日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

2011年 ヨーロッパへの旅 11 アムステルダム1

2011-11-17 00:17:05 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月5日

今日から3泊する予定のNH City Centre Amusterdamは
シンゲル運河を見渡す立地のホテルで、ダム広場から徒歩で5分ほど。

ゆっくり朝食を取り、何人かの学生達と、今にも雨が降り出しそうな中、
中央駅まで散歩を楽しんだ。



皆、初めて見る街のたたずまい、
建物、電車、たくさんの民族が行き交う路上、
見る物全てに驚き、歓声を上げている。
そのうれしそうな感激の笑顔に、こちらまでうれしくなってくる。
学生時代の経験は将来に向けて、大きな宝物になるだろう。






まだお昼を少し過ぎたばかりだったので、閑散としていたが、
彼等の興味ありそうな「飾り窓」も後学のために立ち寄った。


オランダでは売春と薬(ソフトマリファナなど)が国で認められているので、
下着姿の女性が窓のそばに座って、客と直接交渉をしている。
昔はほとんどが白人だったような気がしたが、
最近は有色人種が多いような気がする。

もちろん、しっかり見ているわけではない。
むしろ、同じ女性として、本当に気の毒で、
哀れな気がして、目をそらすことが多いが、
遠くから、窓の中に座っている女性を見ると、
一体どのような環境にいた人なのだろうと、
いろいろな想像をしてしまう。


                            
運河沿いのビルの立ち並ぶ一角にあるが、もちろん治安はよくない。
路地を挟んで両側に「飾り窓」の並ぶ一角もあり、急いで通り過ぎた。





イタリアンレストランで昼食を取り、
その後、学生達と別れ、ホテルへの帰り道で
偶然、とてもステキな建物の並んでいる所に迷い込んだ。




後でガイドブックを調べると、ここはベギン会修道院 
女子修道会に属する独身女性達のための宿舎として、
14世紀に設立され、
ほとんどの家は17世紀から18世紀にかけて建て直されたが、
現在でも住んでいるのはひとり暮らしの女性だけとのこと。
そして、ここで多くの孤児を育てていたという。




静かなたたずまいと猫を挟んでの老婦人二人の
会話の品の良さに、思わず微笑んでしまった。

教会の前にいた猫を見た一人が
「かわいいわね、名前は何と言うの。」と尋ねると、
教会の中にいた人が答えた。
「さぁ、いつも来るけれど知らないわ、ここでは猫を飼っていないの。」
「そうだったの。ところで、この教会は誰でも入れるの。」
「ええ、どうぞ。猫以外は大歓迎よ。」

日本語にすればたったこれだけのことだが、
二人の笑顔がとてもステキだった。




この突き当りの階段を上がって、ドアを開けたら、



(写真中央の赤っぽいドア)
 これも偶然! ホテルのすぐそばの道に出た。

静かな中世の町から現代の喧騒の中へ・・・・
タイムトンネルを抜けたみたいで不思議な気持ちだった。 

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2011年 ヨーロッパへの旅 10 リンツからアムステルダムへ

2011-11-13 09:38:59 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

 

9月4日

今日はリンツから電車でウイーンへ戻り、
オランダのアムステルダムまで飛行機で移動。

ウイーンの西中央駅でおもしろい風景を見かけた。
大きな犬小屋を抱えて歩いてきた女性が、チケットを買っていたが、
犬のチケットも売っているのだろうか。
確認はしなかったが、今もちょっと気になっている。

そして・・・飼い主の洋服も・・・






アムステルダムのホテルで7人の学生達と落ち会うことになっていたが、
我々の便が遅れ、皆の到着と同じような時間になったので、
しばらく待つことにした。

ところが、着陸後30分経っても彼等の姿が見えず、心配していたら、
現れた学生達が「仲間の一人のトランクが飛行機の上から落とされ、
数人で丁度それを目撃していたので、
二人で係員に苦情を申し立てに行っている。」と言う。

先に我々はチェックインし、
全員がホテルに集合したのは午後10時を過ぎていた。

結局、8時以降、航空会社の人はおらず、
空港の係員では埒が明かず、
証明書だけをもらって来たということだった。

11時近くにレストランを探したが、どこも開いておらず、
近くのピザ屋で夕食を済ませた。



壊れたトランクは心配だが、皆が元気だったのでホッとした。

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2011年 ヨーロッパへの旅 9 リンツ

2011-11-12 01:43:11 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス
9月3日 (その2)

あちこち見て回ったが、どうしても行きたいという所もなく、
また、今日もハウプト広場のカフェでのんびり休むことにした。

夫はカンパリソーダ、私はオレンジジュース。

周りの人達は、ほとんど日本のサイズの倍以上はあろうかという
各種のパフェを頼んでいたが、その中でも圧巻は、
直径25~6センチの深めのカップに入ったスペシャルパフェ。
(日本円で1,500円ぐらい)



失礼は承知で写真を撮らせていただいたが、
その後、御夫婦で黙々とほとんど食べ尽くしていた。

25年程前には今ほど肥満体の人はいなかったように記憶しているが、
今日のヨーロッパ人の中には、ユッサユッサと歩いている人が多い。
さもありなんと納得した。

 

しばらくして、せっかくの機会なので、
私達も花火見物をしようということになった。
それまで、夕食を取りながら時間を潰すことにしたが、
「今日は何とかイタリアンを」と、一人で探しに行った夫が、
20分ほどして、ニコニコ笑顔で帰ってきた。

ようやく見つけたイタリアンレストランへ。




うれしくて、他の料理の撮影をすっかり忘れてしまったが、
やはり、イタリアンが世界中に進出している理由が分る。
おいしくて安い!


夕食に2時間半を費やし、ドナウ川に向かって歩き始めた頃には、
同じように花火を目指す人達がネズミの行進のように、川に向かっていた。







思いがけなく、リンツの夏祭りを楽しめたが、
花火はやはり日本の方が何倍も何倍もすばらしいと思った。
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2011年 ヨーロッパへの旅 8 リンツ

2011-11-06 01:30:01 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月3日(その1)

今日は、新大聖堂に出かけた。
この聖堂はウイーンのシュテファン大聖堂の高さを越えないように、
というお達しで、134メートルに押さえられた、と本に書いてあったが、
街のあちこちから見える一番高いゴシック様式の美しい教会だ。






丁度、現地の美しい女性と中国系男性の結婚式が
執り行われようとしていた。



アベ・マリアの歌声にしばしうっとり!
教会の音響効果のすばらしさに驚いた。
 


本場カソリックの結婚式に興味津々、
しばらく後の方で参列者に交じって見ていたが、
ドイツ語のため、内容は全く理解出来なかった。


  


次に、高台にあるリンツ城博物館に出かけた。
ここは皇帝フリードリヒ3世の居城だった所で、
その城跡に立派な博物館が建っていた。




すごくたくさんの発掘品、中世の武器、絵画、工芸品等が並んでいたが、
残念ながらドイツ語の説明しかなく、ほとんど理解出来なかった。






しかも、客はほとんどおらず、警備員が大勢いて、
よその国の財政などどうでもよいのだが、
人件費で赤字ではないかと心配するほどだった。


入り口で、日本人らしき親子が声を掛けてくれた。



聞けば、20年ほど前にオーストリア人と結婚し、
今はザルツブルグに住んでおり、
以来、一度も帰国したことがないとのこと。

今日はドナウ川で花火大会があり、
御主人がそのお手伝いのために来ているので、
二人だけで観光を楽しんでいるということだった。
花火師ではないらしい。
馴れ初めなど、ちょっと聞いてみたい衝動に駆られたが、
大人気ないのでやめた。


30分ほど、世間話をする内に、
最近の日本の若い人達の言葉に驚いていると言われた。

「男の子でも、語尾を伸ばし、舌を前に突き出すようにしゃべるので、
何を言っているのかよく分からないのですが、なぜでしょう・・・・」

私も常々最近の若者の言葉に困惑しているので、
大いに話が盛り上がった。

父親とはドイツ語で、母親とは日本語で、
子供の時からしっかり分けて話しているというダニエル君は、
とても美しい日本語を話していた。
その内に、美しい日本語を話すのは外国で育った日本人ばかり・・・
ということにならなければよいが。


美しい親子と別れ、旧大聖堂に行くと、ここでは合唱隊の人々が、
ミサ曲の練習をしていた。

やはりすばらしい音響効果で、しばし聴きほれていたが、
すぐに休憩時間に入り、後ろ髪を引かれながら退出。
もう少し聴いていたかった。

旧大聖堂は、正式には「聖イグナティウス教会」で、
イエズス会の教会である。
世界的に知られる作曲家ブルックナーが
オルガンを演奏していた所だとか。



ところで、話は戻るが、前述の博物館の近くで
一人の中年婦人に突然話しかけられた。
「日本の方ですか。ニュースで津波や福島のことを見ました。
本当にお気の毒に思います。」と。

リンツ城の近くに住んでいるというこの婦人は、
英語で日本のことをいろいろ聞いて下さり、
日本人はとてもすばらしい国民だから、
すぐに立ち直ることでしょう、と言われた。

こんなに遠くの国で、
日本のことを気にかけて下さっている人に会うことが出来、
感動で、涙が出そうだった。
そして、日本人で本当によかったと思った。

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