日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

2015 年 ヨーロッパへの旅 26 イタリア(ティラノからミラノ)

2015-11-27 13:16:30 | 2015年 ヨーロッパへの旅

9月15日(火) 

Tirano→Milan
ティラノ→ミラノ

サンモリッツから2時間半、ベルニナ急行の旅が終わり、
イタリアのティラノに到着。

ミラノ行きの電車の乗り換え時間は5~6分しかない。

小走りに急いでいたが、ふっと目に入ったカタカナにびっくり!

じっくり見る暇もなく、カメラを片手に懸命に走り、
ようやくホームにたどり着いたら、中年の女性がイタリア語で
しきりに大声でしゃべっている。

”To Milan?"と聞くと、頷くので、大慌てで飛び乗った。

ベルニナは一等車だったので、その続きで一等車だと思い込み、
少し美しめの車両を探したが、どこにもなく、客はほとんどおらず、
この車両にも私達二人だけだった。

座席だけはまあまあきれいだが、どの車両もひどく汚い。
さらに外側は落書きだらけ、窓も全く磨かれていない。
こんな電車は今までに見たことがなかった。

しかも、途中で突然止まり、しばらく動かないので、
何かあったのかと心配していたら、しばらくして、
反対側を列車が走って行った。

単線で、列車の待ち合わせをしていたのだ。

両側に広がる街並みは、イタリアに入った途端、
薄汚れて見え、葡萄畑の山肌も、
あまり整備されているようには見えなかった。

薄汚れて見えたのは、窓ガラスのせいだけではないと思う。

ミラノ駅に着くと、人の多さに緊張が走った。
インフォメーションを探したが、誰に聞いても同じ方向を指差す。
しかし、どこにもなく、あちこち歩き回って、
結局、チケット・インフォメーションのことだと分かった。
どこへ行っても、必ず案内所はあるのだが・・・

仕方なく、タクシー乗り場へ行き、ホテルの名前を告げた。
ホテル・チェルヴォは3つ星の古いホテルで、
設備はまあまあだが、庭を隔てて隣家と近いので、
窓を解放するのは気が引けた。

一落ち着きして、明日からの行動に備え、
近くのガルバルディ駅まで出かけた。

3年前に来た時には、ミラノ駅前の「ミケランジェロホテル」に
泊まったので、少し離れた所に、
こんなに近代的なビル群があったとは全く知らなかった。 

この真正面のビルのベランダにはたくさんの木々が植えられており、
垂直の森」と名付けられているそうだ。
あまり大きくなる木はないのだろうが、
それでも、雨の日、台風の時、大丈夫なのだろうかと心配だった。
(帰国してから調べたら、とても興味深い記事を見つけたので、
拝借してここに載せさせていただいた。)

後で聞いたところ、2015年のEXPOを目指し再開発されていた所で、
今もまだその工事は続いているようだ。
なるほど、3年前には分からなかったはずだった。

日本の中心地も再開発でどんどん美しくなっているが、どこも同じ。

今日はサンモリッツからティラノ、そしてミラノ、移動に加えて、
あちこち歩き回って疲れ果て、もう歩くのも辛かった。

夜7:00、ホテル帰着。
隣のスーパーマーケットでいろいろ買い込み、
今夜は部屋食。これだけ全てで、約3,500円。

昨夜のスープ二皿とサラダ、
パン、ワイン一杯で約5,000円からみると
はるかに安い夕飯だった。  
 

 

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2015 年 ヨーロッパへの旅 25 スイスからイタリアへ

2015-11-25 15:14:13 | 2015年 ヨーロッパへの旅

9月15日(火) 

Saint Moritz→Milano
サンモリッツ→ミラノ

8:30、ホテルArteに別れを告げ、
9:30ベルニナ急行(Bernina Express)に乗って、
2時間半、イタリアのティラノ Tiranoを目指す。

これから電車に乗り込むという時、通りがかりの人が
「二人の写真を撮ってあげよう。」と声をかけて下さった。

皆笑顔で、これからの世界遺産の風景を
楽しみにしていらっしゃるようだった。

電車が動き始めると、
昨日行った「ムオッタス・ムラーユ」の建物が遠くに見えた。

 標高が上がるにつれ、遠くに氷河が見える。

 パンフレット、お土産、飲み物、クッキー等、車内販売もある。

途中、アルプ・グリューム駅で15分間停車。
皆、思い思いに外へ出て撮影。

さすが、世界遺産認定の風景、周りの山々、
氷河、無数の小さな滝の流れ、湖、美しい牧草地・・・・
何度も席を立ったり、座ったり、両側の車窓の景色を見ようと忙しかった。

日本を出て以来、珍しいことに団体の日本人に会うことは稀だった。

もうすぐ、ティラノ・・・・・・

 

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2015 年 ヨーロッパへの旅 24 スイス(12日目)

2015-11-23 15:35:33 | 2015年 ヨーロッパへの旅

9月14日(月)

Saint Moritz
サン・モリッツ

お二人と別れた後、私達はホテルで薦められた
Muottas Muragl(ムオッタス・ムラーユ)という山に向かった。
標高2448メートル。
ベルニーナアルプスとエンガディンの谷を一望出来るという。

先程のケーブルカーの駅のすぐ傍からバスに乗ったが、
気が付いたら降りる駅の名が表示されておらず、
いつの間にか乗り越した模様。
近くの人に聞くと、次の駅で降りて、反対方向のバスに乗ると良い、
と若い男の子が英語で教えてくれた。

しかし、次のバス停で降りてから、そこにいた人に聞くと、
「このバスが正しい。」と言われ、あわてて又乗り、
バスの運転手さんに聞くと何を言っているのか全く通じない。
右往左往していると、先程の男の子が手招きをしてくれて、
その子の言う通り、反対方向のバスに乗ったら、目的地に着いた。

後で分かったことだが、「プント・ムラーユ駅」は2つあったのだ。
2つのラインの電車の、それぞれに同じ駅名があり、
ケーブルカー乗り場に近い駅と、
川を挟んでもう一つ、300m先にもあったのだ。

知らない所で言葉の通じない人に物を聞くのは恐ろしい・・・

さて、ケーブルカーの待合室の壁に、興味深い写真があった。

いつ頃の物か分からないが、このような厳しい時を経て、

 今は立派な美しいケーブルカーに乗ることが出来る。
大昔の、苦労をされた方達に感謝、感謝。

ふと、窓の外を見るとこんな山道を走っている男性が・・・

黒い人影、見えますか。

終点駅が山頂レストランになっており、
なかなかおしゃれな建物で、
入口にはシュタインボックの剥製が飾ってあった。


何組かの人達がゆったりとおしゃべりをしている間を縫って
案内された席の隣に、老夫婦が座り、ワインを飲まれていた。
目が合ったので、会釈すると、すてきな笑顔で微笑みを返して下さった。

すぐにおしゃべりが始まり、
彼等はクールの近くにお住いのスイス人で、ドイツ語だけ。
お互いに片言の英語で通じ合うことが出来、
夫が以前彼等の近くのザンクトガレンに行ったと話すと、
私も、古い図書館で靴の上から大きなスリッパを履いて
歩いたことを思い出し、
その話で、お互いに頷きながら大笑いをした。

(ザンクトガレンの上をクリックしてみて下さい。)

帰り際、お二人が私を抱き締めて下さって、
アドレスを交換し、写真を撮っていたら、
私達の後ろの席の男性が声をかけてきて、
彼はドイツの大企業「ジーメンス」の方で、
つい最近、個人旅行で日本に出かけたばかりだ、と言われた。
(写真右側の後ろ向きの方です。)

ほんの束の間の出会いだったが、交渉事をする場合以外は、
言葉はさほど重要ではなく、笑顔があれば、
心が通じるものだと、とてもうれしくなった。

ここで、サラダとパンとポルチーニのスープ、
伝統的なスイスの野菜のごった煮スープを
いただいたが、これだけでもう満腹。
夜は何も食べられなかった。 

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2015 年 ヨーロッパへの旅 23 スイス(12日目)

2015-11-22 14:31:10 | 2015年 ヨーロッパへの旅

9月14日(月)

Saint Moritz
サン・モリッツ

サン・モリッツは雨が少ない所として知られているらしいが、
今日も雨!

「エンガディンカード」という無料パスをホテルでいただいた。
ちなみに、このカードは2泊以上した人に宿でもらえるそうだが、
昨日登ったチャンタレッラまでの普通料金は、往復で7,200円らしい。
(宿の方のお話なので、定かな額ではない)

ホテルから歩いて5分の所にある駅でケーブルカーに乗り、
昨日徒歩で登ったChantarellaで乗り換えて、
山の中腹のCorviglia(コルヴィリア)へ。 

駅の隣では急ピッチで、
近付くスキーシーズンに向けての工事が始まっていた。

一旦外に出て、すぐ傍のゴンドラの駅まで歩き、
標高3,056mPiz nair(ピッツナイル)へ。

ゴンドラを降りると、この地の象徴「シュタインボック」の銅像が
谷を見下ろすように建っており、その下にはオーバーエンガディンの谷と
その向こうのベルニナ・アルプスの遠景を眺めることが出来るらしいが、
残念ながら、今日は雲ばかり・・・

ここは有名なスキー場の最高地点。
さっき乗り換えた中腹のコルヴィリアへはもちろんのこと、
標高差約1,100mの村までも滑り下りることが出来るそうだ。

スキーの迷手まあちゃんも滑れるかな?

3,056mの高さはもうすでに冬で、霰が降り、驚くほどの寒さ。
強風に吹き飛ばされそうになりながら、すぐにレストランに避難した。

夫はワイン、私はキャロットケーキとチョコレートミルクを注文。

このケーキ、あまりおいしくなくて700円、がっかり!
晴れていればこのベランダですばらしい景色が楽しめるはずなのに・・・

 

 あれっ?昨日ハイジの家で出会った二人の日本美人が
窓の外で飛ばされそうになりながら写真を撮っていた。

私達のすぐ前にいるので、中から手を振ったり、
窓を叩いたりしたが、全く気付かず、
必死の形相ですぐに引き返して行った。

夫が出て行って声をかけたが、中に入る時間はなく、
次のゴンドラで降りて、これからミラノへ行き一泊、
その翌日はスペインのバレンシアへ行き、
サッカーの観戦をするのだと言った。

私達も同じゴンドラで降り、コルヴィリアからケーブルカーに。

すごいなぁ、東京と佐賀に住む友人同士で10日間の旅、
全て自分達で計画を立てて行動しているそうだ。
偉いなぁ・・・・・私には絶対出来ない。



ケーブルカーを降りると、次の列車に間に合うかどうか分からない、
と言いながら、急いで走り去って行った。

(後日談、お二人は運良くバスに乗ることが出来て、間に合ったとのこと。)
  

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2015 年 ヨーロッパへの旅 22 スイス(11日目)

2015-11-21 12:59:38 | 2015年 ヨーロッパへの旅

9月13日(日)

Saint Moritz
サン・モリッツ

頂上でしばらく過ごし、ここから又歩いて町に下る途中、
湖の周りにたくさんの建物が見えた。

あれっ?あの建物は・・・・・



先ほど、不思議だと思った建物が目に入った。
上から見るとこんな感じ。

おもしろいが、一体何に使われているのかは分からないままだった。

道のあちこちにすてきな木彫りの置物があり、目を楽しませてくれる。
キノコ型のごみ箱もたくさんあった。

  ゆっくり、往復3時間位のトレッキングを楽しみ、部屋でしばらく休み、
7時頃、ホテルの一階にあるレストランに出かけた。

昨夜は9時頃だったせいもあり、
我々以外のお客様はいなかったが、
今日はたくさんのお客様で賑わっていた。

昨日と種類の違うピザとスパゲッティ、サラダを一皿ずつ。

        

                  

昨日は満腹でほとんど何も食べられなかったが、
今日はとてもおいしくて、何も残らなかった。

店のボスが言っていたように
「この辺りでは一番おいしいピザリアだ。」
というのは本当だったかもしれない。

口々に帰り際に「又、明日!」と言いながら
別れを告げる人達は、皆 常連のようだった。 

 

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2015 年 ヨーロッパへの旅 21 スイス(11日目)

2015-11-19 16:03:17 | 2015年 ヨーロッパへの旅

 

9月13日(日)

Saint Moritz
サン・モリッツ

昨夜はテニスのUSオープンを見て、1:00に就寝。
食事に降りたのは10:00だった。

もう他のお客さんは出かけたのか、私達だけ。
朝食を見て驚いた。
モントローの4つ星ホテルより品数が多く、
ハムやチーズの種類も揃っており、味もとてもおいしかった。
卵は注文に応じて茹でてくれるという。

卵はお断りしたが、ホールの女性はとても親切で、
忙しいだろうに、天気予報や周囲のハイキングコース、
それぞれの見所を説明してくれ、楽しい食事時間を過ごした。

お昼から、生憎の雨の中、
Chantarella(チャンタレッラ)を目指して歩き始めた。
晴れていれば、美しい湖水が望めたのだろうが、
全てが霞んでいて残念だった!
しかし、美しい家や変わった建物を眺めながら歩くのもなかなか良い。
土地の人が犬と散歩しているぐらいで、観光客に会うことはなかった。
この建物、変わっているでしょう・・・。

途中から「ハイジトレイル」という名の道があり、
道の両側のそこここに、小さな石で囲んで、
その中に高山植物を育てている区域があった。

貴重な植物を守るため、育てるためにとても良い方法だと思った。

しばらく行くと、「アルプスの少女ハイジ」の
撮影に使われた小さな小屋があった。

 私は子供達が小さかった頃、毎週子供達と一緒に
「アルプスの少女」というアニメーションを
テレビで見ていたが、実写の映画は見ていない。
大好きだったハイジ、どんな感じかな・・・見てみたい・・・。

ここで日本から来たという二人の若い美しい女性にお会いした。
やはり、お二人もきっとハイジのファンだったのだろう。
雨が激しくなってきて、あまりお話しもせぬままお別れをした。

チャンタレッラの頂上はどこなのか、懸命に探したが分からなかった。
「この辺りにあるはずよ、ケーブルカーの駅があるから。」

しばらくあちこち探している内に
「えっ、ここに看板があるけど、ここが頂上?」

道路標識の後ろ側に・・・・目立たないように・・・・。

とんがり山のてっぺんを想像していたが、平らな山だった。

チャンタレッラからのパノラマ、晴れていたら美しいだろうに・・・残念!

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2015 年 ヨーロッパへの旅 20 スイス(10日目)

2015-11-18 13:23:11 | 2015年 ヨーロッパへの旅

9月12日(土)

Montreux→Saint Moritz
モントルーからサン・モリッツへ

サン・モリッツ駅に着くと、風も強く、
あわてて上着を重ねるほど寒かった。
バス停でバスを待つ間、
一人の男性に日本語で声をかけられた。



遠くで見かけた時、日本人だとは思わなかったので、
驚いていたら、彼は台湾の方で「日本語を少し勉強した。」
そして、バスに乗る時、私のトランクを持ち上げてくれ
「若いからね。」と笑顔で言われた。

次の駅で降りられたので、ほとんどお話も出来なかったが、
とても感じの良い、ステキな方だった。

旅先で、一瞬の出会いだけで、その国民に対する感情が
良くもなったり、悪くもなったりする。
一人、一人の心の在り方が重要だと、いつもつくづく思う。

さて、バスに乗って3~4つ目だったか、
ようやくホテルARTEに着いた時、
私は「えっ?ピザ屋さんの上なの?」と、
今までのホテルとの違いにちょっとたじろいだ。

今まで三ツ星以上のホテルばかりで、
星なしのホテルに泊まったことはなかったが、
夫がインターネットで宿を探した時、
サン・モリッツの宿代の高さに驚き、
懸命に探してやっと一泊二人で17,000円を見つけたという。

写真で見る限り、とても良さそうだと思ったそうだ。

実際、入室してみると、新しく、とても居心地が良く、
スキー客の為なのか、たくさんの引き出しがあり、
ひと月近く滞在しても収納に困らないだけの余裕があった。

部屋数が少ないので、荷物のない時には階段が便利。
これもスキー客のためか、滑らないよう工夫がされ、しかも美しかった。

食事は下のピザリアで。

私は氷河特急の中でいただいた昼食で、もう何も食べられなかったが、
夫は、とにかく旅先ではしっかり食事を取らなければいけないと言い、
二人で分けるように 小さなピザ、ミックスサラダ、スパゲッティを頼んだ。

結局、半分近くを残す羽目になり、店の人に申し訳なかった。

 

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2015 年 ヨーロッパへの旅 19 スイス(10日目)

2015-11-17 13:17:51 | 2015年 ヨーロッパへの旅

9月12日(土)

Montreux→Saint Moritz
モントルーからサン・モリッツへ

今日はモントルー駅からブリークへ出て、
氷河特急に乗り換え、サン・モリッツへ向かう。

8時45分にチェックアウトしようとしたら、
Rさんがロビーで待っていて、私の荷物を運んで下さった。

まさか、ホテルの真ん前の駅なのに、しかもこれから
御家族二人の見送りもあるのに、本当に驚いてしまった。
そして、サン・モリッツまでの一等車のチケットまで全て
用意して下さっていたのだ。
本当に本当に申し訳ない思いだった。

グリーク駅で氷河特急Glacier Expressに乗り換える。

グリーク駅で日本人の親子にお会いした。
宮崎の方で、娘さんがスイス人と結婚され、
御両親が遊びにいらっしゃったそうだ。いいなぁ。



ところで、氷河特急の車窓から見る景色は、
スイスそのもの!
ラッキーなことにすばらしい快晴で、遠くまでよく見えた。

そして、事前に予約をしておけば、車内で昼食もいただける。 

これにデザートとコーヒーが付いていた。

あまり期待はしていなかったが、予想以上においしくて、
全部いただいてしまい、その後、お腹が苦しくて 困った。

グリークからサン・モリッツまで6時間半。
ツェルマットからは8時間、
世界一遅い特急と言われているそうだ。
 

 

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2015 年 ヨーロッパへの旅 18 スイス(9日目)

2015-11-15 16:36:26 | 2015年 ヨーロッパへの旅


9月11日(金)

モントルー最後の夜

8:00、今夜のお食事はイラニアンレストランで。

イラン料理の店にはすでに2組の御夫妻がいらっしゃった。
銀行と、観光関係のお仕事をそれぞれリタイアされた方達で、
とてもフレンドリーで優しい態度と笑顔がすばらしかった。

イラン料理も初めての経験だったが、
思っていたより日本の味に近く、おいしかった。

次々に出て来たので、名前や順番は忘れてしまった・・・・

男性同士、女性同士という座席、これもアラブ式かもしれない。
奥様方は、全員が3~4ヶ国語を話されるそうだ。
Nさんは初めに親からフランス語を教えられたので、
フランス語の方が英語よりずっと得意だ、と言われた。

スイス人口の60%がドイツ語、20%がフランス語、
6.5%がイタリア語、0.5%がロマニッシュ語を話しているが、
首都ベルンを境に東ではドイツ語、西ではフランス語を話す人が多く、
南のティチーノ州ではイタリア語を話す人が人口の過半数を占め、
一方、ロマニッシュ語は近年、消滅の危機に瀕しているとのことだった。

(スイス連邦憲法では正式な首都は定められておらず、
憲法上ベルンは「連邦都市」と 定められており、
これを事実上の首都と見なしている。)とのこと。

私は日本語しか上手に話せないが、この辺りの人達は
幾つかの言語が話せないと生活に不便だということもよく分かった。

イスラム教の人達はお酒を飲まない。
お料理でもアルコールが熱で飛んでしまったものは大丈夫だが、
酔っぱらって、自制出来なくなるのは神の教えに反する、という。

だから、宴会でダラダラと飲み続けることは絶対になく、
食事時間は比較的早く終わったが、
店の前で、名残惜しそうに立ち話が続いた。

今夜でスイスとお別れだったのは、私達だけではなく、
Oさんも明日はドバイ経由で日本に、Nさんもドバイに、
さらに驚いたことにRさんも明後日には帰られるそうだ。

私達の為だけに御家族がスイスに来られたと伺い、
申し訳ない気持ちで一杯だったが、
「この旅は私達家族にとってもすばらしい有意義なものだった。
皆それぞれが独立をして、
なかなか一緒に旅行をする機会がなかったから、
父も心から喜んでいます。」とOさんから伺い、
少し、気は楽になったが・・・。

そして、私達の泊まっているホテルまで送って下さった時、
Nさんの大粒の涙を見て胸が詰まり、抱き合って再会を誓った。

その後、Rさんと、そしてOさんともしっかり抱き合ってお礼を述べたが、
日本語で「ありがとう、ありがとう。」としか言えなかった。

ステキな二人の男性と人目もはばからず抱き合うなんて、
これも、もちろん生まれて初めての経験だった。 

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2015 年 ヨーロッパへの旅 17 スイス(9日目)

2015-11-14 08:52:59 | 2015年 ヨーロッパへの旅


9月11日(金)

今日は朝早くMさんがアイルランドにお帰りになる。
彼は医者になるために留学中。

本当はもう夏休みは終わり、授業が始まっているそうだが、
私達の為にわざわざ許可をもらって駆けつけて下さったという。

初めにお会いした時「他の子供達はサマースクールの為に
来られなかった、ごめんなさい。」とNさんにお詫びを言われたが、
かえって、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「アラブの人達は昔、石油がなかった頃は貧しかったけれど、
もしお客様がいらっしゃったら、
5つのパンの内一つを自分達の家族で分け、
後の4つをお客様に差し上げました。
これは長い間の我々の文化なのです。
だから遠慮しないで下さい。
私達にとっての喜びなのですから・・・・・。」

何度もOさんが言われたが、
それは他の御家族のお顔にも表れていた。

もちろん、日本でも貧しいなりに心を尽くして
おもてなしをするのは同じかもしれないが、
今回の旅は桁が違っていた。

4:00にOさんからメールが入り、「明日からの長旅に備え、
今日は遠出をせず、8時に父の友人を呼んで
食事をすることになった。」と書かれていた。

私達は又湖畔に出て散歩を楽しむことにした。

今日もすばらしい晴天。

 

どこの観光地にもあるようなミニトレイン。

私は全く知らなかったが、ある銅像の前にたくさんの人が群がり、
お花を供えていた。
この人はイギリス生まれのFreddie Mercuryというミュージシャンらしい。
(クリックしてみてね)

 

 モントルーにもカジノがあった。
表のドアからちょっと覗いたが、私達には場違いで、
見るだけでドキドキ・・・

不思議だったのは湖畔に咲き乱れる美しい花々。
日本の気候ならもうとっくに11月と同じぐらいの寒さで、
ほとんど見られないはずなのに。
よく見ると、花も葉も日本より厚く、硬そうに見えた。

品種改良なのか、気候に順応したのか・・・・ 

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