日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

柴田トヨさん

2013-01-23 23:56:49 | Weblog


1月20日にテレビのニュースで
柴田トヨさんが101歳で亡くなられたことを知った。
毎日曜日の午前中、TBSラジオで彼女の詩の朗読を聞かせてくれる。
そのすばらしさに惹かれ、昨年12月、母の誕生日にプレゼントをした。



どの詩もそれぞれに味わいがあるのだが、母は「貯金」がいいと言った。

「貯金」

私ね 人から
やさしさを貰ったら
心に貯金をしておくの

さびしくなった時は 
それを引き出して
元気になる

あなたも 今から
積んでおきなさい
年金より いいわよ


そして・・・パコ丸さんやパ子ちゃんなら「先生に」
にきっと手を打つだろうと思った。

「先生に」

私を
あばあちゃん と
呼ばないで
「今日は何曜日?」
「9+9は幾つ?」
そんな バカな質問も
しないでほしい

柴田さん
西条八十の詩は
好きですか?
小泉内閣を
どう思いますか?
こんな質問なら
うれしいわ


私は・・・・皆に聞かせてあげたい「くじけないで」

「くじけないで」

ねぇ 不幸だなんて
ため息をつかないで

陽射しやそよ風は
えこひいきしない

夢は
平等に見られるのよ

私 辛いことがあったけれど
生きていてよかった

あなたもくじけずに


トヨさんの御冥福を心からお祈り申し上げます。

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おせち料理

2013-01-22 23:51:56 | 美味しいもの

1月1日 

「ねえ、今年も作るの? 何だか面倒ね・・・。」

このところ、毎年暮にこんな会話が交わされる。

でも、おせち料理を用意出来るということは、
皆が元気で新年を迎えられるということ、
幸せなことなのだ。



年々、盛り付けが少なくなってきたが、お味はほとんど変わらない。

明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

(今頃ごめんなさい。)
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ブータンの自然と生活 写真展

2013-01-21 00:23:57 | 友人の個展

11月28日 

10月末に母の希望で五能線の旅に4日間出かける予定だったが、
母が鬼の霍乱で風邪を引いてしまい、キャンセルをした。

その後、バーベキューが終わってから、
2つの引越しの手伝いで大忙しの日々だったが、
疲れからか母の風邪がうつってしまったらしい。

何となく体がだるく、喉が痛かったが、
どうしてもこの写真展だけは行きたかった。
30年来の友人、秀子さんをお誘いしたら、二つ返事で快諾。


重行先生は娘達がお世話になった中学校の教頭先生だった方で、
その頃、下の娘のクラスだけ、理科の授業を持たれていたのだが、
いつも先生の話をする娘の笑顔に、
先生のすばらしい御指導ぶりが窺われた。

今は定年退職されて、いろいろな方面で御活躍中だ。

今回は「山の自然学研究会」のお仲間16名で
10月26日から11月4日まで
「世界一幸せな国」として知られるブータンを旅されたとのこと。



あれから20数年・・・・あの頃と全く変わらない凛としたお姿!







帰国後、3週間も経たない内にこれだけの写真展を開かれるのは
相当な御負担だったに違いない。

先生のお写真を中心に仲間の方達の作品もすばらしかった。





幾つになっても、御自分の目標を持ち、日々歩む方はすばらしい。

この夜から8度3分の熱を出し、
全快まで3週間・・・本当に情けない私。
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バーベキュー

2013-01-20 12:14:14 | パーティ

11月9日 

海外から帰って来て一月以上経ち、ようやく落ち着いてきた。
以前は反省会という名目で集まっていたが、
最近は同窓会のようになってきたバーベキューの会、
卒業生から現役生まで小さな小さな猫の額に集まってくる。

遠くは岩手県、長野県から、卒業生達が忙しい中を駆けつけてくれた。


第一期生のお二人はいつも焼き方に・・・






ワインやお酒の差し入れも・・・

夕方になるとぐんと冷え込み、家の中へ・・・


飲んだり、食べたり、ゲームをしたり・・・



テニス仲間の圭三さんも飛び入り参加・・・







今日は私の誕生日。
どなたの指令かケーキが・・・



そして、早めに帰られた圭三さんを皆でお見送り・・・

終電ギリギリまで雑談、とてもとても楽しい一日だった・・・・

 
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2012年 ヨーロッパへの旅 42 帰国

2013-01-14 00:16:47 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月26日 (水)

泣いても笑っても今日が最後の日。

光さんと諒さんは10:40チューリッヒからパリに向かい、そこから成田へ。
我々は14:20一旦アムステルダムに飛び、そして成田へ。

安い周遊チケットを買ったため、
チューリッヒからの直行便で帰ることは出来ず、
アムステルダムを経由してからの出発になる。


アムステルダムのスキポール空港が見え始めたら、
予定時間より30分も早く下降し始めた。
えっ、15分もしない内に着陸しそう・・・と思っていたら、
本当に下りてしまった。

ところが、いつもすぐ傍に見える管制塔が
はるかかなたに見え、それから15分ずっと滑走路を走り、
ようやくゲート近くに着いた。



一体どのぐらいの広さがあるのだろう・・・・・。

2時間ほどの乗り換え時間を
KLMのスペシャルラウンジで過ごしたが、
やはりKLMの本拠地だけあって、
端から端まで見渡せないほどの広さがあり、
メニュウも多数揃っていた。
しかし、チューリッヒからの機内食だけで満腹になってしまい、
何も食べられず、残念だった。



さて、いよいよKL863に搭乗の際、係員の顔を見て驚いた。

昨年、搭乗手続きの際、
私のブッキングがされていないとKLMの係員に言われ、
Eチケットもあり、座席予約もされており、
こちらには何の落ち度もないが、
システム上のトラブルで、コンピュータに登録されておらず、
私の席だけ完全に消えていたことが分った時、
日本語の話せる現地の女性が
親身になってお世話をして下さった。

その方と再会したのだ。

私が気付くと、その方も同時に私の名前を
呼んで下さって手を握り合った。
お名前を伺わず、失礼をしてしまったが
今もその方のお顔ははっきり思い出せる。


豪遊をする余裕は全くないが、
毎年のように海外を見せてくれる夫、
私達の重い荷物を先回りして持ち、手助けしてくれた若者達、
留守宅を守り、私の母を気遣ってくれた子供達、知人。
忙しさにかまけて、なかなか進まないブログに
飽きもせずお訪ね下さった方々、
皆様に心から感謝、感謝。


最後の付録・・・



たくさんの思い出と共に、我が家のサイドボードの上に並ぶ
デルフトブルーのミニチュアハウス。
いつもKLMに乗る度にいただくお土産で、
ジュネーヴァ (genever)と呼ばれる
オランダのジンが入っているそうだ。
中身の売れ行きは悪いが、かわいくて、何だかうれしい。

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2012年 ヨーロッパへの旅 41グリンデルワルトからチューリッヒへ

2013-01-13 23:56:37 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月25日 

そろそろ日本への帰国の日が近づいてきた。

ホテルアイガーには二人の日本人スタッフがいらして、
そのお一人はもう17年もこちらにいらっしゃるそうだ。
英語、ドイツ語は不自由しないが、イタリア語は少し・・・とおっしゃる。



これだけの経験を生かして、日本で働いたら、日本の宝になるだろう、と
思ったが、御本人は考えながら「うう~~~ん、むずかしいですね、
日本にはもう帰れないと思います。」と言われた。
生活のリズムが違い過ぎるのかもしれない。

のんびり最後の朝食を楽しんで、



グリンデルワルトの駅から



インターラーケン、シュピーツ、ベルン、
電車で3回も乗り換えて、チューリッヒに着いた。


昨年は研修旅行でベルンに来たが、
街並みが見えると、その時のことが走馬灯のように思い出された。
卒業された皆さんは、
それぞれの環境の中でがんばっていることだろう。


チューリッヒには日本に帰る時に立ち寄るようにして、
買物をしたり、町中を散策することはあるが、
特に観光に出かけたことはない。

きっと有名な所もあるのだろうが、
ザンクト・ペーター教会の大時計はいつも見に行く。
チューリッヒで最も古い教会で、
塔の側面にある大時計は直径8、7mもあり、
これはヨーロッパ最大の大きさだという。



そして、夕方、それぞれの買物を済ませた我々はここで落ち合って、
一昨年にも行った近くのレストランで最後の晩餐を楽しむことにした。

前回、薄切りのトマトの上に丸いままポンと置かれた
バッファローのモツァレラがすばらしくおいしかったので、
それを頼んだら、残念ながら形が変わっていた。
しかし、おいしかった・・・・


            

            




夫は飲むほどに饒舌になる。
二人の学生は同じようなことを何度も聞いているのだろうが、
笑ったり、頷いたりしながら、神妙な顔をしていた。

私は若い二人の全くシミもシワもない美しい顔を見ながら、
夫にもこのような時代があったのだろうと想像をしたり、
50歳も年の違う人達と一緒に旅をする体力を
保っていることのすばらしさを思ったりした。

最後にお二人からすばらしいプレゼントをいただき、
しかも、ここのお食事も御馳走になることになり、
申しわけない気持ちでいっぱいだった。



お二人はこの旅行の前に、スリランカに研修旅行に出かけ、
そこで他大学から参加された方達と交流し、帰国した翌日から
パリへ来られたのだが、光さんはかなりひどい下痢で、
とても辛そうな様子だった。

しばらくは何も食べられず、痛みのためかいつもの笑顔はなく、
私はとても心配で、無理やりに彼を捕まえて腸のツボにお灸をし、
夫は持っていた抗生物質を飲むようにと渡した。

最初の日は「温かくて気持ちがいい・・・」と喜んでいたお灸も、
3日もすると「もう熱くて我慢できない!」と逃げてしまった。
・・・・これで効いた、と安心したら、
案の定、だんだんと痛みが止まり、
笑顔が見え始め、ホッとした。
お灸が効いたのか、薬が効いたのか定かではないが、
とにかく良かった。

私は今回行っていないイタリアのムラーノのガラス工場や、
スイスのトゥルンメルバッハの滝など、
感激も多かったと聞きうれしかった。

昨年で終る予定だったヨーロッパ旅行に、
今年四人の若者が合流してくれ、
たくさんの思い出をまたもらった。
もうこれで本当に最後になるだろう・・・・



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2012年ヨーロッパへの旅 40 グリンデルワルト (その4) 

2013-01-09 12:40:30 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月24日 続き

3時過ぎ、いつも乗り換えの時に通るが、
町を散策したことのなかったインターラーケンまで出かけた。
スイスの鉄道の値段は驚くほど高く、
6日間の周遊券が220スイスフラン、
日本円で約20,000円もする。
少しでも元を取ろうという魂胆だ。

夫の話によると、インターラーケンの町には
30年ほど前に何回か来たことがあるが、
その頃は道が狭く、本当の田舎町だった。
現在は道幅が広くなり、大きなホテルもたくさん増え、
美しくなった、ということだ。



そういえば、駅前の大きなコープも、数年前に建てられたものだ。


インターラーケン駅とかわいい観光電車。そして、美しい川。





スイスはどこに行ってもすばらしい・・・


そして、他の国に長く滞在したことがないので、
スイスでしか経験をしたことがないのだが、
ウェルカムパーティーというのが一週間に一度あるようだ。

ホテルアイガーでは、今日の6時から7時まで
ウェルカムパーティがあると声を掛けられて、
6時半ごろ顔を出したら、老紳士と女性が一人・・・
あれ?場所を間違えたのかな、と思ったら、
二人で大喜びの様子で手招きをしてくれた。
「いつもなら20~30人はいるのに、
今日は遅くなってから天気が良くなったので、
皆出かけたのかもしれない。」と係りの女性が言った。

その老紳士は毎年4~5日、ベルンから来て
このホテルに滞在すると言った。
彼は笑顔がとてもステキで、
偶然、我々の向いの部屋に泊まっている人だった。

しばし歓談をする内、カリフォルニアからの御夫婦が加わった。
彼等もスイスがとても気に入っていて、何度も訪れているそうだ。



学生達にも知らせてあったが、
一人はサウナ、一人は疲れて寝ていたらしく参加しなかった。
こういう機会は滅多にないので、
彼等にとっては残念なことだと思った。

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2012年 ヨーロッパへの旅 39 グリンデルワルト (その3) 

2013-01-08 00:15:09 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月24日(月)

朝から雨模様。
天気予報も一日雨。
とても寒くて、出かけるのが億劫だった。
学生達は早めにフィルスト目指して出かけて行った。

「今日はのんびりしていたいな。」と夫に言ったら、
「この様子では雨が止みそうだから、すぐに出かけよう。」
と無理やり促されて、ホテルの近くからロープウェイに乗ると、
本当に途中から雨が上がって、
霧がどんどん晴れてきた。

終点駅に近づいた頃、左手に美しい滝が見えた。



フィルストの展望台から。



ここにも人はおらず、刻々と変化する景色を又独り占め。
しぶしぶだったが、来て良かった。



頂上のレストランにも誰もいなかった・・・
スキーで有名な所だそうだから、
後2ヶ月もすれば大勢のスキーヤーが訪れるのだろう。


後で聞けば、
先に行った二人は雲の中で何も見えなかったそうだ。

我々が泊まっているホテルから、
山の上に張り付いているように見える小さな家があり、
夜はそこだけに明かりが灯っているが、周りに道は全く見えない。

皆で気にしていたが、
ロープウェイに乗ってグリンデルワルトに下りる途中、
他のロープウェイがその家に向かっているのが見えたので、
一旦下りて、そのロープウェイの駅を探して乗ってみることにした。



きっとこの駅に違いない。



1,967mから2,007mの高さ40mを上がるという意味だろうか。



すごい!こんな所にレストランが。
下から見えていたのは、ここだったのだ。



遠くから見ると確かに山に張り付いているように見えるはずだ。
細いが道も続いていた。

何だかうれしくなって入ってみた。




かわいいメニューとおいしいポテトスープ、パン、カフェオレ、
秘密の場所を見つけたようなワクワク感があった。



外に出ると、今までの景色にさらに輪をかけたようなすばらしさ。
足元に広がるグリンデルワルトの町は、ミニアチュアのようだった。

このような場所にロープウェイを作った意味が分かるような気がした。
もしかしたら、ここもスキー場かもしれない。(未確認)
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2012年 ヨーロッパへの旅 38 グリンデルワルト (その2) 

2013-01-05 23:45:38 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月23日 (日)

すばらしい快晴!
今日は登山電車に乗って、ユングフラウヨッホへ。

グリンデルワルト駅からヴェンゲルンアルプ鉄道を利用して、
クライネ・シャイデックでユングフラウ鉄道に乗り換えユングフラウへ。



途中で2度、5分ぐらいずつ停車し、
外の様子をアイガー北壁の中から見ることが出来る。
下の写真は2度目の停車の時、
窓から見たアイスメア(Eismeer:氷の海)。



おまけ・・・1986年のEismeer駅





ユングフラウは今までに6~7回は来ている所で、一昨年も来たが、
今年は100周年記念の年に当たるとのことで、
いろいろな所が変わっていた。

終点のユングフラウヨッホ駅で降りると、
動く歩道に乗って見るユングフラウ鉄道建設の歴史、
写真や、資料などが壁に展示されており、
イルミネーションや木彫りの人形などが置かれ、
今までにない趣向になっていた。



ここには氷河をくり抜いて作られた「アイスパレス・氷の宮殿」があり、
中には氷の彫刻が作られ、昔はお相撲さんの彫刻などもあったが、
今は以前より数が少ないように思った。







ユングフラウヨッホ駅はヨーロッパで一番高い鉄道駅で3,454m。
更にエレベーターで上がると、スフィンクス展望台があり、
3,571mまで行く事が出来るが、
このスフィンクスも何年か前に行った時、
えっ、前回はなかったのに・・・・というぐらいまだ新しい・・・と思う。
(最近、年のせいか、何時のことかはっきりしない。)

どこから続いているのか、方向音痴の私にははっきりしないが、
トンネルが建物の外の雪原へと続いており、
アレッチ氷河などへ徒歩で行くこと出来るらしい。



遠くからこの入り口付近を写真に撮ると・・・

右下の方に人がたくさん見え、



この山の上にスフィンクス展望台がかすかに見える。



インターネットで見るとこのようになっているらしい。

この左手の出口からも外へ出ることが出来る。
(先程の入り口とは又別の所。)
一昨年、皆が歩くので、ツルツルに凍っており、スッテンコロリン。
「このまま山の端から下に落ちてしまう人はいないのか」と、
怖い思いをしたが、今年は暖かいのか、ほとんど凍っていなかった。



男性三人はどんどんアレッチ氷河の方へ歩いて行くが、
私は3,000m以上の所なので、頭が重くゆっくりしか歩けない。



そうこうしている内に、
少し色の浅黒い若い男性に自分の写真を撮ってほしいと頼まれた。

いろいろなポーズをして、20数枚。
まるで映画スターのようだと言って笑うと、
彼は今、イギリスで英語の勉強をしているから
ここまで来られたが、メキシコの友人達は遠過ぎて
誰も来られないから・・・と言った。
雪を見たことのない人達に見せてあげたいのだろう。

1時間ほどして彼等が戻って来て、メキシコのスター?とも別れた。


もう3時を過ぎていたが、毎回、クライネ・シャイディックから
途中駅のアルピグレンの駅まで歩くので、
今回も是非 学生達と歩きたいと夫が言い、
駅で買ったサンドウィッチを頬張りながら、歩き始めた。

6時30分の最終電車の時間に間に合わなければ、
さらにグリンデルワルト駅まで1時間以上歩かなければならないので、
のんびりというわけにはいかないが
前にも後にも誰もいない大自然を
私達だけで独り占め!












アルピグレンの駅近くの小さなホテルに着いたのは
最終電車の着く1時間前だった。




いつものように、ゆっくりとおいしいミルクを飲み、
近所の主婦や子供達が日曜の午後を楽しむ様子を眺めていたが、
このような大自然の中、牛や豚、馬がたくさんいる中で、
近所の子供達と兄弟のように育つ子供達は
きっと幸せだろうなと思った。



ここから3分、アルピグレン駅で電車に乗り込んで驚いた。
あのメキシコのスターがそこにいて、また写真を頼まれた。
次の駅で降りて、
電車の中からも撮ってほしいと外でポーズを取った瞬間、
電車のドアが閉まりかけ、驚いて駆け込んで来たが、
その様子がおかしくてついつい大笑い。

ついでに私も彼の写真を撮らせてもらった。




夜はホテルアイガーのレストランで食事。
諒さんはホテルのサウナでひと汗流してやって来た。

ここには、チーズフォンデュがあり、とてもおいしかった。
日本に帰ったら又作ってみよう。
確か、ピクルスさんからいただいたおいしいレシピがあるはず・・・

残念ながら、食事の撮影は忘れてしまった。
  
 
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2012年 ヨーロッパへの旅 37 グリンデルワルト

2013-01-02 23:50:14 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月22日(土)

数日前から喉が痛かったが、今朝からくしゃみと鼻が出始めた。
外出出来ないわけではないが、今日は一日ホテルで休養日と決めた。

夫は光さん諒さんと観光に出かけ、私は日記を書いたり、
テレビを見たりしながら、のんびり過ごした。


夕方遅く、彼等と合流し、毎回ここに来る度に行く、
駅の前のホテルで夕食を取ることにした。



スイスと言えば、フォンデュ・・・・。
でも、今年はもうチーズフォンデュは扱っておらず、その代わり、
シノワーズという、日本のシャブシャブを真似したような料理があり、
最後に、そのだし汁を使ったスープを出してくれた。
ラム酒を最後に加えたような味がして、これは参考になった。



フォンデュと言えば、初めはチーズが主流であったが、
牛肉を串に刺して油で揚げながら食べるフォンデュが途中から出てきた。
これは日本のお座敷天ぷらのようであったが、今またシャブシャブ・・・
何となく、いろいろな国の食べ物が
世界中で真似をされながら独自の発展をしていくようだ。
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