日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

横浜 (9.26)

2006-09-26 23:08:43 | Weblog


年に2回、高校時代の友人達に会う。
一昨年、仲間の一人を癌で亡くした。
彼女が癌と戦っている時は、3ヶ月に一度、7人で集まって、
いつも昔の話に花が咲いた。

最近は親の看護や、夫の入院、子供のことなど、
それぞれが忙しく、半年に一度ぐらいに減ってしまった。
しかも、昔話は全くない。
老後・介護・年金・有料ホーム・・・・とても為になるお話ばかり。

今日は横浜の駅ビル27階の「クルーズ・クルーズ」で
11時から3時までしっかり食べて、おしゃべりをして、
その後はブラブラと散歩を楽しんだ。

しわもお腹周りもすっかり増えたが、会えば高校時代の顔に戻る・・・
不思議!!
それにしても横浜駅周辺の変貌ぶり・・・私達よりすごい!!









アッ!あれは何?・・・ビルの壁面のお掃除隊。大変なお仕事だ。

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フランクフルトから帰国 

2006-09-15 23:20:23 | 2006年 ヨーロッパへの旅 AMS~LON~GVA~ZRH~FRA
9月15日 (金)

いよいよ今日は帰国の日。
明日16日の15時20分には成田に着く。



昨夜は[ホリディ・イン フランクフルト 
エアポート ノースホテル]に泊まった。
最後の晩だと思うと、お部屋の写真でも・・・とデジカメを構えた。

お昼にはチェックアウト、今夜の7時ごろまで、
他の人達はお買い物や市内観光に出かけたが、
我々夫婦とナカジさん、隆浩さんは早々と空港へ。



フランクフルト空港の待合室で、何と9時間・・・
たくさんのチョコレートやワインなどを買い、
昼食やアイスクリームなど食べながら、
最後の日記を書いたり、葉書を書いたり・・・

ナカジさんと隆浩さんはずっと難しそうな顔で、
レポートの下書きに余念がなかった。



21時05分。いよいよJL408便が飛び立った。

楽しかった・・・・・・。

18日間、このおばさんを仲間に入れて下さった学生の皆さん、
家を守って、旅行先のホテルに度々ファックスを入れ、
日本の様子を伝えてくれた娘、
その娘を気遣って、電話を入れてくれた友人達、
まだ伯母の看病で福岡にいる母、大勢の人たちに感謝したい。

特に、忙しい仕事の合間を縫って、いろいろ私にアドバイスをくれ、
同行させてくれた夫には、心から感謝の言葉を贈りたい。

本当に本当にありがとう。
 
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ハイデルベルクからフランクフルトへ 

2006-09-14 23:26:11 | 2006年 ヨーロッパへの旅 AMS~LON~GVA~ZRH~FRA
9月14日 (木)

ハイデルベルク発 9:25  フランクフルト着 10:18
フランクフルトは何度か乗り変えの時に通ったことがあるが、
宿泊をするのは初めての土地だ。
正式の名は「フランクフルト アム マイン」
[マイン川のほとりのフランクフルト]という意味だとか。

駅に荷物を預けて、早速、それぞれ自由に、市内観光に出かけた。

先ず最初に訪れたのは、ゲーテハウス。



入口                   ゲーテ (絵葉書より)

第二次世界大戦でほとんどが破壊されたが、
疎開をしていたために残された数々の調度品、
絵画など、その当時の裕福な家庭の
暮らしぶりが偲ばれ、とても興味深かった。





大勢の来客や家族のシーツをプレスする機械
不思議な形で、構造がよく分からなかった。  


1749年に生まれたゲーテは、学校には行かず、
法律家で市の参事をしていた父親から
ありとあらゆる教育を受け、
また、母方の祖父は市長という恵まれた環境の中、
26歳までこの地で過ごし、
初期の作品「若きウェルテルの悩み」
などは、この頃に書かれたものだという。

確か私も中学生の頃、この本を読んだのだが、
内容は全く思い出せない。



2時間ぐらいここで見学をした後、マイン川のほとりに出て、
レーマーの広場を目指した。
ここには、古代ローマから中世までの十数世紀の間の
3つの時代の遺跡が残っているという。



ピンクの中央の建物が市庁舎レーマー。
レーマーというのはローマ人という意味で、
市庁舎なのになぜレーマーなのか?

この地区はフランクフルト見本市の発祥の地で、
今の市庁舎がイタリア人の
商人達の宿泊所兼展示場として使われていたところから、
「ハウス・ツム・レーマー」すなわち「ローマ人の館」
と呼ばれるようになった・・・と観光案内書で読んだ。



丁度、レーマーの前で結婚式が行なわれ、
白い大きな布に、ハートを書いて、
二人が鋏で切り取り、
その中を花婿が花嫁を抱えてくぐって行った。
意味は分からないが、とても幸せそうで、うれしそう・・・だった。

いよいよ明日は帰国。
とにかくお土産を買わなくては・・・・と
駅周辺を足を棒にして歩き回ったが、
ほとんどお土産物屋はなく、徒労に終わった。

後で聞いたら、電車で一駅乗った所にたくさんあったのだとか・・・
疲れた。

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ハイデルベルク 2日目

2006-09-13 17:11:01 | 2006年 ヨーロッパへの旅 AMS~LON~GVA~ZRH~FRA
9月13日 (水)

今日はゆっくりハイデルベルク城まで観光に出かけた。
ここは中世400年にわたって、
この地域を治めていたプファルツ伯の居城で、
城そのものは壊れかけていて、
そんなにすばらしいとは思わなかったが、
城から望む景色は最高に美しい。
ネッカー川沿いに続く赤い屋根の波、
あちこちに配された教会、まるで絵葉書のようだ。



城の正面



裏側 ここから見える城下町の景色はすばらしい






広い庭のあちこちを思い思いに散策



裏庭 想像を超える広さがあり、突き当りには噴水がある。

 (絵葉書より)

地下にある世界一大きなワイン樽。
22万リットルのワインが貯蔵されている。



絵葉書で見ると大きさが分からないが、
樽に登る途中の階段から下を見ると
こんなに人が小さく見える。

最後に、試飲が出来るというので、小さなグラスに
それぞれ白ワインをついでもらった。
ところが、仲間の皆は特上のとても高いワインだったらしく、
口当たりのよい梅酒のようだと言っていた。



夫はもちろん安めの白ワイン。
これがとても美味しかったようだ。
グラスはそれぞれお持ち帰り・・・・

 しばらく楽しんだ後、マルクトプラッツに下り、
土産物屋の通りを抜けて、
カール・デオドール橋を渡り「哲学の小路」を上る。

その昔、ゲーテが人妻のマリアンネ・フォン・ヴィレマーと恋に落ち、
身分違いの悲恋を描いた戯曲「アルト・ハイデルベルク」を
ここで書いたのだという。

本当に小路という名にふさわしく幅1,5メートルぐらいの
細い階段で、かなりな長さである。
両側に2メートルぐらいの石垣が続き、
所々の切れ目からハイデルベルク城が見える。
かつて哲学者達が思索にふけりながら眺めたであろう同じ景色を、
今、私も眺めているのだと感激した。



とにかく、のんびり、ゆっくり、対岸からハイデルベルク城を眺め、



次のデオドール・ホイス橋の河川敷で遊んだり、足漕ぎボートに乗ったり、
一日たっぷり遊び、夕食はレストラン・ダ・マリオでイタリアン料理。

すばらしい一日だった。
 
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チューリッヒからドイツのハイデルベルクへ

2006-09-12 23:45:53 | 2006年 ヨーロッパへの旅 AMS~LON~GVA~ZRH~FRA
9月12日 (火)

昨夜はホテルに到着後、食事もせず、9時から、1つの部屋に集まって
勉強会で学んだことの「まとめの会」が始まった。
夫は「すぐに終わるから・・・」と言って出て行ったのに、
10時になっても戻らない。
お風呂に入って、10時45分にのぞきに行っても、まだ、
皆、真剣な顔で話し合っている。

ルーさんの足のことも気になるし、
学生達もお腹を減らしているに違いない。
一人でヤキモキしていた。
結局、11時過ぎて食事が始まったが
私はほとんど食べる気力がなく、
ルーさんも同じような状態だった。

何かの時に役に立つかもしれないと、
お灸の道具を持って来ていたので、
ルーさんに話してみると、生まれて初めてのことで、
怖がっていたが、すえ始めると安心した様子であった。

さて、今朝、彼女のお部屋に行くと、
昨夜よりずっと腫れが引いていた。
でも、まだ痛くて足を着くことが出来ないと言う。

彼女は今日、皆と別れて、一人でイギリスへ帰るので、
また、朝一番ですえて、線香ともぐさを持たせてあげた。
両方とも、イギリスでは手に入らないが、十分これで足りるだろう。

一人で空港まで行かなければならないが、
ヨーロッパの人達は親切だから大丈夫だと言っていた。

他にも、徹さんとキーシーさんがここから日本へ帰国。

ここでも、あわただしいお別れだった。



チューリッヒの駅構内で記念写真(皆チョット疲れ顔 

チューリッヒ10:02発  ハイデルベルク13:44着

タクシーでホテルホリデーインに15分で到着。
しばらく休んだ後、夫と二人で近くへ散歩に出かけた。

今年は異常気象らしく、9月の半ばだというのに、ものすごい暑さで、
ギラギラと照りつける炎天下、バスに乗りたくて、停留所を探したが
見つからないので、自転車に乗って通り過ぎる婦人に英語で尋ねた。
しかし、よく分からないらしい。さらにその婦人が他の婦人を止めて、
何やら「ブス、ブス・・・」と聞いている。
なるほど、BUSだ。
ドイツ語ではブスと言うらしい。 

結局、3人に聞いたがドイツ語が分からず、バスには乗れなかった。
しばらく適当に歩いている内に、小さなスーパーマーケットを見つけた。

入ってみると、パン、肉、酒、野菜、果物、各コーナーとても充実している。
今までに見たこともないようなソーセージやチーズが揃っている。
ショーウインドウの後から、珍しそうに店の人が私を見ているので
出来もしないくせに” Do you speak English ?”と声を掛けたら、
美しい英語が返ってきてびっくり!!
いくつかの珍しいハムやソーセージの説明をして、
全て近くの工場で作っていると話してくれた。





ソーセージ類



ハム類



夫はワインの棚の前で「安い!安い!」と連発しながら、
あれこれ選んでいた。
結局、イタリアワインを2本買い、
今夜、パンやチーズ、ハムを買い込んで
学生達とホテルで簡単に夕食をするというので、差し入れに持参。
とても美味しかったと言っていた。
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ザンクトガレン(3日目) 

2006-09-11 23:00:40 | 2006年 ヨーロッパへの旅 AMS~LON~GVA~ZRH~FRA
9月11日 (月)

9:30 ダイリック先生の秘書が迎えに来て下さり、
13人の仲間が大学や企業の視察に出かけた後、
6時まで私は一人で過ごさなければならなかった。

日本の家族や友人に絵葉書を書いたり、
日記を書いたりしている内に、
11時ごろからテレビでUS OPENテニスの決勝戦が始まった。

夜中にライブで放映していたが、
眠くて見ることが出来なかったので、うれしかった。
予想通り、スイスのフェデラーが優勝。
私はフェデラーの冷静、沈着、礼儀正しいプレーを見るのが大好きだ。

どうしたらいつもあんなに平静でいられるのだろう。
日ごろの練習、訓練に裏打ちされた自信から来るのだろうか。
本当にすばらしい。

昼過ぎにホテルを出て、昨日回った教会や古い町並みをまた歩いたり、
今日は賑わっている商店街やデパート、土産物屋を見たりした。



すばらしい帽子がたくさん



かわいいお菓子屋のウィンドウ



花屋さん



八百屋の店先

あまり歩き過ぎて疲れてしまい、どこかでお茶でも飲みたいと思うのだが、
根が臆病なので、結局、DOMホテルまで戻って来てしまった。
もうチェックアウトをしているので、部屋には戻れない。



ホテルDOMのレストラン

レストランでコーヒーを飲みながら、また、日記を書いたり、
葉書を書いていたが、時々ウエイターと目が合ってしまうので、
事情を話して、6時までここにいてもよいかと尋ねると、
「もちろんかまわないが、5時から夜のレストランが始まる・・・」と言う。
仕方がないので、それまでここに居させてほしいと頼み、
4時半にロビーへ移った。

とにかく一人で動くと何かを考えて話さなければならない。 
私のJapanese Englishでも何とか通じるのだ。

6:30になってダイリック先生と仲間達が戻ってきた。
バスタクシーでザンクトガレンの駅まで送っていただいたが、
大変!!ルーさんが大学構内で階段を踏み外して捻挫してしまい、
隆浩さんが彼女をずっとお姫様抱っこ。(写真がないのが残念!)
あわただしいお別れであった。

ザンクトガレンからわずか一時間、チューリッヒに到着。
タクシーで10分、Hotel Senatorで一泊。

丁度観光バスで到着したアジア系の人達と一緒になった。
韓国でもない、中国でもなさそう、タイ・・か、よく分からなかったが、
せっかく会ったのだからご挨拶をしようと思って、じっと見ていたが、
ほとんど怖い顔をして、知らん顔をしている。
思い切って、笑顔で会釈をしたら、一人だけ気付いて、返してくれた。
皆すごく疲れている様子だった。・・・  
 
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ザンクトガレン (2日目) 

2006-09-10 23:03:42 | 2006年 ヨーロッパへの旅 AMS~LON~GVA~ZRH~FRA
9月10日 (日)

ザンクトガレンはドイツに近く、
世界文化遺産にもなっている大修道院があり、
町の名前はアイルランドの修行僧ガルスの名前に因んだものとか。

午前中、市内見物に出かけたが、
日曜日のためどこも閉まり、閑散としていた。
駅前で仲間3人と偶然会い、仕方がないので、
レストランの外の座席でコーヒーを飲みながら、
街行く人を眺めて過ごした。



スイスの民族服を着た年配の婦人が立っていた。
遠くから眺めるととてもかわいい。
20年前に子供達へのお土産にとてもかわいいレースの付いた
民族服を買ったのだが、日本で着せると目立ち過ぎて変だった。
やはり、その土地々で似合うものはそれぞれ違うのだ。

1時半にガイドのリリアンさんにお会いした。
大柄の美しい人だったが、
ドイツ訛りが強くて、よく分からない。
ルーさんが日本語で時々通訳をして下さるのだが、
私は全体の60%位しか理解出来なかった。

この町は中世の頃から織物が盛んで、
現在は高級繊維産業の中心地として有名。
繊細な美しさを誇る刺繍製品は高く評されているのだとか。



街の見所は、駅からも近い旧市街に集まっており、
ここのあちこちに窓にデコレーションを施した家がある。
17~18世紀の頃、事業で成功した人達が、
自分の財を誇示するために、競って作った物だという。
日本で言うところの「うだつを揚げる」ということだろう。





その保存にかなりのお金がかかるため、
当時からの子孫で住み続けている人はほとんどおらず、
一軒だけ、5年前に買い戻した家があるということだった。

次に、世界文化遺産に指定されているという大聖堂に入った。


ST.GALL Switzerland The baroque Cathedral(絵葉書より)

ゴチック様式のすばらしい造りで、天井絵は高いはしごを使って、
上を向きながら、一人一人の職人が描いたもので、
顔に落ちてくる顔料も非常に毒性の強いものであったり、
遠近感を確かめながら、その都度、はしごを上ったり下りたり
しなければならないために、その途中で落ちて
命を絶った人の数は計り知れないが、
正確な資料は残っていないということだった。



次に図書館に行った。

(絵葉書より)

5フラン(約500円)の入場料が必要だったが、
これは一見の価値があった。
17世紀から1805年、ナポレオンに征服されるまでの間、
僧侶達にとってはすばらしく富んでいた時代で、
教会の周りは、自給自足の街造りになっており、
農園、酪農が発達し、僧侶の中でも、羊の皮をなめして
本を作る人、書く人、その上に金でサインを施す人、
それぞれ専門的な分業がなされていたらしい。

しかも、現在のような図書管理システムが作られており、
何万冊もの本が保存され、
僧侶達が日々聖書の勉強に励んでいた様子がしのばれた。

(絵葉書より)

図書館内は撮影禁止。
床が柔らかい材質になっているので、土足も禁止。
大きなスリッパを靴の上に履いて足を擦りながら歩く。
係員に木の名前を確かめたが、分からないと言われた。

まだまだ見たい所、聞きたいことはたくさんあったが、
規定の2時間が過ぎ、リリアンさんとお別れ。
ガイド料は12,000円。

夜の7時、ダイリック先生とレストラン 
AM GALLUSPLATZで会食。

彼は今回訪問するザンクトガレン大学の教授で、
環境経営学のオーソリティ。

学生達は初めの内、緊張をしている様子だったが、
美味しいワインや食事が進むにつれて、
家族やサッカー、卓球、テニス等の
話題で盛り上がっていた。

彼は優しそうな方で、4人の女の子の父親。英語も美しく、
ゆっくり話して下さるので、
勘だけでしか英語を理解出来ない私にも、
ほとんどお話が通じて、とても楽しかった。

美味しい!美味しい!と食事が進んで、
アッと気付いたら最後のデザート。
あわててカメラで撮ったのがこの一品。



食器も食材もすばらしいものだったが、一人分の予算は5,000円。
しかし実際のお支払いは、10,000円以上になってしまった。

さすが、スイスの物価は高い



左側最前列の美人は、大学院生の美樹さん。
今朝、一人で到着。
会社を休み、明日の研究会に出席するためとのこと。
やはり、世の中変わった~~~。 すご~~~い。
 
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ツェルマットからザンクトガレンへ

2006-09-09 21:05:04 | 2006年 ヨーロッパへの旅 AMS~LON~GVA~ZRH~FRA
9月9日(土)

ツェルマット発(10:30) ブリーク ベルンチューリッヒ
 ザンクトガレン着(16:15)
途中、3回乗り換えながら、電車の長旅を楽しんだ。



電車の中でブラジルから来た御夫妻と
何とかコミュニケーションを図ろうとする茜ちゃん。



せっかくの美しい風景にも飽きたのか、
カードゲームに夢中のナカジさん、健太郎さん、隆浩さん、キーシーさん。
何やらとてもむずかしいらしく、メモを片手に真剣な顔!!
   



ツェルマット周辺の土地は、薄い岩盤が重なったような岩山で、
屋根にその岩盤を薄くはがして、瓦のように葺いてあり、
初めてそれを見た時は驚いた。わあ~~~重そう・・・



しかし、電車でしばらく走ると、もうその屋根は全く見当たらず、
ヨーロッパで普通に見かけるような赤いレンガ色の屋根に変わってしまう。
同じスイスの中でもはっきりと違うので、おもしろかった。



ザンクトガレンの駅周辺は、トロリーバスの電線が張りめぐらされ、
日本では見られない光景だった。

駅から歩いて8分、ホテルDOM 三ッ星ホテル
驚いたことに、今までは全てJTB旅行社を通して
手配してもらっていたのだが、
今回のホテルは現地の大学関係者を通して取っていただいたのに、
一番料金が高かった。
その上、バスタブもなく、シャワーだけ・・・

夕方、東京から北條さん御夫妻が到着。
奥さんは某広告代理店の課長職、
お仕事をなさりながら大学院に通い、その後、御結婚。
新婚ホヤホヤで、しかも御主人も御一緒に参加されたという。
世の中変わった・・・・すばらしい~~~


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ツェルマット 3日目 

2006-09-08 22:36:36 | 2006年 ヨーロッパへの旅 AMS~LON~GVA~ZRH~FRA
9月8日 (金)

次々に風邪でダウンする人が増えてきた。
丁度、疲れが出始めて、体調を崩したのだろう。

エリーナちゃん、ルーさんと私の、風邪引き3人組はお留守番、
他の人達は、ロープウエイでシュトックホルンや、クラインマッターホルン、
そして、イタリアとの国境まで足を伸ばすらしく、早めに出かけた。

午前中はゆっくり休み、昼食をとりに3人組で出かけることにした。



スイス・ツェルマットの中華料理店
2品しか頼まず、いやな顔をされてしまったが、
食欲不振組には適量だった。
でも、何を食べたか今全然思い出せない。

その後、ルーさんはホテルに帰り休養。
私達二人はお散歩を楽しんだ。



駅前に何台かの馬車がいつも並んでいる。
これはホテルからお客様をお迎えするするための馬車で、
日本でいう「ホテルの送迎バス」だ。

ふと、5年前のことを思い出した。
丁度、9月の15日頃だったか、グリンデルワルトに宿泊している時、
旅行社から「9・11事件の影響でアメリカ、その他の国の
旅行者のキャンセルが相次ぎ、
あちこちのホテルが一時閉鎖に追い込まれ、
あなた方の泊まるホテルもしばらく利用出来なくなった。
料金はそのままでよいので替わってもらいたい。」という連絡が入った。
そのホテルがここ。 ザイラー・モン・セルヴァン



同じ系列の4つ星ホテルから、5つ星ホテルへ替わることになり、
駅前でステキな馬車に乗せられ、
すばらしいホテルに案内されたのであった。

今まで経験をしたことのない「ウエルカムパーティ」、
毎週土曜日の夕方にパーティがあるから出席して下さいと言われ、
参加したのはよいが、
ドレスアップした婦人や紳士達の中で、オロオロ。
しかし、さすが支配人は日本に来たことのある人で、
上手な接客ぶりに私も徐々に落ち着くことが出来た。
他にも、私達と同じような立場の日本人が数人、
やはり普段着で出席していた。

アメリカのツインタワー爆破事件が、
こんなに遠いヨーロッパの小さな街にも
大きな影響を与えていたのだ。



あちこちぶらぶらと歩きながらアイスクリームを食べたり、
スーパーマーケットをのぞいて日本の物とは違うナスや唐辛子、
きゅうりの大きさに驚いたり、以前とは違うホテルの建設ラッシュに
がっかりしながら、のんびりと午後の散策を楽しんだ。






夜は夫と二人、イタリアンレストランで食事をした。





スパゲティは夫、私はピザ、とても美味しかったが、
二人で懸命に食べても、ピザは4分の1しか食べられず、
ドギーバッグで持ち帰った。
もちろん、食べ手は大勢!
昔より、最近のヨーロッパ人は太っている人が多いんですって・・・
 
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ツェルマット 2日目 

2006-09-07 20:50:45 | 2006年 ヨーロッパへの旅 AMS~LON~GVA~ZRH~FRA
9月7日 (木)

ホテルの食堂はとても雰囲気がよく、かわいい造りになっている。
食事も定番だが数種類のチーズ、ハム、卵、フレーク類、果物、
ジュース、コーヒー、パン、それぞれどれも美味しかったが、食欲がなく、
少ししか食べられなかった。残しておくのも失礼だと思い、
クロワッサンを1つ、ナプキンに包んで持ち出した。

ツェルマットの駅前からゴルナグラート行きの、
アブト式ラックレールの登山電車、最前列の車両に乗り込んだ。
右も左もすばらしい景色。
しかしながら、昨年行ったグリンデルワルトのような
牧歌的な雰囲気はなく、荒々しい、灰色の荒涼とした眺めだ。
同じスイスの中でも、ずいぶん違う。
私は女性的な優しい感じのするグリンデルワルトの方が好きだ。



登山電車の発着駅



ヨーロッパ一高い、標高3,089mまで到達する登山電車のレール。
終点のゴルナグラートまで約40分。

さて、ゴルナグラートでは5年前に来た時よりも、
土産物屋、トイレ施設が整い、大きなエレベーターまであった。

他のヨーロッパの国からスイスに入って来て、一番驚くことは、
どんな所でも(たとえ山のてっぺんであっても、登山道の途中であっても)
トイレが美しく、しかも無料であるということだ。

登山電車の料金がすごく高いので
(例えば、この電車の往復料金は日本円で約7,600円)、
その分も含まれているのだろうが、
日本でも、もう少し、山のトイレが使い易く、
気持ちの良い所であれば・・
と思わずにはいられない。



ゴルナー氷河



ゴルナグラートから真っ青な空、美しい山々を眺めると、
スーッと谷底に落ちて行きそうで怖い。
しかし、もっと恐ろしいことは、氷河が光の関係かもしれないが、
灰色に薄汚れて見え、しかもあちこちに池が出来ている。
これも地球温暖化の影響であろうか。

5年前の9月には、マッターホルンももう少し白く見えていたのに、
今はあまり雪が見えない。

特に今年のヨーロッパの暑さは、
ニュースにもなったほどの猛暑だったらしい。



途中駅のフィンデルンバッハ、リッフェルアルプなどから歩く人や、
ゴルナグラートから歩いて下りる人達が、
目の前に聳えるモンテローザや
マッターホルンの景色を楽しみながら、「ハロー」「ボンジュール」
「こんにちは」と笑顔で行き違う。

私はリッフェルベルクまで歩き、
そこから一人で電車に乗ってホテルへ戻った。
風邪が抜け切らず、だるくて歩けなかった。熱が出ていたようだ。
 
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