日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

2010年 ヨーロッパへの旅 ロンドン

2010-11-22 17:46:49 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月7日
皆は市内観光に出かけて行った。
私はホテルでのんびり昼寝。

窓から懐かしいアールス・コートの街がよく見える。




夜は学生達の部屋で、買い込んだパンや果物、チーズやハムで夕食。

アルバイトをしながらお金をためて、このEU研修旅行に参加する学生達。
この節約が明日に繋がる。

私はレタス1枚、ハム1枚、ぶどう数粒、小さなトマト2個、
お腹はほとんど完治!
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2010年 ヨーロッパへの旅 ロンドンへ 

2010-11-22 17:08:15 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月6日

普段、揚げ物は極力控えているので、胃腸が相当驚いたようだ。
昨夕からお腹がとんだお祭り騒ぎ、ドンドンヒャララ、ドンヒャララ、
ドンドンヒャララ、ピーヒャララ・・・
生まれて初めての経験だったが、正露丸とお灸が効いたのか、
明け方の3時ごろには何とか終演?となった。

今日は飛行機でロンドンへ移動。

ルクセンブルグの飛行場は中心街からタクシーで15分と聞いていたが、
ラッシュに巻き込まれ、35分近くかかった。
運転手の話では、最近、周りの国からの移入が多く、
朝夕のラッシュはかなり激しいということだった。

小さく、のんびりとしたルクセンブルグの空港内。



・・・・・・・

ヒースロー空港に次ぐイギリス第2のガトウィック空港は
滑走路が1本しかなく、
年間3100万人が利用すると言われる空港だが、
とても小さく感じた。

タクシーは、空港のカウンターで頼むと、
待機していたドライバーが車まで案内してくれる。
目的地を言うと、カウンターの係の人が
パソコンで打ち出した料金を初めに言ってくれるので、
とても安心だ。

EARLS COURTの Ibisホテルに着くと、
何と、数年前に泊まったホテルだった。
一人で歩き回った所だったので、
駅までの道や周りの景色も懐かしく思い出した。

2時に、夫は学生達と打ち合わせに行き、
朝から何も食べていなかった私は、
すぐにベッドにもぐり込んだ。


夕方、6時ごろに全員で中華街に出かけた。
ロンドンで安くて美味しいのは中華料理!



少しのワンタンスープとチャーハン、北京ダック2切れ・・・
お腹が怒らないように・・・といたわって、
寂しいお食事だったが、
たっぷりのジャスミンティで満腹だった。

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2010年 ヨーロッパへの旅 ルクセンブルグ 3

2010-11-18 22:28:12 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月5日

ミニトレインに乗り、ボックの砲台から城壁歩きをした私達は、
ノートルダム大聖堂に入った。



中にはマザーテレサの大きな遺影があった。



彼女は(1910―97)旧ユーゴスラビア(現マケドニア)のスコピエ出身で、
18歳の時修道会に入り、36歳の時に「貧しい人の中でも
一番貧しい人達のために一生を捧げる」ことを決意し
38歳でインド国籍を取得、一人 カルカッタの貧民街で活動を始め、
後にノーベル平和賞を受けた人。
この8月26日が彼女の生誕100年だったという。
彼女の言葉を集めた記事を読んだことがある。
世の中には本当にすばらしい人がいるものだ、と感激した。

教会から歩いて数分、あった!大公宮殿。



1418年に建てられ、その後火災で1573年に再建。
1890年から現大公ナッソウ家の居城となっているということであった。
オランダ、ベルギーに次いでルクセンブルグにも王様がいた。
これでベネルックス三国の王様の家を全て見たことになる。

ブリュッセルのグラン・プラスを真似て造ったというアルム広場まで又数分。

規模はかなり小さいが、公設の舞台では市民楽団の演奏や、
蚤の市が開かれ、賑わっていた。





そして、周りに立ち並ぶレストランで夕飯。

牛肉、鶏肉などのソテーと山盛りのフライドポテト。
これが定番らしく、2日とも同じレストランで同じような物をいただいたのだが・・・。






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2010年 ヨーロッパへの旅 ルクセンブルグ 2

2010-11-15 23:20:18 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月5日

昨日乗り損ねたミニトレインに乗りたいと再度チケット売り場に出かけたら、
昨日の女性がいたので「昨日、私はミニトレインに乗りたかったの・・・」と
恨めしげに伝えると、にっこり笑って「ジャパニーズって言ったから。」と
案内板を指差しながら答えた。

納得!
ペトリュス・エクスプレスという、このミニトレインには
日本語のイヤホーンガイドがなかった。

仕方がないので、英語のガイドでしぶしぶ了承。
昨日上から覗いた谷の下へいざ出発!

そしてもう一つ、納得!
ペトリュスというのは、この谷底に流れている川の名前だった。




道が狭いので、途中、広場で合図の汽笛を鳴らし、すれ違う。



一回りして、今度は城壁の中の見学をした。

外から見た城壁。



そして内部は・・・



中から外を覗くと・・・



上から見ると人間は虫のよう・・・



600年も前に造られた壮大な城壁、
その頃の人達の苦労は我々の想像を超えるものだっただろう。

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2010年 ヨーロッパへの旅 ルクセンブルグ 1

2010-11-07 00:05:01 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月4日

ブリュッセルからルクセンブルグへ。
急行列車ICで3時間。
駅から100mのCity Hotelへ。
小さなホテルだが、一応4つ星だった。

大昔、社会の時間に「ベネルックス三国」
という言葉を聞いたことがあった。

確か、ベルギー、ネーデルラント(オランダ)、ルクセンブルグの
3か国の集合を指し示す名称で、
この3か国はいずれも立憲君主制を採用しており、
周辺の国に比べて国土が狭く、大国に対抗するために
緊密な経済協力を行っている、と習ったような気がする。

確かに、ベルギーにもオランダにも王宮があった。

初めてのルクセンブルグ、どのような国なのか、ワクワクしながら、
すぐに市内観光へ出かけた。



昔、ルクセンブルグへ行ったという友人から
「ミニトレインに是非乗るといいわよ。」と聞いていたので、
早速チケット売り場へ出かけたが・・・・

何とこれがチケット売り場だった。
この車の後に回ると・・・



眼下には深い谷があり、
「えっ、ここの下にはどういうふうに行くのかしら。」
と驚くほどの景色が広がっていた。

日本語イヤホーンガイド付きチケットを購入して、
トレインに乗り込もうとしたら、
「このチケットはバスのものだ。」と言われ、このバスに乗せられた。




途中乗り降り自由のHop and hopというシティバス。

乗って初めて気付いたが、
この町は新しい街と古い街がはっきりと分かれ、
EUの拠点としての新しい町には、超近代的な建物が立ち並び、
旧市街地には、1000年の歴史が保存されている。

新市街と旧市街の間には深い渓谷があり、その渓谷に沿って
14世紀から15世紀にかけて街の周りをぐるりと取り囲むように、
環状城壁が築かれていたが、1867年に永世中立国になった時に、
その壁がほとんど取り壊され、現在、一部残っている城壁と要塞が
ユネスコの世界遺産に指定されているという。

途中、バスを降りて「三つのどんぐり」と呼ばれるチュンゲン要塞に行った。



963年にボックフェルゼンという岩山に城砦を築いたのが
この街の始まりと言われているが、
その後、グルゴーニュ公国、スペイン、
オーストリア、フランスなどの支配を受けて今があるという。

この「三つのどんぐり」はオーストリアが造った物で、
今は美しい森の中にあるが、周りの城壁の壮大さに、
かつての人民の苦労がしのばれ、
今、この景色を観光で見ることの出来る私達は
本当に幸せだとつくづく思った。


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2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセルー6

2010-11-01 00:42:28 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月3日


昼食を食べ損ねてしまったので、また、グランプラスに下りて
レストランで早めの夕食を取った。

レストランのウエイターは、私達が入って行くや否や
「ちょっと待ってね。」と日本語で言った。

しばらく待たされた後で、
「どうして日本人だと分ったの。」と聞くと、
日本人、韓国人、中国人、北朝鮮人、
大体、歩き方、表情、着ている物で分るが、
近年は韓国人と日本人、中国人と北朝鮮人の
見分けが難しくなりつつある。」と言われた。



さて、夕飯に選んだ物は全く想像と違い、
ベルギー料理ではなくパエリアのようだった。
味もまずく、がっかりしたが、仕方がない。
フランス語のメニューはよく分らなかった。

お口直しに?ビール祭りの広場まで歩いて2~3分。
街角でこんなお巡りさんを見かけた。




あまり上手ではないブラスバンドの音楽が流れ、ビールを飲みながら、
腰を振り振り談笑をしている大勢の人達を見ているだけで楽しかった。




残念ながら、私は呑めない・・・・

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