

タクシー乗り場に行くと「ここからホテルまではカナル(運河)バスか
水上タクシーを使って、水路を行くしかない。」と言われた。

「カナルバスの方が若干安いが、タクシーならホテルの近くまで行くし、
4人分の荷物代も含めて120ユーロだから、そうしたら?」と言われ、
タクシーにしたが、実際にはバス停もタクシー降り場も
そう離れてはいなかった。

船のタクシー内はかなり広く、10人ぐらいは乗れそうだった。



海上は右側通行。かなりのスピードですれ違う・・・・





ワァ~~~~~~~~イ。天井窓から飛びっきりの笑顔!!



町に近づくと優雅なゴンドラが・・・・
お客様は見るからに金持ち風だった。



今まで何度かイタリアには来ているが、ヴェニスは初めて!

映画やテレビで観てはいたものの、断片的な映像だった。
なるほど、このような町だったのかと
頭の中でしっかり繋がった。

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2012年 ヨーロッパへの旅 26 トゥール

2012-12-09 23:53:20 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月15日 続き



駅から600m、ロワール川のすぐ側にトゥール城はあった。





しかし、特に見るべきものもなく、
近代美術のスポット的展示はするものの、
それ以外の入場は受け入れていないとのことだった。

次に訪れたサン・ガシアン大聖堂は古い大聖堂が消失した後、
1170~1547年に再建されたもので、
西塔の最も下の部分は12世紀の物。
これを除いて15世紀のフフランボワイヤン・ゴシック様式となったと、
物の本に書いてあったが、フフランボワイアンって?何だ?
いろいろ調べたが、結局分らなかった。



この大聖堂、特に広い前庭があるわけでもなく、
道端に突然現れた感じだったので、
写真の枠に入りきれないほどの大迫力だった。



サン・マルタンが起こした数々の奇跡を描いたステンドグラスがあるが、
フランス語が全く分らないので、物語や意味は分らなかった。
ついでに、サン・マルタンという人のことも調べてみたが、分らなかった。








古い街並み、美しい建物、美術館、
もう少し、ゆっくり滞在したい町だった。


学生達と夕食の待ち合わせ時間7時が迫っていた。
ホテルで薦められた中華料理店へ行くと、
中にはたくさんの中国人が楽しそうに食事をしていた。
きっとおいしい店に違いない。


学生達が先に入って行くと、けんもほろろな態度で取りつくしまがない。

私は他の店に行きたいと思ったが、
彼等が忍耐強く調理場付近まで行き待っていたら、
やがて、細面のメガネをかけた店主?あるいは店員?が出てきて、
入り口の傍のテーブルを二つ付けようとしたが、
それでは入り口を塞いでしまう。

彼はしばらく考えて「数分待って下さい。」と英語で言った。
数分と言われても・・・・こちらも迷っていると、
近くで食べていた二人連れの男性、恐らく中国人とフランス人?が、
「5分待ったら、我々が終わる。」と声を掛けてくれた。

そして、自分達のテーブルの位置を変えてくれたので、
テーブルをずらして我々の席を作ることが出来た。

何だか居心地が悪かったが、それから15分もしない内に全員出て行った。
観光のグループ客のようだったが、
その人達も先程の二人連れに礼を言っているように見えた。

その後、先程の店の人は徐々に笑顔になり、
「何十年も前に英語を習ったが、ここに来て以来、中国語とフランス語しか
使っていないし、英語を使うことは全くなかったから
ほとんど忘れていてしゃべれない・・・・。」と話していた。


我々が帰る頃には満面の笑顔で、英語もかなり思い出したらしく、
口数も多くなって、何度も何度も我々と握手を繰り返した。

今、中国では尖閣諸島を巡って日本企業を襲ったり、
日本人に怪我を負わせたりという物騒な事件が起こっていると
テレビで放映されていたので、我々もかなり身構えていたが、
別れ際の心地良さに、個々には良い人達なのだと、あらためて感じた。

一日も早く決着が付くといいのだが。

残念ながら、良い写真がなかった。
店の名前が分るだけで我慢していただこう。






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2012年 ヨーロッパへの旅 25 トゥール

2012-12-08 15:11:41 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月15日 (土)

トゥールグランドホテルの朝食は、パリより種類もはるかに多く豪華だった。
やはり、日本の東京と同じように、首都はかなり物価が高いようだ。


さて、期待のロアールの古城巡り・・・
心の中で「観光バスに乗った方が安全だったんじゃないかな、
大丈夫かな・・・」といろいろ不安はあったが、始まってみると、
何度かエンストはしたものの、
光さんのナビゲーターも板について、次第に快適になってきた。



こちらの交差点は信号がなく、丸いロータリーになっており、
全車右折して、グルリと回りながら目的の道に入って行く。

間違えて入りそこなうと、又一周して戻って来なければならないが、
光さんが早め早めに指示を与えるので、洋介さんも初めての道なのに
スムーズに曲がることが出来、とてもいいコンビネーションだった。



途中、地図が分らず、とんでもない所に行ったりもしたが、
目的の「シュノンソー城」に着いた時は、もう全く心配はどこへやら、
周りの風景も十分に楽しめるようになっていた。

 
インターネットから拝借

ロワールの古城の中でも1,2位の人気を争うこの城は、
16世紀の創建以来19世紀まで、代々の城主が女性だったことから
「6人の女の城」と呼ばれ、城の歴史を読むと、女性達の悲しい権力争い、
愛憎劇がこの城をここまで美しく造り上げたのではないかと思われた。



                            城から庭を望む


城の造りとは関係がないかもしれないが、特に私が感激したのは、
各部屋に飾られた数々の生花だった。

一本一本に心が配られ、全く枯れた花や葉がなく、
その大きさ華やかさに驚かされた。

どこへ行っても立派な建物、歴史ある絵画、装飾品、
それぞれすばらしいが、
各部屋に飾られた美しい生の花は、初めてだった。









そして、台所にも・・・・



本当に美しい風景・・・
一日中いても、隅から隅まで観ることは出来ないだろう・・・


このロワール地方には小さな城まで入れると100以上あるという。
調べていないので、もしかしたら間違えているかもしれないが、
100年戦争の時にこの地に住む豪族が、自分達の領土を守るために
それぞれが城を建てたと聞いたことがある。

100年戦争とは、フランスの王位継承を巡る
イギリス(イングランド)とフランスの戦いである。
1339年のイギリスによる宣戦布告から1453年のボルドー陥落までの
約100年間で、詳しくは知らないが、
例の有名なジャンヌ・ダルクがそのどこかの時代に登場したはずだ。

辛酸な生活を送ってきたその当時の人達のお陰で、
今、あちこちに見え隠れする古城と、のどかな田園の風景を
フランスの人達だけでなく、
世界中の人達が楽しむことが出来るのだ。



                                     
お茶を飲みながら城を愛でる


帰りは高速道路を使い、1時間もかからずホテルへ戻り着くことが出来、
4:30に車を返し、
ここからはそれぞれトゥールの町の散策に出かけた。
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2012年 ヨーロッパへの旅 24 パリからトゥールへ

2012-12-06 18:45:55 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月14日 (金)

今日はロアール地方古城巡りの起点トゥールへ。

トゥールはロワール川とシェール側に挟まれた町で、
ルイ11世の時代にはフランスの首都が置かれていたという。

パリ・モンパルナスの駅からTGVで約1時間10分。
お昼過ぎには悠々到着予定だった・・・

ところが、昨日、わざわざパリ・モンパルナスの駅まで
遠距離チケットを買いに行ったにもかかわらず、
サン・ラザールの駅で地下鉄の切符が買えず、
パリ・モンパルナス駅に着いたのは発車時間と同じ時間だった。

券売機が2台しかなく、しかも、複数券が買えず、
旅行者が皆分りにくいその機械の前で立ち往生をしていたせいだ。




せっかく1時間の余裕を見て出かけ、さらにパリ・モンパルナスの駅で必死に走った
にもかかわらず、次の電車まで1時間半ほど待たなければならなかった。

チケットの買い替え料金、4人でプラス44ユーロ、約4400円。
せっかく半額近くで買ったのに・・・・・

(そうそう、フランス語はとても難しいようだが、駅の表示「Saint-Lazare」となっており、
「サン・ラザーレ」と夫がいくら言っても通じず、
「サン・サザーレ」と言わないと通じないとのことだった。)



トゥール駅は小さいがとてもしゃれた駅だった。



トゥール駅前のグランドホテルでチェックインし、





本来なら2時から明日の5時まで借りるべきだった
レンタカーの「ハーツ」に出かけた。

JTBの話では駅のすぐ前ということだったが、どこにも見当たらず、
人に聞きながら探して、探して、かなり遠くの離れた店に行ったら、
電車に乗って、次の駅の前だと言う。

「ええ~~っ!」
面倒だからキャンセルしようとしたら、キャンセル料は20,000円だとのこと。
それに、せっかく、運転を楽しみにしていた洋介さんの顔が曇った。

結局、同じ「ハーツ」なので、隣駅から運んで来てくれることになったが、
その費用を含め、〆て27,000円だったそうだ。


さて、運転に慣れるため、一番近いお城まで試運転。
ナビゲーターは光さん。
左ハンドルで、右側通行。
車も初めてのフォードで、しかもギヤ付き。



動くまでにああでもない、こうでもない・・・・

ようやく動き始めたが、5人ともハラハラ ドキドキ・・・。
時々洋介さんの「ウオ~~~~、怖ぇ~~」「胃が痛てぇ~~~」という声に、
後部座席の三人も硬直。

私は後のドアの取っ手をギュッと握っていたので、
しばらくしたら左手首が痛くなってきた。

おまけにあちこち工事中で、道はガタガタ、
周りの景色も目に入らず、
無事に帰ってきた時は、皆、緊張でクタクタだった。

夕飯は 隣のスーパーマーケットでいろいろ買って来たのに、



洋介さんも光さんもほとんど食べられず、
結局、2日後、移動の前にほとんどを捨てる羽目に・・・。

極度の緊張は食欲を失わせる。これ、ホント!


ところでこの部屋、パリと同じグランドホテルだが、
三人部屋の大きさが倍ほど違っていた。

メインルームにベッドが3人分、次の間に1つ、計4つもあり、
186cmの洋介さんが一人で2つのベッドを使ったそうだ。






明日のドライブは・・・・・

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2012年 ヨーロッパへの旅 23 パリ(その3)

2012-12-03 22:03:10 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月13日 続き

セーヌ川に掛かる橋の中で最も有名なポン・デ・ザール橋を渡ると、フランス学士院。
文芸・科学・美術などに秀でた人材が集まっているらしい。





以前来た時、このような鍵は全くなかったが、橋の端から端まで・・・

最近、どこかでこのような光景を見たような・・・・
思い出せない・・・


しばらく、川岸を歩いてシテ島のノートルダム寺院の見える所へ出た。



あった、あった・・・
5年前に皆と寺院を眺めながらお茶を飲んだ船のレストラン。

数ヶ月前、海外で活躍している有名なサッカー選手が、
同じ席で取材を受けているテレビの画面を見て、
「あの船のあの席でお茶を飲んだの。」と大騒ぎをしたことがあったが、
今も変わらず営業をしていた。



一休みをして、夫はビールとトマトモツァレラ、私はケーキとコーヒー。
あっ、このケーキ、あの時と同じ!

モツァレラサラダは、今までどこでいただいた物よりおいしくて、
思わずバルサミコ酢の銘柄を聞いてみたが、
「ブラックワン」と言われただけだったので、よく分らなかった。



この黒めの船、なかなかお勧め!
スマートな黒装束のボーイ達がサーブしてくれるはず。
もっとも、年々彼等も歳を取っていくから、保障の限りではない。

さて、シテ島に渡りノートルダム寺院に行くと、
ここもやはり行列が出来ていて、上に登るのをあきらめた。



何段だったか忘れたが、塔の上まで登ると遠方まで見渡せ、前方の庭がよく見える。




2001年に夫と二人だけでここに来た時、
イタリアからイギリスに留学する前に家族と共にパリに来た、
という青年と一緒になったが、狭い階段を登り、年老いた家族に向かって、
懸命に手を振っていた姿を思い出した。

探してみたら出てきた。
カメラが壊れて、露出が悪く、何百枚も写したのに、
ほとんど使い物にならなかった写真の中の一枚が・・・



優しい目をした、物腰の柔らかな、あの青年は今どうしているだろう・・・

私達がいる場所がどこだかお分かりになるだろうか・・・
                       



パリはとにかく観光する所が非常に多く、
おそらく1ヶ月間毎日歩いても、
なかなか全てを見ることは出来ないのではないかと思う。

今日も13,000歩以上歩いたにもかかわらず、
像の尻尾の先にちょっと触れた程度だった。

今夜はホテルの近くでイタリアン。
彼等は今日一日どこへ出かけたのだろう。


ところで、サン・ラザールの駅に隣接したショッピング街で、おもしろい経験をした。



大きくはないがおしゃれな店が並ぶ中に、何と「無印良品」を見つけたのだ。

うれしくなって、写真をパチリ。



少し暗かったので、店先まで寄って行ってデジカメを構えた途端、
大きな黒人が目の前に現れて、私を睨んで’NO’と言った。

私は驚いて「私は日本人だ、この店は日本の企業だ、
うれしくて撮っているだけだ。」とニコニコしながら
知ってる英語を駆使?したが、
にこりともせず、もう一度'NO'と睨まれた。

そこここにいる軍隊、警察官、個人店のガードマンまで、
私達がまだ日本にいた頃、フランス紙が「ムハンマド」の風刺画を取り上げたことで
イスラム教徒が抗議をしているというニュースが取り上げられていたが、
ここまでの騒ぎになるのかと驚かされた。
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