日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

2013年 ヨーロッパへの旅 8

2013-10-30 11:13:30 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 


9月7日(土) (ハニアからアテネへ) 

今日は1:35のプロペラ機でギリシャの首都アテネに移動する。

ハニア空港に着くと、職員の誘導が悪いせいか、
多くの旅行者が右往左往していた。
空港係員に尋ねると、それぞれが違う案内をするためだ。

言葉のせいではなく、連絡の統制が取れていないような気がした。

私達も御多聞に漏れず、しばらくどうしたらよいのか分らなかったが、
それでも大きなトラブルもなく機上の人になり、無事アテネに着いた。

アテネはさすがに大都市。
空港も大きく、美しく、オリンピックのお陰か市内までの道路も広く快適。
そして、黄色のタクシーに乗れば、市内のどこにでも35ユーロで行ける。
近い距離であればもちろんそれに見合った安い料金らしい。

Titaniaホテルは4つ星の美しく大きな、とても混雑したホテルだった。 

これほど美しいエントランスは見たことがないほどの造りで、
玄関ホールには古代模様を模したタイルのモザイク絵が敷かれ、
右にレセプション、左に大きな階段、全て大理石で造られていた。

まるでどこかの宮殿に来たような感じだったが、
あまりにも混雑し過ぎていて、従業員と目を合わせたり、
挨拶をしたりというチャンスがほとんどなかった。
(この写真は夕方、丁度落ち着いた時の物)
早速町に出ると、落書きの多さ、汚さにがっかり!

そして、道路のあちこちに小銭を求める人が座っており、
どんなに美しい国立図書館、大学、
アカデミーなどの建物があっても、イメージは落ちる。

国立図書館

アテネ大学

アカデミー

ホテルから5~6分歩くと北から上記の順に並んでいる3つの建物があり、
デンマークの建築家、ハンセン兄弟の設計で
19世紀に建てられた物とのことだが、
造りは古めかしいのに、つい最近建てられた物のような感じがした。

しばらく町をブラブラして、ギリシャではまだティータイム?
の時間かもしれないが、ホテルの近くのレストランに入った。

おいしくて、食べるのに夢中で
残念ながら写真を撮り忘れてしまったが、クレタに入って以来、
ギリシャ料理に対して持っていたイメージが変わった。

何でもオリーブオイルがたっぷりかかっているのかと思っていたが、
新鮮な魚の塩焼き風の味にも感激した。

サーブをしてくれた男性に「明日も来るから・・・」
と言って別れを告げたら、
「明日は日曜日だから休みだよ。」と言われた。

 

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2013年 ヨーロッパへの旅 7

2013-10-26 23:09:10 | 2013年 ヨーロッパへの旅


9月6日(金) (クレタ島・ハニア2日目) 

のんびり朝食を取り、丁度、我々の部屋のバルコニーから見える
大きな市場の偵察に出かけることにした。

ここは屋根付きの十字形をした建物で、
食料品、酒類、ハーブやスパイスなどが売られており、
朝早くから夜遅くまで賑わっている所らしい。

種々雑多の土産物、魚、肉、チーズ、惣菜類、見たこともないような品や
食品の混ざり合った臭いで、異国を感じた。


 

ハニアはイラクリオンに次ぐクレタ島第二の都市で、
1840年から1971年までは、行政の中心でもあった。
 
島の北西岸に位置し古代名をキドニアという。
クレタ文明時代の都市に起源し、続いて、古代ギリシャ、
東ローマ帝国、ヴェネツィア共和国の支配下に置かれ、
17世紀にオスマン帝国領になったという歴史があり、
島のあちこちにその頃の遺跡
(キドニア遺跡と呼ばれる)がたくさんある。
その遺跡の上に現代の建物が建っているので、
これらを全て保存して後世に残すのは
かなり難しいのではないかと思った。
 
 
 
 
 
 

 
 
ここから昨日の港まではやはり数分。
そのまま岬の先端近くまで歩くと、
海の色と薄い黄土色の石の色がマッチして、とても美しかった。
 
 
 
 
 
ああ、あの運転手が言っていたハニアの美しさはこれだったのだ。
本当に澄んだ空気が作り出す空の色だ。
 
 
ヴェネツィアンポートを右側に眺めながら、
海沿いの道を少し行った所にある
小さな博物館には、ハニア周辺で発掘された
ビザンチン時代の陶器やモザイクなどが展示されていた。
 
 
 
ビザンチン博物館の中は撮影禁止。
係の人に天井を指差しこの角度で1枚だけ撮らせて欲しい
と頼んだ1枚がこれ。
 
 
そして、チケットをこの博物館とセットで買うと1ユーロ安くなる、
と言って薦められた考古学博物館はすぐ近くだが、ここに行くまでの
旧市街地の街並みも本当に美しかった。
 
 
 
この迷路のような石段の細い道の両側には
レストラン、カフェ、ブティック、かわいらしい品々を集めたショップなどが
たくさん並んでいて、ここを見ているだけで何時間も楽しめそうだった。
 
 
 
考古学博物館は古い建物で、紀元前3700年の土器から始まり、
5世紀の物まで展示されていたが、イラクリオンに比べ
何となくぞんざいな感じだったので、ありがたみが薄かった。 

ここはサッと見て、早めにホテルに戻り、
8時からの夕食に合わせ、お風呂にも入り、
レストランに行ったら、今日も一番乗りだった。
 
しばらくして、もう一家族も来たが、ディナーは2組だけ。
ちょっとドキドキしながら、それぞれのチョイスでコース料理が並んだ。
 
 
いつものようにパンが5~6個、前菜、サラダ、夫はビーフ、私はチキン。
パンは全く手を付けず、サラダだけでお腹がいっぱいになり、
味はおいしいのに、チキンもビーフも少し口を付けただけ。
さらに、私の大好きな果物が大きなトレーに出てきても、
ほとんど食べられなかった。
 
サーブをしてくれたモデルのような美しい女性に、ギリシャの人達は
こんなにたくさんの夕食を食べるのかと聞いたら、
「もちろん。」と頷きながら「朝食はコーヒーとビスケットぐらい、
夕食は9時頃から始まり、11時、12時まで続くので、
寝る時間は大体2時頃だ。」とのこと。
 
それでは太るはず。
道理で、日本では考えられないほどの体型の人が多い。
 
しかし、その女性は細身で、仕事は忙しいし、二人の子供がいて、
一日中動き回っているせいか太ることはないということだった。
 
やはり、食べて動かなければ太るのだ。
 
 
 
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2013年 ヨーロッパへの旅 6

2013-10-25 00:33:28 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 


9月5日(木) (クレタ島・イラクリオンからハニアへ)その3 

海でとても楽しいひとときを過ごした私達は、
ホテルに戻って一休みし、7時半にレストランに向かったが、
まだ誰もおらず、8時からビュッフェスタイルの夕食だと言われた。

珍しく、このホテルの宿泊にはディナーも付いているということだったが、

どこかの団体客と一緒に食事をするのかと、
がっかりしながら部屋に戻った。

間もなく、部屋に電話が入り、すぐに行くとまた一番乗り。
先程のボーイさんが満面の笑みで
一つ一つの料理の説明をしてくれた。

8時丁度、30~40人の老年の一団が入って来た。
彼等はキプロスからの観光客で、アテネ、クレタ島を1週間で回り、
今夜が最後の晩だという。
2時間半の飛行時間とのことだった。

最初、隣のテーブルの人から「サイプロスを知っているか。」と聞かれ、
首を横に振ると、何人かが「キプロス、キプロス・・・」と言い、
気付いた。

我々がまだ若かった頃、キプロスでイギリスからの独立運動が始まり、
ギリシャ軍とトルコ軍の代理戦争のような紛争があり、
確か今も分断されている所だったかな・・・
名前は知っているが、いつも自分の記憶力のなさ、
知識の乏しさに恥ずかしい思いをする。

結局、会話力もなく、知識もないので、
政治の話は出来なかったが、
料理のことは皆さん良く御存知で、
いろいろ説明をして下さり、とても楽しく過ごすことが出来た。

 

帰国後、ネットで調べて
(キプロス紛争を五行で説明したら)という記事を見つけた。

以下は受け売り。


1  キプロスがイギリスから独立する

2   南部に多い元からの先住民である裕福なギリシャ系が
政治の主導権を握り、北部の後からやって来た
貧しいトルコ系住民との間に
亀裂が発生して、双方の武力衝突を起こすようになる。

3   トルコ共和国がキプロスのトルコ系住民を保護する
という名目で軍事介入し、トルコ系住民の多いキプロスの北部を
キプロスから切り離し一方的に分離独立を宣言する。

4   キプロス政府の要請に基づいてキプロス島の南部に
ギリシャ政府が軍隊を駐留させると、
トルコ共和国も北部の軍隊を増強し、
やがて国境線付近で大規模な武力衝突を繰り返すようになる。

5   こうしてキプロス紛争がギリシャとトルコの紛争に発展し、
       ギリシャとトルコそれぞれが
南北に新しいキプロス政府を樹立して、
キプロスは完全に南北に分断された国家となる。

ギリシャの料理やお菓子のことなど、
よく御存知だったのは考えてみれば当然。
彼らの祖先はギリシャ人だったのだ。

思いがけなく、たくさんの方と話が出来、とても楽しいひとときだった。
(おまけに、遅ればせながら、ちょっぴり勉強も出来た。)

  

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2013年 ヨーロッパへの旅 5

2013-10-23 10:08:32 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 

9月5日(木) (クレタ島・イラクリオンからハーニァへ)その2

土産物屋に入ると美しく安いアクセサリー、革製品、
布織物が並び、どれも興味を引かれたが、
これからの行程を考えると何も買えない。

 

ある店で水槽の中に足を入れている母子三人を見た。
ああ・・・これはいつかテレビで見たことがある。
足の皮膚の角質を魚に食べてもらって、美しくするのだ。

私もしてもらいたいな・・・・と思ったが、何となくためらった。
そして、今も実行しなかったことを後悔している。

ここから2~3分で海岸、ヴェネツィアン・ポートに出た。
湾内を巡るボートが並び、何ヶ所かに客引きの看板が立っていた。
その中の一つに声を掛けられ、
5時から6時までの1時間、乗ってみることにした。

私達は島巡りをするのかと思っていたら、そうではなく
沖の方の水深3メートルぐらいの所まで行き、
そこで潜って遊ぶのだと言う。

お客は全部で8人。
目的地に着くまでの間、船長が舳先に乗って舵取りの方向を指で示し、
小さな男の子が舵を握って拍手喝采を浴び、その子の母親も挑戦。
次に私も、夫も船長さんになって、とても楽しいひとときだった。

 

目的地に着くと、中の若い二人がシュノーケルと
足ひれを付けて船長と共に海に入っていった。 

船長は船の下で撒き餌をし
グラスボードの下にたくさんの魚を集めたり、
ウニやヒトデ、タコを捕ってきて、我々を楽しませてくれた。
もちろんショウーが終れば全部海中に戻す。
この辺りは小さな魚やタコしかいないようだった。

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2013年 ヨーロッパへの旅 4

2013-10-21 10:55:56 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 

9月5日(木) (クレタ島・イラクリオンからハニアへ)

今日はバスで島の東側にあるハニアの町に移動する。
右手に美しい海を眺めながら、約3時間の旅。
30分毎に出発するバスを、
丁度30分待って乗り込んだら
満席だった。

途中で5~6ヶ所停車。
数人が入れ替わるが、それでも立っている人はいない。
たまたま今日はそうだったのか、それとも、
立つ人がいないようにチケットを売っているのか不思議だった。

決して華美でなく、高い建物や木々もなく、真っ青な海と、
白っぽいリゾートハウスの点在する様は、
日本の海岸線とは全く違っていたが、ずうっと平坦で美しかった。

今朝、ホテルからバス停まで乗せてもらった
タクシーの運転手によると、
ハニアはイラクリオンよりずっとずっと美しい街だと言っていた。

交通手段はバスのみ。(もちろん自動車はあるが・・・)
ハニアのバスセンターはたくさんの人達で混んでいた。

バスセンターから5分と聞いていたホテルまでの街並みは、
埃っぽくて、汚くて、お世辞にも美しいとは言えず、がっかりした。

キドンホテルはこの町で一番大きな4つ星のホテルと聞いていた。

従業員も皆感じ良く、部屋も広く、古いが清潔だった。

しかし、トイレに入って???
このマークはどういう意味だろう。

夫は「トイレットペーパー以外の物を流すな、
という意味かな。」と言ったが、
これはどう見てもトイレットペーパーその物。 

昨年、スイスのユングフラウヨッホの山頂で見た情景を思い出した。
トイレの隅に大きなバケツが置いてあり、
使用済みの紙が山積みになっていた。
決して水洗機能が壊れているわけではなく、普通に使用出来るのだ。

7~8年前にはなかったので、最近は中国の観光客が増えて、
トイレの床に積み上げるので、
どんどん大きなバケツを用意し始めたのかと
思っていたが、中国人だけではなかったのかもしれない。

日本のことだけしか知らない私にとって
外国で見ることは全て勉強、気付き、感謝、感動、反省だ。

一休みして、ホテルから歩いてすぐの旧市街を目指した。

 

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2013年 ヨーロッパへの旅 3

2013-10-20 10:06:55 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 

9月4日(水) (ギリシャ・クレタ島イラクリオン2日目)

朝食はプールサイドで。

食事は豪華で、私の大好きな果物も豊富。

かわいい坊やのヨチヨチ泳ぎを見ながら最高の気分。

11時、イラクリオンの市内見物に出かける。

イラクリオンはクレタ島の商業の中心であり、
メイン空港とメインポートがあり 
市内にはヴェネツィア時代の面影を色濃く残す旧市街が広がっていて、
歴史的な建造物も多い。 


まず、ホテルから歩いて20分、国立考古学博物館へ。

クレタ島に起こったミノア文明の遺産の全てがここに集められ、
石器時代からローマ時代に至るまでの出土品が展示されている。


すばらしい現代的な建物で、20室に分れており、
撮影が許されている部屋もあるが、禁止の部屋もあり、
うっかりカメラを構えていると、係員が飛んでくる。
その不可の理由はよく分らなかった。

クノッソス宮殿の壁画を修復した物などもあり、
この後に行く宮殿の遺跡がどういうものなのかとても興味が湧いた。

 ここからバスで20分、クノッソス宮殿跡に向かった。

ギリシャ神話にクレタ島のミノス王は、
一度入ったら二度と出ることの出来ない宮殿を建て、ミノタウロスという
牛頭人身の怪物を閉じ込めていた、という話があるそうだが、
考古学者のアーサー・エヴァンスの1900年代の発掘調査によって、
それが神話ではなく、実在の宮殿だったことが判明したという。

 

 

クノッソスへ行くと、約3700年前の宮殿がかなり復元されていて、
一辺が160メートル、中庭を持つ複雑な、かなり大きな建物で、
4階建ての部分もあり、部屋の数は
1200以上あったと推定されているらしい。

ミノア(クレタ)文明は紀元前3000年頃に始まり、
紀元前18~15世紀に栄華を誇った。
建築、壁画、貿易、農業などに秀で、
当時の世界最高水準だったとされているが、
紀元前1400年頃に突然滅んだと言われている。

原因は不明だが、
サントリーニ島の大噴火と時期が重なるところから、
地震と津波ではないかとも、後に文明を築くミケーネ人達の
攻撃を受けたからではないかとも言われているそうだが、
私は、地震と津波のせいだろうと思っている。

なぜって、人の力だけでこれだけの物を破壊出来るとは思えない。
3.11の地震、津波の恐ろしさが重なった・・・・。

日陰に入れば空気が乾燥しているせいかとても涼しいのだが、
炎天下は日差しが強く、ジリジリと肌が痛い。

大勢の観光客がズラズラと歩いているが、
帽子をかぶっている人は少なく 、
特に女性は背中をむき出しにしている人も多く、
その背中の日焼けは、日本では考えられないほど痛々しく、
赤黒いシミや真っ黒なそばかすの塊だらけだ。
私は意を決して日傘をさした。
たった一人だった。

2時間ほど歩き続け、入り口横の店で絞りたてのジュースを飲んで
ようやく一息付き、又、バスに乗って町中へ戻った。
いつも思うのだが、日本語のパンフレットもなく、
ガイドもいないのが悔しい!

旧市街地の土産物屋が並ぶ一角には、
最近、日本ではあまり見かけなくなったヘチマや海綿などが
天井からいっぱいぶら下がっており、何だか懐かしい感じがした。
この辺りの人達は、今もお風呂で使っているのだろうか・・・

広場に面したレストランで、客引き(?)の女性に捕まり、 
彼女のお薦めで、ギリシャの伝統的な食べ物を頼んだ。

えっ、確かイタリアでも同じような・・・

結局、一皿ずつなのに量が多過ぎて、
二人で半分ぐらい残ってしまったが、味はおいしかった。

伝統的といえば、昨夜もそうだったが、
初めにパンとバター、そして食後にフルーツの盛り合わせが付いてくる。
それは季節によって違うのだろうが、スイカ、メロン、ブドウ・・・
そして、これらは支払いの額には含まれていなかった。

これだけの食事に、ビール、グラスワインも頼んで、
日本円で3000円ほど。
クレタ島は生活のし易い所だと思った。

 
 

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2013年 ヨーロッパへの旅 2

2013-10-19 10:58:47 | 2013年 ヨーロッパへの旅
9月3日(火) (アムステルダム→アテネ→クレタ島) 
 
昨夜は時差解消のため、
日本時間の朝方4時ぐらいまで
眠い目をこすりながら、
テニスのUSオープンを見ていた。
 
現地時間に合わせて寝ると、なかなか時差が取れないので
最初の夜に、このような荒療治をすると、
案外早く現地時間に適応する・・・ような気がする。
 
9:30、ホテルの送迎バスに乗りアムステルダム空港へ。
 
アテネ行きの飛行機は12:05。
空港で2時間半近く待ち、ようやく離陸。
そしてすぐにランチ。
 
 
KLMの機内日本食はホテルオオクラ・アムステルダムの
レストラン「山里」の監修に依るものとかで、とてもおいしいが、
洋食はどうも私の口に合わないのか、残念な味だった。
 
飛行機の窓から見るギリシャは、白っぽく乾いた大地で、
ほとんど緑がなく、点描画のように、
オリーブの白くくすんだ緑が見えた。
 
 
アムステルダムから3時間15分でアテネ着。
 
 
ここからさらにクレタ島に移動する。
次の飛行機は18:30。 
少し時間を潰そうとして外に出ると、日差しが強烈で、
気温も35~6度はあるだろう。
慌てて空港内に戻り、また3時間椅子に座って、
目の前を通り過ぎる人達を眺めていた。
 
そうそう、たった一人だけを見て、ギリシャの人を表現するのは
いけないことだと思うのだが・・・・
 
チェックインでのこと。
 
 
私達が待っているのに
カウンターに座っている女性は何も合図をしない。
こちらから手を振ると、うなずいたのでカウンターまで行くと、
めんどうくさそうに「どこへ行くの」と聞く。
チケットを見ればクレタ島に行くことは分るはず。
夫は町の名前を聞かれたのかと思い
「イラクリオン」と答えたら、「何、イラク?」と言った。
 
その横柄な態度に私は驚き、夫は「ギリシャの女性は怖いね。
少なくとも、海外から来た人が初めに会う、その国の代表なんだから、
せめて、日本人の半分でいいから愛想よくしてほしいね。
過去の誇りだけにすがって、ろくに働かない。」と文句タラタラ。
 
 
そして、オリンピック・エアーのプロペラ機に乗り、
クレタ島のイラクリオンに着いた。
 
タクシーに乗ると、その運転手の運転の荒いこと、荒いこと。
笑顔もなく、ずっとブスッとしていた。
 
そして、私も「これだから経済が破綻するのよ。」と小声で言った。
 
しかし、ホテル・ギャラクシーイラクリオ()に入った途端、
この言葉は全て撤回。
全従業員のマナーの良さが隅々まで行き届き、
丁寧で優しく、建物も部屋も最高だった。
 

エントランスと部屋 
 
 
 
 
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2013年 ヨーロッパへの旅 1

2013-10-17 22:20:18 | 2013年 ヨーロッパへの旅

 

9月2日(土)(成田からアムステルダムへ)
 
昨年で私達の海外旅行は終わったものと思っていたが、
 7月の半ば、夫がまたヨーロッパに行こうと言い出した。
 8月末、2~3日でバタバタと荷物を詰め、
 昨夜は京成成田駅前(徒歩約1分)にある
ホテル・メルキュールで前泊。
 
朝7:56の電車で成田国際空港へ。

搭乗手続きを済ませ、エアー・フランスのラウンジで
1時間ほど過ごし10:35離陸。
KL-862でアムステルダムまで10時間35分の飛行予定。
 
 

 すぐにウェルカムドリンク、ナッツと飲物。そして、12時に食事。

食後も次々にケーキ、アイスクリーム、チョコレートと出てくるが、
私達は満腹で手が出ない。

我々の近くにいた恰幅のよい数人のアイルランド人達は、
陽気に飲み、よく食べ、とっても楽しそうだった。
正直に言うと・・・ちょっと騒々しい・・・・。

家にいてもこんなに長時間のんびりすることはない。
新聞や本を読んだり、映画を見たり・・・
日頃の貧乏性を捨てた。

そして、5時間後にはまた食事。

一体、これは夕飯?朝食?

予定時刻より25分早く、現地時間の2時20分にアムステルダムに到着。

毎日の気温35~6度だった東京から、急に20度のアムステルダムに
降り立って、慌ててコートやショールを取り出したが、とても寒く感じた。

今日は空港からタクシーで5~6分、ベスト・ウェスタンホテルで一泊し、
明日、12:05のKLMでアテネに飛ぶ。

 日本のビジネスホテルのようなこのホテル、
大きなホテルがたくさん集まっている一角にあったが、
外回りが何となく殺風景で、ゴミやタバコの投げ捨てが多く、
とても残念な気がした。

ホテルの窓からは2~3分おきに飛び立つ飛行機が見え、
国際空港の規模の大きさに驚いた。

 
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