日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

2011年 ヨーロッパへの旅 20 ルツェルン 1

2011-12-18 16:57:30 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月12日

朝から飛びっきりの晴天!

昨夜、東京から到着したスガチャンと夫と3人でピラトゥス山に登り、
後でカペル橋に行く予定。

初めにライオン記念碑に立ち寄った。

1792年のフランス革命の時、
フランス王家に仕えていたスイス人衛兵786名が、
パリのチュイルリー宮殿で、ルイ16世とマリー・アントワネット王妃を、
最後まで守り、勇敢な死を遂げたが、その忠実さと英雄的悲劇を讃え、
デンマークの彫刻家 トーワルドセン が制作した記念碑とのこと。

美しい岩肌に彫られたライオン像。



その苦悩に満ちた顔の表情に、兵士達の心が重なる・・・・



25~6年前、ロンドンに行った時聞いた話だが、
[バッキンガム宮殿の衛兵達は今も全て190cm以上のスイス人で、
それは、大昔、スイスには産業も資源もなく、
冬の厳しさから農作物も十分ではなかったので、
若い男達は近隣の国へ出かけて行って、その国の兵士として働き、
自国へ その給金を送り、家族を養っていた。
とても勇敢で、命を懸けて働いたので、今でもイギリスでは、
彼等に敬意を表しスイス人だけを衛兵として雇っている]
ということだった。

恐らく、スイス人同士で戦う事もあったかもしれない・・・

ライオンの顔を見た時、その話を思い出した。


数年前にロンドンに行った時には、かなり様子が変わっていて、
衛兵の交代を見ていると、黒人や、背の低い人、
かなりお腹の出た人も多かったので、
現在では事情が違って来ているのだろう。

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2011年 ヨーロッパへの旅 19 ケルンからスイスのルツェルンへ

2011-12-17 23:31:31 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月11日

朝から曇っていたが、12時、私達がチェックアウトする頃から
本格的な雨模様となった。

今日はケルンからスイスのバーゼルまでICE電車で移動。
日本の新幹線と同じような特急列車。

丁度、駅で2つの列車を連結するところを見た。
学生の一人が飛んで行って大喜びしていたが、
私は少し離れた所からしか見られなかった。残念!




車両の中程に、必ず荷物置き場があった。



日本の新幹線にもあったかしら・・・ う~~~ん、思い出せない!

バーゼルで他の電車に乗り換えた。
これは日本で言うとJRかな・・・
約1時間でルッツェルン駅に到着。



学生達が街で調べてきた情報によると、
スーパーマーケットは6時に閉まり、日曜日のせいか、
開いているレストランも少ないらしい。

仕方なく、日本から持ってきたインスタントラーメンを
食べて夕食を済ませた。

学生の数人はカレー店に出かけたそうだが、
カレー1皿で3~4,000円も取られたと嘆いていた。

いくら観光地とは言え、東京の中心部より高い物価に驚かされた。

ルッツェルンはスイスを代表する観光都市で、
ロイス川の両側に広がる旧市街、
カペル橋、ライオン記念碑、かっての城壁など観光スポットが多く、
ピラトゥス、リギなど中央スイスアルプス観光の拠点となっている。

明日からの観光が楽しみだ。



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2011年 ヨーロッパへの旅 18 ケルン 3

2011-12-16 10:27:08 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月10日

昨夜も不調だった夫は、
せっかくの日本食もほとんど食べられなかったらしい。
今朝、牛乳、ヨーグルト、パンをそれぞれ少しずつ食べ、
学生達とライン川下りの旅に出かけて行った。

私は一日中、部屋でゆっくり休み、日記を付け、絵葉書を書き、
USオープンを楽しんだ。

久しぶりの晴天。
皆はきっと川下りを楽しんでいることだろう。
私は10年ほど前に5~6時間かけて川下りを、
そして、又数年前には川登り?と言うかどうか分らないが、
逆コースも楽しんだことがある。


少しお腹が空いたので、街に出ると、
各ブロックに2~3軒パン屋がある。
どこも同じような店だが、
きっと、地元の人達の人気店やそうでない店もあるのだろう。



その一つに飛び込んで、ハムを挟んだパンと
アップルパイを買い、牛乳と共に食べた。

パンを買った時、
店の隅にある包装紙に自分で包むらしいのだが、
お金を払っても何もしてくれないので、しばらく待っていたら、
気付いた店員が教えてくれた。

所変われば・・・と言うが、
苦労の末に味わった昼食は、とってもおいしかった。

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2011年 ヨーロッパへの旅 17 ケルン 2

2011-12-15 00:04:44 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月9日

今日は自由行動の日・・・・と言っても、
学生達は行く先々で、その国の農業について、
あるいは、消費者の意識について
インタビューリサーチをし、資料を集めなければならない。

4人の学生が「どうしてもフランスのパリに行きたい。」
と言い出した。

せっかくドイツに来ているのになぜ・・・・?

往復一日かけて、途中で事故があるかもしれない。
それに、時間的にも数時間しかいられないのに・・・。

それでも、どうしても「憧れのパリ」に行きたいと言うので、
昨年、このEU旅行でフランスに行ったことのある洋介さんが
加わることになったらしい。

夫は渋々承知したが、ずっと心配の様子だった。

残りの6人でケルンの大聖堂へ向かった。
途中、オーガニック専門のスーパーマーケットを見つけ、
早速インタビュー。
これも今回の学生達のテーマの一つ。



街の角々で建物に感心したり、通りの市場を眺めたり、
大聖堂までの道も興味津々。






大聖堂に着くと誰も無口になった。
完成までに600年以上かかったという荘厳な建物。
何度見ても、神に近づきたいという人間の成せる業かと思うが、
その犠牲になった先人達の苦労は、
並大抵のものではなかったろうと胸が痛くなる。

全体の縦幅は144.58 mで、
正面に立つと全景は枠に入り切れない。



全体の横幅は86.25 m。これも全体を入れるのは難しい。




美しい内部の構造。
大勢の観光客に交じり、祭壇の前で深く頭を垂れ、
静かに祈る人達も多かった。



大聖堂の前のレストランで昼食を取り、それぞれに別れて観光。



夕飯はお腹のことを考え、日本食にしたいと夫が言ったが、
私は連日歩いて疲れていたので、
部屋でのんびりテニスのUSオープンを見ながら休むことにした。


夫は、明日ライン下りを楽しんだ後、フランクフルトへ出て、
パリ経由で日本に帰る予定のヨシヤス君と
丁度居合わせた前ちゃんも一緒に
「京都」という日本レストランに出かけて行った。



アンバサダーホテルの前で。
行ってらっしゃ~~~い。

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2011年 ヨーロッパへの旅 16 ケルン 1

2011-12-13 23:16:40 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月8日  (その2)

人身事故でかなり予定より遅れてドイツのケルン駅に着いた。




またまた浦島太郎・・・
7年前に来た時に工事の最中だった駅が美しく様変わりしていた。



Hotel Ambassador  ホテル・アンバサダーでは、
初め、バスタブのある部屋を頼んだはずなのに、シャワーしかなく、
「我々は年寄りだから、少々高く付いても
ゆったりと温まることが出来るバスタブ付きの部屋、学生達には、
少しでも負担が少ない安い部屋を・・・・と頼んであったのに、
お金だけ取ってひどい!」と言ってお冠だった夫は、
しばらくして、学生の一人が「受付で鍵を取り違えたのではないか。」と
知らせに来てくれて事なきを得、
すぐに部屋を替わって、ベッドにもぐり込んだ。


夕食は学生達がスーパーで買い込んだパン、
果物、ハム、チーズ、サラミなどで済ませたが、
昨夜から体調不良の哀れな夫は一口のビールと、
一口のワイン、薄切りパンを少々、
目も落ち窪んで気の毒なほどだった。

 
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2011年 ヨーロッパへの旅 15 アムステルダムからケルンへ

2011-12-13 00:14:31 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月8日

アムステルダムの中央駅まで雨の中をタクシーで移動。
インターシティ列車でケルンまで約3時間。

我々の乗るつもりだった列車が、人身事故でなかなか来ず、
構内で立ち往生。




後で知ったのだが、こちらでは人身事故が起こると、
車両全部を取り替えるので、
その電車その物全ての運行がなくなるらしい。
線路周りを片付けて、30分ほどで運転を再開する日本とはかなり違う。

飛行機に乗ったり、どこかで乗り継ぎを考えている人達には、
ひどく迷惑な話だが、
考えてみれば、確かに気持ちはいいかもしれない。


2時間ぐらい、駅に隣接するバーガーキングで待つことになった。
(写真中央の2階部分の広いスペースがバーガーキング)



さて、若者の数人は荷物番を残し、また街に出かけて行ったが、
私は日本に絵葉書を送るため、
切手売り場を探しに駅構内へ戻った。

ヨーロッパではほとんどのホテルで、
切手代を払えば郵便局の集配係が
各ホテルを回って持って行ってくれるが、
オランダではそのシステムはないのだろうか。
それとも、我々が泊まったホテルがなかったのだろうか。

何人かに売り場を尋ねる内、アムステルダムではキオスクではなく、
AKOという本屋で切手を扱っていることが分った。

しかも、外国便と国内便のポストが分かれていた。
旅行者なのだろう、ドイツ人の老夫婦が
私にどちらに入れたらよいかと尋ねてきたが、
英語ではないので私も分らず、通りがかりの人に聞いてようやく分った。

そういう訳で、たった一枚の絵葉書を送るのにも、
たくさんのドキドキを重ねて、投函できた時は、
大いなる自己満足と達成感を得る事が出来るのである。

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2011年 ヨーロッパへの旅 14 アムステルダム 4

2011-12-11 15:09:36 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月7日

今日はそれぞれ数人ずつの組になって、
観光に出かけて行った。
我々は昼頃までホテルでゆっくり休み、
あちこちの広場や通りのバザーを眺めながら歩いた。
あれもこれもおいしそうだったが、
私の大好きなマンゴーを2つだけ買った。


コンツェルト・へボーで今夜のコンサートがあれば
是非チケットを買っておこうと訪れたが、残念ながら何もなかった。
今までにも何回か試みたが、いつも空振りでがっかり・・・・
4日間滞在していても、なかなか予定が合う日はなかった。

この建物の写真をたくさん撮ったつもりだったのに、
どうしたことか一枚も出てこない。
残念なので、インターネットから盗んでここに上げよう。





シンゲンの花市場に着く頃は雨もひどくなっており、
夫が疲れと腰痛を訴え、




早々にホテルに引き上げた。

しばらくベッドで横になっていた夫が、突然何度もトイレに通い始めた。
昨年は私だったが、やはり過労が祟ったのかもしれない。

結局、私の夕食はマンゴーが一つ。
夫は何も食べられなかった。

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2011年 ヨーロッパへの旅 13 アムステルダム 3

2011-12-11 00:13:31 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月6日   (その2)


午後からはマースマンさんの農場見学に出かけた。
車から降りた途端、肥料や動物などの強い臭いがしたが、
すぐに慣れてしまったのには、自分でもびっくり。

初めに、広い会議室のような、
リビングのような部屋でいろいろお話を伺った。





彼は仲間5人と3つの会社を経営している人で、
現在、従業員は14名、
他に季節労働者として、6カ国から大勢の人達が
出稼ぎに来ているということだった。


親の代には普通の農業に携わっていたが、
いろいろ勉強をしている内に、
オーガニックの必要性を感じて、
仲間と連携しながら新しい農業に切り替えたとのこと。

いつも、オーガニックのことを考え、
少しでもよい製品を作ろうと考えているので、
夢があり、将来が明るく開けていると言う。

次に、農作物の仕分けや管理、処理、出荷など、
雨の中を回って見せていただいた。




そしてチーズ工場や、そこで出来た製品の直売店なども。





マースマンさんは意欲的で明るくて、すごく魅力的なおじさまだった。
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2011年 ヨーロッパへの旅 12 アムステルダム 2

2011-12-06 15:30:59 | 2011年 ヨーロッパへの旅 ウィーン~ザルツブルグ~リンツ~AMS~スイス

9月6日

今回のEMS研究会のテーマは「農業」。
これからの日本の農業経営を考える上で、
ヨーロッパの農業はどのぐらい参考になるのだろう。

朝、CBL(有機農業センター)が用意してくれた車に、
通訳のカザマさんと共に乗り込んだ。



雨が降り、とても寒い一日だったが、
センターに着くと責任者のリタさんが出迎えてくれ、
12時までプロジェクターを指しながら、
オランダのオーガニック農業の始まりから、
現在に至るまでの歴史と現況を話して下さった。



(責任者のリタさんにお会いしてびっくり・・・こんなにお若い方だった。)



ヨーロッパで一番人口密度の高いオランダは、
耕地拡大のため防波堤を造り、
海水を汲み出して、肥沃な土地を徐々に作っていった・・・と言われたが、
塩分濃度の高い砂地でなぜ農業が出来るのか、
私にはとても理解出来なかった。

恐る恐るその疑問を投げかけると、
空になった防波堤内に川から水を引き、また汲み出す、
それを何度か繰り返しながら、徐々にミネラル豊富な元々の土壌と
川からの肥沃な水で、植物の育つ土地が出来上がって来たとのこと。



このセンターの建物の梁の部分に海抜の印が記されていた。
昔は海の中だったのだ。



1942年に干拓が終わって入植、
初めは砂の上に牧草を育てることから始まった。

その頃は普通の農業だったが、25年前から農薬や化学薬品を使わない
オーガニック農業を始める人が増え、
現在は親が農家でない人達もたくさん増えて、
ここで働けない人達はフランス等へ行って働く例も多いとのこと。

普通の農家の物より25%ほど値段も高いが、
最近、二人に一人と言われるがん患者の数の多さは、
やはり、食品に含まれる化学物質の影響によるところが
多いのではないかと思われるので、
少々高くても、買い手は確実に増えているとのこと。

日本の若者も、このような魅力あるオーガニック農業を
目指してほしいと思った。

このセンターのすぐそばのレストランで、この地域で作られた
オーガニック製品を使ったお料理を御馳走になった。

粗末だが木造りの暖かな雰囲気の室内で、
ズッキーニのスープやハム、チーズ、
パンなどをいただき、寒さも空腹もすっかり癒えた。



まだまだお聞きしたいことはたくさんあったが、
次の訪問先に向けて1時過ぎ、雨の中を出発した。
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