どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

経験値のひとつ

2016年07月26日 | 日記
3時過ぎに目が覚め そのまま起きていた

夜明けが遅くなったのを感じ始めて とても寂しい

夏はこれからが本番だが 太陽との恋はすでに冷め始めているのだ


食後に掃除を済ませてから ハッシュドビーフを作る

私の作るものは全く凝ったものではなく 市販のルーを使ったもの

これで5食分ほどは確保できるが すべて食べ終わった頃はすっかり飽きている

独り者の食事とは こんなものなのだ


今日も机に向かう

やっと習慣になってきたようだ

仕事をしていた時とは違って 掃除も洗濯もまめにできるようになったことはとても嬉しい

時間があるって素敵なこと でも その分収入は無いけど^^


忙しかった時代は ほぼひとつのスーパーで用を足していた

時々別のスーパーを覗くこともあったが 会社での昼食を除けば 私の胃袋の90%以上はこの駅前大型スーパーで満たしていた

今は駅まで行く間に小さなスーパーが幾つかあるので 時々寄って買い物をするようになった

こんなに安いものもあるんだ と最近驚いている

勿論メーカーや品質もあるから やみくもに安いというだけで飛びつくということはなく いつも買っている品物の値段を見て決めている

けれどもこれほどまでに安いものがあるということは 当然買う人もいるのだ

食費の幅は本当に広く エンゲル係数は今の時代 参考程度にしかならないかもしれない


よく1円でも安い物を主婦は買うなんていうけれど 私はそんな暇も無かったし いつも買うものが安くなっていれば買っておくこともあったが 基本は必要なものを必要な時に だったので 価格に関してはそう把握もしていなければ 気にもかけずにきた

洗剤類の詰め替え用にしても ジャンボなものがあるのを初めて知ってびっくり

こういう時はどのくらい安くなるのか 特売になっている小さいサイズのものとどちらが安いかなんて いつも頭の中で割り算をするから不思議

それでも何しろ 何もかもが一人分ということもあって 考えたところでそう大きく出費を抑えたという実感を持てるとも思えないから 決めた食費や生活費の中で適当にやっている


住む場所や環境が少し変わっただけだが これも経験値のひとつ

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格別何も無いけれど 満ち足りた一日

2016年07月25日 | 日記
本日も早起き 

いつものように空き缶を捨て お風呂に入ったついでにお風呂掃除もする

今日は買い出しの日

大型スーパーなので家庭用品や衣類など覗いていたら あっという間に2時間経ってしまった


スルメいかを買った

胴体はお刺身に ゲソやエンペラの部分はハラワタが良ければ一緒に焼こうと思ったが さほどでもなかったのでそのまま網焼きにしようかと考えた末に 片栗粉をまぶしてフライパンで焼くことにした


シャープペンシルも1本買った

今使っているドラフト用シャープペンシルのグリップの部分のせいで 中指にすっかり堅い豆ができてしまった

0.5ミリなら何本もあるのだが 0.3ミリはこれ1本しか無いのだ

いつでもとがった芯で書けるというヒット商品

グリップの部分もやわらかく これでもう豆ともお別れ

でも この年齢になってシャープペンシルを買うとは思ってもいなかったなぁ


工務店に地盤調査と確認申請の結果をメールで尋ねたら どちらも無事OKということだったが 基礎工事屋さんの方が混んでいて着工日はまだ未定ということだった

気にしてるのだから結果くらい教えろ~ と思ったが 何しろこのご時世に切れることなく仕事が舞い込んでくる工務店だから それも仕方が無いか

私があまりに家に熱心でないと思ったのかもしれないが だからって気にしていないなんてことは全然無いのだよ

それに家なき子はもう嫌だ

早く自分の家に帰りたい

ともかく ここまではなんとか順調に来ているようだ

ここから先 思わぬ出費になるような危険性はほとんど無くなったと思って良いだろう

あとは地震が来ないことを祈るだけ

家の細かいことなどはさっぱり考えもしなければ ショールームなども見ていない

通風や採光 部材の種類だけは考えるが あとは箱に合うように自分の生活を作れば良いと思っている


午後からまじめに机に向かう

今週後半には梅雨明けか

せっかくだからそれまでの涼しい数日を 大事に使おうっと


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尾籠な話ではあるけれど・・・

2016年07月24日 | 日記
尾籠な話ではあるけれど・・・

光浦康子がラジオで話していた

家に帰り着いてドアを開け トイレに行きたいと思い ベルトを外し Gパンのチャックを下げる

そして便座に座り 用を足す

このわずかな時間の読みが 最近少しずつ読めなくなってきているという話

つまり 自分の計算よりも少し先に・・・始まる・・・ということらしい


運動をしている人や 悪者に追いかけられている人 あるいは悪いことをして追いかけられている人 最終電車に乗り遅れそうな人 そんな人でもなければ 中年以降の大人が走ることはまずない

だから たまに走ると 自分が思った以上に足が回転していなかったりして躓きそうになることがあると 私も経験したことがあるが 多くの人からもきいた話である

かつての経験値からするとこんなはずではなかったと 上半身だけが前に進むのだ


最初のトイレの話に戻すと 私も数年前からそう感じ始めていた

電車に乗っている時でも 駅から家まで歩いている時でもそう尿意を感じなかったのに 帰宅して家のドアを開けた途端にそれが急速に私を襲ってくるのだ

あまり外のトイレが好きではないこともあり また家に帰った安心感からかもしれないが そこから先が少し変わってきたのだ

以前はそれでも余裕があり 部屋に荷物を下ろしてからでも良かったのだが 段々と二階に行っている暇も無いほどになってきたのだ

「行きたい」から「行く」までの時間が短くなってきたのは それを感じるセンサーが鈍感になってきたのか それとも 我慢ができなくなってきたのか あるいはその両方なのか 

これが最近の私の謎である


どちらかというと人が驚くほどに「遠い」ほうだったので 自分でも気が付かないうちに我慢していたのかとも思うが 最近では外出すると 行ける場所で行っておこうと考えるようになった

話題にさせてもらった光浦さんはまだ40代半ばだから 幾らなんでもちと早いのではないかと思うし 私より年下の人でも 何かの折にわずかに漏れることがあるのでパッドを使用していると聞いた時は さすがに少々びっくりしたけれど 個人差はあるにせよ 確実に身体的機能の多くは年齢とともに落ちていくということだろう

それでも 色々な統計上からは老化の訪れは遅くなっているそうで つまり昔の60歳は今の40代後半と同じであるとか そんな具合であり 見かけは勿論 身体的な面でも 精神的にも若くなっているのは誰もが認めるところかと思う

平均寿命が延びたのだからそれも当然 いや そうだから寿命が延びているのだ


さて 昔は腎臓でも悪いのかと思うほど遠かった私は(家を出てから帰宅まで一回も行ってないという日もあった) 最近 頻尿になったかと思うほどに回数が増えた

確かに仕事をしていた時とは水分補給の量も頻度も全然違うし またそのために席を外すのでさえ躊躇することも頻繁にあったけれど今は全く自由 ということもあるのかもしれない

そのために就寝中に起きるということはまだ無いので そうは気にしていないが これもいつかは切実な問題になってくるのだろう

老化はとっくの昔に始まっている

キズの回復が遅くなったり 髪に白いものが混ざってきたり 皺が増えたり 徹夜がきつくなったり そして あれあれ それそれという あれそれ症候群

両親初め 年上の方々のかつての言葉を段々と理解し始めているが それもそんなに悪いことでもないとも思う

そこそこの年齢の人が集まると話題は必ず健康のことになると言うけれど 一番罪が無くて共通の話題なのだろう

誰にもほぼ平等に来る悩みとして そこそこ健康でありながらも少々の不満を言えるとしたら 案外とそれこそが最高の年の取り方かもしれないと この年代になって感じ始めている


でも やっぱり身体は大事にして 鍛えておこう! 頭も心もね

別に若く見られたいなんて思っちゃいないけどさ

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ボケモンにはならないように

2016年07月23日 | 日記
避暑地にでも行ったかのような涼しい日が続き 朝の目覚めの心地よさといったら

こうなると もう夏よ来るな と言いたくなってくる

夏は嫌いという人も多く そりゃ私だって あの暑さや汗でベタベタになる感触は嫌いだし 今日みたいな気温は最高だとは思う

だけど 夏が来て暑いのは自然だし それに逆らっても無駄だし となれば夏の良さを満喫するしか無い

だから 洗濯物がすぐにパリパリと乾くとか 夜明けが早いとか 服装が身軽でいいとか 楽しいこともあるさと

でも 夏の楽しみは若い頃に比べて減ってきたように思う

たとえば かき氷だのアイスだのにはもう手が出なくなったし 花火ももういいし 水着を着て海水浴も流れるプールにも行きたいとは思わないし 虫取りは初めからしないし 夏休みは無いし(← もう永遠に無いのだけれど~)

せめて湿度が低くて 最高気温は何があっても32度までなら 夏も最高なんだけれどね


世はポケモンで大騒ぎ

私もスマホを持っていたら ダウンロードくらいはしたかもと思う

ただ ポケモンというもの自体に全く馴染みが無く ゲームらしいゲームも全くしないのでどうしても興味が持てない

私が好きなゲームといったら「フリーセル」と「脱出ゲーム」と呼ばれるものの中でもこのMILD ESCAPEのものだけで ゲーム機器なんて触れたことさえない

色々な意見があり 問題点も指摘されているけれど 結局は使い方次第だろうと思う

どんな素敵な事が起こり どんな事件がこれによって起こるのか いつ人はこれに飽きるのか それとももっと進化したものへと発展するのか

私の好奇心は むしろこちらに向いている

ポケモンならぬボケモンGO にならないようにとは思うけれど じりじりとにじり寄ってくるトシというものを 生活の端々に感じたりもしてきている 

でも まだまだつかまらないぞ~~~


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説得力無し

2016年07月22日 | 日記
梅雨明けがまだである関東地方は 涼しい日々が続いている

雨を除けば過ごしやすいけれど これはこれで疲れ 暑くなったらなったでまた疲れるのだろう

朝いちばんで銀行に行き 家賃の振込をする

期日には余裕があるのだが 窓口が空いているであろう時間と日を選ぶことにしている


退職後しばらくは家の片付けで忙しかった私も 今は無職で毎日が暇となり ましてや家族も居ないとなると 無用な人間になったような気がしてくる

いや そんなに深刻にそう思うわけではないし だからどうということもないのだが

よく 生きていて意味の無い人などいない というし 私もそう思ってきたが あれは勘違いなのではないかと考えてみた

そうは言ってもそれは綺麗ごとだ そんな言葉に説得力も実感も無いと思う人だっているだろうと思うのだ

一生でなくとも 人生のある時期 あるいは瞬間に そう思ったりすることはあるかと思う


もともと生きていることに意味のある人なんかいない と考えたら もう少し気楽に生きられるのではないか

仕事は生きるためではあるけれど それが自己の成長とやりがいにつながることも確かだ

お金を得る行為だけでなく 家事や子育てといった無報酬の仕事でもそれは同じ

だからそうした活動をすることこそが 人生の意味と勘違いをする

そうした活動から退いた人間や 加わらない人間 加わることのできない人間は 生きている意味が無いとみなされる


意味があると思うのは そう思うことでなんとかやっていける それで人はなんとか立って歩けるからだと思う

これが生きがいとなり やるべきことでもあり また偉業を成し遂げ 世のためになり そこまでではないにしても 自己実現に向かい ある集団で必要とされる人間となることは素晴らしいし 十分意味がある

誰もがそうであればと思うし それこそが人間だと言いたい


それでも生まれたことにも 生きていることにも 何も意味は無いと思うしそれで良いのではないかと思うようになってきている

あなたも わたしもだ

意味が無いほうが本質だと思えば もっと穏やかな優しい世界になるのではないか

初めから意味などはなく 自分で納得のいく意味をつけていくことが生きることだが それは他人に決められるものではない

ゼロからの出発で 生涯ゼロだって それはそれで良いのではないか

下手な意味をつけて害毒をまきちらすよりは よほどマシである


誰もが生きる権利を平等に持っている

それは守られねばならないし また守らねばならない

けれども 生きている意味があるのかどうかは 他人が決めることでも 決めてもらうことでもないし そもそも人間にそんなものなど無いと互いに認め合うことから始めたらと思う

お邪魔します 何の意味もありませんが 出来るだけお邪魔はしないので 少しだけこの世で生かして下さい

人様にも自然にもそんな風に思えたら

なんて でも 人間って強欲だからなぁ 

やっぱりこの考えは説得力無しだな 
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