日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

2011年 ヨーロッパへの旅 7 リンツ

2011-10-30 15:17:44 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月2日 (その2)



ハウプト広場のあちこちにローマンアイスの店が並び、
たくさんの観光客が民族衣装を着たガイドの後に続き、
ほとんどの人がアイスを手に持ち、食べながら歩いている。

私も大好物のアイスクリームを食べたいと思い、覗いてみたが、
色の毒々しさに食指が動かなかった。



仕方なく、夫はカンパリソーダを、私はフルーツシェイクを飲みながら、
のんびり行きかう人々を眺めていた。

ヨーロッパの街のあちこちで見られる光景だが、
リンツは特にローマンアイスを食べながら、
あるいは、タバコを吸いながら歩いている人がとても多い。
どこにいても、タバコの煙や臭いに悩まされた。

この点、日本では分煙が徹底され始め、
吸わない私達にとっては天国だ。


さて、ドナウ川を目指していたのに、
電車とアイスに見とれていてはいけない!
また、歩き始めたら、今度は路上を走るセグウェイの一行を見かけた。



テレビでは見たことがあるが、本物の走る姿は初めてだった。
7~8人のグループに指導者が付き、しばらく練習をしてから
路上に出るようで、お行儀良く列を作って進んで行く。
私にはちょっと怖そうに感じるが、
乗っている人達はとても楽しそうだった。

ハウプト広場からドナウ川まで歩いて10分ほど。
[美しき、青きドナウ] 曲の感じでもっと軽やかな姿を想像していたが、
この辺りはゆったりとしていて、幅の広い大きな川だった。






今日は何かのお祭りが催されているようで、
州庁舎の近くから中庭にかけて、
2ユーロで買ったグラスを片手に、
たくさんの人々があちこち動きながらワインを飲んでいる。
グラス一杯が2~4ユーロらしく、
どこも賑やかな笑い声で溢れていた。








州庁舎の中には絵、アクセサリー、器、
その他いろいろな種類の出店が並び、
私もここでシルクとウールで出来たストールを
夫に買ってもらった。

すごく派手なのに、数人の客や売り子が
「似合う、似合う。」と言ってくれるので、
その気になったのだが・・・・
日本では少し勇気がいるかもしれない。






真偽の程は定かではないが、ザルツブルグでもリンツでも
レストランは6時30分にならないと開かないのか、
どこもカフェばかりだった。

そろそろ疲れたので、
夕飯にしたいと思ってあちこち覗いていたら、
偶然、ステキな雰囲気のレストランを見つけた。
店の名前は「スティグル」と読むのだろうか・・・

恐る恐る入って行くと、まだお客は誰もいない・・・









ポテトスープ、ミックスサラダ、ウイーン風カツレツ、
ウイーン風ビーフステーキ。


一口食べた途端に二人とも後悔した。
昨年、ルクセンブルグで同じような食事をしてお腹を壊したから・・・

でも、今回は大丈夫だった。

それにしても、ヨーロッパのレストランで美味しかったと感激をした所は、
フレンチ、イタリアンレストランを除いて、ほとんどなかったように思う。

もっとも、高級レストランに行ったことがないからかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年 ヨーロッパへの旅 6 リンツ

2011-10-26 00:51:51 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス
9月2日 (その1)


11時01分の電車でリンツに向かう。


 
ザルツブルグ駅のプラットホームは予想以上に田舎の駅だった。
何年か後にここを訪れる機会があれば、
この写真で、昔を思い出すよすがになるだろう。


リンツ駅は小さいが、近代的な建物だった。



2泊予定のホテル シラーパークは中にカジノを備えた
大きな4つ星ホテルだったが、何となく怖いのでカジノを覗く気はない。




チェックイン後、ドナウ川のほとりまで先ずは散策。
ホテルから歩いて5分、三位一体の像があるハウプト広場。




これは18世紀初頭にトルコとの戦争や
ペストの流行、さらに大火に見舞われて国がすさんでいたが、
1723年にペストの終焉を感謝して建てられた像だとか。


リンツはオーストリアで3番目の都会であり、
ザルツブルグに比べると近代的なビルも多く
まず驚いたのは、路面電車トラムの柄の多さだった。







この他にももっとたくさんあったが、撮り切れなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年 ヨーロッパへの旅 5 ザルツブルグ

2011-10-18 12:17:50 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月1日

ゆったりと朝食を済ませ、11時近く、
またあちこち見ながら旧市街を目指して歩く。

新市街と旧市街を繋ぐ橋の上から面白い物を見た。
川の中央で遊覧船がぐるぐる回っている。
まるでワルツに合わせているようだが、
船上の人達はどのような気持ちだろう。




そして、モーツアルトの生家に行く途中、
ジャパンレストランという看板が目に入った。

そういえば、お昼はとっくに過ぎている。
日本人とは思えない人達が働いている様子だが、
軽いお昼を取ることにした。



焼きソバがあると言うので頼んだら、焼きうどんが出てきた。
えっと思ったが、まあまあ美味しかった。
しかし、かなり食べた後で
「げっ」2cm長さの太い髪の毛が出てきた。
今さら返すわけにもいかず、まあ仕方がないとあきらめたが、
一応今後は気をつけて欲しいとその髪を見せたら、
とても恐縮をして、しばらくすると抹茶アイスを二人分
お詫びにと持って来てくれた。

そんなつもりは全くなかったので固辞したが、
腰を90度に折りながら、置いて行かれたので、
仕方なく・・・・ありがたくいただいた。
濃い緑色ではなく、
本当に自然のお茶の色で、とっても美味しかった。
さらに、驚いたことに、お勘定の時、
24€だが20€でいいと言われた。
二人で440円ほど引いていただいたが、
何だか申し訳ないような気がした。

働いているのは中国人でも、
やはりJapanと書いてあるからには日本的なのかもしれない。


さて、お腹も落ち着いたところで、モーツアルトの生家に向かった。



正面の黄色の建物の4階で彼は生まれ、17歳まで住んでいたという。



博物館の一角には、彼が子供の頃に使っていたヴァイオリンやピアノ、
家族の写真や絵画などが展示されていた。



そして、もう1軒、1773年から1781年まで彼が暮していた家が、
ミラベル宮殿近くにあり、ここも博物館になっていた。




大司教との関係がこじれ、25歳の時にウイーンに移り住んでから、
二度と帰ることはなかったが、
後世の人々にとって、この地はすなわちモーツアルトの町で、
1920年にザルツブルグフェスティバルが開催されて以来、
ザルツブルグ音楽祭として91年間、今も続いている。

残念ながら、私達が訪れる数日前にこの音楽祭は終了していた。


夕食はモーツアルトゆかりのレストランで取る予定だったが、
4時過ぎには雨が降り出し、
店の開く6時半まで時間をつぶす所もなく、
かといって、又ホテルから出かけてくるのも億劫で、
帰り道にスーパーマーケット
Billaで買った物で済ませることにした。




ビール、ワインを含めこれだけ全てで2,700円、
とっても美味しく、得した気分だった。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年 ヨーロッパへの旅 4 ザルツブルグ

2011-10-14 00:25:12 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

8月31日 (その2)

ザルツブルグはオーストリアの北西部に位置し、
ローマ人の統治時代には周辺の山から
採れる岩塩の輸出の拠点となり、莫大な富を築いていたが、
ローマ帝国滅亡の後は、その廃墟後に布教活動の拠点として
サンクト・ペーター修道院(現在の教会)が建設され、
その修道院を囲むように街が広がっていったという。

ザルツは塩、ブルグは山を意味すると、ある本に書いてあった。

でも・・・ベルグは山だけれど、ブルグは谷だったような気がするが・・・
うん?他の資料にはザルツは塩、ブルグは城、とも書いてある。
一体、どれが正しいのだろう・・・

1077年からゲプハルト大司教によって、
ホーエンザルツブルグ城の建設が開始され、
その後、何人もの大司教の下に様々な大聖堂や宮殿、庭園が造られ、
1700年ごろに今の街並みが完成、
1996年にこの旧市街地が世界遺産に登録されたという。


ホーエンザルツブルグ城



城の上から市中を望む。


城内にあるコンサートホール




サンクト・ペーター教会



教会そばの広場にあるこの金色の玉、
そして上に立っている男性像は何なのか、未だに分らない・・・


教会に隣接するレジデンツ(宮殿)とレジデンツ広場。



現在の宮殿は1619年に完成したもので、
歴代の大司教が居住して政治を行った場所であり、
すべての部屋の天井にはアレクサンドロス大王の絵が描かれている。


「神童」天才モーツァルトが5歳で時の大司教の前で演奏をした部屋・・・



だったと思うが、あまりにも部屋が多かったので、
もしかしたら、間違えているかもしれない。


ミラベル宮殿

大司教ヴォルフ・ディートリヒ
愛人ザロメ・アルトのために建てたとされる。
現在はザルツブルク市長公邸として用いられており、
庭の美しさは格別だった。
 




歴史を調べていくと面白くて、
ついつい筆が進まなくなってしまう。
もっともっと載せたい写真はあるのだが、
次に進めないので、割愛!

大司教ヴォルフ・ディートリヒのリンク記事も是非お読みいただきたい。
聖職者でありながら、15人の子供がいるなんて・・・
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年 ヨーロッパへの旅 3 ウイーンからザルツブルグへ 

2011-10-10 07:51:45 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

8月31日(その1)

やはり、昨夜遅く寝たにもかかわらず、
朝の4時半に目覚めてしまった。
9時44分、ウイーンの西中央駅から電車に乗って、
約3時間でザルツブルグに着く。

途中、疲れが出たのかぐっすり眠ってしまい、フッと気付くと、
同じコンパートメントに若い男性が座っていた。

ウイーンにお住まいで、
ザルツブルグにある大学に通っているとのこと、
とても真面目な感じで、英語もよく分かり、
私の下手な英語も理解しようとして下さるので、
とてもうれしかった。



ザルツブルグ駅は改装中で、想像とは違い、
意外なほど田舎っぽい駅だった。




駅前に聳え立つホテルオイローパ
(ヨーロッパと書いてこう読むのだとか)は、
4つ星のステキなホテルで、
長い廊下の突き当たりの壁一面に描かれている
貴婦人の絵はとても魅力的だった。






8階の部屋にひとまず落ち着き、
早速、市街地の探索に出かけた。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年 ヨーロッパへの旅 2 アムステルダムからウイーンへ

2011-10-09 01:28:54 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

8月30日(火)

早めに搭乗手続きを済ませた後、
機内に乗り込むまでの時間をラウンジで過ごした。



業務提携以降、エアーフランスのラウンジが使えるようだ。


我々の席は2階のコックピットの見える所。
どんな人が操縦をしているのか、気になって、何だかワクワク・・・。



これは昼食兼夕食に当たるのか、お昼過ぎに配られた食事。




オランダ・ズウォーレのミシュラン3つ星レストラン
「デ・リプライ」のシェフ、ジョニー・ボアー氏の
プロデュースによるものとか。

レストランも彼の名前も知らないが、
機内食とは思えないほどの美味しさだった。


そしてまた、着陸2時間前に軽食が出た。



お腹がいっぱいだったせいか、
それとも離陸後時間が経ち過ぎたせいか、
こちらは御飯がパサパサで、ちょっと・・・・
もったいないが、ほとんど手付かずだった。


もうすぐオランダの上空。
機内から見ると、
下に広がる雲と空のブルーが刻々と変わり、本当に美しい。



あっという間にアムステルダム。



日本時間 夜の9時45分、現地時間 昼の2時45分、
スキポール空港到着。

ここで乗り換え、ウイーンまで小型飛行機で約2時間。
泊まりはウイーン西中央駅から徒歩2分のメルキュールホテル。

昨夜泊まった成田と同じ系列のホテルだが、
エントランスは はるかにこちらの方がすばらしかった。



長い旅だったが、時差ボケにならないよう、
夜中の12時までがんばって起きていた。
しかし・・・・・

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年 ヨーロッパへの旅 1

2011-10-07 01:07:16 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

今年も夫の仕事に付いてヨーロッパ数カ国を回ることになった。


2005年から始まったEU旅行も、今年で7回目になる。

法政大学のE M S
(Environment Management System)研究会で、
ヨーロッパ数カ国の研究機関や大学、企業を訪問して、
環境経営システムについて意見交換をし、
日本との違いを検証する・・・

今回のテーマは「農業」について。

その前に、夫と二人でオーストリアの
ザルツブルグとリンツを回る予定。

8月29日(月)

今夜は成田にあるメルキュールホテルで泊まり、
明朝、10:45 KLMアムステルダム行きに搭乗予定だが、
朝の5時半から出かける間際まで、二人でバタバタ バタバタ・・・
結局、成田に着いたのは、夜の10時だった。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする