日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

2013年ヨーロッパへの旅 34

2014-02-08 21:15:55 | 2013年 ヨーロッパへの旅


9月29日(日)(チューリッヒ)

チューリッヒは毎年旅の終わりに一泊するスイスの大都市。
とにかく人が多く、人種も種々雑多。
一番気になったのは、煙草をくわえて歩く若い男女が
昔より増えていることだ。

昨年も泊まったベストウェスタンホテルは、
外観は古いが内装はしっかりしている。
何より駅から2~3分で立地が良い。

  

いつも不思議に思うのは、日本と違って 駅に改札口がなく、
一般の道路からプラットホームに直接入れることだ。

チューリッヒ中央駅はスイス最大の鉄道駅で、
国内や隣接のドイツ、イタリア、フランス、オーストリアなどの間で
発着する国際列車のターミナル駅となっており、
1日に2,900本以上の列車が出入りするという。

中央駅から近い場所に、ヨーロッパ最古、
文字盤の直径8.7m、針が4mという
ヨーロッパ最大の時計台がある。

メイン通りから少し離れると、閑静な公園があり、
ここから見るリマト河畔の町も本当に美しい。

公園のあちこちでチェスを楽しむ大人達がおり、
そして遠巻きに若い男性達も真剣に勝負の行方を見守っている。
日本ではあまり見かけない姿に、「優雅な大人」を感じた。

 夕飯は昨年と同じレストランで。
ステーキハウスで、イスの背もたれが牛の毛皮。 

私達の1ヵ月に及ぶヨーロッパへの旅も、いよいよ明日はチューリッヒから
アムステルダム、成田と、終わりを迎える。

忙しい中、休暇を取り参加をしてくれた卒業生、
多額の出費にもかかわらず、
人生の先行投資として参加してくれた現役学生。
一番の大荷物を抱えてさぞかし大変だったろうと思う私の夫。
すばらしい思い出を本当にありがとう。

  


 

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2013年ヨーロッパへの旅 33

2014-02-04 21:50:29 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 

9月28日(土)(スイス・サースフェーからチューリッヒへ) 

いよいよ今日でサースフェーにお別れ。
イライのパパ、パトリックさんに電気自動車で
バスセンターまで送ってもらい、
バスで50分、フィスプ駅から電車で1時間半、チューリッヒへ。


今までホテルのオーナーだと思っていたパトリックさんは、
3年契約の雇われ主人だと、今朝知った。

この2日間、客は私達二人だけ。

昨日の朝、彼等は「これから山に遊びに行く。」、と言っていたが、
我々が山から帰ってきた時も、9時にレストランから帰ってきた時も、
鍵は開いたまま、誰もいなかった。

昨夜は11時ごろ帰ってきたと言っていたが、
この辺りでは鍵などかける人はいない、という言葉にびっくり!

この季節、サースフェーは本当に静かで、
団体客もほとんど見かけなかった。
多くの古いホテルが閉鎖している様子だったが、
新築中のホテルも数件あり、
冬のスキー客は多いのではないかとも思う。
冬の気温がー20度ぐらいになるという言葉にまた驚いた。



美しい氷河

 夕映えの山

燃えるようなナナカマドの実の色

町のあちこちに見られる自然の形を生かした木の彫刻

のどかな牧草地

200年前に作られたという倉庫はネズミ返しの原理で侵入者を防ぐ。

5日間の滞在では分らない、
まだまだたくさんのすばらしい所があることだろう。

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2013年ヨーロッパへの旅 32

2014-01-31 22:33:10 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 

9月27日(金)(スイス・サースフェー5日目) 

        毎日富士山頂近くから下山しているような状態なので、
体もかなり疲れている。
 

昨夕はホテルのすぐ近くのイタリアンレストランで食事を済ませ、
のんびりユーロスポーツで放映していたアイススケートの
中継を見ている内に眠ってしまった。
ペアーの日本代表、キャシーとリード兄妹が演技をしていた。

朝9時、朝食を取って、11時半にシュピルボーデンを目指し
オレンジ色のケーブルカーに乗った。

急に2,448mまで登ってきたせいか、
フワフワと気持ちが悪かったが、
老夫婦に話し掛けられ、おしゃべりをする内に、
気が紛れて元気になってきた。

スイスのルッツェルンから来られた元ケーブルカーの技師で、
私達が乗ってきた、そのケーブルカーも
彼の会社で作られた物だとか。
私達が2度行ったことのあるスイスの
ピラトゥス山のケーブルカーも同じで、
あちこち自分達の作ったケーブルカーを見に、
奥様と旅行をされているそうだ。

ああ、このような老後もあるのだと、すごく感激をした。

ドイツ人と日本人、お互いに片言英語でも何とか話を楽しむことは出来る。
しばらく話すとニンジンを差し出し
「これを動物にやりなさい、私達は十分に楽しんだから。」
と言われ、マーモットのいる穴を教えて下さった。

その後、山を下り始めると、あちこちでマーモットを見つけ、
残りの
ニンジンを出すと、膝の上まで登ってきてねだる。

かわいくて、撫でようとするとサッと逃げてしまうので、
それは出来ない。

時々、鋭いピーッという音がすると、身構えて警戒するが、
その音が仲間なのか、鳥の鳴き声なのか、私には分らなかった。

しばらくして振り返ると、
先ほどの御夫妻が大きく手を振って下さった。

あちこち見ながら麓まで下ること1時間半。

もうすぐ町、という所で 石につまづいて転んだ。
近くにいた地元の老人が近寄ってきて、石がいっぱいあるから
よく見て歩きなさいと言ってくれた・・・・ようだ。
何語か分らないが、身振りで理解出来た。

左腰を打ち、左腕がすりむけていたが、問題はなかった。

ようやく町に着いたら、このまま青いケーブルカーに乗って
プラティエン(2,500m強)のトップまで行こうと夫が言った。
朝食後何も食べておらず、しかも疲れも尋常ではない。

でも、これで全てのケーブルカーを制覇だと言われれば、
乗らざるを得ない。
運転終了まで後35分。
テッペンで写真を撮るだけならと渋々承諾。

 この山はかなりの岩山だ。

ほとんど緑がない。

どのケーブルカーから見る景色もそれぞれに違う。

運転終了ギリギリの時間に降りてくると、
突然、夫の足元にじゃれ付いてきた犬がおり、
その喜びように驚いた。

飼い主の御夫妻と話が始まり、
ルクセンブルグに住む動物のドクターで、
神戸製鋼に仕事で訪れ、
大阪のホテルオオクラに4~5日泊まったことがあると言っていた。

私の乏しい英語力では、スチールとアニマルがどう結びつくのかまで
理解出来なかったが、とってもステキな御夫妻で、5歳からの
幼馴染が結婚をし、68歳までずっと一緒だと話された。


夕飯は開店20周年というホテル近くのTenneに出かけた。

量が分らないままに頼んだお料理にびっくり。
二分の1か、ノーマルかと初めに聞かれた意味が分かった。
半分しかいただけなかったが、とってもおいしかった。

いよいよ明日はこのサースフェーにお別れ・・・・・・

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2013年ヨーロッパへの旅 31

2014-01-31 00:26:53 | 2013年 ヨーロッパへの旅


9月26日(木)(スイス・サースフェー4日目)
 

今日はホーサース(3,142m)を目指す。

サースフェーでバスに乗り、グルントで下車、
徒歩で10分のクロイツボーデン駅までは、
のんびりと田舎道が広がる。

クロイツホーデンからゴンドラに乗り、ホーサースまで。

驚いたことに、途中のゴンドラ乗り継ぎ地点で、
12時から1時までは休み時間だから、とゴンドラがストップ。
日本では考えられないが、そこで1時間を潰すことになった。

 残念ながら晴れていれば、湖に映る山は見えず、
ほんのちょっと陽がさした時に、かすかに美しい山並みが見えた。

湖のほとりで昨夜のトマト、ブドウ、パンの残りを口に入れたが、
パンを欲しがるヤギさんやニワトリさんにもお裾分け・・・・・
とてもかわいいのだが、とにかく寒くて、寒くて・・・・。



上へのケーブルカーが動くや否や、
早速、ホーサースの頂上( 3,142m)へ。

眼下に迫るバイスミーア(白い氷河)は、
以前よりかなり溶けているのだろう、
うっすらと黒く表面が汚れている。
所々にクレパスが見え、
危ないので上に乗るのは「危険」という看板が立っていた。

100万円を上げるから行ってみたら、と言われても絶対にお断りをする。
近くに立っているだけでも高所恐怖症のように
寒さも手伝って震えるばかり。

それもそのはず、富士山頂に近い高度である。
それにしても、スイスの観光事業は本当に偉大だ。
こんな高い山の上にもすばらしいレストハウスがある。

 

客は我々二人だけ・・・

窓の外に広がる氷河を眺めながら一休みし、
先ほどのゴンドラの中継点まで戻り、
そこからまた歩いて下山した。

帰国後、聞いた話だが、我々の帰国前、
この氷河のクレパスに落ちて日本人が亡くなられたという。

ここサースフェーではたった二人、
50代と30代と思われる日本人男性にしか会っていない。
ニュースによると30代の男性だったとのこと。
すれ違う時に会釈をして笑顔を交わしただけの人だったが、
まさか・・・と、未だに気になっている。

 

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2013年ヨーロッパへの旅 30

2014-01-30 12:43:24 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 

9月25日(水)(スイス・サースフェー3日目) 

今日はミッテル・アラリン(3,500m)を目指す。
昨日の最後に辛い思いをしたので、近所のスポーツ店で、
私だけ まずストックを手に入れた。
身長から子供用で十分だと言われ、
うれしいような、悲しいような・・・

我々の泊まったHotel Carpe Diem(カルペ・デューム)は
Enjoy today という意味だと教えてもらった。

テニスコートやサッカーコート、ゴルフコース
山間の小さな村なのに、すばらしい施設が揃っていた。

                        インターネットから拝借した地図

途中、フェルスキン(3,000m)で
メトロ・アルピンという地下ケーブルに乗り換えた。
岩山をくりぬいたトンネルの中を走るのだ。

乗り換えの時に、ホテルからもらったブルガーパスを見せたら、
これではダメと言い、さらにもう1枚を係の人が下さった。

サースフェーに来て以来、交通費は一切かかっていない。
グリンデルワルトやツェルマットでは
相当高い登山電車代がかかるのに、
ここでは一切無料なので、安い費用でスイスを楽しむなら
ここサースフェーがお薦めだ。

メトロ・アルピンの運転手はおらず、機械だけが動いていた。

ミッテルアラリン駅に着くと、次々とスキーヤーが帰ってきた。

口々に雪質が最高だと言っていたが、
残念ながらスキー場までは行けなかった。

ここは回転する展望台。
座っているだけで360度、4,000m級の山々が目の前に現れる。
初めは床が動いていることに気付かずに、
あれ、確か売店の側にいたのに・・・と

外のテラスにのんびり座って、
山を眺めることも出来るほどの暖かさだった。

すばらしい雪山を堪能し、フェルスキンまで地下ケーブルで戻り、
又そこから歩き始めた。

ただひたすら麓を目指し・・・・

 ようやく地上に到着。
テニスコートや、美しい街並みにホッと一息。

我々のホテルは夕飯がない。外に出る元気も残っていない・・・

途中、coopで買出しをした。
夫も疲れているだろうに、おくびにも出さず全て運んでくれた。

これだけ全てでいくら・・・日本円で4,500円ぐらいだろうか。
ワインとビールを除いて3,000円・・・
すごく高いがどれもこれも本当においしかった。

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2013年ヨーロッパへの旅 29

2014-01-23 14:18:30 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 

9月24日(火)(スイス・サースフェー2日目) 

Hotel Carpe Dieum
若い御夫婦と10ヶ月の男の子のいる
まことにアットホームなホテルだった。

今までは大きな4つ星ホテルばかりで泊まっていた。
もちろん、それぞれに違うのだが、
ポルトガル・リスボンのOlissippo Malques De Saでは
レストランの従業員がとても無愛想で、
目も合わせないような態度だったので、
少しがっかりしていた。

これは4日間いる内に事情が分ってきたのだが、
毎朝7時ごろから廊下で大声が聞こえ始め、
8時から9時半までに大きな観光バスが2~3台出て行く・・・・
これでは従業員達の笑顔がないのは当たり前だと思った

それに比べると、ここは非常に対照的なホテルだ。
このホテル「カルペ デューム」では、朝早く出かける人が多いのか、
私達が朝食に行く頃には、レストランに2~3組しかおらず、
長男のILAY(イライ)ちゃんを抱っこした若婦人が
コーヒーを入れてくれたり、食事の支度をしてくれた。
少し混んで来るとサークルの中に入れられたイライちゃんは
親の後を追ったり、我々の側に来て笑顔を振りまくので、
全ての人達に笑顔が広がる。
とても和やかで、こちらまでうれしくなってしまう。

 毎日、近隣の国の人達や、
初めて見たかもしれない色黒の日本人などに囲まれ、
人見知りすることなく、皆の笑顔の中でこのまま成長できたら
本当に幸せだろうなと思った。

レストランも夕食の提供はなく、朝食だけ。
だからこそ、子育てをしながらでも出来るのだろう。


夫が常々「子供は国の宝」と言っているが、
「子供は世界の宝」か。

今日はイライちゃんパパのお薦めで
ハニング(2,350m)までケーブルカーで登り、
そこから降りるコースを選んだ。

ここサースフェーは一年中80%の晴天率で、
ほとんど毎日が良い天気らしい。
今日も御多聞に漏れず最高の天気だった。

ハニングの頂上のレストラン、そしてそのすぐ側に

 

 数匹のヤギがおり、人を見ると寄ってきて餌をねだる。

木彫りの道標がなかなか面白く、
この類の物が、あちこちに見られた。

歩き始めは山を大きく巻くように歩けるので、とても快適だった。

名前は分らないが、あちこちに小さな高山植物が咲いていて、
とてもかわいい。

所々に秋の気配も忍び寄っているのか、うっすらと紅葉が始まっていた。

途中、時々会うスイスやドイツの人達と挨拶をしたり、話したり・・・
年配のドイツ人はほとんど英語が話せないが、
笑顔を交わすだけでもうれしい。

私達が一休みしている時、70代後半の御夫妻かと思われる二人連れが、
ストックを突きながら我々の前を通って行った。

こんなにお年寄りでもがんばっていらっしゃるのだと感心したが、
我々が歩き始めてしばらくすると、
先ほどのお二人が軽食を取っていらした。


向こうから日本人かと声を掛けられ、
昔日本に行ったことがあるからすぐに分ったと言われた。

最後に、2020年の東京オリンピックにいらっしゃいとお誘いすると、
我々は年寄りだから難しいかもしれない、
とりあえず、昔仕事をしていたアフリカに行こうと思っている、と言われた。

いろいろ話す内に何と彼等は68歳と62歳だということが分り、
私達は大ショック。
向こうも、ストックも使わずにサッサと下って行く二人に
驚いたかもしれない。

しかし、山の3分の2ほど下ってきてからの山裾の傾斜は、
かなり急な厳しさで、引き返すわけにも、
タクシーを呼ぶわけにもいかず、
それこそストックが必要な訳が分った。

麓に近づいた頃、小さな川の流れが見え、
急な坂で痛めつけられた足を
その冷たい流れで冷やしていたら、
大きな男性がやって来て、同じように靴を脱いだ。

登山靴を脱ぐと、かかとに大きな靴擦れが出来ており、
その痛々しいこと・・・・

健脚コース1時間半、とガイドブックに書かれていたが、
私達は2時間以上かかった。

村の入り口に着いた頃には、もう歩くのも嫌だった・・・ 

 

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2013年ヨーロッパへの旅 28

2014-01-13 13:44:08 | 2013年 ヨーロッパへの旅


9月23日(月)(リスボンからスイスサースフェーへ)

12:15スイスエアーに乗り 3:45チューリッヒに到着。
2時間半のフライトなのに、
ここでまた1時間の時差がある。

我々はここからサース谷の中心、
スイス最高峰4000m級の山々と
雄大な氷河に囲まれた「アルプスの真珠」と呼ばれる
サースフェーを目指す。

フィスプ駅行きの電車は4:40。
ここでバスに乗り換え、サースフェーまで行く。

次の電車までに、何とかチケットを買わなければと、
バゲッジクレイムで荷物を受け取り、
走って電車のチケット売り場に向かった。

親切な駅員が往復券と周遊券を作ってくれ、
日本で買うと二人分でファーストクラス12~3万円掛かるものを
6万2千円で買うことが出来た。
夫の涙ぐましい交渉術のお陰?
現地で買うといろいろなサービスやコースがあるらしい。
日本代理店のマージンが不要という点もあるのだろう。

電車の中から一昨年の秋に行ったベルンの町が見え、
ユネスコの世界文化遺産に指定されている美しい旧市街地や、
かの有名な物理学者のアインシュタイン博士が
2年間過ごした家の事、
熊公園で、熊が木に登っていた光景などを思い出した。

そんな話を二人でしていたら、
突然前の席の女性が振り返って、
私達の窓の下の辺りを指差した。

言い訳をするつもりはないが
決して大きな声で話していたわけではない。
とても静かな車内なので、ヒソヒソと話していたのだが・・・・
全く話をしてはいけない、ということだったのか。


山が近づくにつれ、
真夏のリスボンから飛んできた身に容赦なく寒気が襲う。
薄手の上着を重ね、厚手のストールを巻いてもまだ寒い。
フィスプ駅に着くや否やスーツケースから
ダウンコートを出しさらに重ねた。

食事をする所などどこにもない。
駅に隣接するコープで今夜の食事を買った。
大勢の人達も同じように買っていた。

途中、何の事故だか分らないが、15分ほど電車がストップしたせいで、
1時間に1本しかないバスにも乗り遅れ、
ホテル近くのバスの終点に着いたのは9時半ごろ。
駅前は人通りもなく、タクシーはおらず、
どうしたものかと思案していたところへ、
40代位の女性が後から降りてきて、
すぐに「日本人ですね。」と声を掛けてくれた。

タクシーは電話で呼ばなければ来ないらしい。
ホテルの名前を言うと、すぐ近くだから一緒に行きましょうと言ってくれた。
ほとんどの店は閉まり、数軒の明かりが見えるだけ。

彼女はスイスエアーのフライトアテンダントをしていて、
日本や韓国にも度々行っているとのこと。
しかも彼女の家は我々の泊まるホテルの2軒手前だった。
何という好運!

ようやくホテルにたどり着いた時には
疲れと寒さでヨレヨレになっていたが、
清潔な暖かい部屋に入ってやっと一息・・・

とうとうやって来たね・・・・遠かったね・・・ 

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2013年ヨーロッパへの旅 27

2014-01-11 15:54:19 | 2013年 ヨーロッパへの旅


9月22日(日)(リスボン3日目)

今日はいつもの元気が戻ってきた。
ホテルのフロントで Hop on hop off の
イエローバスのチケットを買い、
とにかく町中を一周して、あちこち捨て目を利かせ、
ジェロニモス修道院で降りた。

この修道院は、ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓、
及びエンリケ航海王子の偉業を称え
1502年にマヌエル1世によって着工され、
1511年に回廊など大部分が完成したが、
その後、様々な理由により中断、
完成までに300年ほどかかったという。
最初、その建築資金はバスコ・ダ・ガマが持ち帰った
香辛料の売却による莫大な利益によって賄われ、
さらに、その後も香辛料貿易の利益で賄われたという。

贅を尽くして造られた教会内部の調度はすばらしく



教会に入って左側にはインド航路を発見し、
ポルトガルに富をもたらしたヴァスコ・ダ・ガマの石棺、

並んで右側にはその偉業を一大叙事詩としてうたいあげた詩人、
ルイス・デ・カモンイスの石棺が並んでいた。

なるほど、ロカ岬で見た碑は彼の叙事詩の一説だったのだ。
ここで初めて彼が何をした人なのかが分った。

修道院から出てくると、先ほどバスの中から見た大行列の
べレン洋菓子店(Casa Pastéis de Belém )の前の行列が
見えなくなっていたので、もしやと期待して店の近くまで行くと、
並んでいたのはたった10人ほどだった。
これはラッキー!

二つだけ買って公園のベンチで一つずつ頬張った。
おいしい!確かに昨日の物とは全く違った味だった。
パステル・デ・ナタという名前らしい。
アジさん、ゴメンね・・・・

ここからしばらく歩くと、大航海時代を切り開いた偉人達を称える
「発見のモニュメント」がテージョ川に向かって建っていた。


                       (正面から向かって左側)


                                     (右側)

これは1960年に
エンリケ航海王子の500回忌を記念して建てられた物で、
日本で布教活動を行ったイエズス会宣教師
フランシスコ・ザビエルの像もあった。(赤い星印)
日本が「発見された」のは
 1541年となっているが、
これはポルトガル船が豊後に漂着した年とのこと。

私はここでちょっと疑問を持って調べたのだが、
ネットで下記のような記述を見つけた。

     16世紀半ばにポルトガルが中国のマカオ,スペインが
      ルソン島(フィリピン)
     のマニラを根拠地としてアジアに進出していました。
     そこにイギリスとオランダが参入し,
     オランダは1595年にジャワ島(インドネシア)に到着,
     本国と行き来を重ねていました。

     リーフデ号は5隻の船団の1隻で,
     1598年に本国オランダのロッテルダムを出発し
     ました。しかし,南アメリカ大陸南端のマゼラン海峡を通過後,
     悪天候によって他の船と離れてしまい,
     長い漂流の末の1600年に豊後沖に漂着したのです。

どちらが正しいのだろう。

少し疲れたので、川沿いのレストランで一息入れて、
司馬遼太郎さんが「テージョ川の貴婦人」と表された
べレンの塔へ・・・

 元々はテージョ川を行き交う船の監視や河口を守る要塞として、
マヌエル1世の命によって1515年に着工し、
1520年に完成したものだが、
後には税関や灯台としても使われたそうだ。

この塔に入るための橋を渡り、

国王の間のバルコニーからは美しいテージョ川が見渡せ、

テラスには砲台が備えられている。

夫は昨日登ったので、私一人で入って行ったが、
「平日10ユーロの見学料が日曜日は無料」
とのこと、ラッキーだった。

しかし、上から見るととても美しい景色だが、
この地下には水位が上がると水が入ってくるという牢獄があり、
今は戸がはめられているが、あまり気分のよい所ではなかった。

さて、バスに乗ったり降りたりを繰り返し、
5時間ほど遊び、リスボンの町の大体の様子が分り満足。

夕食は 昨日私がダウンして食べられなかったポルトガル料理店へ。
ところが、今日は日曜日でお休み。
がっかりしたが、近くのレストランで同じようにおいしいエビやイワシ、
柔らかいタコのお料理をいただき大満足。
最後のデザートのマンゴーのおいしさも格別だった。
写真は撮り忘れてしまったが、ビールにグラスワイン、水、
二人で食べ切れないほどの海鮮料理、
これだけで〆て4,000円ほどだったらしい。
日本なら店にもよるが、倍以上はかかるだろう・・・

明日はいよいよ最後の行程、スイスのサースフェイへ。

 

 

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2013年ヨーロッパへの旅 26

2014-01-06 12:46:55 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 


9月21(土) (リスボン2日目) 

案の定、昨夜は疲れ過ぎていたのか、
体の節々が痛み、夜中の2時過ぎまで眠れなかった。
 

食事から帰ってきた夫は上機嫌で、
おいしかった食事の話をしていたが、
私の様子を見て心配し、
漢方薬と水を枕元に用意してくれた。
 

薬が効いたのか、早寝が良かったのか、
朝には全く風邪の症状は収まっていた。

しかし、今日は大事を取って休養日。
日記を書いたり、昼寝をしたり・・・ 

のんびり起きて、のんびり朝食をいただき、
昼食は昨日全く手付かずだったブドウだけ。 

夫とアジさんは世界遺産の
ジェロニモス修道院に出かけて行った。

夜、二人が買って来てくれたパン、チーズ、
3種類のハム、野菜と果物で部屋食。


アジさんも今夜でお別れ。
「ジェロニモス修道院の特別な門外不出のレシピで、
今も作り続けられているポルトガルの伝統菓子を
食べられなかったのが心残りです。又来ます。」と言うので、
理由を尋ねると、
その店の前には何十人もの行列が出来ていて、
待つのが嫌だったとのこと。

実は昨日、例のスーパーマーケットの入口に、
そのお菓子が売っていたので、一つ食べたのだが、
それほどの感激はなかった。
パリパリとしたパイ生地の中に
カスタードクリームが入っており、
それをオーブンで焼いた物だった。

アジさんは明朝の4時にチェックアウト。
KLMアムステルダム経由で成田に向かう。

 

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2013年ヨーロッパへの旅 25

2014-01-05 16:32:56 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 

9月20日(金) (ポルトガルのリスボン)


今日はリスボンから西へ28km、世界遺産にも登録されている
ユーラシア大陸の最西端 ロカ岬(Cabo da Roca)を目指した。 

字も読み方もよく分らないので、
地下鉄の乗り換え場所を間違えたり、
チケットの買い方やチャージの仕方に慣れるまでとても難しく、
しかも日本の機械と違って時間がかかるため、
マスターするまでに何度も首をかしげた。

シントラ駅で降り、バスを待つこと1時間。
ここで日本から来たという若い美女に会った。

3連休と土、日、休暇を足して10日間の一人旅とか。
マドリッドでもバルセロナでも、
2ヶ月間の一人旅をしているという日本人女性に会ったが、
本当にすごい!
私には絶対一生出来ない。

日本に住んでいると、海は珍しくはなく、
世界中どこへ行っても、さほど感激はない。

しかし、海の近くに咲いている花々はやはり違う。

名前は分らないが、
岩の間に張り付くように黄色の鮮やかな花が咲いていた。

日本からの美人は残念ながら後姿だけ・・・

 

この大きな碑は、ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの
叙事詩の一節「ここに地終わり海始まる
」と刻んであるらしい。


お土産店を覗いたりしている内に
きれいな事務所を見つけた。



ここでは5ユーロと10ユーロのタイプの
ユーラシア大陸最西端到達証明書を手に入れることが出来、
名前・日付と、裏面には主要国の言葉で書かれた
上記の詩が書かれているそうだ。(もちろん日本語も)
アジさんがうれしそうにこの証明書を買っていた。

また、バスに乗って漁村の面影を残すカスカイスの町に・・・。

 カスカイスは19世紀に王族一家の避暑地となってから
急激な変化を遂げ、現在は有名なリゾート地となっているそうだ。

漁船が並ぶ浜の通りで海鮮料理を期待して1軒のレストランに入った。

リスボンの代表的なスープ3種類とスパゲッティ、ピザ、
イワシなど頼んだが、一番おいしかったのはイワシの塩焼きで、
これは日本と同じ位おいしかった。
スパゲッティやピザなどは頼まない方が良い。
何と言っても日本のイタリアン料理の方が
はるかにおいしい・・・・と思う。

食後、洋ちゃんは昨日買った海水パンツに着替え、
大西洋で初泳ぎ。
でも、すぐに冷たいと言って上がってきた。

数日前、諒君とバレンシアに出かけた時も
半ズボンのままで泳いだらしいが、海の温度がかなり違うらしい。
でも、夫に追い返されて、再度船の近くまで泳ぎ、1周して帰ってきた。
思いを遂げて満足そうな様子だった。

彼は明日イギリスのヒースロー空港で乗り換え、帰国するので、
昨日のスーパーで選りすぐりのポルトガルワインを5~6本購入。

それを見ている内に私はくしゃみと鼻が出始め、
何だか怪しい雲行きに・・・・。

夕飯の時、男性三人は近くのレストランに出かけ、
私はブドウを一房買ってきて、
ホテルですぐに寝支度にかかった。

 

コメント (2)
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