日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

2013年 ヨーロッパへの旅 17

2013-11-28 00:47:54 | 2013年 ヨーロッパへの旅


9月14日(土) (マドリッド4日目)
 

昨夜は夜中まで再会を祝ったようだった。
朝、レストランに行くと、洋介君と諒君がやって来た。

正一郎君はもうすでに出かけたらしく、
サッカーの大好きな諒くんは、
これからレアル・マドリッドの
スタジアム見学に出かけると言った。

夫と洋介君は海洋博物館や公園に出かけ、
私は部屋でのんびりと過ごすことにした。

3時から、世界遺産のトレドに
皆揃って4時間半のバス旅行に出かける。

「スペインに一日しかいられない場合はトレドに行け!」
と言われるほど美しい町で、ギリシャ生まれの
宮廷画家として活躍したエル・グレコがこの町を愛し、
後半生を送った頃のたたずまいを今も残しているそうだ。

1561年に首都がマドリッドに移るまで、
政治、経済の重要な拠点として繁栄していて、
711年から400年に渡って
イスラム教徒の支配下に置かれており、
その後、1492年に
カトリック教徒がこの地を支配するようになった後も、
この地の経済を握っていたユダヤ人と共に
多くのイスラム教徒が居残ったという。
キリスト、ユダヤ、イスラムが融合した、
不思議な雰囲気があった。


初めにサント・トメ教会に向かった。

とても小さな教会だが、エル・グレコ
(El Greco、1541~1614年)の傑作の一つとされている
オルガス伯の埋葬」があることで知られている。

この絵が世界三大名画に選ばれ、
一時はこの絵を見るための観光客が増え、
信者達の祈りの場所がなくなってしまうという
大問題が起きたそうだ。

現在は祈りの場所との仕切りが設けられ、
我々もガイドさんの説明を聞きながら、
ゆっくり鑑賞することが出来、
なぜここがこれほど大切にされているのかよく理解出来た。

 

次に「ダマスキナード」という象嵌細工の店に立ち寄った。
象は「かたどる」、嵌は「はめる」という意味があり
一つの素材に異質の素材を嵌め込んで作るらしい。

 店内では職人達が細かい作業を見せてくれ、
店頭では金で細工の施された商品が並び、
本当にすばらしいと感心したが、
値段が私の財布(夫?)と折り合わず、何も買えなかった。

しかし、お金持ちはたくさんいるらしい・・・
何人かうれしそうにお土産の包みを持っていた。

次に訪れたカテドラルはスペイン・ゴシック様式の大聖堂で、
フェルナンド3世の命によって1226年に建設が始められ、
1493年に完成したが、その後、時代に応じて増改築され、
オリジナルの部分は少なくなっているという。

教会は大きく三つに分かれており、
カテドラルは都市部に置かれた重要度の高い、大きな教会で、
大聖堂を意味し、次に普通規模の教会はイグレシア、
人里離れた小さな礼拝堂はエルミータと言うらしい。

このカテドラルは名の通り豪華絢爛、
200kgに及ぶ金、銀、宝石の聖体顕示台が置かれ、
その一部にはコロンブスが
アメリカから持ち帰った金が使われているという。

 

さて、あちこち見とれていると大変!
三方をタホ川に囲まれ、町全体が要塞になっているので、
しっかりガイドさんに付いて行かないと、
今来た道も分らなくなってしまう。

橋の両側に敵が侵入出来ないよう、検問所が設けられ、
上から煮え湯や石を落としていたが、
それでもかいくぐって入って来た敵は、
迷路のように張り巡らされた道に迷い、
結局は城にたどり着けなかったという。

ヨーロッパの旧市街はこのような造りになっている所が多いが、
特に、11~2年前、ベルギーのブルージュで、夫と二人、
散々歩いて、最後まで目的地に着けなかったことを思い出した。

そして・・・・気になったことが一つある。

16世紀の町がそのまま残っているということは・・・
下水の処理などはどうなっているのだろう。
大きな処理施設がどこかにあるのだろうか・・・
 

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2013年 ヨーロッパへの旅 16

2013-11-24 15:13:39 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 


9月13日(金) (マドリッド3日目)

 昨日入れなかった宮殿にまたバスに乗って出かけた。
昨日の行列は何だったのか・・・今日は空いていた。

王宮の近くまで車に乗せられてきた馬に、
今度は警官が乗って、颯爽とお出まし・・・。

フランスのヴェルサイユで生まれ育った国王フェリペ5世が
1734年のクリスマスに焼失したハプスブルク王家の宮殿跡に
フランス、イタリア風の宮殿を建設するように命令し、
1764年に完成したという宮殿。

150m四方の建物の中に2700を越える部屋があるという。
現在の王ファンカルロス1世は郊外に住まれ、
この宮殿は公式の行事などに使われているそうだが、
写真撮影は一切禁止なので、中の様子は伝えられない。

ヴェルサイユ宮殿をまねているが、
やはり、本物の豪華絢爛さには劣ると感じた。
興味を引いたのは王室薬剤局の、
昔の医薬研究室の様子や調剤道具であった。


次に、この宮殿の前に建つカトリックのアルムデナ大聖堂に行った。

この大聖堂の建設計画は16世紀に始まったものの、
1950年まで諸事情によって頓挫し、
完成したのは1993年だったとのこと。
これは、ローマ教皇フアン・パブロ2世によって
「聖別」されたということで、
(宗教上用いる聖なるものとするため、
聖職者の祈りによって神聖化すること)
1993年から「大聖堂」と呼ぶことが出来るようになったそうだ。

説明が難しくて、建物は何年に完成したか分らないが、
「聖別」されるまでは「大聖堂」ではなく、
教会と呼ばれていたということだろう・・か?


大聖堂の反対側に建つ王宮の灰色と白のファサードに合うよう
外部はネオクラシカルの様式になっており、
このドームの上から王宮を見ると・・・

大聖堂との色の調和がすばらしかった。
ファサード・・・って?フランス語で建物の正面のことらしい。

 

そして、高いドームの目の前には聖人が何人も・・・

内部はネオゴシック様式、そして地下礼拝堂はネオロマネスク様式と、
複数の建築様式からなる教会と書かれていたが、
詳しいことはよく分らなかった。

大聖堂の前のレストランで昼食を取った後、
今度は別コースのバスに乗ったが、
ギラギラ照りつける太陽と疲れで、
いつの間にか皆お昼寝タイム 


夕方、昨日の小さなスーパーマーケットで
同じような食材を買ってきてもらって
夕食を取っているところへ、洋介さんが到着。
久しぶりの再会で皆大喜び。

彼は昨年新入社員の身ながら、
休暇を取ってこのEU旅行に参加。
パリ、トゥール、ロアールの古城巡りでは、
レンタカーでドライブまで敢行。
ハラハラドキドキの楽しい旅をした。
今回は2年目社員で、かなり厳しい中、
しがらみを振り切って出てきたらしい。

 

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2013年 ヨーロッパへの旅 15

2013-11-17 15:15:02 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 

9月12日(木) (マドリッド2日目) 
 

昨夜7時頃、諒君がホテルに到着していたのだが、
19時と9時を間違えていた夫は気が付かず、
しかも、帰国後に分ったことだが、
携帯にも連絡が取れないようになっていて、
 かわいそうに、ずっと一人でいたとのことだった。

彼は大学3年生。
1年生の時から毎回参加で、
もう海外で動き回るのは全く問題はないが、
それでも、初日に連絡が取れないのは、
心細かったに違いない。
柔和な笑顔で、おっとりとした様子がとても好もしい。

今朝はhop on hop offという観光バスに乗って
市内観光をすることになった。
昨日、2万歩近く歩いて、もう歩きたくなかったのだ。

1日券21ユーロ、2日券24ユーロなので、ホテルで2日券を買い、
バスの中で日本語のガイドとイヤホーンをもらった。

スペインの歴史」について帰って来てから調べたが、
膨大でよく分らなかった。

スペインの首都マドリッドはイベリア半島のほぼ中央で、
海抜655m、気候は1年を通して晴天の日が多く、
空気は乾燥している。

日差しはとても強いのだが、
日本と違って蒸し暑さはなかった。


バスの中の説明では、1400年代イザベル女王が
コロンブスや多くの冒険家に援助を与え、
新大陸から持ち帰った銀や様々な物資で
スペインに黄金時代をもたらしたと言っていたが、
この頃のヨーロッパは新大陸の奪い合い、
植民地化、現地人の奴隷化、殺戮、
すごい時代を経てきたのだと改めて気付かされた。

さて、バスの中から見る市街は、
イギリスやフランスと比べると少し質素だが、
それでも、ヨーロッパの街並みそのもの。
あちこちにモニュメントや噴水、大きな公園が散りばめられていた。





マドリッドのメイン通りとグラン・ピア


王立植物園の側で降り、しばらく地図を見ながら行き先を決める。
う~~~ん、ここはどこかな・・・プラド通りだ。

そして、プラド美術館へ。

スペイン王室の美術コレクション約300点を中心として1819年に開館。
現在では3万点以上の絵画や彫刻を所蔵しており、
主に12~19世紀のスペイン、イタリア、フランス、フランドル絵画を展示、
中でもエル・グレコ、ベラスケス、ゴヤの3大巨匠の傑作は必見とのこと。

でも、広過ぎて、歩き疲れて、1時間半では何が何だか分らず、
一番興味を引いたのは日本版画のコレクションだった。

美術館を出て、ゴヤの銅像の前で写真を撮っていたら、
すぐ側から日本語が聞こえてきた。
御夫婦らしいお二人の記念写真を撮ってあげようと声を掛けて、
しばらく話す内に、何と夫が尊敬し、
学生達も皆御指導を受けているH先生の
先輩の方だということが分った。

こんなに遠く離れた異国の地で
お互いの知り合いが同じ方だったなんて、何という奇遇!

 

 

 

そして又バスに乗り、スペイン広場で降りた。

1930年にセルバンテスを記念して造られた広場で、
作者ミデル・デ・セルバンテスの足元に、
ドン・キホーテとサンチョ・パンサ像が置かれている。


私はドン・キホーテと握手をし、

二人はサンチョ・パンサのロバ?に水を与えた・・・?

しばらく遊んでから王宮まで歩いたが、
王宮を取り囲むように
入場希望者が2~300人ほど待っていた。
とても入るのは無理

明日に希望を繋いで、又バスに乗り 私はホテルに。
学生達は近くのスーパーマーケットに
買い出しに立ち寄ってくれた。

残念ながら、小さな店で、品数があまりなく寂しい夕食となった。
これも明日に希望を繋いで・・・・

そうそう、町の至る所に大道芸人がいるが、
もっとも興味を引かれたパフォーマーはこの一組。

 片手で持つ棒の上に座っている男性・・・不思議!
どのようなカラクリがあるのか、見せて欲しかった。

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2013年 ヨーロッパへの旅 14

2013-11-14 17:09:26 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 

9月11日(水) (アテネからマドリッドへ) 

5時起床、6時チェックアウト。
タクシーでアテネ空港へ。
8:30スペインのマドリッドへ向けて飛び立った。
飛行時間は3時間。

機内は3人ずつの6シートですごく狭い。
おまけに隣席の男性の大きいこと、
大きいこと・・・ちょっと辛かった。

さらに、機内食のまずさは相当な物だった。
結局、ヨーグルト一つだけお腹に入れた。

マドリッドのホテルは「ウサ パセオ デル アルテ」
Husa Paseo der Arte Hotel
近代的な建物で、
部屋もモダンで
とてもすてきな雰囲気だった。

 

 

しばらく休んで市内観光へ。
ホテルから歩いて5分、ソフィア王妃芸術センター。

18世紀の病院をモダンに改装したという左側の建物で、
後で取り付けたエレベーターが
透けていて、外からもよく見えた。

  主に20世紀の現代アートを所蔵する美術館で、
ピカソ、ダリ、ミロなどの現代美術の
巨匠達の作品が集められている。

 


ほとんどの部屋で皆が写真を撮っていたので、
私も何も考えずに撮っていたら、
理由は分らないが、係員が飛んできて
「ここと隣の部屋の写真は
撮ってはいけない。」と言われた。

恐れずに、正直に言うと、現代美術の多くの作品が・・・・
ほとんどと言っていいほど、私には理解し難い物だった。

この美術館の大きな売り物はピカソの「ゲルニカ」という、
戦争の悲劇、怒りを表した大きさ縦3.5m、
横7.8m、の作品だったが、
これもそう思って見るからなるほどと思うものの、
私は海外の美術館で彼の昔の作品のすばらしさを
何枚か見たことがあるので、
どうしてあの画風から後年このように変化したのか
・・・・と不思議だった。

もっとも、ピカソもダリも世界中から認められているのだから、
きっとすばらしい作品に違いない。
観る目がないのは私だけ・・・


さて、夕食。
ここからが受難の始まり!

10日もするとそろそろあっさりとした物が食べたくなる。
ガイドブックに書かれていた
日本食店か中華店を求めて歩き始めた。
正一郎君ががんばってナビゲーターに・・・

ところが、30分以上歩き回った挙句、
2軒ともすでに閉店していたことが分った。
それから、スペインに初めて出店されたという
回転寿司店「銀座」にも回ったが、
ここもすでに閉店していた。

結局、1時間以上歩き回って、
ホテルに戻る途中のパエリア店に入った。

 パエリアにお米(右)とスパゲティ(左)があるなんて知らなかったが、
お味はまあまあ・・・。
今日も飢えずに済んでよかった。


「地球の歩き方」2011年版、
飲食店については絶対に鵜呑みをしてはいけない。
何度も経験しているのに、又 確認を怠った。

    

今日は朝から何度もCNNのニュースで
9・11のセレモニーが流れていた。
あの時の衝撃的なニュース、
イタリアのフィレンツェのホテルで、
テレビの前に立ち尽くして聞いていたが、
もう10年にもなるのだ。

     

 

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2013年 ヨーロッパへの旅 13

2013-11-10 23:26:43 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 


9月10日(火) (アテネ4日目) 

 

 7日 9848歩、8日 16812歩、9日 14010歩、
毎日歩いていたので、少々疲れが溜まってきた。

今日は一日中ホテルで日記、絵葉書などを書きながら過ごした。

夫と正一郎君は10時ごろに出て行って、6時ごろに帰ってきたが、
電車にも乗らず、一日中歩き回っていたらしい。

電車と言えば、昨日は駅構内で切符の検札があった。

日本と違い、改札口があるわけではないので、
切符を買わずに電車に乗る人が多いのではないか
と思っていたが、突然、数人の係員が現れて、
切符を見せるようにと言った。

私達はもちろん買っていたので、問題はなかったが、
持っていなかった人への対応はどうだったのだろう・・・


プラットホームに降りるとホームの端から端まで、
ギリシャならではのすばらしい彫刻のレリーフが
飾られており、
やはりというか、さすがというか、この国の誇りを感じた。

  

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2013年 ヨーロッパへの旅 12

2013-11-07 20:41:02 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 


9月9日(月) (アテネ3日目) 続き


アドリアノス門
 

 これは、ローマ時代2世紀に立てられた門で、
高さ約18m、幅13,5m、
ゼウス神殿のすぐ北側にあり、
シンタグマ広場の前門のように、堂々と立っていた。


ゼウスの神殿

かつて104本ものコリント式の柱が並び、
それは美しく、威厳のある姿だったということだが、
現在はその内の15本しか残っておらず、とても残念に思った。
同じ敷地に柱の一部と思われる円形の、
ちょうど、ちくわぶを輪切りにしたような石が
たくさん見られた。

紀元前515年に着工が始まって以来、
二度も時の権力者の失墜によって
中断されたこの工事は、ローマ時代2世紀、
アドリアノス皇帝の時代に完成したという経緯がある。

何世紀にも渡って、
ゼウス神の聖域に神殿を建てようとした思いの強さに驚くと共に、
日本にも同じ時代に何らかの文化があったかもしれないが、
「木の文化」では、しかも高温多湿の環境では
確かな物は残らないだろうと思い、
あらためて「石の文化」の強さを思った。

遠くにアクロポリスのパルテノン神殿が見えた。

パルテノン神殿を手中に・・・

帰り道、シンタグマの駅前にある無名戦士の墓にお参りをしたい、
と言う正一郎君と一緒に立ち寄ると、丁度、横長の碑の前で、
見回り交替の儀式?が始まり、
その後、衛兵との記念撮影が許可され、
私達もそれぞれ撮ってもらった。 

後の碑の右側には「英雄達にとっては、
世界中どこでも 彼等の墓となり得る」
左側には「伏している無名の戦士のために、
空のベッドが運ばれてくる」と書かれているそうだ。

 それにしても・・・正一郎君は
どうしてお墓参りをしたいと言ったのだろう。

 

ホテルに帰って、しばらく昼寝をして 、
7時に一昨日行ったレストランへ。

彼と帰り際に約束をしていたので、大歓迎をしてくれた。

期待が大きかったせいか、一昨日ほどではなかったが、
この日釣れた小魚や少し大きな魚、
そして水イカのグリルなどいただき満足。

正一郎君によると奄美大島と同じような味がするとのこと。
南国の魚は共通点があるのかな。

   

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2013年 ヨーロッパへの旅 11

2013-11-04 08:12:21 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 

9月9日(月) (アテネ3日目)  


今日は昨日のようにシンタグマ駅から
アクロポリス駅まで地下鉄に乗り、古代アゴラを目指す。

アゴラというのは、政治、宗教、
文化的施設が集中していた場所で、
現代では「市場」を指す言葉として使われているようだ。

当時は男性が買物をする役目だったが、
このアゴラで政治を論じたり、
雄弁家の話に耳を傾けていたらしい。

この時代に哲学者ソクラテスやプラトン、
喜劇作家のアリストファネス、
歴史家ヘロドトスという人達が活躍していたという。

このアゴラへの途上、保育園の先生と子供達だろう、
日本の「か~ごめ、かごめ・・・・後の正面だ~~~~れ。」
 という遊びと同じことをしていた。 
つい懐かしくて、かわいくて、しばらく見とれていた。

 

パゴラの遺跡はほとんど廃墟と化していて、
立ち入ることは出来なかった。

すばらしい遺産が朽ち果てていくのはもったいないことだと思う。
まして すぐ側の住宅の壁にはこんな落書きが・・・

本当にもったいない!

 

そして、奇遇!
昨日、美しい小路で迷っていた時にお会いした
キプロスの婦人に偶然再会した。

昔 アテネで仕事をされていて、
今は歯の治療でこちらに来ていると言われたが、
彼女のお陰で、アクロポリスの入口までたどり着けたのだ。
これも何かの御縁と、記念に写真を撮らせていただいた。

次にゼウス神殿に向かった。

神殿を探す内、アギオス・エレフテリオス教会という
12世紀に建てられたヴィザンティン様式の
小さな教会に行き当たった。

そして、すぐ近くにあるアテネで一番と言われる
ミトロポレオス大聖堂にも立ち寄ったが、
残念なことに改修中で、全貌を見ることは出来なかった。

この教会は1840年から15年の歳月をかけて建てられ、
現在は、大統領の宣誓式などの国家的行事が
全てここで行われるとのことなので、
重厚な美しい内外装が見られず、
本当に残念だった。

この地の人達は信心深い人が多いのか、祈りをささげ、
ガラスケースの中に納められたイエスの絵に口づけをしている。

どちらの教会でも、
ガラスにたくさんのキスマークが付いていたが、
このような光景を見たのは初めてだった。

続く 

 

 

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2013年 ヨーロッパへの旅 10

2013-11-02 23:28:11 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 

9月8日(日) (アテネ2日目) 続き

暑さと喉の渇きで外に出ると、
すぐに新アクロポリス博物館前に並ぶ
カフェの一つに入り、一息付いた。

 遺跡内の出土品は長い侵略と戦争の歴史の中で、
海外に流出した物もあるが、
このアクロポリスの麓にある博物館で多くを見ることが出来る。

2009年にオープンした新アクロポリス博物館は、
すばらしい建物だったが、
ギリシャ語と英語の説明文だけで、
「何世紀の物」という部分しか理解出来ず、
正直に言うと、私は1時間で飽きてしまった。

(博物館内部から玄関部分と正面に聳えるアクロポリスを撮った写真)

この博物館は遺跡の上に建てられていて、
通路はガラス張りになっているので、
その下にある数々の遺跡が覗けるようになっており、
近代建築の技術に驚かされた。

 

 館内は撮影禁止になっており、係員の目も厳しいが、
1ヶ所だけ撮影可能な所があった。
復元作業の様子をビデオで見せている所だ。

博物館の外では観光客相手の美しいおもちゃのような電車や、
白馬の馬車などが目を引く一方、多くの黒人や、
母国がどこの国の人かは分らないが、
路上での物売り、物乞いが多く、
特に若い母親が乳飲み子を横に置いてアコーディオンを弾き、
小さな子供達がテーブルを回って縦笛や歌、
アコーディオンの演奏をしながら
お金をねだっている様子を見ると胸が痛んだ。

 ガイド付きでなければ細かい事は分からないが、
とにかくアクロポリスの壮大さは理解出来た・・・・
ということで、次は夕飯探し。

日曜日はどこもかしこも全て休み。

正一郎君と「日曜日こそ働けばいいんだよ。旅行者が困るじゃないか。
銀行の預金金利を下げるな、
消費税を上げるなと言ってデモをする資格はないよ。」
「そうよ、そうよ、同感!」」などと悪口を言いながら
ホテル近くを歩いていたら
昨日のレストランの前のイタリアンレストランだけが
開いていたので、そこに落ち着いた。

                            

この3皿を三人でシェアーして、皆満腹。
 それぞれ、まあまあおいしくて良かった!
  感謝 感謝 

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2013年 ヨーロッパへの旅 9

2013-11-01 07:46:52 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 

9月8日(日) (アテネ2日目) 

昨夜遅く、テレビで2020年・オリンピックの開催地が
東京に決定したとの報道があった。


毎日のように、「福島」のニュースが流れ
数日前には竜巻の様子が映っていたので、
こんなに遠くにいても日本のことがよく分かり、
ますます世界は狭くなっていると感じ、
「福島」がオリンピックに影響しなければいいのだが、
と危惧していた。
 


決定の瞬間、日本応援メンバー達が抱き合って泣いている姿に、
私も もらい泣きをしてしまった。
もちろん、東京オリンピックまで生きていて、
毎日テレビにかじりついていることだろう・・・と思いたい。 

今朝は、昨夜遅く到着した正一郎君と合流し、
アクロポリスに向かう

彼は一昨年EU旅行で一緒にヨーロッパを回った青年で、
今年は大学4年生。
とてもしっかりした好青年で、
着々と自分の夢に向かって進んでいる様子だ。

まず、彼のお薦めで、毎週日曜日の10:50~11:10に
行われるという無名戦士墓前の交代式を見に行った。
 

シンタグマ駅のすぐ側にあるこの墓は大きな横長の碑で、
約400年間に渡るトルコ支配に終止符を打った
1823年からの独立戦争での戦死者や、
それ以降に起こった数々の戦争で犠牲となった兵士達の
霊を慰めるために造られたという。
 

どう見てもコスプレにしか見えないのは僕だけかな・・・・
と正一郎君。 
週に一度、20分だけのチャンスに巡りあえて、
本当にラッキーだった。

 

その後、アテネ観光の拠点シンタグマ駅から
隣の駅アクロポリスまで地下鉄に乗った。

駅のあちこちに彫刻が配され「正にギリシャ」という雰囲気だ。

アクロポリスとは 「高い丘の上の都市」という意味で、
外部の侵略を防ぐ要塞として機能していたが、
紀元前8世紀頃から次々と神殿が建てられ、
聖域として人々の信仰を集めるようになったそうだ。

入口を間違えて住宅街に入り込んでしまったが、
その美しい真っ白な小路にびっくり!

このような美しい小路がずっと続いている様を、皆想像出来るだろうか。

結局、回り道をしながら元に戻って来たが、
途中で出遭った人達との話も楽しい思い出となっている。

さて、大昔、世界史で学んだアクロポリスは、
パルテノン神殿の柱の写真だけが遠い記憶の中に残っているが、
やはり行って 見て その大きさを実感出来た。



すぐ近くでは柱の先だけしか写すことが出来ない。

少しずつ修復工事も進んでいるようだが、
紀元前8世紀にどのようにして
これだけの建造物を作ることが出来たのだろうか。

丘の上から眼下に広がる屋根の波を見ると、白っぽく、
太陽の光で目を開けていられないほどのまぶしさだった。

そして「ああ、これだ!」と思ったのは、
16~7年前に
アメリカのフィラデルフィアの友人イワンさんリディアさん宅で
DVDを見せてもらったイロド・アティコス音楽堂だった。

アッティカの大富豪イロド・アティコスがアテネ市に寄贈した物で、
161年に建築され、6000ほどある観客席は最近修復されたそうだ。

この音楽堂で日本の鼓童の演奏があり、
その友人夫妻が大感激をして、
私達にそのDVDを見せて下さったのだ。

その頃、私達は「佐渡の鼓童」のことについて全く知らず、
ずっと観たいと思っていたが、
ついに横浜でその機会を持つことが出来た。
(私のブログ2012・7・22鼓童 DADAN で取り上げている)

長年の思いが叶って、その感激はひとしおだったが、
今回、そのDVDに収録されていた会場を直に見たことで、
その感激は倍増した。
ただ一つ残念だったことは、
夜の舞台でその照明のすばらしさを体感出来なかったことだ。


 
続く

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