みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

辺見庸さんのエッセイ「二つの日常 死生観の揺れと永遠のいま」(中日新聞)

2007-12-27 10:25:08 | ほん/新聞/ニュース
辺見庸さんの文章が好きで、本は出るたびに読んでいた。
『たんば色の覚書-私たちの日常』(毎日新聞社 /2007.10月) を
読みたいなと思っていた矢先、
12月25日の中日新聞夕刊の文化欄に最新エッセイが載った。

病を得てからの辺見さんの文章は鬼気迫るほどに壮絶で、
ものごとを深く見つめ、しかも透明感がある。
今回の文章も、エッセイというにはあまりに深く、
だけど、悲壮というよりは、どこか突き抜けていて軽妙だ。

「死ぬまで生きる」とは、わたしもずっと思ってきたことだ。

過去も未来も”わたし”の記憶のなかにしかなく
「いま・ここで」起きている「こと」がだれにも等しくあるだけ、
と感じながら、それさえも、
過ぎてしまえば不確かな感覚ではないかと思い続けてきたわたしは、
結語の「それでも”いま”を精一杯生きる」
「”永遠のいま”を一瞬一瞬、惜しみながら生きる」
という言葉につよく共感した。

子どものころから、好きな詩や文章を書き写すという作業がけっこう好きだった。
辺見庸さんのエッセイをこころの中で反芻しながら打ち込んだ。

 二つの日常 死生観の揺れと永遠のいま
    辺見庸

一瞬一瞬、惜しみつつ生きる


 滴るほどの緑をたたえていた窓外の公孫樹(いちょう)がいつの間にか眩(まぶ)しく黄化し、はらほろと旋回しながら散り落ちるまで病院にいた。扇形の葉が最初に色づきはじめたのはいつごろだったのかとなると、しかし、記憶がいまひとつはっきりしない。兆していることをとらえきれないのは、病気で気分が内にこもっていただけでなく、おそらく日常という適度に鞣(なめ)された時のせいでもあろう。日常のありようはしかし、病院の内と外とで画然と分かれている。どちらの時間がよいかと問われれば、それは勿論(もちろん)、外ではあるのだけれど、退院したいま、“内”の日々が妙に懐かしくもあるのはなぜだろう。
   □ ■ ■ ■
 この数年あれこれ病気で入退院をくりかえしている私は、いささかの自棄(やけ)もあって自身に言いきかせたりもする。「まぎれもなく健康であることは/たぶん巨(おお)きな恐怖だから/きみはなるべく/病気でいるがいい」。石原吉郎の詩「恐怖」の書きだしである。恐怖とは健康の側から病気の側に向けた幻想や妄想のようなものでもあり、一般にその反対はありえない。いっそ病気と断じられて入院してしまったほうが毎日の座りがよろしい、と思うこともある。検査も治療もときに過酷(かこく)だけれども、掛け値なしの事実に否応(いやおう)なく向きあわざるをえないせいか、私の場合、病院の日常のほうが妙に腹をくくっていられる。
 娑婆(しゃば)ではそうはいかない。根拠薄弱な悲観と楽観に気分がこもごも揺れて、胸の奥では事態の暗転にいつもおびえている。結局またぞろ病院行きとなるときには、前述の詩句に加えて、これは自作の捨て台詞(ぜりふ)のようなことをつぶやいたりする。「ともあれ死ぬまでは生きるさ」。堂々めぐりみたいな理屈ではある。迫りくる恐怖から逃れるには案外、効果的だったりする。このたびの入院生活でも何度ひとりごちたことか。「ふん、死ぬまでは生きるさ・・・」
 某夜、経験豊かな当直看護師が私にポツリと反論した。「でもねえ、なかなか死ねない患者さんだっているのよ。それはそれでつらいわよ」。はっとした。当方としては、手持ちの死生観を修正せざるをえない。
 〈健康はある意味恐怖でもある→病を得て腹がすわることもある→どのみち死ぬまでは生きる→死ねないのもつらい〉という筋道の先に、なにか気のきいた結語がほしい。さもないと行きづまってただ悶々(もんもん)とするだけだ。私は考えた。結論は果たしてなんであるべきか・・・。
 病院の外の日常と接する窓のようなものは病室のテレビである。三食のたびに好きでもないテレビを見るともなく見た。娑婆で見る以上にそれは異様であった。ひたすらやかまくし、執拗(しつよう)で、狂気じみ、一貫して浮薄であり、弱い者、貧しい者に寄り添うどころか、冷笑している節さえある。事の軽重を常にとりちがえ、消費とばか笑いと食欲のみが煽(あお)られる。テレビ番組と実際の日常が同じではないにせよ、たがいに響きあって魂が堕ちつつあるのはまちがいない。退院したとしてもそんな日常が待っているのなら、治療のつらさがむくわれない気がした。
  ■ ■ □ ■
 そこではじめて心づいた。病が癒え退院しなければ、なにごともはじまらないというものでもないな、と。〈死ぬまでは生きる→死ねないのもつらい〉の理屈の先にくるべき結語は、〈それでも「いま」を精一杯生きる〉でよいのではないか。本復をただ待つのではなく、未決定の「いま」こそがクライマックスのように心えて、あえて晴れがましく生きる、というのはどうだろう。生に執着しおびえる自分をそれとして認め、死という終着点のみに固定していた視線を「いま」に移す。心の湖の波風をしずめて、“永遠のいま”を一瞬一瞬、惜しみながら生きる・・・。なんだか体の痛みさえ貴重に思えてきた。

へんみ・よう=作家 1944年、宮城県生まれ。91年に「自動起床装置」で芥川賞受賞。主な著書に『もの食う人びと』『いまここにあることの恥』など。最新刊に病室で書き下ろされた『たんば色の覚書-私たちの日常』がある。

(2007.12.25 中日新聞夕刊)



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